道化の王子・4
「そなた、母上が恐ろしくないのか」
掠れた声とおびえたような目で、コンラッドがクロエを見据える。
少し余裕の出たクロエは、笑って見せた。
「……私が恐ろしいのは、自分が自分じゃなくなることですわ。自分の中の真実を曲げたくないのです。心を曲げて従って生きるくらいなら、死んだ方がマシです」
「君は、……いつもそうだな」
コンラッドは、頭をクシャリとかきむしり、ポソリとつぶやく。クロエは、黙って続きを待った。
「いつも潔い。母上のように常に取り巻きを引き連れるでもなく、ひとり凛と立ち、不条理さを感じれば教師だろうが上級生だろうが構わずに意見する。俺に意見してくる女も、君くらいなものだった」
学園で、コンラッドは腫れもの扱いだった。それは自身のふるまいが原因だろうが、気にしていたというならば意外だ。
クロエだって、自分からコンラッドに話しかけに行くことはなかった。よく話しかけられるから、誘いを断るために厳しいことを言っただけだ。そこを気に入ったというならばマゾなのだろうとも思う。
「ほら、その目だ。蔑むような……。どうして君は俺をそんな風にしか見ないんだ」
「そんなことを言われましても」
クロエも困る。尊敬できない人間を好意的に見られるわけがないだろう。まして、クロエは自分に正直であることをモットーとして生きているのだ。
「強いて言うなら、思想が感じられないからでしょうか。コンラッド様は王族であることを笠にきた言動をよくなさいますが、王族として何をするつもりなのか、傍目には全く伝わってこないので」
「なに?」
「権力とは人に多くを与えることができる人が持つ特権です。国のために使わなければ、怠慢な王だと批難されるでしょう。王となってからの目的が無いのならば、権力など持つべきではないのです。過ぎた権力は身を滅ぼすだけですもの」
クロエの言っていることが分からないというように、コンラッドは頭を抱える。
「俺は……ただ王になりたいだけだ。国のことは伯父上が考えることだ」
「あなたが王となるのなら、それではいけません。理想を掲げない王に、人はついてなどきませんから」
「そんな……っ」
惑うコンラッドに、クロエは呆れる。本当に何の覚悟もなく、王になろうとしているのだったら、王についてすぐに後悔することになる。侯爵に踊らされているとはいえ、十八歳の男性としてはあまりに考えが足りない。
「コンラッド様。あなたは一度でも、街を見たことがあるのですか。民を見たことは。自分の手の中に、何千何万という人間の命が預けられているということを、本気で分かっておられるのですか?」
王族としてのプライドを、ずたずたに引き裂くつもりで、はっきりと言う。コンラッドが体を震わせ、おびえたような目になったのが分かった。
うまくやれば、説得できるかもしれない、とクロエは思う。
本人に、王の器ではないと認識させるのだ。いずれナサニエルかアイザックが戻って来たときに、コンラッドが素直に身を引いてくれるように。
クロエは続けて口を開いた。まだ糾弾されるのかと身構えたコンラッドに、今度は甘い蜜を与える。
「民を、国を守ると思えないのならば、王になどなるべきではないのです。コンラッド様には向いていませんよ。私がその立場でしたら、絶対にやりません」
高尚な御託を並べられた後での、やりません発言に、コンラッドは目を点にしてクロエを見つめる。
「な、なんだと?」
「私は甘やかされた末っ子ですもの。そんな責任のある立場などごめんです。もっと自分の好きなことだけやって生きていたいのです。コンラッド様もその意味では私に近しいと思っていたのですけれど……」
クロエが上目づかいでコンラッドを見る。
「責任を取る立場ではなく、気ままで自由な第三王子。コンラッド様には、とてもお似合いだったと思いますけど?」
「それは……たしかに」
コンラッドの目が一瞬横を向く。納得しているようだ。
クロエの目にも、コンラッドはたしかに第三王子の立場を満喫しているように見えた。侯爵に、王になれとそそのかされるまでは。
「ご自分がなにを望んでいるのか、ちゃんと理解したほうがいいですわ。自らが王になる必要が、本当にありますか? もし、陛下や兄上様たちが生きていたら、あなたは控えの立場。もちろん国のために尽くしていただかなければなりませんが、自ら舵を取らなくてもいい分、気楽でいられるでしょう」
コンラッドの喉が鳴る。明らかに、心は動いているようだ。しかし、常に決定を他人にゆだねてきた経験のせいか、迷いは捨てきれずにいる。
「だが、……もう誰もいなくなったではないか。だとすればやはり、私が王になるしかない」
「……本当ですか?」
クロエの問いかけに、コンラッドは目を瞠る。
「葬儀を終えたバイロン様はともかく、陛下もアイザック様も、死体が発見されたわけではありません。私は、彼らが生きていると信じています」
これでどうだ、とダメ押しのつもりで言ったが、予想に反してコンラッドの顔が険しくなった。先ほどまでの言いくるめられそうな様子から一転してしまった。
「……そなたは、やはりまだ義兄上のことを想っているのだな」
コンラッドはクロエがアイザックを救うために婚約を了承したと信じている。だからなのか、絞り出すような声で切々と訴える。
「俺が望んでいるのは、君だ。君が欲しいから、王になりたかった。なのに、君はまだ、生きているか死んでいるか分からない義兄上のことを忘れていないのか」
コンラッドが一歩近づいてくる。クロエは説得失敗を感じて焦った。
緊張した空気を割るようにノックの音が響き、マデリンの侍女が顔を出す。
「マデリン様からコンラッド様に渡すようにと預かってまいりました」
侍女は、床に座り込んでいるクロエを見て怪訝そうな顔をしたが、なにも言わず頭を下げて出ていった。コンラッドの手に、小さな小瓶が残される。
「媚薬……」
コンラッドの呟きに、クロエは体を震わせた。
普通に襲われるならば、舌を噛みきるつもりだった。
クロエは未来に希望は持っていない。どうせこれから訪れるのは、最も愛する兄が後継ぎを得るために誰かと結婚する未来だ。自身も、父の体面を考えればどこかに嫁がされてしまうだろう。そんなつまらない未来と天秤にかければ、クロエはここで死を選ぶ方がマシだと思っている。
だから死は怖くはなかった。
だが、媚薬を使われれば、判断力が鈍り、自ら男を求めてしまうだろう。クロエは自分がコンラッドに足を開く姿を想像し、吐き気がする。
尊厳も心も踏みにじられる。それは、死ぬよりよほど恐ろしかった。
「それを使われるならば今すぐ死にます」
さすがに声が震えた。クロエは近寄ってくるコンラッドを突き飛ばし、書き物机の上にある、ペーパーナイフを手に取る。
しかし、手首をコンラッドに捕らえられ、力の抜けた手からそれが床に落ちる。カツン、という硬質な音が響き渡った。
「だったらなぜ、俺と婚約したんだ。あの時点で、義兄上よりも俺を選んだのではないのか」
「あれは時間稼ぎと諜報活動のためです。本気で結婚するつもりなど、ありません」
「……っ、君は俺をどこまで馬鹿にするんだ!」
コンラッドの目が怒りで燃えた。小瓶の蓋が開けられ、コンラッドがそれを口に含む、そして、口移しで飲ませようと、顔を近づけてきた。
クロエは顔を背け、力の限り抵抗する。けれども、男の力はたやすく女を蹂躙するのだ。
「いやっ。……やめてっ」
唇が触れる寸前、クロエはついに弱音を吐いた。




