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蘭陵王伝  夏至の記  (9)  作者: 天下井 涼
6/6

響堂山への游歩

斉に帰順したものの、梁の再興を果たしたい王琳は、高敬徳の仲介で、王晞に会うことになった。

天平寺の築山の遥か向こうには、太行山脈(たいこうさんみゃく)の山々が連なって見える。林虎山(りんこさん)が清涼な青色を帯びて彼方に霞んでいる。

青蘭は、男装をした浅縹色の狩衣の袖を挙げて影を作ると、遠くの山々を見遣った。


青蘭は、王晞と会う予定の父王琳の供をして、天平寺への参拝に来ていた。

天平寺は、天竺(インド)より来朝した那連提黎耶舎(テーレンドラヤジャス)のために、文宣帝が建立した寺院である。天平寺では、那連提黎耶舎の指導の下、多くの学僧により仏典の翻訳が行われていた。


拝殿で参拝を終えた後、王琳は王晞に会うため方丈に向かったが、青蘭は暇を持て余して天平寺の庭園に出た。

天竺より来朝した那連提黎耶舎を慰めるためであろうか。庭園には中原にはない椰子や檳榔(びんろう)などの南方産の樹木が植えられている。青蘭は、珍しい植物を鑑賞しながら小径(こみち)にそって池の周りをたどり小さな草原に出た。


青蘭が珍しい椰子の樹皮に興味を持って撫でていると、何者かが傍らに立つ気配を感じた。

「やあ、青蘭、・・・君も来ていたのか?」

青蘭が振り向くと、笑顔でそこに立っていたのは清河王高敬徳だった。

「まあ、敬徳、・・・なぜここに?」

夏らしい青磁色の長衣に、孔雀青(くじゃくあお)背子(はいし)(丈の長いベスト)をつけ、髷には金色の冠を付けた姿は、すっきりとして端正な貴公子姿である。

「今日は、王晞殿の参拝に同行して参ったのだ」

先日、長恭が高官との面談を依頼したのに応じて、王琳のために王晞との密談の場を設けたのだ。

高官との面談は、様々な憶測を呼びやすい。鄴城の屋敷で会えば、その動向はいずれ廷臣の知られるところになり、痛くない腹を探られることになる。敬徳はそれを憂慮(ゆうりょ)して参拝にかこつけて面会するようにしたのである。


それにしても侍中として多忙な高敬徳が、なぜ王晞と共に天平寺に来たのだろう。

「敬徳様が、そんなに信心深いと思いませんでしたわ」

青蘭は、椰子のザラザラした樹肌を触りながら冗談めかして敬徳を見た。男装した青蘭は、かつての子靖を思い出させる。

「王晞殿は、唯一常山王に意見のできる人物だ。王琳将軍に確実に引き合わせたかったのだ」

いつもは戯言で返してくる敬徳が、いつになく真剣な口ぶりで王琳への好意を口にした。

確かに、王晞ほど高演に近い人物への面会は、容易なことではない。

「も、もちろん、父上に王晞様を紹介してくれて、感謝しているわ。・・・でも、忙しい侍中がこんなところで寺に参拝していいのかしら、・・」

「何かの手違いですれ違いが生じたら一大事だと思ってな。できるだけの協力をしたいのだ」


青蘭と敬徳は、小流の上に渡された石橋を渡って築山のふもとに入った。夾竹桃(きょうちくとう)が築山を囲むように植えられて、流れのほとりの露台の上に影を作っている。敬徳と青蘭は、涼しい夾竹桃の大きな陰に入った。

「常山王の息子と、斛律将軍の息女との縁組が近々あるそうだ」

陰に入った敬徳は、青蘭の顔をちらっと見ると声を落として朝廷の機密情報を囁いた。


斛律将軍家は、斉の兵権を握っている。皇位を狙っている高演は、斛律光と姻戚関係を結ぶことにより皇位を確実なものとしたいのであろう。しかし、それでは斛律将軍家が、兵権を握るがどこの党派にも属さないという孤高の地位を捨てることになる。

