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【小説請負人Hisae】 全8作

作者: 東 宮

1小説請負人 Hisae

小説請負人とは依頼者のなりたかった職業や人生を小説として代筆して構成、製本までするという頼者のための本を作成する職業。


2香織の黙示録

依頼者の香織が未来を予知するという内容の本の依頼だった。

Hisaeの書いた小説が現実にも起きてしまい困惑するHisaeだった。


3アーティスト

MituとMiwaは若い頃ミュージシャンを目指していたが、道半ばで挫折してしまった。それを叶えてほしいとの依頼だった。


4妖精ミミ

妖精のミミが依頼してきたが依頼内容に困惑するHisaeだった。


5大工の棟梁リンさん

青森から大工の棟梁リンさんが、まだ、釘も打たしてもらえない若い頃、小森の棟梁から仕事そして人間の育成をされた、その半生を描いた作品。


6ミルキー

愛犬のミルキー目線で犬の気持ちになって書いて欲しいとの依頼だった。


7ピュア・マインド

早乙女雅之は自閉症というハンデがありながらその卓越した点描画だった。

そんなマーくんを思いのままに操る悪友がいた。


81000分の1㎜

依頼内容は身体が小さくなり、医者から見放された患者さんを癒す人間に

なりたいという文面だった。本人は病院の隔離室にいるという。

【小説請負人Hisae】


1「小説請負人Hisae」


私はHisae、年齢は想像にお任せ。職業は小説の請負人をやってます。


えっ? それ、何って?


小説の請負人よ……


えっ? 具体的にって? 


読んで字のごとくよ、あんたバッカじゃないの…小説を請負うのよ!


えっ、解らない? 勘弁してよね……


説明するから良く聞きなね……依頼者の希望に応じた小説を私が創作し代筆するの、依頼者が書いてほしい題材と内容をアレンジ作成し、執筆・製本までするという小説請負人のこと。


聞いたこと無いって? 


当たり前よ、私が考案者つまりパイオニアってか…

依頼の約7割は自叙伝が多いのね、でもそれを只の自叙伝にしたんじゃあつまらないのよ。 

私の書くのはその辺の芸能人や著名人の自叙伝とは違うの、SF・ファンタジー・純愛物・メルヘン童話・サスペンスなど依頼者の好みを優先して執筆するの、シナリオも依頼者の希望に従うのよ、当然、主人公は依頼者本人のが多いの、何でも書けるわよ、だって小説だからね、決まりごとが無いから自由なのよ、私にピッタリの職業だと思うの、ただし、ホラーものはお断りしてるの。


どうしてって?


そんなの私のかってでしょ。 


怖いのかって?


あんた、ぶっ飛ばされたいわけ? 


ホラーってさぁ書いていて吐き気がするのよね。


やっぱり怖いんだって?


ほっといてちょうだい。 あんた、ただで帰れると思わないでね、他に聞きたいことある? 


Hisaeってどういう字書くのって?


漢字にすると、久しいに江戸の江だけど。


えっ?…なに?名前からすると昭和の生まれかって? 頭に来た…見れば解るべや! もう、てめぇぶっ飛ばす!顔かせ。


今までで印象に残る作品はって?


なによ?急に、わたしの話しは無視かよ。 


う~ん、そうね、どれも印象あるけど物理学者が依頼者の時はチョット難儀したかもね…物理学なんて私の頭の中に無いから大変だったわよ。


どうしたかって?


しかたがないからアインシュタインやホーキンス博士、リサ・ランドール博士のパラレルワールド理論など、物理学の本を片っ端から読みあさったわよ。おかげで、わたし物理学に興味持ってしまったのね。 リサ、ランドール博士の提唱するパラレルワールドなんて最高に面白かった。平行する複数の宇宙・無限の平行世界。それぞれの世界に存在する自分。特に博士の自宅浴室のシャワーカーテンを使っての表現は楽しかった。最高! 彼女の美貌と発想力は私以下だけど…全般的にまあまあいけてるかもね。


えっ!私の頭良いって?


当ったり前じゃない、だてに東大出てないわよ。


えっ、東大の何学部出たんですかって?


出てないわよ。


今、出たって言いましたけど……


よく聞きなさいね「だてに東大を出てない」出てないから出てないって云ったのよ。 つまり東大を出てないから、出てないって言ってるじゃないの、あんた日本語解る?


$%&#%&$”%&……


まっ、そんなことはともかく、請負小説って色んな人の人生感や生き方をダイレクトに聞けるでしょ。そして、それが形になる。だから凄く楽しいし、為になることがたくさんあるの。依頼者の人生を描写するわけだから、失礼の無いように凄く気を遣うのよ。 そしてできあがった本を手にとった時のあの依頼者の顔、もう最高! 我が家に帰って早く読みたいっていう態度が手に取るように伝わってくるの。そんな顔を見たり感謝の手紙やEメールを見たら、こっちまで楽しくなるの。喜んでもらって良かった!って思う至福の瞬間ね。


 

変わったエピソードは無いかって?


そりゃあるわよ、聞きたい? 


その方は朝田清美っていう人なの、当然仮名。内容も普通の恋愛小説だったの。私はてっきり女性だと思って書いたのね。そしたら依頼者は男性だったの…しかも同性愛者だったの。そう、オネエよ、オネエ様だったの。


「若干、ニュアンスが違ってくるから書き直します」って云ったんだけどね。


依頼者が「よく私の正体解ったね、これ最高!」って誉めてくれたの。そう、その作品を気に入ったみたい。頭がパンクしそうになったわよ。 


あと、女性の依頼なんだけど、ある男性と結ばれて人生を全うするという、ごく普通のストーリーなんだけどね、現実には男性の方は既婚者だったの、小説の中の結婚生活は全て女性の願望だったの。


この類は結構あるのよ、そう仮想現実。


他に、自分の旦那とは若くして死別したんだけど、忘れることが出来なくて、せめて小説の中だけでも一生涯寄り添って、天寿を全うしたいというご婦人もいたの、その方とは直接何度かお会いして打合せを重ねたの……作品を手に取った瞬間ご婦人は大粒の涙を流したの!私も、もらい泣きしてしまったわ。あの時も、喜んでいただいて良かった。心の底から思ったわ。


子供を早くに亡くした親御さんの依頼も受けたわよ。依頼者本人は順番通り、子供さんより先に死ぬというストーリーなのね。わたし改めて思ったの、実は当たり前のことが一番幸せなんだってこと。


それはEメールでのやりとりだったんだけど、感謝の文面が泣いていたの。私、こう見えて「死」に弱いのよ。


この仕事していて良かったって思える、私のささやかな至福の瞬間。これでもHisaeさんはけっこう感謝されてるのよ。

私のこと記事にするときはそこのところ強調しなさいね。人情派、美人、請負小説家Hisaeとかなんとかってね。


微塵小説家ってなんですかって?


馬鹿野郎・なにが微塵だ字が違うだろ字が、美人って言っただろ。お前…本当に顔貸せや。外に出ろ…外に!  



END

 

2「香織の黙示録」


 4月初旬、桜が咲くこの季節、コートを脱ぎ捨てたが朝晩の寒さが肌身にしみ、まだコートが恋しい季節。少し風変わりな依頼がHisaeのもとに届いた。依頼の題名は「黙示録」依頼者は古屋敷香織三〇歳。職業ホステス。


依頼内容

未来を予知する特殊

能力の持ち主、古屋敷香織。職業ススキノで働くホステス。


現代版のノストラダムス、エドガー・ケーシー風にとの依頼で結末は、意味ありげな予言を残し忽然と姿を消してしまうという展開にしてほしい。予言の内容は適当にHisaeに考えてほしいとのこと。注文はそれだけ。


執筆の依頼額は原稿用紙二〇〇枚で五〇万円。なんか解らないけど、興味をそそるような依頼と金額にHisaeは机に向かった。


えーと題名は「黙示録」か…ちょっとベタね? 「香織の黙示録」…同じか、まっ、解りやすくていいか!



あらすじ、職業ススキノのクラブで働く女性香織二五歳の数奇な運命。 ホステスは人間観察の好きな香織にはもってこいの仕事。 多彩な職業と年齢の客を観察し、お金がもらえる、趣味と実益を兼ねた打って付けの職業だと考えた。働いて一年が経過し、この仕事が本当に楽しく思えてきた矢先。香織の身にある変調が起こった。


仕事中、なんの予兆もなく突然激しい頭痛がして気を失ってしまった。脳外科病院へ救急搬送され、意識を取り戻したのはMRIの中だった。


医師は「脳に異常なし。疲れかストレスからきた一過性のものだろう」との診断。三日間の検査入院。 初見通り異常は見あたらず退院。その日のうちに職場復帰した。


それから数日後、店で普通にお客の横に座った刹那、その客が帰るビジョンが脳裏に視えてしまう。何だろう……?  わたしの頭どこか変? 少し不安になってきた。


退院後の香織に少し不可思議な能力が目覚めてきたのであった。香織の能力は個人に止まらず、地域社会、果ては国のことまでが視えてくるという特殊な能力。そんな香織の数奇な生き様を描いた小説。



こんな感じでどうかな? Hisaeはあらすじを香織にメールした。

「興味深い内容になりそうで楽しみです。よろしくお願いいたします」と返事がきた。


ようし!執筆に取りかかろう。


Hisaeは部屋に籠もった。執筆中は部屋に閉じこもったまま、できあがるまで何日も出てこないことが普通にある。それが彼女の執筆スタイル。



「香織の黙示録」


札幌のクラブで働く女性香織二五歳の数奇な運命。


好きな人間観察が出来て、そしてお金になる仕事ホステス。この職業は人間観察の好きな香織にはうってつけの仕事。二四歳でデビューをした香織。

ホステス業の一年はあっという間に過ぎていった。


そんな仕事が楽しく思えてきたある日のこと、香織の身に突然ある変調が起こった。それは、接客中になんの予兆もなく突然頭に激痛をおぼえ、客の前で気を失ってしまった。店は騒然となり、ホステス仲間や客はくも幕下出血か脳梗塞だろうと勝手に憶測した。


