逃走と潜入・5
ザックが異変を感じたのは、初日に泊まった宿を出て領土境の森を抜け、山と山に囲まれた渓谷を通っているときだった。
ぱら……と岩の落ちる音を、ザックの一行は敏感に察知した。もともと、山肌があらわになっている渓谷を通るときは、がけ崩れの危険性があるので、従者たちは気を付けるよう言い聞かされていた。
「アイザック様、お気を付けください」
「ああ」
頷いた途端に、何かが前から落ちてきた。が、それは崖が崩れたものではなく、崖の上の木が、切り倒されて落ちてきたのだ。
「危ない。お下がりください」
護衛に言われるまでもなく、馬が怯えてしまっている。
「アイザック様、何者かが!」
前方から、汚れた身なりの男たちが剣を携えてやって来た。
「山賊だ。散り散りになって逃げろ!」
ザックはそう指示し、道を戻り、森に入った。当然、従者たちはザックを一番に逃がすため、盾になるように後ろに付いて走ってくる。それを追うように、山賊たちが続いている。
途中で、ザックは疑問を感じ始めていた。
通常、強盗であるなら、移動速度も遅く、荷を積んでいる馬車を集中して狙うはずだ。人を狙う意図は、本人を狙っているか本人の装備を狙っているか。ザックの剣は、もちろん一流の鍛冶師に作ってもらってはいるが、人殺しをしてまで入手するほど立派なものではない。
(狙いは……俺?)
そこまで思い至ったとき、頭上から大きな声がした。
「木の陰に入り込め!」
聞き覚えのある声に顔を上げれば、西方の丘に弓をつがえた一団が見えた。声を出しているのは、一番前で指示を出している男だ。遠目ではっきりとはしないが、ケネスではないかと思えた。
「……分かった!」
状況がつかめないが、どうやらケネスはザックが追われているこの状況を理解しているらしい。
彼が街道から森の方に馬を誘導し、木が盾になるように身を隠した途端に、矢が追ってくる一団に降り注いだ。
「ちくしょう、どういうことだ?」
男たちの装備は剣で、遠方向けの武器は何ひとつない。結果、弓に対してなすすべなく、後退を強いられた。
そのうちに、弓隊とは別の剣を持った騎士たちが追ってきたため、諦めたように敗走していった。
森からそれを眺めていたザックは、近づいてくる兵士の中にたしかにケネスがいるのを見つけ、走り出した。
「ケネスじゃないか! どうして」
「無事でなによりだね、ザック」
ケネスは戦闘を予想したかのように武装しているし、これだけ多くの兵を従えていることにも驚きを隠せない。
だがケネスは、ザックの装備を見てあきれた様子だ。
「逆に、なぜそこまで警戒していないのか、俺が聞きたいけどね。アンスバッハ侯爵が、君を生かしておくほど甘いわけないだろう? 解放話を受け入れたのはあくまでコンラッド様を掌握するためだ。君を本気で一伯爵として生かしておくわけがないだろう? 狙われるとしたらグリゼリン領への移動途中だろうと思って、このあたりを張ってたんだよ」
「え……じゃあ今のは侯爵の手のものか?」
「断言まではできないけどね。……ったく、君は変なところがお坊ちゃんなんだよな」
途中まで同じように育ったケネスに言われたくはないが、助けてもらった手前、反論はできない。
「だがどうしてケネスが。お前は遊学中だってクロエ嬢が言っていたぞ?」
「君が捕まっているときに、本当に遊んでいるわけないだろう? 俺は俺で、伝手をたどっていろいろ調べていたんだよ。そんなときに父上から君が解放され、グリゼリン領に行くと連絡があった。この道中で何か起こりそうだと、傭兵を雇って警備を整えていたんだ」
「よくそんな金があったな」
「父上は身を守ることにかける金は惜しまないからね。それに、いろいろ調べているうちにうってつけの協力者を見つけたんだ」
「協力者?」
「そう。俺はね、いい加減、反撃するつもりなんだよ。俺の弟分をよりにもよって殺人犯に仕立てようとするなんて、許せるわけがないだろう。それに、クロエまでが大変なことになっているそうじゃないか」
不快感をあらわにしているが、どこまでケネスに正しく伝わっているかは不明だ。
少なくとも、クロエは自分から動いて、イートン伯爵さえも振り回しているようだったが。
「じゃあ、なにか手立てがあるのか?」
「もちろん。君にはしばらくこのまま行方不明になってもらうよ。さ、まずは協力者を紹介しよう」
集まった男たちの中には、どことなく見覚えのある顔があった。
「……父上の側近のひとりじゃないか?」
「ええ。アイザック王子殿下。ご存知でいらしたんですね。ジョザイア・マクベインと申します」
「俺はもう、王子ではない」
「いいえ。王は本気であなたを臣籍降下させてはいません。まずは場所を移動しましょう。侯爵の手のものがどこで見ているか分かりません。少し複雑な道を行きますよ」
彼らはザックに体をすっぽり覆うコートを着せ、森の中を移動した。




