新しい国へ・4
ナサニエルは、ドルーと共にマデリンの部屋の前まで来た。そこで、慌てて走ってくる侍女の姿を見つける。
「兵士様! よかったぁ。城内に兵士様たちが見当たらないので、皆どこかへ逃げてしまったのかと思ってたんです」
侍女は半泣きでドルーにすがってくる。後ろにいるのがナサニエルだということにも全く気づいていない様子だ。
「平民兵たちが権利を求めて暴動を起こしているのです。ご婦人方は部屋に入っていたほうが安全でしょう。……ところでマデリン様のご無事を確認させていただいても?」
「は、はい。失礼します。ベラです。開けてください」
マデリンの部屋をベラという名の侍女がノックすると、しばらくして別の侍女が扉を開けた。
「マデリン様は」
「今取り込み中よ」
唇に人差し指をあて、もうひとりの侍女が囁く。
「失礼」
ナサニエルが、侍女を押しのけて中に入る。きゃあ、と侍女たちの悲鳴が上がり、みな、奥の部屋へ向かおうとするナサニエルを止めようとした。
と、そのうちの一人が、兜の下のナサニエルの顔に気が付いた。
「……陛下?」
ナサニエルは口もとだけで笑うとそのまま奥の部屋の扉をあけ放つ。
そこには、マデリンのほかに、ひとりの男がいた。
栗色の髪に、青い瞳。ナサニエルは初めて見たが、予想以上にコンラッドに似ていた。
男はベッドの上に座り、マデリンは彼の肩に顔をうずめていた。着衣のままとはいえ、その距離感は男女の関係を疑うに十分なものだ。
「誰? 許可もなく無礼な」
「夫の顔を見忘れたか?」
ナサニエルは兜を外し、放り投げる。
マデリンが驚愕の表情のまま固まり、男は、さっと彼女から離れると、床にひれ伏した。
「生きていたんですか」
「死んでいたほうが、お前には良かったのだろうがな」
アンスバッハ侯爵がいなければ、ここには用はない。ナサニエルは男を一瞥したあと、マデリンに言う。
「先に不貞を働いたのは私だし、お前を妻という立場に置いておきながら、その義務を果たしていないのは私の落ち度だ。だから、愛人を作ったことに対して、お前を責めるつもりはない。だが、コンラッドを王にするのだけは認められない。理由はお前が一番よく分かっているだろう?」
じろりと睨むと、マデリンは体を震わせる。
「あ、あの子はあなたの子です。お認めになってくださったじゃないですか」
「あの子が第三王子として生きる分には、認めても構わないと思っていた。だが、王になるのだけは認められない。侯爵は欲を出しすぎたんだ」
「お兄様を侮辱なさらないでください。あなたが王になったとき、兄がいなければどうなっていたか」
「分かっている。だからここまで来てしまった。知っていたか、マデリン。バイロンが体調を崩したのは毒のせいだ。侯爵は、自分の思い通りにならないバイロンから、少しずつ力を奪っていったのだ」
「……え?」
それは余程予想外だったのだろう。マデリンの表情から、気色ばんだ様子が消えた。
「嘘です。だってバイロンは正真正銘の王位継承者で。兄にとっては権力を得るのに大事な甥だったはずです」
「当初は殺す気まではなかったんだろうと思う。弱らせて、補佐する後ろ盾としての立ち位置を得ようとしていたのだろう。死なせてしまったのは、アイザックの件と重なったせいだろうな。どちらにせよ、侯爵にとっては甥も私も道具にしか過ぎなかったんだ。おそらく、妹であるお前もな」
「……嘘です。お兄様は私のためになんでもしてくれました。王妃にしてくれて、邪魔な人間も片付けてくれて……」
「そのあたりを、お前にも証言してもらえると助かるな。……義兄上はやりすぎた。悪いが、もう下りてもらう」
「陛下!」
悲鳴のような声を上げるマデリンをその場に残し、ナサニエルはドルーのもとへ戻る。
「アンスバッハ侯爵はここではなかった。執務室へ向かおう」
