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逃走と潜入・4

 イートン伯爵は、まず夫人のケイティにクリスを託した。


「お前の理想のお嬢さんになるよう、この子に礼儀作法を仕込んでくれ」


「それは構いませんけど、レイモンドさんから怒られません?」


 ロザリーの社交界デビューを終え、またもや生きがいを見失っていたケイティはきらりと目を輝かせる。だが、ケイティも事情は聞いているので、これから平民の娘として生きていくクリスに余計な知識をつけるのがいいことなのか分からない。


「もし彼やオードリー殿になにかあれば、この子は子爵家に戻されるだろう。そうなったときに貴族のふるまいができるかどうかは重要だ」


 避けたい最悪のケースではあるが、可能性としてないわけではない。

 血のつながりを考えれば、オードリーがいなければ、次に彼女の養育権を主張できるのはオルコット子爵夫妻だ。


「そういうことでしたら、私にお任せくださいませ」


 ケイティは夫の説明に納得し、喜んでクリスを引き受けた。


 そして、イートン伯爵はザックの行方を探すため、捜索隊を配備した。


「近隣住民に、賊が通常どのあたりに出没するものなのか、ちゃんと確認するんだ」


 言いながら手紙を二通、素早くしたためる。一通は現状を伝えるケネス宛てのもの。

 もう一通はカイラ宛で、ロザリーを送っていったときに、この件について御目通りを願うという内容だ。


 先に早馬で伝令を頼み、ロザリーを乗せて馬車を駆った。

 その間うつむいているロザリーに、伯爵は父親のような優しいまなざしを向ける。


「……大丈夫かね」


「生きてるって信じてますから」


 ロザリーは膝の上で拳をギュッと握ったまま、言葉少なに告げる。その手は震えていたが、伯爵は見ないことにしてほほ笑んだ。


「そうだな。私も信じている。才気あふれる若者が、こんなことで命を落とすなんてことあるわけがない」


 城に戻ると、すぐさまカイラの部屋に向かう。伝令は正しく伝わっていて、部屋の中にはすでにナサニエルもいた。


「陛下。アイザック殿は……」


「報告では行方不明ということだ。ただ不審な点が幾つかある。襲った男たちの装備がやたら上等だったのだそうだ」


 山賊であれば、武器は旅人から奪い取った弓やナイフや、木こりが使う斧などが主流のはずだが、襲ってきた男たちは、揃いの片手剣を使用していたのだという。身なりは貧しく、体も薄汚れてはいたが、髪は綺麗に整えられていた、など、どこかあべこべな印象だったというのだ。


「報告をよこした男はずいぶん観察眼があるんですな」


「……これでも、慣れない領地経営でアイザックが困らないくらいには精鋭を準備したんだ、私は」


 ナサニエルが不貞腐れたように言うその姿に、イートン伯爵は緊迫した状況であるにもかからわず、笑ってしまう。


「陛下は以前よりお気持ちを言葉にされるようになったのですね」


「私だって反省くらいするんだ。口下手のせいで、うまくいくものもうまくいかないからな」


 ちらり、とカイラを見つめて言うナサニエルは、カイラと仲直りをするときは相当苦労したのだろう。


「コホン。さて、もちろん王城からも出しておられるとは思いますが、私の方でも捜索の手配をしました。あのアイザック殿がそんなに簡単にやられるはずもありません。本人が見つかってない以上、逃げ切っている可能性が高い。信じて待ちましょう」


 ナサニエルとイートン伯爵は、頷きあう。

 そんな風に理性で感情を押さえられないのが、カイラとロザリーだ。


「私も探しに行ってはいけませんか?」


「ロザリー嬢、今君にまで何かあったら、私の手には負えなくなるよ。クリス嬢も不安になるだろうし、君にはカイラ様を支えてもらわなければならない」


 伯爵の言うことはもっともだ。けれど、何の役にも立てない自分が悲しく、辛い。


「……一緒に行けばよかったです。私だけ、こんな安全なところで守られているなんて」


 カイラが、ロザリーの肩を抱く。その手の熱を感じるほどに、悔しさが胸に込み上げる。


(慰められてばかりで、何の役にも立っていない)


「……私、自分が情けないです」


 泣き言はみんなを困らせるだけだと分かっているのに、止められない。子供な自分が悲しくて、やりきれなかった。




「おかえりなさいませ、旦那様」


 アンスバッハ侯爵が屋敷に戻ると、いつものように隙のない格好で執事のグランウィルが出迎える。夜は遅く、妻はすでに床についているのか、やって来る気配さえない。


「ああ」


 短く答えたアンスバッハ侯爵は寝室ではなく執務室へと向かう。それもいつものことなので、暖炉には火が入れられていた。

 グランウィルは、彼が好むワインを持っていった。


「今日、アイザック王子……いや、もう王子ではないな。アイザックがグリゼリンに向かう途中、山賊に襲われたという一報が入った。捜索隊には、出来るだけ私の手のものを入れておいた」


