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新しい王・3



「こちらがワイン。こちらが、ヒ素を入れたワインです。色、見た目はほぼ変わりありません」


 ここは、アンスバッハ侯爵邸の執務室だ。

 オードリーは震える声で、ブドウ色の液体の入ったグラスをアンスバッハ侯爵とグランウィルに見せる。

 チラリとグランウィルに目配せすると、彼はネズミが入った籠を出す。


 オードリーは小さな皿を出し、それぞれの液体を入れて見せる。

 グランウィルがネズミに舐めさせると、毒入りの方を飲んだネズミが、やがて苦しみだし、もがき暴れたと思っていたらぷつりとこと切れた。


「……即効性だな」


「ええ。即効性がお望みでしたから」


 笑みを深める侯爵に、オードリーは震えながら小瓶を差し出す。


「これがその毒です」


「わかった。なかなかいい仕事をするものだな。こうして言うことを聞いていれば、重用してやれるのだ、わかったか?」


「……はい」


 たった一度の暴力で従順になった女に、侯爵は笑顔を張り付ける。

 平民とは、こういうものだ。貴族からのどんな無理難題にも、諦めの顔で応じるもの。

 全てがようやくうまく動きだしたことを感じて、胸がすっとする。


「下がっていい」


「……はい」

 

 オードリーは目を伏せたまま、下がる。


「グランウィル、彼女に褒美を。今日は新しい料理人の菓子でも与えてやるように」


「はい」


 ご機嫌な主人に、グランウィルもまた穏やかな笑みを浮かべていた。



 一方、合流したザックとロザリーの一行は、別荘地へと共に向かっていた。

 そこで再会を喜ぶバイロンとナサニエルを、カイラは呆気にとられたように見つめた。自分に内緒で事が進められていることを知った彼女は、多少なり不満があるようだが、アイザックが生きていたことにホッともしたのか、倒れ込むように眠ってしまった。


「待たせたな」


 客間にカイラを寝かせたナサニエルが戻ってくる。ロザリーはおずおずと彼を見上げる。


「あの……カイラ様はいかがでしたか」


「心労が溜まったんだろうな。主に私のせいだ。ロザリンド嬢は気にしなくてもいい」


「ですが、侍女として着いていながら、カイラ様に心労をかけるなんて」


「ロザリー、気にする必要はない。父上が秘密主義なのがいけないんだ」


 慰めるようにザックが続ける。


「だが、カイラは嘘がつけないのだ。すべてを明らかにするわけにはいかないだろう」


 ナサニエルが反論する。そんな会話も楽しんでいるように見えて、ロザリーもホッとして、肩の荷が下りた気分だった。


「……で、父上は今後どうするつもりなんです?」


 室内にはアイザック、ロザリー、ケネス、ナサニエル、そして半分ソファに体を預けているバイロンと、それを支えるジョザイアがいる。


 ナサニエルはバイロンをちらりと見て、小さな声で続けた。


「私は今の地位から下りようと思う。バイロンと同じ、死んだ者になろうと思ってな」


 少しの躊躇もなく語られたそれは、ナサニエルの中ではもう決定事項のようだった。


「国を捨てる気ですか?」


 眉を顰めるのはザックだ。兄はともかく、国王が自国を守る責任から逃れるつもりかと思えば、声に険が混じった。

 批難の視線を受けとめ、ナサニエルは苦笑する。


「……私ではどうやってもうまくできなかったのだ。種は蒔いた。あとは政変を起こし、お前が政権を奪還してくれれば一番うまくまとまると思う」


「じゃあ、逆にお聞きしますが、父上はなぜ俺にはできると思うんです?」


 ザックはケネスやロザリーを見つめた。


「父上も知っての通り、俺は貴族議員として活動し、一年で精神を病みました。今こうして以前のようにできているのはケネスやロザリーがいてくれたからです。こうして今命があるのも、皆の助けがあったからでしょう。……はっきり言えば、父上の構想を受けつぐのは、今の俺には無理です。明らかに、俺の力量を上回ります」


 はっきりとそう言えば、ナサニエルとバイロンは顔を見合わせて困惑をあらわにする。


「……でも、父上と兄上、三人でならできるのではありませんか? この国は広い。ひとりがどれだけ頑張ったって、できることはたかが知れています。だったら俺たちみんなで協力すればいい。……俺は今回のことで、ケネスやロザリーから、そう教わりました」