救急搬送され、意識を取り戻したのはMRIの中。医師の診断は「脳には異常なし。疲れかストレスからくる一過性のものだろう」との診断。念のため三日ほど検査入院することになった。再検査結後、初見通り脳に異常は診あたらず退院となった。


退院後、香織は心の奥で微妙な何かが異なっていることに気がついていた。

言葉でうまく表現できないので他言はせずにいた。


退院から数日後、店に普段通り香織の姿があった。 同僚のANNAが香織に声を掛けてきた。「香織ちゃん大丈夫なの?無理しないでもう少し休んだら?」ANNAは香織の同期で、店で一番気の合う同僚。


「心配させてごめんね、もう大丈夫だよ。心配かけてごめんね…」



香織が仕事に復帰して3日目のこと、紳士風の中年男性客の席に着いた。

その瞬間だった。香織は意識がとおのいて、先日倒れた時のあの感覚。

そしてあるビジョンが視えた。


そのビジョンとは、客が店を出てタクシーを止めようと車道に乗りだした瞬間、後ろからきた白いスポーツカーにその客が跳ねとばされるという光景。


香織は「妙にリアル……?錯覚?」と思ったが気にせず、いつものように明るく接客した。そして、その客が帰るのを店の外まで送りに出た。


香織が「楽しかったです。又、お越し下さい。お休みなさい」手を振り見送った。店に戻ろうと背を向けた瞬間、ドン!という鈍い音が後ろでした。 同時に女性の悲鳴が聞こえた。香織が振り返ると今見送ったばかりのその中年紳士が倒れ込んでいた。


警察が来て目撃者の証言を横で聞いていた香織は我が耳を疑った。タクシーを止めようと車道に乗りだした瞬間、後ろから来た白いスポーツカーに跳ねとばされたらしい、その車はそのまま逃走したとのこと。なんと、あのビジョンと一致していたのだった。


その後も何度か、自分が予期しないときに視るビジョンが現実に起こることに気がついた。その頻度がだんだん増してきて自分が怖くなってきた。


仕事前に携帯で「ねえ、ANNAちゃん、ちょっと聞いてほしいことがあるの」香織は事の一部始終を時間をかけて説明した。


「香織、あんたにすごいこと起きているのね。最近の香織はなにか宙を見ているなって気になってたけど、あんた大丈夫なの? もう一度病院で検査したら?」


「うん、今のところ大丈夫だけど、でも今朝、新聞を読んでいたら急に文字が歪んで見えたの、そしたら紙面が急に変わったのね、そこに書いていた記事が、政治家の山田国男が何者かに拳銃で撃たれ即死って書いてあったのよ。 もう一度よく目を凝らして見てみると、今度は全く違う株価暴落の記事だったのね。わけ解らないよ…」


香織はANNAに話して落ち着いたのか気が少し気が晴れ、最後は普段通り笑いながら話し携帯を切った。


翌朝10時香織は携帯の着信音で目がさめた。


だれなの?こんな時間に…ホステスの朝は遅かった。


「はい……」


「香織、テレビのニュース見た?」


「ANNAちゃん?どうしたのよこんな時間に?」


「山田国男が銃撃されて死んだのよ」


「……えっ! うっそ?」


「本当よ。今、テレビでやってるもん。テレビ入れてみてよ、速報でやってるから」


香織は自分の耳を疑った。すぐテレビをつけた。目に飛び込んできたのは山田国男殺害の速報。


「ほんとだ…ANNAちゃん、私、怖くなったからとりあえず電話切るね。また、こっちから連絡するからじゃあね」


携帯を置いた香織はその場に座り込んでしまった。その日は「病院の検査で疲れたので、今日は店を休ませてほしい」とマネージャーに連絡し、部屋に籠もりパソコン画面を朝から眺めていた。


自分のような症状の人が他に居るんだろうか? これからどう行動したらいいの? 考えることがいっぱいあって、解決するどころか香織の頭は混乱するばかりだった。


「何故、私なの?」


「聖書黙示録?・ヨハネ、ノストラダムス、エドガー・ケーシー、日月神示?なんなのよ全然解らないよ?まったく!」そのうち香織は寝入ってしまい夢を見ていた。



場所は中国。香織は大きなダムの上空にいた。突然「ドドドッ!」というけたたましい音がしてダムが崩壊した。

下流の街はひとたまりもなく押し流され、死者数三十九万人という前代未聞の大惨事と化していた。 原因は下請け業者と役人の癒着による手抜き工事。中国史上最大の人災と判明した。


次の瞬間、香織はアメリカのとある空軍基地の中にいた。記者団を前に軍の偉いさんと思われる人間が、ある写真の白い物体を指さして何かを語っていた。


「この度、我が軍は地球外生命体と接触することに成功した」


その先には普通の人間とは若干違い透き通った感じのする生命体があった。そう、それは地球外生命体の存在。アメリカが宇宙人の存在を世界に知らしめた歴史的な瞬間であった。


ここで香織は目が醒めた。


今の夢なの?なんかリアル過ぎ?と自問自答した。 それから十日程過ぎた頃、自宅でテレビを見ていると急に部屋が揺れ始めた。


「あっ!地震!」揺れはすぐに収まったがそれなりに大きな揺れだった。テレビでは震度4となっていた。震源地は中国とあった。


その後、テレビは臨時ニュースに切り替わり、「この度の地震の震源地中国でダムが決壊し、複数の街が一瞬にして飲み込まれ、大惨事になっている」というニュースが報道された。香織は絶句し固まった。瞬間はっきりと自覚した。


「この事は偶然なんかじゃない。だって私、視たもの。十日前、この現場に私は居たもの。 一部始終見てたし」そう思った瞬間身体が震えてきた。得体の知れない不安感に襲われた。


「じゃあ、あの宇宙人も? もしかしたら?」


その翌日の新聞に小さく「米空軍、宇宙生物の存在を容認する発言!」と書かれていた。


もう、疑う余地はない。私には未来の出来事を何らかの方法で察知できる力があるんだわ。


でも、香織は他言しないでおこうと心に決めた。


この手の発言は最初、もてはやされるが、次第に話が歪曲され終いに狂言者呼ばわりされるのが関の山と思ったからだから。

でも、せっかく備わった能力。ブログを開設して夢日記の類で書き込みをしよう。ブログは書き込みした日時が刻まれるから、狂言でないことは実証できるし、事故を事前に回避できる人が出てくるかもしれないと思った。


ブログは「香織の夢日記」というタイトルでアップされた。内容は自然・社会の出来事など新聞の三面記事のような書き方。違うのは、まるでその場で見てきたかのようにリアルに書いているところが新聞とは大きくちがう。



Hisaeはキーボードを叩く手を休めた。

あ~あ~とっ、一服、一服。書き始めはこんなものかな?

 

次はどんな事件や出来事を書こうか? 案外自分で書いていて面白い出来だなこれ……架空の予言って結構楽しいかも…

責任感が全くないし、かといってデタラメでも伝わらないからリアルさも要求される、小説ならではね。シャワー浴びてまた、書こうっと。今度はと、そうだ!大企業を倒産させちゃおうっと。



香織はまた夢を見ていた。新聞の一面の見出しが目に入った。「SMO電気、経営破綻」の文字が大きく目に入った。


SMO電気、突然の経営破綻。従業員約一万五千二00人は今月末をもって解雇という新聞見出しであった。横には小さく、従業員の五〇%はSANY電気が引き受け検討か?


香織は早速ブログに書き込んだ。


3日後、TVの臨時ニュースで「SMO電気、経営破綻」の速報が流れ日本中の話題となった。


「あら又また、当たってしまったみたい……」


PCを開き「夢日記」ブログを覗いてみると炎上していた。


「何で事前に解るの?」

「お前が影で糸を引いているんだろう」

「何の占いですか?」

「あなたは誰なの?」


などなど訳の解らない数百の書き込みがされていた。香織はすぐに書き込み禁止の処理をした。「今後は雑音無しの一方通行ね。もっとたくさん書こうっと」


Hisaeが呟いた「今度は明るいニュースもいいわね……そうだ、思いついた!」



店で客のグラスに酒を注ごうと手を伸ばした時だった。香織が体勢を崩して横にいた客の手に触れた。その瞬間「俺はついに透明の金属を開発した。もしかして俺はノーベル賞受賞か?」伝わってきた。


香織は思わず「開発、おめでとうございます」と無意識に口にしてしまった。


客は当然怪訝な顔をして香織を凝視していた。


「しまったっ!」不用意に言葉を出してしまった。


客は「えっ? 何がおめでとうなの?」


香織はすかさず「ごめんなさい。お客さんの顔を見たら何かとっても嬉しそうな表情だったので、きっと何か良いことがあったに違いないと思ってたら、つい言葉に出てしまったんですぅ。ごめんなさい」


「そっか。僕の顔に出てたかな? 君、洞察力あるなぁ…」客の顔は確かに二ヤついていた。


「あんたの顔を見たら誰でも解る」と香織は思った。それから数日後「広島大学にて、世界初の透明金属開発!ノーベル賞候補か?」とニュースで放映された。さすがに香織はこの件はブログには載せなかった。



Hisaeは手を止めた。今日はこの辺でお終いにしようっと。それにしても小説とはいえ、こんな発明品があったら世界が変わるだろうな。


発想のアメリカ・技術の日本か…これって的をえてるよね、よし今日はもう寝る!