「陛下、今のお話は……。コンラッド殿下は本当に」
「王家の血は継いでないだろうな。睡眠薬を盛られて、記憶の無いまま女は抱けない。当時マデリンを抱いた記憶はないのだ」
「なぜ、当時からそうおっしゃらなかったのですか」
「……多分、それが私の悪いところなのだろうな」
苦笑しながらナサニエルが部屋を出る。と、エントランスのほうが騒がしい。
どうやら、アイザックたちが門を突破し、侵入してきたようだ。
「行くぞ」
「はっ」
ドルーを従え、ナサニエルもエントランスへと駆けだした。
*
「我々は話し合いの場が欲しいだけだ。貴族議会との交渉を行いたい。王家を代表し、コンラッドにも同席してほしい」
ザックの声が響き渡り、応援するように付き従った平民兵の歓声が上がる。
門をこじ開け、雪崩のように押し入った平民兵は、手当たり次第に戦いを挑みそうなほど興奮していた。
ザックはそれを抑えるべく、いち早く目的を明言する。
同時に、「交渉が決裂するまでは手を出さないように」と言い含めておく。
政治的な要求をするときに、自らの陣営が犯罪まがいのことをしては誰もついてなどこない。
警備兵たちが集まり、ザックたちを取り囲む。だが、すぐに近衛兵たちが集まり、ザックたちを守るような配備についた。
「近衛兵、こいつらが侵入者だぞ?」
「近衛兵団は、第二王子アイザック様を支持します」
警備兵と近衛兵のにらみ合いが始まる。
やがて議場から貴族議員が、階段からはコンラッドとアンスバッハ侯爵が降りてくる。
「義兄上、生きていたんですね」
なぜか顔色の悪いコンラッドは、荒い息を吐きだしながらつぶやいた。彼をかばうように、アンスバッハ侯爵は前に立つ。
「……平民が寄り集まって何の騒ぎですかな」
「交渉に来たんですよ。アンスバッハ侯爵」
「これはアイザック殿下……いや、今は伯爵でしたな。行方不明と聞いておりましたが、ご無事でなによりです。しかし、こんな平民を率いて反乱ごっこなどされては困りますな。平和な地に争いをもたらすのが、元王族の望みなのですか?」
「どうとでも。平民たちは貴族の圧政に苦しみ、平等な社会システムを望んでいます。そのための交渉を行いたいのです」
「聞けませんね。力に物を言わせる無頼漢の言うことなど。城の警備を破り侵入したことは立派な犯罪です。アイザック様以下、ここにいる平民たちは皆捕らえさせていただきます」
「一番の悪党にそんなことを言われる筋合いはないな」
アイザックが言い放つと、侯爵は不愉快そうに眉を寄せた。
「なにを」
アイザックはケネスへと視線を向ける。ケネスは頷くと、持っていた書類を読み上げる。
「これは疑惑段階ですが、ウィストン伯爵首謀と言われた輝安鉱流出事件。裏にあなたがいるのではと言われております。輝安鉱の輸出を手掛けた男が、ウィストン伯爵とあなたが造幣局で内密な話をしていたと証言しています」
「馬鹿な、根も葉もない噂でしょう。造幣局へは何度か視察で行っている。その時のことを勘繰っているだけでしょう」
余裕の顔で侯爵はシラをきる。ザックはそれを受け流し、次に続けた。
「そのほかにも、あなたが毒に関わってきた疑惑はあります。兄上の病気は、鉛による中毒が原因でしょう。俺をはめたのだってそうです。輝安鉱は、あなたがウィストン伯爵に準備させたものだ。父と母を事故死に見せかけて殺そうとしたのも、あなたの差し金でしょう」
「何の証拠があって……」
どこまでもシラをきる侯爵に、ザックは少し焦る。疑惑は多くある。けれど、どれひとつ取っても、完璧に立証できるほどの証拠が残されていない。ナサニエルとカイラを襲わせたことを証言させるつもりだった御者も戻っては来なかった。バイロンがこの場にいれば、毒を盛られた証言が得られるかもしれないが、彼はまだ別荘地にいる。
「証拠ならあります」
