反撃ののろし・4
アイザック行方不明の報から、一週間がたつ。情報の少なさにすっかり参っているのはカイラだ。
「大丈夫ですか? カイラ様」
「ごめんなさい。大丈夫よ」
よく眠れていないのか、顔色が悪い。このままでは先にカイラのほうが倒れてしまいそうだ。
ロザリーは、カイラの気持ちが少しでも軽くなるように気鬱に効くお茶を入れたり、ザックの子供の頃の話を聞かせてもらったりしながら、その期間を過ごした。
元気なザックの思い出は、自らも不安を隠しきれないロザリーにとっても慰めとなる。
「昨日、ケネス様から手紙が届いたんです。ザック様の捜索に力を尽くしていると書いてありました。だからきっと見つかりますよ」
ケネスはいつも自信満々で、それが文面からも伝わってきて、ロザリーは久しぶりに口もとが緩んだ。
【カイラ様を守っていることが、結果的にザックのためになる。ロザリーはそこに専念してほしい】とも書かれていた。
たしかに、今ロザリーにできることはそれしかないのだ。だったらやれることをやるしかない、とロザリーはようやく気持ちを落ち着けることができた。
そんなときだ。
「失礼します。クロエです」
ロザリーはカイラと目を合わせた。クロエがコンラッドの婚約者になってから、こうして公然とカイラの部屋を訪れることはなかったのだ。
ライザが扉を開けて迎えると、クロエは微妙な表情をして立っていた。
「恐れながら、カイラ様にお話がございます。……よろしいでしょうか」
「ええ。カイラ様、クロエ様がいらっしゃいました」
クロエはひとりだった。彼女にしては珍しく、迷っているような態度を見せる。
「お入りになって。どうなさったの、クロエさん」
カイラは弱々しい笑顔で椅子を勧める。クロエは一礼して中に入ると、勧められた席に腰掛け、気まずそうに告げる。
「実は、……アンスバッハ侯爵様がアイザック様の情報を掴んだそうです」
「え?」
「本当ですか?」
カイラもロザリーも色めき立つ。しかし、クロエは困ったように目をそらす。
「本当かどうか、確証がない話なんです。侯爵様によると、各地に派遣した捜索隊から、アイザック王子に似た人物を見かけたと報告があったそうなんですが、どうも様子がおかしい……と」
捜索隊が見つけたのならば、すぐに保護して王城に連絡が入るはずだ。先に侯爵に連絡が行くのはおかしい。同じ疑問をクロエは感じ、侯爵に問いかけたらしい。
「声をかけても反応が悪く、怯えていて、保護したらしき平民の家に閉じこもってしまったそうです。家人に話を聞けば、川に流されてきたところを保護したのだそうで……記憶を失っているそうなんです」
「記憶を……?」
にわかには信じられない話だ。
けれど、襲撃を受け、死体が見つかったわけでもないのに連絡が一切取れないのは、本人に記憶が無いからと言われれば筋は通る。
「それで、無理に連れて帰ることもできずにいるのだそうです」
カイラは蒼白になり、今にも意識を失いそうだ。
「本当なんですか? クロエさん」
カイラを支えながらロザリーが訊くと、クロエは困った様子で肩をすくめる。
「正直、信じられるかどうかは半々だと思います。侯爵様は、カイラ様に内密にお越しいただいて確認してほしいと言うんです。……確認するだけなら、私でも出来ますと言ったのですが、聞き入れてもらえなかったことが気になって……」
侯爵からの情報じゃなければ飛びつくところだ。
けれど、信用していいかに疑問が残る。カイラをおびき寄せ、排除するための策かもしれない。
「侯爵様はナサニエル陛下には伝えず、カイラ様だけに言うようにと私に指示をしたんですが、私は陛下に判断を仰いだ方がいいと思います」
クロエは目を伏せたまま続ける。
「本人が嫌がっていたとしても、本来ならばアイザック様を城に連れてきて検分するのが通常の判断です。そう思えば、無理に話に乗る必要はないと思います。どうか、ナサニエル陛下に相談し、判断を仰いでください」
「……そうね。でも、わずかでも手掛かりがあるのならすがりたい気持ちもあるわ」
「侯爵はカイラ様のことを軽く扱っておられます。平民上がりだと。おひとりで行ってはなにがあるか分かりません」
まだ迷いの見えるカイラに念押しして、クロエは戻っていった。
*
「書庫に入る許可が欲しい?」
アンスバッハ侯爵家の執事・グランウィルは、新しい料理人・レイの要望を聞き、眉を顰めた。
「なぜですか?」
「新しい食材を調べたり、レシピ本を見たりしたいのです」
なにせ、南方とは違う料理があるようなので……と、彼は付け加える。
「ふうむ。しかし旦那様は珍しい料理をご所望されている。そなたの南方料理が大変お気に召しているようだが」
「私は土地の料理を学びたいのです。料理人は探求することをやめたら終わりです。新しい料理を知り、これまでの技術と融合させ、新たな料理を作りだしたいのです」