「常山王への譲位は近い。そうなれば、王晞殿は、王佐(おうさ)として重要な地位に就く。・・・王晞殿は、(よしみ)を通じておく人物だろう?」

敬徳は、得意げに胸をそびやかせた。

「敬徳様、・・・お礼を言うわ」

男装をしている青蘭は、敬徳の友情に冗談紛れの拱手(きょうしゅ)で返した。

かつて、男装をして子靖(しせい)と名乗り敬徳を欺いていたにも拘らず、敬徳は、変わらない友情を示してくれる。

「礼だなんて、・・・朋友(とも)だろう?」

敬徳は、夾竹桃の陰にまぎれて青蘭の顔を見た。


『斛律将軍の息女とは、斛律蓉児のことであろうか』

青蘭は、二年前の夏の出来事を思い出した。蓉児は、長恭に思いを寄せ大街で手巾を贈った女人である。その後青蘭は姿を見かけなかったが、もしや常山王家と斛律家の結びつきのために政略結婚を強いられているのだろうか。

『この斉でも、貴族の令嬢は、自分の意思で結婚相手さえ選べないのだわ』

長恭に思いを残しながら、常山王の息子に嫁ぐ蓉児はどんな思いで結婚生活を送るのであろう。

『延宗のように、不仲にならなければいいのだけれど・・・』

青蘭は、昨日訪れた安徳王夫妻が、ささいなことから大喧嘩になったことを思い出した。延宗と玲稀もある意味政略結婚の犠牲者と言えるかもしれない。


「どうしたのだ。・・・王将軍が心配なのか?」

憂い顔でうつむく青蘭の顔を、敬徳が覗き込んだ。

「いいえ、父上のことを心配したわけではないの。・・・ただ、安徳王と玲稀のことが心配で・・・」

延宗と玲稀は三月に婚儀を挙げたが、二人の間には(いさか)いが絶えなかった。

安徳王妃になった玲稀は、今まで李太后の一族として贅沢を許され我が儘一杯に生活していた。しかし、二月の政変で後ろ盾を失った今は、周りの扱いも冷淡なものとなった。その苛立ちを、夫である延宗にぶつけていたのだ。一方、十七歳の延宗はまだ子供で、感情のままに行動するだけだった。


敬徳も二人の不和については耳にしていた。

「延宗と玲稀は、幼馴染でもともと仲が良かったのだ。心配ない、・・・時間が解決してくれよう」

敬徳は露台の椅に座ると、隣に座った青蘭を見た。

浅縹色の狩衣に紫苑色の背子をまとった青蘭の肩には、夾竹桃から零れ落ちる木漏れ日が風に揺れて踊っている。

「延宗と玲稀は、もともと幼馴染だから、かえって言い過ぎてしまうの。感情を拗らせれば取り返しのつかないことにならないか心配で。・・・どうすれば素直に向き合えるのかしら・・・」

青蘭は、思案するように頬に手をやり小首を傾げた。浅縹色の狩衣の袖が涼風にひるがえると、敬徳は、子靖と名乗っていた頃の青蘭を想い出した。


邯鄲(かんたん)の近くに響堂山(きょうどうさん)の石窟がある。・・・最近は、多くの参拝者がいるらしい。延宗たちに参詣を勧めて見たらどうであろう。石仏の前に(ぬか)づけば、素直な気持ちで向き合えるのではないか?」

士大夫の夫人となれば、外出は季節の行事や寺院や道灌への参拝である。しばし、鄴都を離れて自然に親しむことは、若い二人にとって確かに有効であろう。

敬徳が提案すると、青蘭は笑顔で振り返った。

「邯鄲の近くに石窟があるなんて知らなかった。・・・確かにいい考えだわ。二人に勧めてみよう。・・・私も行きたいぐらいよ」

太行山には、多くの石窟寺院が建立されていたが、青蘭は参拝したことはなかったのだ。

「そうなら、今度案内しよう」

敬徳は、冗談めかして青蘭に笑いかけた。

「案内などいらないわ。・・・今度二人で出かける」

青蘭は、腕組みをすると口をへの字に結んだ。

「この俺を、鄴都に置いていくとは、・・・何たる薄情な友よ」

青蘭の男装は、いつも俺を惑わせる。敬徳は、隣の青蘭を眩し気に見遣った。


               ★              ★


後日、青蘭は、延宗に響堂山の石窟寺院の参拝を提案した。ところが、延宗と玲稀は、二人だけで参拝するのは嫌だと言ってきたのだ。結局、参拝には青蘭と長恭も同行し、敬徳の屋敷に一泊することになった。


