囚われの王子様・1
男爵令嬢ロザリンド・ルイスには、前世の記憶がある。
それはリルという名の犬の記憶で、その記憶を取り戻したとき、なぜか彼女は犬の嗅覚をも取り戻していた。
彼女はその嗅覚をもって、リルのご主人が経営していた宿屋で失せもの捜しをし、当時ザックと名を変えていたアイザック第二王子と出会った。
ロザリーは、そのたぐいまれなる嗅覚で、アイビーヒルで起こる些細な事件を解決し有名になっていったのだ。
やがて、アイザックが王城に呼び戻される。彼を追って王都に出てきたロザリーは、彼の母親で第二王妃であるカイラの毒見係を務めた。
そして、史上最悪の事件が起こったのである。
病気療養していた王太子バイロンが、何者かに毒殺された。その容疑者として、アイザックが捕まったのである。
「そもそも、どうしてザック様が犯人だと疑われたんですか?」
ここはイートン伯爵邸の応接間だ。
テーブルを囲むように配置されたソファに、イートン伯爵一家とロザリー、そしてレイモンドとクリスが座っている。
幼いクリスはそこまででもなさそうだが、レイモンドは自分の場違いさに居心地が悪そうにしている。
「バイロン様が絶命の際にアイザック様の名を叫んだのを、侍女が聞いたのだそうだ。後日、ベッドの周辺から輝安鉱の破片も見つかった。アンスバッハ侯爵は、アイザック殿が自分が狙われたときに、輝安鉱の破片をこっそりと入手していたのではないかと言っているんだ」
輝安鉱は硬度が低く、割れやすいのだそうだよ、と伯爵が付け足す。
「あのときの輝安鉱は証拠品として侯爵が持っていったはずだ。欠けていたならその時に気づくだろうに。無理やりザックを犯人としてこじつけていくんだから嫌な男だよ。警備隊は中立機関だけど、出自はアンスバッハ侯爵派の人間が多いんだよね。彼に強気に出られると、グレーくらいなら黒と言ってしまうかもしれない。とにかく、確実にザックがしていないという証拠を出さないと、なかなかに難しいかもね」
ケネスがため息をつく。
「でも、ザック様、あの日は朝から伯爵邸に来ていたんじゃないんですか?」
「そうだね。ただザックは城に住んでいるわけだから、もし本気で殺害するつもりなら、いくらでもそのタイミングはあるんだよ。バイロン様の口の中は、飴でも舐めていたかのようにべたついていたらしい。例えば輝安鉱を中央に入れた飴を渡したとすれば、当時の不在はやっていない証拠にはならない」
していない証拠を出すことは、今回の件に関しては難しいのだ。
「……どうやったらザック様が犯人じゃないって証明できるんでしょうか」
自分がそこにいれば、バイロン王太子の部屋に誰が出入りしたかくらいは匂いで判別できたのに、とロザリーは歯噛みする。まあそれをしたところで、信じてもらう手立てはないので同じだけれど。
「うーん。いずれも決定的な証拠じゃないとはいえ、ザックが犯人であれば筋が通ることが多すぎるんだよね。まず第一にバイロン王子が名前を呼んだということ、第二に、輝安鉱を入手するタイミングがあったということ。第三にいつでもバイロン王子の部屋に入れる人物だったということ。実際、ザックはその二日前にバイロン様を見舞っていたんだ。扉前にいた衛兵が見てる」
二日前なら大分前だ。そのほかにも出入りしている人間がいるはずではないか。
「もちろん、母親のマデリン妃も、伯父であるアンスバッハ侯爵も、ナサニエル陛下も、その数日のうちに出入りはしている。侍女は代わるがわる頻繁に出入りしているしね」
「じゃあ、ザック様が犯人だなんて決めつけられないじゃないですか。動機だってないですし」
「ないわけではないね。王位継承順は第二位だから。……ただ、いまだ国王様が健在であるこのタイミングで、ザックが焦る必要は何ひとつない。病に倒れていたバイロン様が、国王様より先に逝去する可能性は高かった。そうなればこの国の法律で、王太子はザックだ。待っていればいずれは転がり込んでくる王位を、今焦って狙う必要はない。そのあたりを主張して、乱暴な理論で彼を犯人に仕立てないようにと守っていくしか、俺にはできないかな」