翌朝、Hisaeは夢にうなされて起きた。なんだ? 今の夢は? 夢の内容はこうだった。


夢の中でHisaeは新聞記者をしていた。

今日はやけに忙しいなあ「鳥インフルエンザが九州に上陸。少なくとも九州の全養鶏場の約三〇%で感染し鶏は殺処分された。数万羽処分」


「大変なことになったもんだ」その記者会見場にHisaeはいた。


目が醒めたHisaeは「うん?えっ? これ良い題材。 私はもしかして天才?」と思った。


コーヒーを入れ食パンを頬ばりキーボードを叩いた。



香織はまた夢を見た「九州地方で……」


Hisaeの見た夢を「香織」に置き換えて小説に書いたのだった。こんな調子で5日間でHisaeは 「香織の黙示録」を半ば完成させた。


香織は人と違う自分がだんだんと怖くなってきた。もう、ブログ更新を辞めようか、事前に世の中に起きる事が解ったからと云ってどうしたというの?別に私が惨事を防げる訳でもないし……すっかり自己嫌悪に陥ってしまった。


そんな時、ANNAからメールがあった。


「何してますか?時間があったら店前に食事どう?」


返信した「いつもの時間にいつもの場所でどう?」


行きつけのレストランに二人はいた。


「ねえ香織、最近浮かない顔してるけどどうかした?」


「私、精神科に行って相談しようかなって考えてるんだ。自分が怖くなってくるのよね」


「例の予知のこと?」


「うん、怖くなって、寝るのが辛くなることもあるんだ」


「その予知って自分で視ようとして視えないの?」


「できない。占い師なら視たくない時には視なくてすむけど、私の場合は自分の意志関係なく勝手に視えるの、その場にいることもあるんだ。全くコントロールきかないの」


「そっか……香織いっそのこと本にして出版したら?」


「ANNAちゃん、冗談辞めてよね」


「ごめん、ごめん」


次の瞬間、香織は又ビジョンを視た。


「話変わるけど、最近犬飼った?」


「えっ!私まだ香織に言ってないよね…」


「ANNAちゃんすぐ家に帰って、子犬がANNAちゃんのベッドの下で血だと思うんだけど、赤いもの吐いてるのが視えるの…お勘定いいから早く帰ってやって!」


ANNAはすぐ店を飛び出してタクシーを拾った。


2時間ほどしてメールが届いた「さっきはありがとう。犬のpinoがグッタリしてたの、すぐ病院に駆けつけてレントゲン撮ったの。とりあえず命に別状ないみたい。ホッ! でもおう吐物を検査したら細菌が見つかったの、母犬からの胎内感染の可能性かもしれないって。悪いけど今日一日念のため犬に付いててあげたいから今日お休みします。マスターに連絡したからお店お願いします。 香織の能力、本当に凄いよ! 感謝感謝!その能力が人助けに使えるといいのにね。

香織、本当にありがとう」


香織はこの能力が初めて人の役に立ってよかったと実感した。



「人の役に立つのもいいね」Hisaeは呟いた。キーボードを叩く手を止め思いをめぐらせた。


「さてさて? 最後はどのように締めようか? 香織が宗教組織の教祖? or街で人気の占い師? or占いBARのママ? それとも預言を駆使した小説家? なんかどれもベタよねぇ~最後は謎の予言を残し香織は姿を消した。よっしゃ、これで行こう。やっぱ私は天才だ!」


最初の予言から二年が過ぎた。年の瀬という季節がら店は忘年会の二次会などで大忙し。香織とANNAが店を出たのは二時を過ぎた頃だった。街は、タクシーを待つホステス、千鳥足の客、雪降るススキノは人と車が入り乱れていた。


「明日で店は終了ねぇ」ANNAは手袋をはめながら香織に話しかけた。


「そうね、一年はあっという間。ANNAちゃんは帰省するの?」


「私は犬がいるから今年は帰らない。香織は帰省しないの?」


「私は列車のチケット買ってないから、元旦辺りに帰ろうかなと思ってる」


その後、2人は各々タクシーを拾って別れた。


翌日の店は昨日と比べ、かなり空いていた。マネージャーが「ANNAちゃん、チョット良いかい?」


「はい、何ですか?」


「香織ちゃん、もう九時なのにまだ来ないし、携帯にも出ないんだけど……何か聞いてない?」


「昨日別れるときは、何も言ってなかったけど…私、メールしてみますね」


十一時頃、マネージャーが「ANNAちゃん、香織ちゃんからまだ何も言ってこないかい?」


「はい、どうしたんだろう?」


「マネージャー、私、心配だから今日は上がらせてもらっていいですか? 香織ちゃんのアパートに様子見に行きたいの、ダメですか?」


「そうしてくれるかい? 今日はもう客も来ないと思うから。結果だけ電話してくれる?」


「はい、じゃあ上がらせてもらいます」


着替えたANNAは小声で「マネージャー、よいお年をお迎えください」


マネージャーは軽く手を振った。 店を出たANNAはタクシーを拾って香織のマンションに直行した。


ピンポーン・ピンポーン


何の応答もなかった。


ANNAは管理人に事情を話し部屋の鍵を開けてもらった。


「香織ちゃん、お邪魔します。香織ちゃん……?」


暗い部屋からは何の応答もない。


「入りま~す」


部屋の電気を点けた。部屋は綺麗に整頓されていて、何にも変わった様子はない。


「管理人さん、いつもの部屋と変わりはありません。テーブルにメモだけ置かせてもらいます。いいですか?」


「はい、どうぞ」


メモには走り書きで「香織へ、何時でもいいから電話ちょうだい。ANNA」


ANNAは部屋を後にした。マネージャーに報告し家路に着いた。


年が明け、3日の朝ANNAの郵便ポストに手紙が一通あった。差出人は香織からだった。封筒から取り出して読んだ。



ANNAちゃん、明けましておめでとう。


突然の手紙でごめんなさい。


私はしばらく旅に出ます。


わがまま言ってごめんなさい。


店のみんなにも宜しく伝えて下さい。


特にマネージャーには申し訳ないことをしたと思ってます。(マネージャーにも手紙書いておきました)


私が最後ANNAちゃんと別れた後に、衝撃的なビジョンを視たの……それが真実なのか?


私の錯覚なのか確かめるために旅に出ることにしたの。


詳しいことは今は言えないけど、ハッキリしたら連絡します。 ごめんね


これからの日本、いや世界に関する事でもあるの、だからもっと深く知ってみたいの、じゃあまたね!

ANNAちゃんへ        香織より


ANNAは意味が解らなかった。理解できることは、香織が誰にも告げずに、急に店を辞めて何かを探しに旅に出たという事だけだった。



余韻を残したまま終了。こんな具合でどうかしらね、昔のアメリカSF映画みたいかしら?


Hisaeは手を止めた。


よし、後は製本して引き渡し。この世で一冊の本。喜んでくれるかな?


残り半金が古屋敷香織から銀行口座に振り込まれ、製本された本は古屋敷香織に送り届けられた。


「よし完了! まいどあり、金が入ったしここらでヘアーサロンKONAにでも行って気合い入れていい女になってくるか!アハ!」


Hisaeは気合いを入れKONAのドアを開けた。


「KOHEI君いる? KOHEI君」


スタッフが「あっハイ! おります、少々お待ち下さい」


出迎えた受付の娘はスタッフルームに入っていった。


「KOHEIさん、例のオバサン来てるわよ」


「例のオバサンって、例の?」


「そう、例の小説家の……」


KOHEIは「今日は休みって言ってよ」


「無理。今、連れてきますって言っちゃったんです」


「あ~~ぅ。きっと小説のお金入ったんだ」


「Hisaeさん、いらっしゃいませ」KOHEIは愛想をふりまいた。


「よっ!久しぶりね、KOHEI君。元気だった?」


「はい、僕はいつも元気です。おかげさまで」


「また、始まった、KOHEI君。僕はいつも元気です。でしょ!おかげさまでって、おかしな日本語使わないのね、何のおかげなのよ?」


HisaeはKOHEIの喋る接客の言葉遣いにはいつも厳しかった。


「あっハイ!」


「で、今日はどのような髪型にします?」


「します?じゃない。いたしますか?とか、又は、なさいますか?でしょ!」


「あっハイ!」 店のスタッフは大笑いした。


「当然、Hisaeカットよ!」


KOHEIは髪を触り始めた。


「また、黙って触った。失礼しますとか、ないわけ?」


「し・し・し・失礼します」


「しは1回でいいの」


KOHEIは完全にてんぱっていた。



それから十日過ぎた頃、テレビに緊急速報が流れた。


「本日未明、現職参議院議員で民和党の山田国男氏が何者かに狙撃され死亡」と報告された。


えっ!うそっ!ほんとに?私が香織さんに書いた小説とほぼ同じだ?

これを偶然の一致というのね。そう言う事ってあるのね……寝ようと……


それからさらに数日が過ぎた。夕方のテレビニュースに地震予告の一報が入った。

数秒後軽い揺れを感じた。


テレビでは震度2弱と報告されていた。震源地は中国の内陸部でマグニチュード七.五。 ゲゲ、Hisaeは言葉つまったった。


翌日のニュースでは「上流の三景ダムが崩壊し、下流域の街が水に飲み込まれ被害が甚大。人類史上最大の惨事では?」と報道した。


中国政府の体質上、事故の詳しい事は隠しているが、推定でも犠牲者三十万人以上に登るのではと懸念された。後日談で地震の規模も大きかったが、それに加えダム工事の下請け業者による手抜き工事が発覚した。震災と人災が加わった事故と判明した。


Hisaeは言葉が無かった。私ってノストラダムス。ヒサダムス? ・・・怖っ!


