反撃ののろし・2
「やあ、久しぶりだな」
まさか幽霊か、と思ったその男は、ずいぶんと穏やかに笑った。
「ひどい顔だ。まあ無理もないが。ゆっくり説明するから座りなさい」
促されるまま、アイザックがバイロンの傍に近づく。ジョザイアが椅子を運んでくれ、兄に手の届く位置に座った。
「大丈夫かい、ザック。まるで死んだのが君の方に思える顔色だ」
くすくす笑いながら、ケネスが後ろに立つ。
ザックは一度息を吸い込んで、「本物ですか」と問いかけてみた。
「あいにく本物だな。とはいえ、第一王子バイロン・ボールドウィンは死んだ。ちゃんと葬儀を行い、埋葬されただろう? お前は軟禁されていて参列しなかったんだったか?」
「ええ。葬儀まで行われた兄上が、どうしてこんなところにいらっしゃるのですか」
「……話すと長くなるのだがな」
まあゆっくり話そう、とバイロンはベッドに横になった。半身とはいえ起き上がっているのは辛いらしい。
「あの日、ひと眠りして起きたとき口の中にべとつく何かが入れられていた。伯父上は薬と言ったが、あれは毒の混ぜられたハチミツだったのではないかと思う」
バイロンは恐怖で絶叫した。侍女が気が付き、バイロンが倒れ苦しんでいる現状を見て慌てて人を呼びに行く。
口のべとつきが気持ち悪く、彼は咄嗟に手を口に突っ込み、胃の中のものをすべてを吐き出した。
侍女や近衛兵はすぐさまやって来て、次に父王がやって来た。ナサニエルはベッドの上に吐しゃ物が飛び散っているのを見て、すぐにバイロンをナサニエルの自室に運び込むように命令した。
入れる人数を制限し、ナサニエルは手ずから水を飲ませ、体を拭ってくれたのだ。
「……バイロン様のお体はすっかり弱っておられます。このままでは今夜が峠でしょう」
医者はそう言い、ナサニエルは「なんとかならないのか」と何度も彼を問い詰めた。
バイロンはそのとき、声を出すこともできなかった。
意識はあるが、目を開けているのもおっくうでただ呼吸をするだけで精いっぱいだったのだ。
その後、母や伯父も様子を見に来たようだったが、ひと言発することさえできなかった。
峠だと言われたその晩、ナサニエルは、侍女を含むすべての人間を部屋から追い出し、バイロンとふたりきりになった。
「……お前にはすまないことをした。本当はもっと早く守ってやらねばならなかったのだ。私が躊躇していたから」
ナサニエルは、バイロンが体調を崩すようになったのは、毒が盛られたせいではないか、と続けた。
徐々に体を冒す毒があり、それを使われていたのではないかと、ずっと疑っていたと。
バイロンも薄々気づいてはいた。けれど、自分が毒を盛られるほど疎まれているなど考えたくはなかった。だからずっと追及するのは避けてきたのだ。
苦しさを押しのけ、薄目を開けた。ナサニエルは泣いていた。国王である父のそんな姿を見るのはもちろん初めてで、バイロンは急に、死んではならないと心の底から思えたのだ。
震える手で、ナサニエルの手を握る。すると彼は愛おしそうにバイロンの頬を撫で、決意を込めたまなざしで見つめた。
「お前は侯爵側にとっても切り札だ。絶対に最後の一線を越えることはないと思っていた。それを破られたということは、この城にお前の安全はもうない。だからお前をここから逃がそうと思う」
彼はそう言い、〝バイロン・ボールドウィン〟の死を宣告した。
バイロンは父の意図が分からなかった。どちらにせよ、体も動かない。
ただ、肩を落とした父の姿と、頬に落ちた涙と、「王位だけがお前に残せるものだと思っていたのに。……すまない」という父の言葉に、バイロンは彼の愛情だけは、信じられると思えて嬉しかった。
『父上の愛情こそが宝物でしたよ』と、途切れそうな意識の中で、切れ切れに告げる。ちゃんと声になっていればいいと、願いながら。
「……俺が覚えているのはそこまでだ」
といい、バイロンがジョザイアに視線を向ける。
「その後は私が説明しましょう」と、ジョザイアが会話を引き取る。
「陛下はいつかバイロン様を救い出すための案をいくつか考えておられました。そのうちのひとつを実行したのです。私の部下が死体置き場から似た体格の身代わりの死体を探し出し、顔中に斑点をを描かせて、顔の判別ができないようにしました。陛下は顔の変色は毒の影響だと伝え、生きていたときの姿を覚えていてほしい、と棺は葬儀の間もずっと閉じたままにしておくよう命じたのです」
死体を確認させろとまで食い下がる人間はいなかった。母親であるマデリンも、体内の毒が体中に斑点として現れたと言われ、しり込みしたのだという。
遺体は土葬され、これにより、バイロン王太子は社会的に死亡した。
ジョザイアは一度、死体置き場に棺を移し、死体を運び出す際に自分の馬車へと移し替えた。
呼吸穴こそ作ってあったが、体調の悪いバイロンが棺の中で時を待つのは並大抵のことではない。無事に生きてこの別荘までこれたのは彼の生命力のたまものだ。
「そうして、ここに移ってからはずっと療養しておられます。幸い、バイロン様が自ら吐き出してくださったことで、毒は致死量にはならなかったようです。少しずつ食事の量を増やし、ゆっくり休養を取ることで、起き上がれるくらいまで回復してきたところです。もちろん、陛下にも報告はしています。ですが、アンスバッハ侯爵やマデリン様に気づかれてはまずいと、直接ここに来てはおられません」
ジョザイアがそう言い、バイロンはザックを見つめる。
「まあ、そういうわけだ。だから今の私はただのバイロンで、もう王子でもない。だがおかげさまで命はとりとめたようだ」
「それでも、俺にとってあなたは兄上です。まあ、俺ももう王子ではありませんしね」
「それなんだが……」
バイロンは一息つくと、体を傾け、アイザックと目を合わせる。