どこまでもまとわりつくグレーな疑惑を払しょくする手立ては思いつかない。であれば、別の人間が犯人である証拠を出さなければならないのだろう。
いつもは悠々としているケネスも、今回ばかりは少し余裕がないのか、表情が硬い。
「それより……、カイラ様の方はどうなってるんだ? ロザリー、何か聞いてる?」
「あ、……はい。王城に戻る準備が進められています。あの、……それで、今後のことをイートン伯爵と相談するよう言われまして……」
ロザリーは昨晩のカイラとの会話を思い出す。
夕食を終えた後、珍しくカイラはロザリーを談話室へと呼び出した。
「なんですか? カイラ様」
「座ってちょうだい」
カイラは、二人掛けのソファにロザリーを誘った。そして、彼女の手を握り、諭すように言ったのだ。
「私ね。お城に行こうと思うの」
「はい」
「陛下は、アイザックのことがあったから、もうしばらく離宮にいてもいいと言ってくださったんだけど、私はアイザックの母親ですもの。ここに隠れていては、あの子を守るために手を尽くすこともできないわ」
「そうですね。私もお供します」
「……それについて、真剣に考えて欲しいのよ」
勢いに水を差され、ロザリーは思わず黙り込んだ。
カイラは真剣な表情のまま、ロザリーの手を包む自らの手に力を籠める。
「あなたがアイザックを好いてくれるのは、とても嬉しいわ。だけど、今のアイザックの立場は微妙なの。このまま第二王子という立場を維持できるかも分からない。調査の結果いかんでは、処罰されてしまう可能性だってあるわ。仮にそうなった場合、私もあの子の母親として何らかの処罰を受けるでしょう。そうなれば、あなたを守ることができなくなってしまう。私についてくることで、あなたを危険にさらしてしまうことが怖いのよ」
カイラのまなざしからは彼女を心配する様子がうかがえる。毒見係になることを強硬に反対したときのように、カイラはロザリーのことを本気で心配してくれているのだ。
優しいカイラの心遣いに、ロザリーは心の奥が温かくなる気がした。
「カイラ様だって、危険があるのを承知でお城に戻られるんですよね。私も同じです。ザック様の助けになりたくて、私はイートン伯領からここまで来ました。今更、怖気づくことなどありません」
「でも……」
まだ迷いを見せるカイラを、怯むことなく見つめる。ここまでにだっていろいろあった。そのひとつひとつを超えていく間に、どんなことでも受け止め、超えていく覚悟はできている。
「カイラ様、私は今だからこそ、すぐにでも城に行きたいんです。ザック様だって、身に覚えのない容疑にきっと不安になっているでしょう。だからこそ会いたい。少しでも元気づけてあげたいんです。会えなくても、せめて近くにいたいんです。……だから、私も連れて行ってください」
「それで、あなたの人生が台無しになったら?」
カイラはまだ、心配そうだ。
「台無しになんてなりませんよ。元々、私は田舎の男爵令嬢です。こんな冒険も恋も、普通だったらするはずのなかったことです。でもザック様に会えて、ここまでこれた。もう十分、幸せな人生です。こんな途中で、諦めるなんて、もったいないことできません!」
「……まあ」
カイラの瞳が、うっすらと潤んだ。そしてロザリーをギュッと抱きしめる。
「ありがとう。あなたの気持ちは本当にうれしいわ。私だって、あなたがいてくれたら心強いもの。……でも、後見人であるイートン伯爵の意見も聞かないわけにはいかないわ。あなた、明日は伯爵邸に呼ばれているのでしょう? 話をしてきてほしいの。伯爵が反対するようなら、あなたを連れては行かない。いいわね?」
「……はい」
ロザリーとしては、今は少しでもザックの傍に行きたい。離れていると不安は増幅するばかりだ。
だがカイラは意外と頑固で、そうと決めたらてこでも動かないところがある。
これはイートン伯爵から了解を取って来るしかないのだろうと、ロザリーはため息をついたのだった。