Hisaeは香織に書いた小説を読み直した。


「え~と、SMO電気の破綻と透明金属の開発、九州の鳥インフルエンザか」


Hisaeは完全に焦っていたが、気を取り直し又、通常の仕事に取りかかった。


良かった。小説の内容を知るのが私と依頼者の古屋敷香織さんで。一応メールしておこうと思った。


「先日はありがとうございました。小説の内容に酷似した事件が発生しましたが、あくまでも私が書いた物はフィクションであり、本事件は偶然の一致です。全然、他意はございませんのでご了承願います。Hisae」


返信が来た「私も驚いています。本当に偶然の一致という事があるんですね。当然他言は致しません。 古屋敷」


Hisaeは親友のSizueに事の次第を打ち明けた。


Sizueは「絶対偶然よ!そんなことは忘れて寝なさい」


「うん、そうする」



それから、ひと月が立った。


夕方のニュースで「SMO電気、経営悪化により倒産。負債総額二千五百億円、従業員一万五千二百人。SMO電気は即日、民事再生法の申請」と発表された。


「出た!」Hisaeはもう偶然じゃあないわよ。従業員数まで一致してるもの。


Sizueから電話があった。


「姉さんの言ってた事、マジ当たってる。そのほかに

何を書いたの?」


「広島大学の透明金属の開発と九州の鳥インフルエンザで30%の鳥を処分よ」


「ウソッ!さっき九州で鳥インフルエンザ発症ってニュースやってたよ。もう完璧」


「何が完璧よ」Hisaeは多少むかついた。


「Hisae姉さんに未来を透視する能力があるのよ」


「私はヨハネやノストラダムスじゃないからね」


「まあいいけど。もし広島大学の透明金属とやらの開発が発表されたら完全にHisaeダムスに決まりだからね」


「ひやかしは辞めてよね」Hisaeの言葉に力がなかった。


「Hisaeとりあえず寝てなさい」


「うん、解った・・そうする」



数日後、Hisaeはネットで、九州、鳥インフルエンザ被害と打ち込んだ。


すると、「九州の鶏の三十二%殺傷処分」と出ていた。


ついでに「広島大学、開発」と打ってみた。経済新聞がヒットした。内容を見てびっくりした。


「広島大学で透明金属の開発に成功!」という文字が目に入った。


HisaeはSizueにメールを送った。

「鳥インフルエンザで三十二%処分。広島大で透明金属開発とネットに流れていた。もう、疑いようがないみたい。

私、どうしたらいい?」


「最近、それ以外の予言みたいな事、書いてないの?」


「あれは、たまたま依頼があったから書いただけなの。あの小説の後にも先にも書いたこと無い」


「じゃあ、私が予言者になるという設定で書いてみない?」


「あんた、私で遊んでるわけ?」


「だって、試さないと解らないじゃない」


「考える!」



香織からメールがあった。


「先日来の一連のニュース、 私も驚きのひと言です。 と同時にHisaeさんが心の負担になってることと思います。どうかお許し下さい。 私なりに考えたのですが、当然、偶然の一致というレベルで語るにはできすぎだと思います。


あれは、何らかの原因が存在するはずと考えています。

当然、私ではなくHisaeさんに何らかの原因があると考えられます。


たまたま私の依頼がきっかけで、このような形になりましたが、Hisaeさんは自分で気付いていない特別な能力があるような気がします。


例えば(チャネリング能力)(透視能力)(時空を越えて未来を視る能力)などです。これは私のひとつの見解です。

失礼いたします 香織」



「ふ~ん? 能力ね? まっ。考えても仕方ないから仕事続けるしかないか……」


いつものようにHisaeはパソコンに向かった。



ある日の夕方。いつものようにHisaeはパソコンに向かって執筆作業をしていた。


ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、インターホンが鳴った。


「はい!」


「Hisaeさんのお宅ですね」


「はい、そうですけど」


「私、警察の者ですが」


「はぃ。警察の何課ですか?」


「生活安全課の上山と佐伯と申します」


「はい?で、何か用ですか?」


「古屋敷香織さんのことでお尋ねしたいことがありまして、恐れ入ります。 チョットよろしいですか?」


「はい、今、開けます」


Hisaeはドアを開けた。


刑事らしき鋭い目をした二人の男が手帳を開示した。


「どうしました?」


「古屋敷香織の事でお尋ねしたいことがあります。 Hisaeさんはこのお名前の女性をご存じですか?」


「はい、私のお客様ですが……」


写真を提示しながら「この顔に見覚えは?」


Hisaeが手にした写真は年の頃なら六十歳前後かと思われる品の良い女性。


「知りません。この方、誰ですか?」


「彼女が古屋敷香織さんです」


「ジェ・ジェ・ジェ~」Hisaeは驚いた。


「すみません。彼女は三十歳と聞いてましたので……」


佐伯が言った「ここでは何なので、差し支えなければ玄関に入らせてもらってよろしいでしょうか? お手間はとらせませんから」


Hisaeは部屋に二人を通した。椅子に腰掛け話し始めた。


「あっ、失礼します。早速ですが実は古屋敷香織さんなんですが、ご家族の方から署の安全課に捜索願が五日程前に出されております」


もうひとりの目付きの鋭い上山刑事が口を開いた。


「古屋敷香織さんのパソコンのメール履歴はHisaeさんへの送信が最後でした。それ以降メール及び携帯電話のメールや通信の形跡がないんですね、それで今日は直接Hisaeさんに会ってお話しをお聞きしたく訪問いたしました。古屋敷香織さんはご存じですよね?」


「はい、古屋敷香織さんは私のお客様です。間違いありません」


「最後に連絡を取られたのは憶えておりますか?」


「一週間前です。メールの内容はそちらで解りますよね」


「はい。ですが何度読んでも理解出来ない箇所があるんです。宜しければ、お仕事の内容をお聞かせ願えないですか?」上山が聞いた。


「お客さんの変わりに私が小説を代筆するという仕事ですが」


「芸能人のよくやる代筆ってやつですか?」


「代筆は代筆ですが自叙伝や小説です。随筆とはちがいますけど」


「どう違うんですか?」


Hisaeが語気を荒げて言った。


「失礼ですけど随筆って知ってますか? 自叙伝は? 違いわかります?」


少しいらついた目で佐伯が「すいません。勉強不足で」


「勉強不足ではありません。常識知らずです」Hisaeはきっぱり言った。


「…………」部屋に冷たい沈黙が走った。


「あの~う。古屋敷さんの依頼で、私が書いた本を読んでないんですか?」


「その様な本は彼女の部屋に見あたりません」上山が言った。


「そうですか、じゃあCDにして差し上げますから読んで下さい」


「今、簡単に説明願えませんかね」偉そうに佐伯が言った。


Hisaeはめんどうくさそうに話し始めた。


「客の要望に応じ、客を主人公にした内容でその方の好みの小説を執筆するの。自叙伝や随筆、SF小説、なんでも受けますの…… 小説の場合、お客の書いてほしい題材と内容をアレンジしSF、ファンタジー、純愛、風刺、メルヘンや童話、何でもOKです。最後は製本までの総てをしてお届けするの。


自称〔小説請負人〕です。そして、その客の中のひとりが香織さんで内容は当然彼女を主人公にした小説です。彼女が急に予言者になったというものです。 わかります?」


上山が「その小説がこのCDに書き込んであるわけですね」


「そう」


「はい、ありがとうございました。また、何かあったらお話を聞かせていただいてよろしいですか?」


「かまいませんけど」


佐伯と上山は部屋から退室した。


「ウエさん、彼女どう思いますか?」


「なにが、勉強不足ではありませんかだ!ったく」


「嗚呼腹立つ!あのおばさんの態度、きっちり調べさせてもらおうかね」上山は思い出しただけでむかついた。


2人は署に戻りCDを読んだ。


「????」


「この書いた日付、見たか?ウエさん」


「一連の騒動は事件の前に書かれたものだぜ」


「細工してるんじゃねえのかよ」


「いや、香織のPCの通信記録から見ても前もって書かれた物だ」


佐伯は黙って宙を見つめていた。


上山は「なんかのトリックですよ」


「トリック使うメリットあるか?」


「うん、そうですよね」


「こいつ(Hisae)は化けもんか?」佐伯が腕組みをした。


警察の調べでは、小説の内容を書いた日付後に、地震や小説にある一連の内容があることを確認した。


上山が「SF小説やSF映画のようなことが現実に起こりえるんだなぁ~世の中解らんことだらけだ」


佐伯が腕組みをしながら呟いた「香織探しは振り出しか」


Hisaeは古屋敷香織の事が気になっていた。


「その後、あの刑事さん達、なにも言ってこないけどどうしたものかな? こっちから電話するのもシャクに障るし……


小説の最後に本人をなんで失踪させたんだろう?


不可思議よねぇ~ こういう時は寝るか……



END






3「アーティスト」


 今年も桜が咲いて綺麗、桜と云えば花見酒、てかっ!桜餅食いてえ~、桜餅と酒買ってこよっと。


Hisaeは餅を口に入れながらPCを開いた。


一通のメールが来た。


なになに?