 侯爵の口端がいやらしく曲がる。グランウィルは主人が私兵を山賊に見せかけるための準備をしていたのを思い出し、それでは、王子が見つかることはないだろうと無言で頷く。


「さあ、いよいよ、残るは王だけだな。こんなに遠回りをするとは思わなかった。ナサニエルが私に反抗するようになり、バイロンが成長するのを待った。しかし奴も私の手を取ろうとしなかった」


 侯爵は、深いため息をついて目を伏せる。


 やがて傀儡の王とするために、侯爵はバイロンに『お前は何もしなくていい』と言い続け、ただ従順であることを求めた。

 が、学術院を卒業し政務に加わるようになると、バイロンは少しずつ侯爵に意見するようになってきた。それはまるで、かつてのナサニエルのようで、侯爵は全身の血が下がったような感覚に陥った。


 ナサニエルとバイロンに結託されると、侯爵には手も足も出なくなる。

 それを阻止するために彼がとった方法は、少しずつバイロンの体を弱らせることだった。


 そのころ、かつてマデリンの要望に従い輝安鉱を入手したジェイコブ・オルコットが教授職を得て、ポルテスト学術院に戻ってきていた。

 彼に、即効性が無いが体を弱らせる毒はないかと相談したところ、教えられたのが鉛だ。

 自然にも存在し、食品に混ざって人が口にすることもある。蓄積性があり、最初はちょっとした体調不良といった症状しか現れないが、続けて摂取することにより鉛中毒を引き起こす。

 積極的に殺す気はないが、弱らせたい相手に効果的な毒だ、と。


 侯爵はバイロンのもとに定期的に鉛入りの菓子を差し入れた。そして彼は徐々に、体を弱らせていったのだ。


『誰かの手を借りなければ、お前は何もできない』


 繰り返し繰り返し、そう言い聞かせながら、バイロンが手のうちに落ちてくるのを待った。

 だが、どこまでいってもバイロンはナサニエルを支持すると言ってきかなかった。

 自分に政権を握らせる切り札だったはずのバイロンは、もはや自分の手に収まる気はないようだった。


 だが、バイロンの不調に伴い、ナサニエルの気力がどんどん失われていった。

 議会でさえ賛成票を獲得できれば、流し読みの状態で裁可を下すので、侯爵は図らずも自分の望んだ状態を手に入れた。


 だが、いつまでもうまくはいかない。

 やがて、王族の政治介入が無いのは危険だと、今度はアイザックが台頭してきた。

 それに、対抗勢力であるバーナード侯爵派閥が乗っかって来たから質が悪い。


 こうなればアイザックには退場してもらった方がいい。コンラッドも成長し、もうバイロンも必要ないだろう。

 そう判断した彼は、バイロンに見切りをつけ、更に罪をアイザックになすりつけた。

 ふたりの王子がいなくなってしまえば、ナサニエルにできることなどない。元々彼は弱い王だ。議会の決定を覆すだけの力は持たず、臣下を使うことに長けていない。

 彼が若くして即位したときに、侯爵自身がそういう風に仕込んだのだ。


(ここまでは思い通り。……だが)


 貴族を……特に日和見議員である者たちを引き付けるには金が必要だ。そのために、オルコット教授やウィストン伯爵を使って輝安鉱を入手し、他国に引き渡すことで金を作ってきた。

 だが、ふたりとも死に、輝安鉱の入手場所の手掛かりは無くなった。

 他に輝安鉱の入手方法がないか、なければ、他に金に換えられる毒はないか。その情報を得るために、わざわざオードリーの後見人に名乗り出たのだ。


「……オードリーはその後どうだ」


「変わりませんね。採掘場所は夫しか知らなかったと言っています。金属判定については完璧でしたが」


 能力はオルコット教授にもウィストン伯爵にも劣らないようです、と彼は続ける。


「ふむ。女は金では動かんことが多いから厄介だな。……そうだな。いつまでも強情を張っていると痛い目を見るということを分からせてやった方がいいな」


 ちらり、とグランウィルに視線を送ると、彼は意を得たとばかりに頷いた。


 侯爵は一息つき、ワインと共に持ってこられた菓子をつまむ。


「……うまいな。チーズが入っているのか甘くもない。酒に合うな」


「はい。新しく雇った料理人がなかなかの腕前でして」


「ほう? どこで修行していた男だ?」


「南西部の商人の屋敷で勤めていたそうなのですが、事業の失敗で料理人は解雇になったんだそうです。一念発起、王都に出てきたと言っていましたね。身元は調査中ですが、腕は確かなようです」


「ふうん。イートン伯爵のところのシェフに対抗できるのならおもしろいな。いろいろ作らせてみろ。宮廷で出せるようなものも作れるなら、優遇してやろう」


「はい」


「アイザックも追い出したし、後はナサニエルだな。マデリンの立場を維持するためにこそ必要だったが、コンラッドが王太子になった以上はいなくなってもらった方がいい」


 侯爵の喉をワインが通っていく。染み渡るような感覚に、侯爵は満足げに頷いた。


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