一台の馬車と三頭の馬が鄴都の城門を出た。馬車には李玲稀が乗り、長恭、青蘭、延宗の三人はそれぞれ騎乗で城門を出た。その時、一行に追いついて来た一頭の駿馬があった。

「おいおい、長恭、俺を置いてけぼりにする気か?」

深藍色(ふかあいいろ)狩衣(かりぎぬ)に身を包んで馬を駆けて来たのは、高敬徳であった。

「敬徳、仕事が立て込んでいるのではなかったか?」

この遠出では、敬徳の邯鄲の屋敷に宿泊することになっていたので、長恭は礼儀として敬徳も誘ってみたのだが、多忙を理由に断られたのだ。

「昨夜、徹夜で片付けた」

敬徳はそっけなく言ったが、徹夜したとは思えない手綱(たづな)さばきで、長恭の愛馬の横に寄って来た。

「なぜ、延宗が馬車に乗っていないのだ?二人の(あいだ)を取り持つはずではなかったのか?」

敬徳は、不満げに茜色(あかねいろ)の狩衣を着けた青蘭を見た。

「延宗が、男なんだから馬車ではいやだと言って・・・」

二人を馬車に長時間乗せることにより、絆を深めさせようとした計画は、ここにあえなく頓挫(とんざ)したのだった。


          ★                ★


漳水にかかる浮橋(うきはし)を渡り、太行山脈に近づくと徐々に道は狭まり険しさを増していった。喬木の林の中を進むと、巨大な岩山の響堂山が見えてきた。整備された山道の坂を上ると巨大な岩と岩の間に、流麗(りゅうれい)な総門が見えて来た。


北斉の建国の当初、高洋は北魏の漢化政策に対抗して鮮卑化(せんぴか)、異民族化を図っていた。長恭の父である高澄が儒教を信奉(しんぽう)し漢族との融和を信条としていたからである。異国から伝来した仏教は、当時もっとも異国情緒あふれる文物であり、仏像はそれを効果的に示せる遇像(ぐうぞう)であった。

そのため、高洋と多くの廷臣は、皇帝への忠誠心を示すために(きそ)うように様々な石仏を寄進した。それは、先祖を弔うに留まらず昇進や子供の誕生など、人生の節目節目(ふしめふしめ)に行われた。


馬と馬車を預けて門内に入ると、参道が整備され左右に薄茶色の崖が迫り奥まで続いている。響堂山は、崖に掘られた摩崖仏(まがいぶつ)と多くの寺院の集合体である。あちらこちらに堂がつくられ、摩崖仏を本尊とする寺院が建立されていた。


「鄴都の近くに、こんなにすばらしい石窟があったなんて知らなかったわ。洛陽の龍門石窟にも劣らないわ」

手で影を作りながら、李玲稀が辺りを見回した。

「最近は、優れた石仏は鄴都の周辺の石窟にあると聞いている。多くの仏師が鄴都に招かれているそうだ」

延宗は眉目を明るくして腕組みをすると、聞きかじった知識を玲稀に披歴した。どうやら、延宗は事前に響堂山について調べてくたらしい。

「玲稀、美しい天女の壁画があるんだ。見に行こう」


敬徳は気を利かせて、延宗と玲希を二人だけにしようとした。

「今から、太皇太后様が寄進した菩薩像に案内しよう。でも、ちょっと険しいところにある。・・延宗、そなたは玲稀とこの辺りを見物してきたら?」


「族兄上、じゃっ、二人であちらの石窟を見てくるとしよう」

延宗は、玲稀の手を引くと崖に掘られた仏像のほうに進んでいった。


三人は、連れ立って仏像を見て回っている延宗と玲希の後ろ姿を見送った。

「仲直りのきっかけになればいいのだけれど・・・」

望まぬ相手との婚姻は、士大夫の子弟としての定めと言える。しかし、その運命の中で、どのように生きていくかは本人次第なのである。

「大丈夫だ。延宗だって子供じゃない。心を開いてはなせるさ」

長恭は、笑顔を作ると青蘭を見遣った。

「延宗は、優しすぎるのだ・・・」

二月の政変の後、延宗は破談にすることもできたのだ。しかし、没落した李家を見捨てることができない延宗は、かねよりの許嫁であった李玲希と婚儀を挙げたのだ。

「それじゃ、俺の取って置きの石窟に案内するとしよう」

敬徳は、高い岸壁を見上げて目を細めた。

「太皇太后様は、どんな菩薩を寄進したのかしら・・・楽しみだわ」

青蘭が、敬徳の視線の先を見る。

「残念ながら、・・・太皇太后様の菩薩は、ここじゃない南響堂山にあるんだ」

「おい、敬徳、さっきのはなんだったのか?それでは何を見せてくれるのだ?」

さきほど、延宗に言った言葉は、嘘だったのか?