そこへ、集まった平民の中から、武装していない男がひとり前に出た。男にしては甲高い声だ、とその方向を見つめて、ザックは息を飲んだ。その顔に、見覚えがあったのだ。
「オードリー殿?」
「私が証言します。アンスバッハ侯爵の屋敷で、毒を作るよう強要されました。私の夫や、ウィストン伯爵に有害鉱物を採掘させたのも、侯爵です」
オードリーが帽子を脱ぎ、長い髪を下ろすと、侯爵もはっとしたように目を見開いた。
なぜオードリーが男装してこの場に混じっているのか、ザックにはさっぱり分からなかった。が、オードリーは勝算が無ければこんな証言などしないだろう。基本的に頭のいい女性なのだ。ザックは彼女を信じることにした。
「こう言ってますが? 侯爵」
「はっ、平民のたわごとなど。私を貶めるために適当なことを言っているんだろう」
「私も証言できますわ。侯爵に殺されかけたのですもの」
今度は上から声がする。ゆっくりと階段を下りてくるのはクロエだ。
「クロエ!」
ケネスが叫ぶと、クロエは勇気づけられたように微笑む。
「お兄様、お会いしたかったです。侯爵は私がコンラッド様との婚約を破棄しようとしたら、毒を飲むよう強要したのです」
「な……。何を言っているんだ。クロエ嬢。コンラッド様、なんとか言ってやってください」
侯爵は慌て、コンラッドを前に出す。が、コンラッドは膝をつく、荒い息のまま深いため息をついた。
「……クロエ嬢の言ってることはあっている。少なくとも、伯父上がクロエ嬢に毒を飲ませようとしたのは本当だ」
「コンラッド!」
まるで悲鳴のような声を上げた侯爵に、今度は右手側から、重々しい声が響き渡った。
「そこまでだ」
地を這うような、重みのある声。
その声に聞き覚えのある侯爵は、声のする方角を向いて、幽霊でも見たように蒼白になった。
「……陛下」
「茶番は終わりだ。私とカイラは侯爵に騙され、王都外に出て襲撃された。近衛兵、アンスバッハ侯爵を捕らえろ。王家への反逆罪だ」
ナサニエルがパチン、と指を鳴らすと、近衛兵団が一気に動き出す。
「な、……なぜだ。なぜ生きてる。あんなに良くしてやったのに、なぜおまえは私に歯向かおうとばかりするのだ」
侯爵は近衛兵に腕を掴まれながらも、ナサニエルを睨みつけた。
それを、ナサニエルは静かに見つめる。
「私とて、あなたと歩んでいきたかったですよ、義兄上。だが、あなたが望んでいたのは、私を抑え込むことだった。だから私はもう、あなたとは決別する」
ナサニエルが侯爵から目をそらすと、それを合図とばかりに近衛兵は地下に向かって歩き出した。とりあえず、処分決定まで地下牢へと入れるのだ。
「ナサニエル! 話し合おう! 私はお前のために」
「……残念です。義兄上」
拳を強く握ったまま、ナサニエルがうつむく。
憎いと思っていたはずなのに、いざ決別となれば胸は痛かった。
甘いと言われようとなんだろうと、彼を慕っていた時期をナサニエルは忘れられない。
侯爵の姿が見えなくなってようやく、ナサニエルはアイザックの前に立ち、平民たちへもゆっくりと視線を送る。
「モーリア国国王として、平民たちの提案を受け入れよう。具体的な方策は今後議会を行い、詰めていくことにする。平民側から代表者を二名選出し、アイザックを通して私のところへ報告するように。それと、今までの圧政についてはお詫びしよう。国政の最終統括者として、私は判断を誤ったことを認める。今後議会制度を改めることで、改善していくことを宣言しよう」
死んだと思われていた国王陛下が現れたこと、自分たちの要求が受け入れられたことで、平民たちからは歓喜の声が上がる。
城のガラスから傾いた陽の光が差し込む。それは神々しく、ナサニエルを照らした。
黄昏の時間に行われたこの出来事は、のちにモーリア国の黄昏革命と呼ばれることとなる。