「初めまして。私は五十五歳を迎えたばかりのどこにでもいる、いたって普通の主婦で山口美和と申します。


Hisaeさんの仕事に興味を持ち主人と相談し、早速メール致しました。私と主人の光晴は、若い頃音楽を生業として食べることを夢見る二人でした。


YAMAPAミュージックコンテスト地区大会で優勝しましたが、県大会では落選してしまいました。


以後ストリートミュージシャンを数年やって子供が出来たのを期に、普通のサラリーマンとして生きてきました。


ごく普通の何処にでもいる音楽に憧れ挫折したというパターンの夫婦です。


せめて小説の中だけでも私達を、シンガーソングライターを生業とするミュージシャンとして描いて頂きたくメールいたしました」



Hisaeは返信した。


「ご依頼いただきありがとうございました。この依頼、受けさせていただきたいと思います。つきましては、小説をリアルなものにしたいので、お二人で作った曲名と曲風。 書き表したい想い出に残るエピソードなどをお聞かせ下さい。

まずは、あらすじを書いてみますのでご確認ください」



あらすじ


これは、自分達の創作した音楽が、多くの日本人の心に、安らぎと感動を与えた、男女ユニットミュージシャンの物語。


昭和四八年。多数の有名人を世に送り出した、YAMAPAミュージックコンテスト。


地方予選を勝ち抜いてきた男女二人のミュージシャンが全国大会で見事グランプリを獲得し、日本音楽業界に数々の功績を残したしたミュージシャン夫婦の物語。


そのミュージシャンの名はMitu&Miwaそうこれは日本の音楽業界に多大な影響を与えたMitu&Miwaの半生を描いた作品。


学生時代から夢見た音楽家への道。


順調満帆にみえる2人であったが他人に言えない挫折そして再起。心の葛藤と歓喜。そんなMitu&Miwaの物語。



昭和45年。2人は同じ中学の同級生。


隣町のレコード店で同じジャンルのレコードをMituとMiwaは偶然探していた。隣の女の子の顔を見てMituはビックリした。


「おや、Miwaどうしたの?」


「私、井上陽水が好きなの、でレコード見てたの、Mitu君は?」


「僕は、岡林信康」


そんな話から2人は意気投合した。そこからMitu&Miwaの物語が始まった。


これでどうかな?と。


Hisaeは山口美和にメールした。


「ありがとうございます。あらすじだけでも何だかワクワクします。そのまま執筆をお願いいたします。 山口」


もう一度Hisaeは質問した。「了承いたしました。こちらからの質問ですが、お2人の作った曲名と歌詞を差し支えなければ数曲教えていただければ、作品によりリアル感が生まれますが。


あと書いてほしい事柄やエピソードがあったら教えて下さい。 Hisae」


「曲名は、『笹舟・SANGA・絆』の3曲です。歌詞はどこにでもある内容です。恥ずかしいので勘弁して下さいませ。  

山口」



「Mitu & Miwa」


昭和45年、Mitu13歳 。フォークギターを抱えて札幌市の玉屋レコード店でレコードを物色していた。お気に入りは岡林信康。彼は日本フォーク界のパイオニア的存在。

Mituがアルバムを見ていたら、隣の女性に肘が触れてしまった。


「あっ、すみません」


「いえ」顔を上げたその先には同じクラスの女の子、Miwaの姿があった。お互いビックリして顔を見合わせた。


「Mituくん、どうしたのこんなとこで?」


「どうしたって、レコード見てるんだけど、Miwaこそフォークソング聞くんだ?」


「私、井上陽水が好きなのよ、でレコード見てたの、Mituくんは?」


「僕は、岡林信康」


「岡林もいいよね。私も手紙やチューリップのアップリケが好き、関西フォークって、語りも面白いし。ライブバージョンなんて最高よね!」


「僕も陽水は聞くよ。今までのフォーク歌手にない透き通った歌声とメロディーラインが好きだよ」


「Mituくん、これから用事あるの?」


「別にないけど」


「よかったら、ウエシマの喫茶店でコーヒー飲まない?」


「いいね、フォークの話しようか?」


二人は向き合って座った。


「私、嬉しい。私達の年代ってみん、郷ひろみ・秀樹・五郎の御三家でしょ。どこか感覚が合わないのよね」


「同感。男も小柳ルミ子や南さおりだとかだから、可愛いけど、歌の方向性がいまいち合わないよ。まあ南さおりは僕的には大好物なんだけどね!」


Miwaはメロンソーダを吹き出した。


「Mituくん、面白い、ところでMituくん、そのギター弾いて歌ってるの?」


「ああ、親にねだって買ってもらったばかりなんだ。コードは一通り憶えたよ少しぎこちないけどね」


「私も同じ。ハイコードがいまいちぎこちないの」


「ハハハハ」


2人はすっかり意気投合した。


「今度、ギター持って家においでよ。アルペジオ教えてくれない?」


「良いけど、僕も練習中だから教えるまでいってないよ」


「いいの、二人でギターの練習しようよ」


二時間程話してから店を出て別れた。


数日後、MituはMiwaの家にいた。


「ここにあるレコード見ていい?」


「お好きにどうぞ」


「へ~。ロックも聴くんだね」


「うん、最初はボブディランだとか洋楽だったのね。でも歌詞が解らないから、だんだん日本のフォークに入れ込んだの」


「解る。僕もそう思ってた。 やっぱりダイレクトで歌詞も味わいたいよね。 英語の字面や・発音だけじゃあ、いまいちだよ。ツェッペリンの天国の階段や・ELP・サイモンとガーファンクルやボブディランなんて特にそう思うんだ」


「Mituくんは感性まで私と似てる、うけるんだけど!」


「本当だね。岡林も良いけど五つの赤い風船も好きなんだよねぇ」


突然Miwaが「今度、私と曲を作ってみない? 私が作詞するからMituくんが作曲ってのはどう?」


「オリジナル・・?」Mituの目が光った。


「うん、いいかもしれないね。僕、作ってみるよ」


「楽しそう、オリジナルなんて考えてもみなかったもん」


Miwaも心が弾んだ。


「アップテンポの曲とバラード調の曲をふたつ作るね」


「うん、ところでどっち先に作るの、詞? 曲?」


「できれば作詞を先にしてほしいな。その詩をイメージして曲作りをしたいんだけど」


「わかった。その代わり、絶対笑わないって約束してほしい、いい?」


「了解。できあがったら学校で渡してくれる? なんか楽しみだな~」


「私もなんか緊張してきた……」


二人は、同じ趣味を語り合える人間と出会った喜びに感動した。


数日後の放課後MiwaはMituに封筒を恥ずかしそうに渡した。


「これ宜しく……」


「ああ、お疲れ…」受け取ったMituもすこし照れていた。


足早に帰宅したMituは部屋に入り封筒を開けた。レポート用紙二枚が入っていた。女の子らしい丸い文字が印象的。


「どれどれ?笹舟とSANGA」



Hisaeは手を止めた。今日はこの辺で勘弁してやる。アタシはもう寝る!ベッドの上で瞑想に入った。

瞑想はHisaeの日課。急にある思いが沸上がってきた。


私が簡単な作詞をするか……それともメールで問い合わせして実際の詞を組み入れるか?


とりあえず本人にメールしてから寝ようっと。メールをしてから寝た。


「Hisaeです。小説は順調に進んでおります。 これから歌詩りに入ります。実際の笹舟はバラード調でSANGAはUPテンポでよかったでしょうか? 


それと作詞は実際のものをリアルに使った方がよいのか?

架空の作詞にした方がよいのか? その場合『私が勝手に作ります』その辺を確認してほしいと思います」 


翌朝PCの電源を入れるとMiwaからメールがあった。


「お気使い、ありがとうございます。メールの件ですが、私が書いた詩を添付いたします。とっても恥ずかしいです。でも、折角の小説、恥を忍んで送ります。 Miwa」



笹舟(バラード調)

今も心に残る

あの日あなたが最後に作ってくれた笹舟

夕日が眩しい川面の中で

あなたは呟いた。

これで最後だねって

私の頬に止めどもなく流れ落ちる涙

もういいの私は決めたの

私は思いをこの笹舟に乗せて

旅立つことにするの


私の思いはずっとあなたと一緒

あなたが逝ったその時から

私はあなたと一緒なの

だから私は旅立つ 

この笹舟に乗ってあなたのもとへ

だから私も旅立つ 

この笹舟に乗ってあなたのもとへ

争いのない理想の街

慈しみのある平和な街


etc


SANGA(UPテンポ)

都会が闇に包まれた時

お前は俺に語りかける

自由の長い旅に出てみよう

束縛のない自由な旅

そこに、お前を狂わす何かがある

そこに、お前を狂わす人が居る

そうさ、お前は旅に出るんだ

そうさ、お前はあるがままに あるがままに

今まで、見つけられなかったお前だけの居場所さ

お前らしく、お前らしく

ジャンプ、今、旅に出よう

ジャンプ、今しかない

ジャンプ、自分に帰ろう


ジャンプ、今、旅に出よう

ジャンプ、今しかない

ジャンプ、自分に帰ろう

etc


Miwaからのメールに詩が添付されていた。


ベタだけど、中学生の少女が書いた詩にしてはけっこういいね! この詩にどんな曲がついたのかな?Hisaeは、曲も聴いてみたい衝動に駆られた。



Mituは読み終わってからひと息ついた。


「これ中学女子の詞?今の日本フォークの連中に通用する詞だよなぁ……」


Mituは、わずかな重圧を感じ曲作りに入った。一週間で完成し、学校でMiwaに報告した。


「出来たよ。でも僕、楽譜に出来ないから……」


「わかったわ。今日、私の家に来られる?」


「うん、了解。掃除当番だから若干遅くなるけど、それに家に戻ってギター取ってからだから四時までには行ける」


「うん、待ってる」


緊張した面持ちの二人だった。


ピンポーン・ピンポーン


「ハイ、どうぞ」


Miwaの部屋に通された。


「なんか緊張するよ」Mituが呟いた。


「私だって緊張してるよ」Miwaが自分の胸に手を当てた。


「じゃぁ、笹舟からいくね」


コードAmから始まるしっとりとした前奏。ギターテクニックはまだまだ荒削りだったが、笹舟が川面に揺らめく様子と、詞の内容のようにどこか淋しげな感じが伝わってくるメロディーライン。