長恭は、敬徳を睨んだ。

「それは、・・・俺が生まれた時に、父上が・・・ここに寄進した菩薩像だ」

敬徳は、冗談めかして唇を歪めた。

「敬徳、それは、自分の生まれが高貴だという自慢話なのか?」

怒った長恭が敬徳の肩を思いっきり叩くと、敬徳は笑いながら堂のある方に走って行った。


           ★               ★


響堂山の石仏に参拝した後、高長恭たち一行は邯鄲にある高敬徳の別邸に向かった。

邯鄲の別邸は、敬徳の父である高岳が手に入れ、昨年敬徳が改修したものである。桃の花の美しい三月に、青蘭も長恭と敬徳の三人で訪れたことがあった。

北響堂山から邯鄲への馬車で行く道のりは思いの外遠く、到着は酉の刻(午後六時から八時ごろ)になっていた。


「さすがは、敬徳族従兄上だ。鄴都の広大な屋敷の他に、こんな立派な別邸を持っているなんて」

始めて邯鄲の屋敷を訪れた延宗は、小高い四阿から篝火が焚かれた内院(中庭)を見渡しながらかぶりを振った。

「この屋敷は、・・・亡き父が、手に入れたのだ」

元氏は、前王朝の北魏の皇族である。北魏の王朝の末期のころ、追い詰められ困窮した元氏は、敬徳の父に救いを求めたのだろう。

敬徳は酒杯に酒を注ぐと、延宗と長恭に勧めた。

「父が誣告により亡くなってから五年になる。仇もとれぬままここに来るのが辛くて、この屋敷はずっとそのままにしていたのだ」

敬徳は父親の仇を取るべく、高徳正や蘆思道と謀り策をめぐらしてきた。しかし、高帰彦の権力はむしろ増強する一方である。

「天は、必ず奴の所業を見ておる。・・・必ず願いは叶うであろう」

長恭は、隣の敬徳の肩に手を置いた。

「すまぬ、俺は先に休む。・・・延宗と飲んでくれ・・・」

敬徳は、立ち上がると頼りない足取りで四阿を出て行った。


「敬徳兄上は、何故妻を娶らぬのでしょう。しがらみもなく好きな女人を娶れるのに・・・」

延宗は、自分と比べて自由に妻を選べる延宗の境遇を羨ましいと思った。

「敬徳が以前言っていた。敵討ちに失敗すれば族滅の危機に陥る。故に、敵討ちが成るまで妻は娶らぬつもりだと・・・」

長恭は、敬徳が歩いて行った小径を見遣った。

「敬徳兄上が、そのような決心を・・・」

延宗は、眉を潜めた。

だれでも婚姻に関してそれぞれの事情を抱えているのだ。

「今日の響堂山の参拝は、何の為であるか・・・」

「兄上、分かっている。僕たちの為でしょう?」

長恭の諭すような言葉を、延宗が遮った。

「僕たちの仲を心配して、仲直りの場を作ろうと、わざわざ響堂山まで連れて行ってくれたのですよね?」

「延宗、知っていたのか」

「いくら鈍感な僕だって、分かるよ・・・いやに二人だけにするし・・・」

延宗は頬杖をついて兄を見た。

四方の柱に下げられた灯籠の灯りで、延宗の太い眉が寄せられた。

「兄上の様に、最愛に女人を娶れた人には分からないでしょうね。・・・玲稀は、たしかに嫌いじゃない。でも、幼馴染で妹みたいなもの。・・いきなり妻と言われても。・・・それにあいつは生意気で・・・喧嘩を吹っかけてくるのだ」

延宗は、拳を振り上げた。

「どうせ、我々は政治の都合でめあわされた言わば、政略結婚だ。これならそれで、うまく付き合えば・・・」

長恭は、延宗の拳を上から抑えた。確かにそのようにして暮らしている夫婦はいる。しかし、それは亀裂を生み悲劇を招くのだ。

「延宗、皇族の結婚で政治が無関係なものはあるだろうか?・・・青蘭との婚儀だって御祖母様には、王琳将軍との関りを説いてお許しを願ったのだ。青蘭が蘭陵王妃であるがゆえに王将軍は斉に帰順したと思う。・・・だからと言って、政略結婚だと相手を貶めてもいいものだろうか?」