 ナサニエルがはっとしたように顔を上げる。


「父上もそうじゃないんですか? だから母上を呼び戻した。あの時、ひとりではダメだと分かったんじゃなかったんですか」


 ザックの胸の内に、今まで自覚さえしていなかった感情が込み上げてくる。

 兄の本質を知り、歩み寄れると分かったところで失ったときのあの例えようのない悔しさ。父がなにか画策しているのは分かるのに、理解できずにもどかしさだけが募るあの感覚。


「信用して、共に戦ってほしいと、父や兄に願う俺は、間違っていますか?」


「……あはははは」


 シン……と静まり返った部屋に、響き渡ったのはバイロンの笑い声だ。


「兄上?」


「バイロン……」


「父上がそんなに困った顔をしているのは初めて見ました。さすがだな、アイザック」


 バイロンがひとしきり笑い終えるまで、ザックは待った。そして、兄が自分の意見に賛同してくれているのを見て取ると、勇気づけられたように頷く。


「政変を起こすための下準備をしてきたのが父上なら、やはり父上が主導権を持ったほうが、結束が高まるはずです。それに、父上の計画通りにすると、今後が望めない人間が出てきます。兄上をこのまま死人にする気なのですか? 母上のことはどうするつもりです。死人の妻として生きろと? それに、俺だって、これまで第二王子としてしか教育されていません。政変までは起こせても、国をつつがなく動かしていくことには経験不足です」


「それは」


「第一線を引く覚悟を固めて欲しいんじゃありません。俺たちと共に、国を守る決意を固めていただきたいのです」


 ナサニエルは、言葉を無くしてザックを見つめる。震える口もとが、やや臆病に言葉を零した。


「……共に……などと、今まで言われたことが無いな」


『私に任せておけばいいのですよ』


 義兄であるアンスバッハ侯爵はいつも笑顔でそう言った。

 承認は必要とされたけれど、意見は求められなかった。伝えればやんわりと否定されることが続けば、いっそ内密に事を進めたほうがいいとさえ思うようになった。


「……義兄上と、協力などしたことが無い」


 寂寥に似た気持ちがナサニエルを包んだ。


「ああ、もしかして。父上はアンスバッハ侯爵を信じたかったんですね」


 思いついたと言うように納得するアイザックに、ナサニエルの中にいる若い自分が呼応する。


(そうだ。頼りにしていた。何もわからないまま両親を失い若き王となって。支えてくれる人間が、どれほど頼もしかっただろう。あの頃は、義兄上とマデリンと支えあって、この国を治めるつもりだったのに)


「……私は分かりますよ。伯父上はとても頼りがいのある人だ。自分に力が足りないときは、彼の庇護下にいるととても安心できるのです」


 バイロンの柔らかい声に、うつむいて悲しむばかりだった若かりしナサニエルが顔を上げる。


「大人になったら、ただ守ってくれる庇護者よりも、アイザックのように『ともに』と言ってくれる人間が心地よくなる。それが、成長するということなんでしょう」


(義兄上の手から離れたくて、ずっとひとりで戦っているつもりだった。……けれど、私はひとりではなかったのか)


 あんなに幼かった子供たちが、当時の自分よりも逞しく成長して、ここにいる。

 最初はいがみ合っていたはずのふたりだった。なのに今は、ふたりで言葉を重ね、ナサニエルの気持ちをおもんぱかってくれる。


 ナサニエルは、自分にも侯爵と似たところがあると、改めて感じた。

 自分の考える未来を彼らに実行させるのは、押し付けの愛情でしかない。共有できる理想を胸に、互いに意見を出し合わなければ、みんなでいる意味がないのだ。


 喉のあたりが熱く、ナサニエルは声が潤むのが抑えられない。

 だが、ここで黙ってしまっては元の木阿弥だ。言葉を尽くさなければすれ違いを生むだけだと、子供たちに何度も諭された。


「……おまえたちは、大人になったな」


「そりゃ、死にかけたくらいですしね」


「俺だって伊達に療養していたわけではありません。戻って来たからには、同じような逃げ方はするつもりありません」


 ナサニエルは微笑み、ようやく肩の荷を下ろす。


「……では、お前たちに頼みがある。侯爵から政権を奪うため、協力してほしい。私が弄していた策も全部話そう」


「はい」


「ケネスも入ってくれ。いいですよね、父上。彼は俺の頭脳です」


「ああ、もちろんだ。ロザリンド嬢も話に入ってほしい」


 難しい話が始まるのならと奥の部屋に引っ込もうとしていたロザリーは、ナサニエルから呼ばれ驚いた。


「私にできることがあるんですか?」


「ああ。君にはカイラとクロエ嬢を守ってもらわなければならない」


 自分の役割を与えられ、ロザリーは力強く頷いた。


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