解放と再会・4
カイラの部屋には、彼女だけではなくイートン伯爵もいた。彼の従者がお茶を淹れているところだ。
「まあ、イートン伯爵、申し訳ありません」
ライザが素早く駆け寄り、給仕を交代した。
「気にすることはないよ。突然来てしまったからね。それよりアイザック殿。まずは良かった。解放おめでとう」
「イートン伯爵。……ですが」
「クロエのことは気にしないでくれ。私もあの子を止められなかった。あの子なりに考えはあるようなんだがね」
ポンと肩を叩き、ねぎらわれた後は、母親と対面する。
「とりあえず良かったわ。無事で……」
「ですが、母上にはきっと苦労をかけます。申し訳ありません」
継承権を失ったザックの立場は以前よりぐっと低くなる。それは母親であるカイラにも重くのしかかってくるのだ。せっかく城に戻ってきた母が、また居心地の悪い想いをするのかと思うと、ザックは気が重い。
「私は大丈夫よ。もう分かったもの。ここにいるのは、私を嫌う人ばかりではないってこと。ロザリーさんもいてくれるから平気よ」
さらりと言ったカイラに、ザックは口をはさんだ。
「それなんですが、もう継承権が無いのなら、俺はロザリーもグリゼリン領に連れていきたいと思っています」
ロザリーはどきりとして彼を見つめたが、カイラは苦笑して首を横に振った。
「……それはまだ駄目よ。伯爵位を継承しても、領地を整えたりとやることがあるでしょう。いきなりロザリーさんを連れて行って、荒れた土地での暮らしをさせようというの? この子はまだ十六歳です。あと二年くらいは自分でがんばりなさいな」
「そんな!」
相変わらず、変なところは手厳しい。
ザックは目の前が真っ暗になりながらも、この状況下で笑えるようになった母親を少しばかり頼もしく感じた。
「それに、私にもまだ味方が必要だわ。もう少し、この子を貸していてちょうだい。お願いよ」
そう言われてしまっては、ザックも強くは出られなかった。
たしかに慣れぬ土地で、しかも暮らしも安定していないのだ。ザックとしても大手を振って彼女を迎える準備ができているわけではない。
「では二年。それ以上は待ちません。……ロザリー、待っててくれるな?」
「はい」
「……べつに行き来を制限しているわけじゃないんだ。ケネスが戻ってきたら、一度ロザリー嬢を連れて遊びに行かせるよ」
イートン伯爵の提案にロザリーも本当の笑顔になる。
「はいっ。楽しみにしてます。ザック様も辛くなったら手紙をくださいね。いつだって助けにいきますから」
「やれやれ、どっちが守られているのか分からないな」
久しぶりの和やかな空気に、ザックは肩から力が抜けていくのを感じる。
自分が思っているよりずっと、軟禁生活が彼に与えた苦痛は大きかったのだ。
*
それからトントンと事は進んでいく。
ザックの臣籍降下は、議会で承認され、国王の命令を以て執行された。
「謹んで拝命いたします」
ナサニエルが読み上げた命を、ザックは粛々と受け取った。
与えられる領土と家名に関する取り決めが行われ、彼は自分に与えられた権限内で、領土に人を派遣し、まずは屋敷を整えさせる。
慌ただしく過ぎる日々のなか、「食事会をしましょう」と提案したのはカイラだ。
これまでにザックを心配し、無実を信じてくれた人を招いての食事会を開くのだ。
イートン伯爵から全面協力を得て、料理人はレイモンドを派遣してもらえることになった。
第一王妃の目もあるので、会場は城の二階にある小さなサロン部屋だ。
バーナード侯爵をはじめとした、議会の面々が主だった招待客で、長い軟禁生活を終えたザックに、総じて好意的だった。
「アイザックの気に入っている料理人なのよ」
カイラはお礼をしながら、レイモンドの料理を紹介していく。
次々作られる料理は、給仕係が厨房とサロンの間を往復しながら運んでくれている。
今日のロザリーの仕事は、カイラの毒見係だ。レイモンドが作っているのだから問題はないとは思うが、念のため一口ずつ確認しなければならない。
(毒見だけでお腹がいっぱいです)
次から次へと持ってこられる料理にため息が出たところで、カイラがグラスを傾けながら苦笑した。
「ロザリーさん、もういいわ。私もお腹がいっぱい。あなたも少し自由にしていらっしゃい」
カイラが食事を止めたので、ロザリーもお役御免となる。
とはいえ、新たに何か食べるにはお腹がいっぱいだし、今日の主役であるザックは、彼の解放を祝う人々に囲まれているので邪魔はできない。
(レイモンドさんの様子を見に行こうかな)
レイモンドに会うのも久しぶりだ。クリスが元気でいるのか気になるし、料理もあらかた出きったようだから、少しは余裕も出てきただろう。
ライザに少し抜ける旨を伝えて、ロザリーは厨房へと向かった。