Miwaは拍手した。


「続けるね、SANGA」


曲のはじめはアルペジオでしっとりとバラード調。詩の変わり目からストロークで激しく表現した。


「Mituくん、凄い! 私、感動した。 Mituくんお世辞抜きで作曲の才能あると思う」


「いやぁ、詩の内容がボブディランや岡林風だったから、一時はどうなるかと思ったんだけどなんとか出来たよ」


「私、譜面に起こすからコード進行教えて」


これがMitu&Miwa初の合作であり処女作でもあった。


二人なりにアレンジをして曲は新たに編曲も加わり、素朴でありながら力強さの感じられる曲となった。


二人は、週に二~三日は笹舟とSANGAを練習した。月日が過ぎ自然の成り行きでお互いに意識し合い、交際するようになっていた。


二人は同じ高校に進学した。高校三年の春。MiwaがMituに提案をした。


「ねぇ、オリジナルの中からどれか一曲選んでYAMAPAミュージックコンテストに応募しない?」


その頃には三〇を越えるオリジナル曲が出来上がっていた。


「えっ、あの中島春雪も出たYAMAPAの……?冗談だろ、恥ずかしいよ」


「なんで? 思いで作りでどう……」


「想い出? もうMiwaとの想い出は十分出来てるよ」


「高校生最後のよ」


Miwaに押し切られる形で渋々了承した。


Hisaeは休憩した。


よし、順調と。久しぶりに風呂入るか。


ここは、YAMAPAミュージックコンテストの地区予選会場。2人は「Mitu&Miwa」という名でエントリーした。


曲は2人の処女作「笹舟」を選んだ。


コンテストは同世代から20歳代後半と思われる人達がエントリーしていた。


出番を待つ2人に突然後ろから女性が「ねえ、君達も出るの?私もなの。緊張するよね」


Miwaが応えた「はい、。緊張しまくりです」


「お互い、本選に向けて頑張ろうね」


女は勝手に言って勝手に去っていった。


Mituが言った「あのオバサン、感じワル!」


「次はエントリーナンバー18番、大友祐子。曲名傷心」


Mituが「あっ、さっきのオバサンだ」


「あなたの~燃える背中。だんだん小さくなる」


会場はその曲と歌声に魅了された。


Mituは呟いた「何という出だし。そして歌唱力と雰囲気このオバサンすげっ!」


曲が終わると今までで一番盛大な歓声と拍手。


「なにパワーに飲まれてんのよ。そろそろよ!」強気なMiwaだった。


「Miwa、あんがい冷静だね」


「だってしかたないでしょうが、あの人はあの人なんだから」


「まっ、そうだけど……」


「エントリーナンバー、二二番、Mitu&Miwa曲名笹舟」


アナウンスが流れ2人はステージに立った。


Miwaがマイクに向かった「笹舟、聞いて下さい」


編曲されたイントロは川のせせらぎを感じさせる調べ。アコスティックの繊細な金属音が会場に響いた。


「今も心に残るあの日 あなたが最後に作ってくれた笹舟……」出だしは、Miwaの繊細な声で始まった。曲半ばからMituがハモリを入れ歌い出した。


全体にまとまりのあるアレンジで詩の内容のような繊細さがアコスティックギターの音色で表現され観衆の心に届いた。

会場は大友祐子の時とは違った意味で、拍手と歓声が響きわたった。2人は高校生らしく深々とお辞儀をし楽屋に戻った。


また、後ろからあの声がした「良かったわよ」大友祐子だった。


Miwaが「あ・ありがとうございます」軽くお辞儀をした。


発表の時が来た。


地区予選の2組が全国本選への出場資格をもらえる。選ばれたのは大友祐子とMitu&Miwaだった。


帰りの列車の中で「どうする?」Mituが言った。


「どうするって?」


「本選に出るかってこと?」


「ここまで来たら出るのが当たり前じゃないの。それともMituくんびびってる?もしかして……」


「いや、僕達まだ未成年者だし。親の承諾をもらわないと…」


「いいわ、Mituくんに任せる断るならそれでもいいけど、これはおぼえておいてね、他の落選した人たちに申し訳ないよ。出ないなら初めから申し込みしなきゃよかったのに……」


Miwaは憮然とした態度で沈黙した。


後日、MituがMiwaの両親の了解を得ようと家に訪問していた。


緊張のMituは「お父さん、お母さん。……と言うわけで本選に東京まで行かせて下さい。僕達二人悔いを残したくないんです」


「お願い」Miwaも頭を下げた。


「いい想い出を作って来て下さい。結果に囚われず二人で楽しんで来て下さい。父さんと母さんは応援するよ」


2人は心がスッキリした。



東京武道館「YAMAPAミュージックコンテスト全国大会」


Miwaが「とうとう東京本戦に来たのね……私達」


「ああ、とうとう来てしまったね。最初は冗談で応募したのに、テープ審査二回と地区予選。道大会、そして全国大会。なんかあっという間にここまできたよね」


「ほんとね」


Miwaの後ろから肩を叩く人がいた。振り返るとあの大友祐子だった。


「大友さん、お久しぶりです」Miwaは親しみを込めて挨拶をした。


「とうとう本選まで来たわね『笹舟』あれはいい曲。お互い頑張りましょうね!」


「大友さんこそ『傷心』最高です。ガンバって下さい」


大友祐子は二番目のエントリーだ。堂々たる雰囲気とそれを上回る声量が観衆を引きつけた。 遠くで見ていたMituとMiwaは大友の素人離れしたステージに魅了されていた。


そしてアナウンスが入った「つぎはエントリーナンバー二八番、北海道代表Mitu&Miwa、曲名、笹舟」


会場に拍手が響いた。 


「高校生、ガンバれよ!」


Mituのアコスティックギターの前奏から入った。やはり本選会場は音が桁違いに良い。音楽の神に取り憑かれたように歌った。練習では絶対に出ないギターの音色が二人の心を高揚させた。音そのものを楽しそうに身体で感じていた。

地区予選とは何かが違う? やっぱり本選のパワーは凄い。MituとMiwaはそう感じていた。


そしてコンテストは終わった。


「審査員特別賞」を受賞。


帰省した二人は翌日、双方の家に報告の挨拶に向かった。


Mituが「しばらく会うのよそうよ。今回のことで頭が真っ白になったんだ」


「私も真っ白になってるの。なんか、心にぽっかり穴が開いたようなの……」


お互い連絡を取り合うのを控えた。


ふた月程経った頃学校から帰ったMituを待ち受けていた人間がいた。


「こんにちは、突然ですみません。私はYamapaミュージックの林と申します。先日のコンテストを見まして、君たちとお話しがしてみたくてお邪魔させてもらいました。この後Miwaさんのお宅にも伺う予定です」


「で、ご用件は何でしょうか?」Mituが言った。


「早速ですが、社でも今回の笹舟という曲。非常に評判が良く、レコーディングの話が出ているんですよ」


「はぁ」


「それで、君たちが良ければ我が社で用意したスタジオで本格的に録音してみないかと思いまして来ました」


「レコーディングですか……笹舟を」


突然のことでMituは呆然としてした。


「条件等について詳しくは後日正式にこちらから連絡します。今日は挨拶だけということで、この足でMiwaさんの所にも顔出すつもりです」


「あっ、はい…解りました」同席した母親は急なことで戸惑いを隠せなかった。


「ご主人にもよろしくお伝え下さい。では、今日は失礼いたします」


翌日、久々にMiwaの家で話をした。


「Miwaはどう思う?」


「Mituくんがよければ、私はOKだよ、このまま進学して就職するのもいいけど、自分の好きな音楽で食べていくのもいいかなって思ってる」


「僕も同じ考えだ。万一売れなくて他の道を行くようになったって全然、遠回りとは思えないんだ。やらないで後悔するんだったら、やって後悔したい。たぶん、やったら後悔しないと思うけどね」


「じゃあ、決まりだね。後は未成年だから親の承諾ね」


Miwaの声は弾んでいた。二人の心はコンサート以降穴が開いたままだった。やっとやる気が出て来た。



Hisaeは手を止めた。ここらで何か企んでいたのだった。ここまではとりあえず順風満帆ね。さて、どうしたものか?


その後、二人はデビューを果たし、順調に十年が過ぎた。そして十周年コンサートの打合せをしていた。


アマチュア時代からの担当、林が言った「君たちのデビュー十周年コンサートを全国ツアーという形でやってみないか?どう?」


Mituが「そっかあ、デビューして十年経つのか」


Miwaが「ほんと、あっという間に過ぎたね。がむしゃらに歩んだ十年だった。本当に早かった……」


そんな矢先。Yamapaミュージック倒産の連絡が林から二人にあった。負債総額百億円の倒産。緊急会議が行われた。

役員のひとりである林が二人に説明した。


「今回の件は僕も寝耳に水で、最近の音楽業界はCDが全然、売れなくなっていたらしい。その事は聞かされていたが、倒産の憂き目にあっているとは知らなかったよ、おまけに、経理の山田くんが二億円の横領をしていたらしい。 とりあえず君たちはヒット曲があるから、どこかのレコード会社が拾ってくれると思う。明日から意識を切り替えて頑張って欲しい。 力不足ですまない」


二人は自宅に戻った。


「Miwaはどう考える?」


「まだ三十歳だし多少の蓄えもあるから、わたし子供作ろうかな」


「それもいい考えだね。子作りは早いほうがっていうからね」



そしてMiwaは臨月を迎えた。分娩室に入る前に二人は顔を見合わせアイコンタクトを交わした。


どのくらいの時間が経っただろう、依然、分娩室から産声が聞こえてこない。


Mituは看護師に訪ねた。


「奥さん、がんばってますよ。もうすぐです」


看護師が走り出した。ん?ただ事ではない雰囲気!

