解放と再会・3
監視のない生活など久しぶりだ。ザックは不思議な気分で自分の両手を見る。
(今、俺は自由だ。どこにでも行ける。解放されたら、なによりもまず、ロザリーのもとへ飛んでいきたかった……)
なのに、ザックは酷く重苦しい気分だった。足が棒のように動かない。
(だがこれは真実ではない。無実といいながらも、俺が兄上の死に大きく関わっていると認めたことになる。俺は……ロザリーに顔向けできるのか?)
与えられた領地は、グリゼリン領。北東の外れの不毛の土地だ。保証されたのは命だけ。処刑されないとはいえ、未来の展望はすべて奪われた状態だ。
以前なら、辺境地の開拓には興味を抱けたかもしれないが、今はそれを喜ぶ気分にはなれなかった。
コンコン、と扉がノックされた。驚いたザックは「誰だ?」と叫ぶ。
「第二王妃様の使いで参りました。アイザック様、御目通りを願えますか?」
周りの人間に不審がられないようにだろう。大きな声でそう言い、彼女は返事を待っていた。
懐かしい声に、心臓が、おかしなくらいに早鐘を打つ。ザックは声が震えるのを止められなかった。
「入ってくれ」
うつむいたままのロザリーが、紺色のお仕着せ姿で入ってくる。
「ザック様!」
ぱっと上げた顔は涙目で、手には母親から託されたのであろう包みを持っていた。
「ロザリー……」
待ち焦がれていた相手が顔を見せてくれたというのに、ザックの胸は暗く沈んでいた。
晴れ晴れしく解放されたなら、諸手を挙げて迎えに行ったのに。
ザックは今の自分を見られるのが恥ずかしくてたまらない。
「解放されたとカイラ様のもとにも連絡が入って、飛んできました。ご無事でよかったです、ザック様」
「ああ。……だが、これは負けての解放だ。俺は兄上を殺害していない。輝安鉱はすべて警備隊に渡してあるのだから、事故など起こるはずがない」
「ザック様」
「……なのに、勝手に処遇を決めつけられた」
涙で潤んでいたロザリーの瞳が、驚いたように見開かれる。こわばった表情に、ザックは歯噛みする。
「ザック様。……どうしたんですか」
「俺は臣籍降下され、グリゼリン辺境伯位を得る。すなわち、第一線からの追放だ。もう君を守ることもできない」
ひどく、ずたずたに傷つけられた気分だった。
解放されたというのに、爽快感はひとつもない。未来をもぎ取られて、絶望しかなかった。
同時に、ザックはこれまで、ロザリーとの未来に生きる希望を見出していたのだと気づいた。
「俺にはもう、君にあげられるものがない」
ロザリーの顔が見られなくて、うつむいたままザックは言った。
小刻みに震えながら伸ばされる手が見えたが、ザックは自分からすっと身をよけた。
「ザック様?」
「君を幸せにできないのに、連れていくわけにいかない」
王子という立場に、執着があったわけではない。だが、ロザリーと出会ったのは、王子という立場があったからだ。
今後没落すると決まっている人生に、彼女を巻き込むわけにはいかない。
なにより、無罪とはいえ自分のミスが兄を殺したことになっているのが、一番引っかかっている。彼はロザリーを罪人の妻にするのが、一番嫌なのだ。
「……何言っているんですか」
ロザリーから返ってきたのは、いつも通りの声だった。
ゆっくり顔を上げると、彼女がいつもの笑顔で立っている。そこには軽蔑の色も、憐みの色もない。
涙目の瞳で、挑むようにザックを見上げてくる。
「私、守ってもらわないと生きていけないほど、弱くないです。宿屋で働くことだってできたんですよ。どんな仕事だって、どんな生活だってできます。それだけが理由で私を突き放すというなら、こっちにも考えがありますよっ」
ロザリーは自らの首に手を回し、ペンダントをひとつ、取り出した。よくよく見ると、同じような形のものが彼女の首にはもうひとつついている。
「これ、恋人同士のお守りなんですって。ペンダントトップをくっつけると四葉のクローバーになるんです。大切な人を守り、ふたりがひとつである証だってお店の人が教えてくれました。……私、これをザック様に渡したくて、散財しちゃいました」
突き出すように出された右手。拳からチェーンが伸び、揺れているペンダント。まるで催眠にかけられているみたいに、ザックの目は揺れるペンダントトップにくぎ付けになる。
「ロザリー」
「これを受け取ってください。私からのプロポーズです、ザック様。私はあなたがあなたでさえいてくれれば、どんな身分だろうと、……罪人だって構わない。どんな汚名だって怖くありません。むしろ今だからこそ、私はザック様と一緒にいて、あなたを守りたいんです」
決然と言い放ったロザリーの姿が、ザックの目には歪んで見えた。軟禁中、気が狂いそうになりながらも正気を保てたのに。涙ひとつ出すことなどなかったのに。どうしてこんな小さな女の子に泣かされているのか、ザックはおかしくなってくる。
「参るな。……君はどうしてそうまっすぐなんだ。俺といたって苦労するだけなのに」
「欲しいものが決まっているからです。手に入れるための苦労は必要な苦労でしょう? それに、辺境地に行くなら、この嗅覚を生かして、なにか新しいことを始めてみるのもいいじゃないですか!」
明るく言われて、ザックのもともと弱い意地はあっさりと陥落する。彼女を引き寄せ、ギュッと抱きしめる。
「ごめん、ロザリー。君を幸せにしたいのに、いつもうまくいかない。俺は……」
側にいてくれるだけで、君に幸せをもらっているのに、と耳もとで囁いた。するとロザリーが手を伸ばしてきて腰に抱き着いてきた。
「ずっと会いたかったです」
「俺もだ」
一緒に苦労することを、笑顔で受け止めてくれる女性など、そうはいない。
ザックも心の底から誓う。大切にする。絶対に離したくない。
彼女が差し出したペンダントを自分の首に着けてみせると、ロザリーがはにかんで笑った。
(かわいい。……かわいすぎる)
無意識に、頬を掴んでひきよせる。
「え、へ? ザック様?」
ロザリーが戸惑った声が聞こえる。それでも動きを止める理由にはならない。柔らかい唇に触れる。触るところすべてが柔らかく、不埒な考えが頭を支配していく。
「ん……」
普段の彼女からは想像もできないほど甘い声に、理性が飛びそうになった時、胸のあたりで必死に抵抗する手の力を感じた。
(……弱い。これじゃあ全然抵抗されてる気がしない)
思わずクスリと笑い、さらに腕に力を籠めようとした瞬間、別の人間の声が聞こえ、ふたりは慌てて離れた。
「用件を伝えるのにどれだけかかっているんですか、ロザリーさん」
入ってきたのはライザだ。素早く部屋の扉を閉め、目を眇めてザックを見つめる。
「母上の侍女か」
「アイザック様、無事の解放、心よりお喜び申し上げます。そして、そのお母上がお呼びです。カイラ様も心配されておられますよ。今のような熱い抱擁をお待ちになっているでしょう。どうぞ、部屋までお越しください」
嫌味ともとれる言葉の応酬に、ロザリーとザックは真っ赤になりながら目をそらす。
「……お邪魔して申し訳ないとは思いますが、城内ではおふたりの関係を不審に思われるような行動は慎んでくださいませ。さあ、今後について相談したいそうです。参りましょう」
「ああ」
「ロザリーさんも行きますよ」
「はい」とロザリーはうつむいたまま答え、ライザの後に続く。
ザックもポリポリと頭を掻きながらそこに続いた。