階段を下り、廊下の角を曲がろうとした時に聞こえた話し声に、足が止まる。
そこにいたのはクロエとアンスバッハ侯爵だ。ロザリーはそっと身を隠し、様子をうかがう。
「君はなかなか賢い女性のようだ」
「お褒め頂き光栄ですわ」
恭しく、クロエが頭を下げる。表情までは見えないが、ふたりの会話する声は和やかだ。
「その賢さが御父上にもあればいいのだけどね。彼は正義に固執する。その精神は尊いが国を動かすのには少々邪魔だ」
「……そうですわね」
イートン伯爵をけなすような声に、素直に頷いたことに対して、ロザリーは不思議な気がした。誰に対しても強気を崩さないクロエにしては意外だ。
「あのコンラッドにはもったいないくらいの女性だな。私は君を評価している。欲しいものがあれば何でも言ってくれ」
侯爵から手が差しだされた。クロエも握手に応じる。
「ありがとうございます。お父様の身の安全さえ保障していただければ、私は十分ですわ」
微笑みあう二人。クロエは味方だと分かっていてもなお、胸はざわつく。
「マデリンも君の事が気に入っているようだ。今度揃いのドレスを仕立てたいと言っていた。カイラ殿の侍女を辞める話はできているのか?」
「国王様から言っていただくことになっています。カイラ様は主張の強い方ではありませんから、すぐ了承されると思いますわ」
「分かった。それも伝えておこう」
ふたりの会話が終わり、クロエは会場に戻るためかロザリーが隠れているほうへやって来た。
身を隠したままシーと人差し指を立てると、気づいたクロエが、悟られない程度に歩みを遅くし、別方向に歩く侯爵がいなくなるのを待った。
「何してるのよ、ロザリー」
「レイモンドさんのところに行こうと思って……って、あれ」
ふわりと、近づいたクロエの手のひらから香る、彼女以外のにおい。
「このにおい……知ってます」
ロザリーは放心したままつぶやいた。怪訝そうにのぞき込むクロエに、しがみつく。
「これ、オードリーさんの手紙についていたにおいです!」
ザックが解放されて数日たつのに、参考人として連れていかれたはずのオードリーに関しては全く音沙汰がない。
もしかしたら、ずっとアンスバッハ侯爵邸に囚われているのだろうか。
「私、レイモンドさんと話してきます!」
「ちょっと、ロザリー?」
クロエが呼び止める声も聞かず、ロザリーは走り出した。
*
厨房は大方の料理を作り終え、片付けに入っていた。
城の厨房を借りることになったレイモンドは、有名シェフたちの嫉妬深いまなざしのなか、神経をすり減らしていた。いくらイートン伯爵が直々に頼みに来たとはいえ、自分たちの仕事場を名も知られていないような平民に貸し出すのはさぞかし嫌だったのだろう。
それでも、手伝いに入ってくれた下働きたちは、「すっごい手際いいですね」などと褒めてはくれるが、いつも以上にレイモンドは疲労していた。
「レイモンドさん!」
呼ばれて、振り返るとふわふわ髪の令嬢が変わらない癒し系の笑顔でそこにいた。
「ロザリー!」
知った顔を見た安堵と、犬のリルを思い出させる、柔らかい空気に、思い切り笑顔になってしまった。
ふたりの仲を勘違いした厨房のスタッフは、ひゅうと冷やかすような口笛を吹く。
「……いや、ロザリー殿、と呼んだ方がいいのかな。どうだ? 料理は」
「とってもおいしいですっ! 皆さんもとても喜んでいましたよ。……ってそれはいいんですけど。ちょっと」
手招きしてレイモンドを呼び出し、先ほど嗅いだにおいの話をする。
「じゃあ、オードリーはアンスバッハ侯爵邸にいるのか?」
「決めつけることはできませんが、侯爵様と近しい位置にはいるんじゃないでしょうか。後でザック様にも確認してみますね」
「ああ、頼む」
思いつめた様子のレイモンドが心配になりながらも、ロザリーは気になっていることを聞いてみる。
「あの、クリスさんはどうしてますか?」
「……放っておくと沈んでしまうからな。今は毎日ケーキを作らせている。腕が痛いって言っているが、やることが無いと人間悪い考えにばかり行くもんだ。クリスにできることが無い以上は、なにかノルマを決めてやらせた方がいい」
「そうですね」
それでも不安だろう。母親が連れ去られて以降会えないのだ。想像するだけで、胸が痛くなってしまう。
「……もし可能なら、ロザリーも会いに行ってやってくれないか。君のことはとくに信用しているようだから」
「お友達ですからね」
「ああ。クリスも少しは気が紛れるだろうし、頼むよ」
「はい!」
レイモンドと話した後、ロザリーは会場に戻る。
既に閉会間際となっていて、主催者であるカイラがザックの無事を喜んでくれたことをみんなにお礼した。
ロザリーはザックとゆっくり話すことができないまま、食事会は終わってしまった。