Mituにも伝わってきた。


「ご主人さん、先生から緊急にお話があります」


嫌な予感がした。別室に通されたMituが聞いた話しとは。


「ご主人、お子さんの首にへその緒が絡まっていまして危険な状況にあります。このまま帝王切開に切り変えますが、母子共に無事という保証はありません。まんいちの状況も考慮して下さい。全力を尽くします。やむを得ず選択する場合当医院では母親を優先します。ご了承していただけますか?」


「はい、お願いします。妻優先で……」


Mituは初めて「神」に祈った。


「神様!どうかどうか2人を無事生かして下さい」


「おぎゃっ!おぎゃっ!」元気な産声だった。


「生まれたか、妻は?」


「奥さん元気です。無事出産なさいましたよ。頑張りましたよ」


「ありがとうございます。で、妻は?」


「はい、今、処置をしてますからお待ちくださいね。もうすぐ会えますよ」


二人の顔を見るまで安心できないMituであった。三十分後看護師が呼びに来た。


「ご主人さん、お待たせいたしました。こちらへどうぞ」


2人は部屋にいた。


「うん、お疲れさん よく頑張ったね」


Miwaの胸に抱かれていた子は女の子。


「こんにちは、あなたの父親です。初めまして」


三十分程して看護師が病室に来た。


「ご主人さん、奥さんお疲れのようですのでこの辺で」


「あっ、はい」Mituは退室した。


マンションに戻り、名前を考えていたその時、電話のベルが鳴った。


「はい」


「山口さんですか?」


「はい、そうです」


「こちら、西南産婦人科ですが」


「はい、お世話になってます」


「今すぐ病院に来ていただけますか?」


「何かあったのですか?」


「奥さんの出血が止まらず様態が急変し一度、心肺停止したんです。今は蘇生してますが不安定な状態なんです。至急、病院にお戻り下さい」


「はい、解りました」


車の中で「頑張れMiwa!!・頑張れMiwa!!子供がお前の胸に抱かれたがってる。頑張れMiwa!!・頑張れMiwa!!子供がお前の胸に抱かれたがってる。頑張れMiwa!!・頑張れMiwa!!子供がお前の胸に………」何度も何度も繰り返した。


Mituが病院に着いた。


担当医から「ご主人、奥様は今状態は安定してますが、まだ意識が回復しません。できる限り声を掛けてやってください」


「Miwa、Miwa、Miwa」


遠くで赤ん坊が鳴き声を上げた。Miwaの眉が微かに動いた。


Mituが「看護師さん、娘をここへ連れてきてもらえないですか?」


赤ん坊が看護師に抱かれ入ってきた。


Mituが「看護師さん、娘を泣かせて下さい」


医者が頷いた。そして看護師は医者の指示に従った。


赤ん坊は大きな声で泣いた。


一瞬Miwaの眉が動いた。赤ん坊の鳴き声に反応していた。


医者が看護師に指示した「この際、赤ちゃんを大泣きさせなさい。ご主人よろしいですね?」


看護師は「ごめんね」と小声で言った。


赤ちゃんの尻を3回叩いた。


「おぎゃ~ おんぎゃ~ ・おぎゃ~」


Miwaの目から涙が流れた。次の瞬間、Miwaの眉が微かに動いた。そして、手が動いた。何かを探しているようだ。


Mituが「赤ん坊をMiwaに」


泣いている赤ん坊をMiwaの横に寝かせた。確実にMiwaは赤ん坊を捜していた。 Miwaの指と赤ん坊が触れた瞬間、Miwaの目が開き赤ん坊を見た。強い母性本能。

母性本能がMiwaの意識を呼び戻したのだ。


Miwaは「Mituどうしたの? さっき帰ったんじゃ…」


医者は『もう、大丈夫!』と無言でMituに目配せした。


退院の日にはMiwaの両親も来ていた。2週間、Miwaと赤ん坊は里帰りだった。赤ん坊はピリカと命名した。



それから月日が過ぎ、MituとMiwaはデビューして三十七年。一人娘のピリカも二十五歳になり一児の母親になっていた。


母親になってからのMiwaの詞は深みが増した。MituとMiwaは、数多くのヒット曲を世に送り出し、日本音楽業界で揺るぎない地位を確立していた。



その後もMituとMiwaの活動は生涯続いた。


END



よし出来た。


Hisaeはキーボードを叩く手を止めた。早速製本し表紙を付けて送った。


山口美和 様

一通の手紙が添えていた。


この世で1冊だけの本「アーティスト」できあがりました。

Hisae



山口美和からメールが入った。


この度はありがとうございました。作品の内容にとても感動しました。


でも、読んでいて驚いたことがあります。私の出産の描写ですがこの小説と同じだったんです。お話ししていないのに出産シーンが克明に一致している事にビックリです。


そう、私も帝王切開でしかも出血量が多く心停止してるんです。驚きました……


思い描いていた世界がそこにこの本の中にあるんです。とっても感激してます。ありがとうございました。


追伸

主人のMituは昨年、心筋梗塞で他界しました。


息を引き取る前「僕達、あのまま歌い続けてたらどうなったかなぁ。今度、生まれ変わったら本当に音楽で飯を食っていこう」と話していました。


その言葉が頭から離れず今回は小説の中ですが、主人の意向に沿った人生にしたく、お願いいたした次第です。

この小説は主人へのレクイエムでもあるんです。


本当にありがとうございました。                         


山口美和


END


4「妖精ミミ」


「最近、暇よね・・・ここのとこ仕事の依頼が無いのよね?この美貌だしホステスでもしようかな……」


そう、最近は仕事の依頼が入っていない。


ぼ~と宙を眺めていた時だった。クローゼットの下に何やら影が動いた。ネズミ?まさかね…あっ?ゲゲッ……

手のひら大の子人さんと思われる姿があった。


ゲゲッ、ゲゲッ!妖精?Hisaeは言葉を失った。その人影はHisaeに軽くお辞儀をして話かけてきた。 


「こんにちは…」


Hisaeも恐る恐る「こんにちは…あんた誰?」


「ミミ」


「ミミちゃん?私はHisaeだけど…」


「ワタシHisaeさん知ってます」


「あっそう、なんで?そしてなしてここにいるの?」


「私にも小説書いてもらえますか?」


「小説?書けるけどあんた小さいのに本を手で持って読めるの?」単純な質問であった。


「Hisaeさんが読んで下さいナ」


「良いけど、ミミちゃんはお金持ってるの?」


「これじゃあ駄目ナ?」


ミミは小さな手を差し出した。手の中にあったのは透明な石。


「何にこれ?」


「この石は不思議な石なのナ」


「どう不思議なの?」


「これを持ってると動物と話が出来るナ」


「嘘でしょ…マジ?」


「じゃあこれを持ってベランダに出てみるナ。意識を鳥に集中させるナ。やってみてナ」


Hisaeは云われたとおり、ベランダに出て試すことにした。電線に止まっている数羽のスズメに意識を向けた。


「今日は暑いね」


「今日、もっと暑くなる」


「夕方はハヤブサに気をつけなさいよ」


「解った母さん」


解る、スズメが会話してる。


ミミのほうを振り返り「こんな大事なものもらえないわよ」


「いいです。私は無くても話が出来るナ」


「そう…で、どんな小説書いて欲しいの?……その前にあんた餅食べる?」


「はい、Hisaeさんドングリ食べるナ?」


「ドングリいらねぇ」


「さっき採ってきた新鮮なドングリですナ」


「だからいらねぇし」


「綺麗になりますよ」


「?……本当に、どれ、ひとつちょうだい」


「どうぞ」ミミは差し出した。


「しぶッ」


「で、ミミさんはどんな小説書いてほしいの?」


「で、へ、へ、へ、へ」


「なに!気持ちわる」


「私は北キツネのヤーが好きなんです。でも、立場が違うからってミルキー婆さんが反対するんだ。 私はしきたりに反対できないから、せめて小説だけでもいいから夫婦になりたナ……」