「……そういうものか。では旦那様の許可を取るまでは待つように」
「はい!」
新しく入った料理人は、非常に働き者だ。料理の腕前も素晴らしいが雑用も嫌がらずやるようで、厨房内での評判は上々だ。
南方出身ということで南方料理をよくだしてくるが、いろんな国の料理を知っているようだ、と料理長は言っていた。
(拾い物だったのかもしれないな)
今日、使用人用の料理を作ったのはレイだ。
グランウィル自身も賄いとして彼が作った料理を食べ、その味に舌鼓をうった。
彼がもっと料理を追求したいというのなら、許可するのが主人のためになるというものだろう。
とはいえ、主人は今日も帰りが遅い。確認事項はまとめて書きつけて執務室に持っていこう。
グランウィルはその後、オードリーがいる客間に向かう。
主人のいうことを頑なに了承しない、この厄介な客人を、グランウィルはやや疎ましく思っていた。
「オードリー殿、食事は終わりましたかな」
客間をノックすると、すぐに返事があり、空の皿を乗せたお盆を持ってオードリーがやってくる。
「ごちそうさまでした。……今日の料理は格別においしかったです」
「ああ。やはり分かるのですね。新しい料理人がひとり入りまして。今日はその男が賄いの担当だったものですから」
「新しい料理人ですか?」
「ええ。南方出身の男です。腕がいいので、すぐに家人の料理の専属に回されるでしょう。我々が食べられるのは今だけでしょうな」
「……そうなんですか」
オードリーは口もとを押さえ、うつむいた。
「このように、旦那様は力があればそれに報いる報酬をくださいます。そろそろあなたも観念して旦那様の力になったらいかがですか。今更、あなたが解放されるわけがない。他の人間が犠牲になる前に……覚悟を決めたほうがいいですよ」
脅しに似たセリフを口にして、グランウィルはその部屋を去った。
*
グランウィルに脅しを受けてから数日後、オードリーは再び書庫を訪れた。
先日の料理の味に、覚えがあった。あれはレイモンドのものではないかという期待と、そんなわけがないという諦めが交互に襲ってきて、オードリーはずっと落ち着かない。
「新しい料理人……まさかね」
この書庫にも、わずかだが料理本がある。珍しい食材をまとめた本やそれを使ってのレシピ本などだ。入れ替わる料理人が、屋敷のお金で買ったものを置いていくようで、発行年が近いものがどさりとあり、数年空けてまたあるという感じだ。
日々、書庫を確認することくらいしかやることのないオードリーは、既にこの書庫の隅から隅まで把握している。
「あら……?」
一冊、上下さかさまに入れられている本を見つけ、オードリーは手に取った。
北方料理の本だ。モーリス国は国土が広いので、国内でもずいぶん料理法が違う。昔、本ばかり読んでいるオードリーに、「本のなにが楽しいのさ」とレイモンドが聞いた。
『新しい知識を身に着けられるからよ。世の中には知らないことがたくさんあるのよ? 例えば、レイの好きな料理の本だって』
『料理の本……?』
『そうよ。アイビーヒルで伝わっているのとは違う料理がたくさんあるの。私が通っている学校の図書室にもたくさんあるわ。今度借りてきてあげる』
『へぇ。料理の本かぁ……』
街の学校とは違う、グラマースクールには多くの本が集まっている。それからしばらく、オードリーはレイモンドのためにいろいろな地方の料理本を借りてきた。
「……懐かしいわね」
ぺらりとめくって、折癖のあるページまできて、息を飲む。
小麦粉の空き袋を切り取ったような、くしゃくしゃのクラフト紙に、見慣れた字が書きつけられている。
【ここにいるから】
「……レイモンド」
それは、間違いなくレイモンドの字だ。
どうやってここにオードリーがいることを知ったのか分からないが、彼は彼なりに自分を探してくれていたようだ。
オードリーの目から、これまでは我慢できていた涙が、ほろほろと流れてくる。
オードリーは手元にあったノートを破り、返事を書く。
とはいえ、これをレイモンド以外が見る可能性も考えなければならない。
クリスはどうしているのか、どうやってもぐりこんだのか。今後、どう立ち回るのか正しいのか。意見交換をしたいがすべてを書くわけにはいかない。
【甘いケーキが食べたいです。真夜中に月を見ながら、あの子ならばどう作るかと思いを馳せています】
真夜中に月がよく見えるのは、南側に面した客室だ。自分の軟禁場所におけるわずかな情報を挟み込み、ケーキの練習をするといっていたクリスのことをそれとなく尋ねる内容だ。
先ほどのページに挟み込み、先ほどとは違い、正しい向きで挿入する。
カモフラージュに二冊ほど本を借りて部屋を出る。ずっと胸に覆いかぶさっていた黒い想いが、少しだけ晴れたような気がした。