長恭は、延宗の拳を卓の上に降ろした。

「そなたと玲稀が夫婦になったのは、一つの縁だ。しかも二人は幼馴染で、その良さもよく知っているはず。最初は友から想い人となり、やがてよき伴侶となれる」

「友から、想い人に?」

「そうだ、青蘭と私も最初は兄弟弟子だった。やがて朋友となり想い人となったのだ」

長恭は、満面の笑みで頷いた。

「そうだ、・・・僕と玲稀の縁を・・・大切にする」

延宗は、手に持った酒杯を干すと立ち上がった。

「玲稀と話してくるよ・・・」

その後ろ姿は、少し頼りなく篝火の灯りに揺らめいて見えた。


           ★             ★


長恭が、延宗の歩いて行った方向をぼんやり眺めていると、いきなり暗闇から青蘭が現れた。

「安徳王は、いい方に向きそうですわね」

青蘭が、外衣を持って立っていた。辺りはすっかり暗闇に包まれ秋の寒さを含んだ風が立っている。

「ああ、青蘭か・・・いつ来たのだ?」

「先ほど、・・・お二人の話を邪魔しないよに控えていましたの」

長恭の肩に外衣を掛けると、青蘭は隣に座った。

「私たちは政略結婚だけれど、優しい殿下のお蔭で何事もなく過ごせていますわ」

青蘭は、優雅に笑うと小さく拱手した。

自分たちの婚姻を例に挙げて、皇族の婚姻は政に無関係ではないと婚儀後の仲の大切さを説いたのだ。それが、青蘭の耳に入ったに違いない。

青蘭は長恭をちらっと見ると長恭ともう一つの酒杯に酒を注いだ。

「慈悲深い、殿下に感謝して」

青蘭は、酒杯を持ち上げると一気に干した。怒っているのだろうか?叙爵以来、自分のことは、名前で呼んで来たのだ。

「青蘭、殿下なんて他人行儀な・・・」

長恭は、青蘭の手を掴んだ。

「政略で結ばれた蘭陵王には、殿下と呼ばねば失礼にあたりましょう?」

青蘭は長恭の手を振り払い、冷たく言い捨てると席を立った。

「青蘭、持ってくれ・・・あれは言葉の綾だ。我々は政略結婚ではない。」

長恭は、四阿を出て行こうとする青蘭の腕を掴んだ。

「でも、さきほど耳にしたわ。私たちの婚姻は・・・」

長恭は、青蘭を背中から抱き締めた。

「青蘭、それは誤解だ。・・・君を愛しているから一緒になったのだ。・・・知っているだろう?」

長恭が耳元で囁いたが、青蘭は横を向いたままだ。

「君との婚姻を許してもらうために、雪の中で跪いた・・政略結婚だったら・・・」

青蘭は、ゆっくりと長恭に振り向いた。

「分っているわ、長恭がどれほど苦労したか。・・・でも、宮中に行くたびに政略結婚だと言われたわ。それなのに、あなたにまで言われたら・・・」

宮中でそしりを受けていたという青蘭の言葉に、長恭は自分の額を青蘭の顔に付けた。

「私が悪かった。そんな誹りを受けていたのか。・・・君の気持ちも知らずに私は・・・愛している。・・・本当だ」

青蘭への心無い言葉は知っていた。しかし、青蘭への嫉妬からくる噂である以上、面と向かって反論することはできない。結婚以来青蘭は言葉には出さねど、苦しんでいたに違いない。それで、長恭のちょっとした言葉に、敏感に反応したに違いない。

長恭は青蘭を自分の方に向かせると、愁いを帯びた瞳で俯く青蘭の頬に口づけた。

「君は、朋友であり、想い人であり、妻だ。かけがえのない君を失いたくないのだ」

青蘭は、灯籠に映る長恭の清澄な瞳を見上げた。ああ、この人を失うぐらいならどんな誹りにも耐えよう。

「長恭、・・・感情的になり過ぎたわ。・・・同じ言葉でもあなたの口から出ると・・・」

逞しい腕が青蘭の頭を抱えるように動き、長恭が青蘭の唇をふさいだ。滑らかに弄る唇は、上等な銘酒よりも青蘭を酔わせた。

              

青蘭たちは共に邯鄲近郊の響堂山の石窟を見物に行った。その帰り、一行は敬徳の屋敷に一泊する。延宗を諭す長恭の言葉を聞き、『自分たちは政略結婚をした』との言葉に、ひどく傷ついてしまう。誤解はとけたものの、青蘭は自分の不安定な立場を思い知るのだった。

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