「そっか…でも 、夫婦になって子供が出来てそれでどうするのよ?」


「とにかく一緒に居たいの・・・」


「一緒にいればいいじゃない・別に結婚しなくてもいいジャン」


「うっ…うううっ……」ミミは泣きそうになった。


「泣くな!」


「ハイ」


すぐ泣きやんだ「はやっ……」


Hisaeが呆れたように「まあ小説考えるけどこの石は普通にそこら辺に落ちてるのかい?」


「これはミミの先祖から伝わるお宝!らしいナ」


「そんな大事なもの持ち出して、私にくれて良いのかい?」


「だってみんな動物と話が出来るから必要ないもん」


「必要ないってさあ……家宝でしょが?」


「ミミはヤーのほうが宝」


Hisaeは内心「めんどうくせ~」と思った。


「解った。じゃあ私の話し聞いてくれる? まず、その石は受け取れません。大事に持って帰って元の所に置いてください。無料で小説書きますから」


「それと、ミミちゃんがキツネになるの?キツネが妖精になるの?どっちがいい?」


「何それ?……ナ」


Hisaeは怒りを抑えた「キツネと妖精は違うでしょ?キツネはこの位の大きさでミミちゃんはこの位でしょ?」


「違うのら、意識だけだから身体関係ないのら」


「あのねぇ、結婚というのは一心同体といって、お互いの心と体がひとつになるという事なの。それが人間世界でいう結婚なのね」


ミミが下を向いて「ミミは身体無いから」


「じゃあ聞いていい?ミミちゃんの結婚ってどういう事なの?」


「……?」


「もう一度考えてからきなね。いつでも書いてあげるから」


「わたし何でここに来たんだろうナ?」ミミは突然消えた。


「今のなに?……寝る」



END






5「大工の棟梁リンさん」


メールが届いていた。問い合わせであった。


「初めまして私は六〇歳になる普通の主婦です。私の主人は長年建築の仕事を営んできましたが、今年で引退すると言い始めました。


私が「まだ六〇歳なんだから辞めるのは早いのでは?」と言ったところ「住宅を扱うのはもう飽きた」とのこたえでした。


私は黙って受け入れました。でも、主人が現役中に話したことを、解らないながらもずっと聞いてきました。私は建築って面白いと思いながら聞いてまいりました。 その主人の話を何らかの形にしておきたいと思っていたところに、Hisaeさんのブログを拝見しました。


私は、主人の話を形にできるのはこれだ!と思いHisaeさんにメールした次第です。

制作してほしい内容は、長年聞き覚えてきた「大工の裏話」的な話を一冊の本にまとめてほしいと思います。


口べたで人付き合いの下手な主人に、最後の仕事から帰っていつものように風呂に入り、そして晩酌という時、食卓に『長年ご苦労様でした』と本にメモを添えてプレゼントしたいのです。


私の感謝の気持ちを形にしたいと思いHisae様にメールしました。是非、お考え下さいませ。  

林 奈美



大工さんか?奥さんから仕事のエピソードをもらえるなら引き受けるか……Hisaeは承諾メールを返信した。


奈美さんからメールが入った。

早速の返信ありがとうございます。主人の最後の現場があと一ヶ月程で竣工だそうです。


仕事の内容は………以上、私が主人から聞いた事をまとめてみました。わからない事がありましたら遠慮なくメール下さいませ。  林 奈美


Hisaeは構想を練った。建築関係は初めてだった。まして、送られた内容が非常にリアルだったので気を引きしめた。



あらすじ

これは大工の棟梁リンさんの物語。


リンさんは無骨だが仕事に関しては実直で堅い性格。昭和を絵に描いたような頑固一徹の大工さん。 その背景にはいつも小森の棟梁という師匠の教訓があった。

ある時は、ただ同然で請負い奥さんを困らせることも、人助けと自腹を切ってまで手がけた仕事などなど。損得よりも、自分の心に従った仕事をする。そんな大工の棟梁の物語。


彼を知る人は親しみを込めてリンさんと呼んだ。これから始まる物語はそんな大工の棟梁リンさんの半生にスポットを当てたものがたり。

 


ここは、札幌市内の住宅地にある一戸建ての現場。


「リンさん、すまんけど」


「なんだい! 岩さん」


「この床のレベル出してくんねえかな……?」


「あいよっ!」


リンさんは腰袋からスケールを取り出し計測をし、水平機を当てレベル出しをした。


「リンさん、ありがとうね、相変らず速くて正確だね。やっぱリンさんの仕事は気持ちいいやねぇ」


「馬鹿云うな。こんなもん誰だってできらあな。俺の若い頃は水管で叩き込まれたもんだ……」


リンさんの脳裏には遠い昔の想い出が過ぎった。



「おい、ハヤシ(リンさんの本名)」


「へい」


「ヘイじゃねえよ、ハイだろうが」


「ヘイ、すいません」


「またヘイ!おめえは何度教えても解かんねえ奴だなあ」


「すみません」


「今日は、おめえにレベルの採り方教えるから、しっかり憶えろや!いいか、1回しか教えねえ。耳の穴かっぽじって聞くんだぞ。 その前にバケツに半分ぐらい水入れもっててこい」


「はい」


リンさん、十八歳の事だった。大工さんの世界では技術の無い下っ端を「手元」と呼んだ。今でいうパシリ、つまり使いっ走りである。リンさんがまだ手元の頃話し。


「わかたったか?」


「ハイ、でも……なんで水管使うんですか?」


「地球の重力は一定なんだ。この管の水の先端の位置とバケツの水位は同じ高さになるんだ。その先端の位置に印を付けておくと自ずからこの印がガイド(基準)になる」


「何でも基準が必要なんだ。家を建てるんでも、人生だってそうだ。自分がどうなりたいか基準ってえものがないと迷うことになるぞ。

人生の方向性の基準だ。あの広い海に出たって羅針盤ってのがあるから迷わずに航海ができる。その昔は星が基準だ。

その基準があるから自分を見失わない。憶えておきな」


「へい」


小森棟梁の話は建築の事に例えて人生をも教えてくれた。リンがもっとも尊敬し信頼する棟梁だった。


「リンさん、また目が宙に飛んでるぞ」仲間の大工達は笑った。リンは考え出すと手が止まる癖があった。


「リンさん、リンさん」


「あっ、また止まってたか?」


「止まってた・・今日は五分ほど」


大工仲間は全員笑った。



リンが結婚したのは二十五歳。妻の奈美と知り合ったのは大工仲間の紹介。 初めてのデートはススキノのディスコ「釈迦曼荼羅」リンの踊りは一風変わっていた。 金槌で釘を打つ格好やカンナがけの様子が踊りの中に入っていた。


奈美さんやまわりの人を楽しませた。その後、交際を重ねて結婚。自分で工務店を独立したのは四十二歳の時。棟梁の小森が亡くなったのを期に独立した。


決して順調な滑り出しではなかった。経費を払って終わり。給与は無しという月もあった。そういう月に限って、小森棟梁の話が思い出された。


「いいかリン、家の形を見たらその家の主人の人柄がわかるんだ」


「……どういう事ですか?」


「単純明快な人が好む家は、凹凸が少なく四角形の単純形が多い。複雑な形は変くつでこだわりの多い人が好む」


「思い起こせばたしかにそうです」


「だろう」


「これは誰でもわかることだが、家の周りが整理されてない家、手を掛けてない家は、子だくさんか借家が多い」


「なるほどです」リンは納得した。


「家の廻りが整頓されていて、植木や花の手入れのしてある家は、年寄りか生活にゆとりのある人が多い」


「小森棟梁は分析力あるんですね」


「分析でもなんでもねえ単なる経験だ! おめえもそのうちわかるよ。 俺の見立てでは、全てに几帳面で家だけ乱雑ってな人間はいねえ」


「家庭も仕事も繋がってるんだ。リンも将来家を持ったら几帳面に手入れしろよ。家は人間を表わす」


「よく大工の家は汚いって云うけど、そういう奴らは本当の大工じゃねえ。ぶっつけ大工てんだ。リンはそうなるなよ憶えとけ……」


「はい!」


「どうせ、大工になるなら本物の大工になんな、いいなリン。経営や数字の為の大工になるなよ」


「まあ、どちらを選でもそれはリンの勝手だがな……」


小森の棟梁には色々な事を教わった。


「仕事に馴れるなよ! 馴れはそれ以上にはなれねえ。そこで止まってしまう。これでよしと思ったらそれまでだ……

限界を設けるな! 大工にも大きく2通りある。 今がよければよしとそるそんな工事する大工と。 十年いやその先を見越した工事をする大工がいる。表向き一応どちらも大工だ。


どちらを選ぶんでも勝手だが、俺らは客の財産をいじってるんだ……忘れるなよ。財産は長く価値が変わらねえ、だから財産なんだ。数年で変わるような物は財産とはいえねえ」


リンは技術以外のメンタルな教えにも共感していた。言葉で言い尽くせない程いろんな事を小森から教わった。 自分の会社も小森棟梁に見習い経営したいと頑張ってきた。


ただ、小森棟梁には言葉に癖があった。青森出身のため訛りが激しく聞き取れない言葉も多くあった。


「へだりにこれを打ち込め」


「……棟梁へだりってなんですか?」


「へだりはへだりだべ。右、へだりのへだりだべ。馬鹿たれが!」


「あっはい……」


「リン、釘っこさ、わんつかよこへ」


リンは頭の中で言葉を整理した「釘っこ。くぎだよな。わんつか……わずか?少し。つまり釘を少しよこせか」


棟梁の言葉を頭の中で通訳するのだった。


リンが旅行で棟梁と青森のねぶた祭りを見に行った時。青森弁を違和感なく理解できる自分が不思議だった。



Hisaeはひと息ついた。


う~ん。このままでは面白さが乏しいなぁ。 これだと、なんの変哲もないただの生真面目なリンさんの自叙伝だよな…なんか盛り上がりに欠ける……


物わかりの良い、ただの大工の棟梁。 浮気? 倒産? 建築ミス? 特許……


Hisaeは奥さんからのメールを再度読み返した。 フムフム……なるほど、とりあえず今日は寝よう。


Hisaeは翌日の昼まで寝ていた。


あ~~寝た寝た。 いつもならコーヒーを飲んでキーボードに向かうのが日課。 今日はなにを思いついたのか、コーヒーを飲まずPCの前に座った。


リンは「熱の力学」に注目した。


熱は暖かい方から冷たい方へ移動。 暖気は上で冷気は下。地下熱は南極も赤道直下でも、地球何処でも一定の十五度。

これを効率よく利用出来たら、エネルギー問題を多少緩和か? 雪はゼロ度以上で融ける、道路の路盤温度をゼロ度にするには……呼び水、呼び暖気?解った。これがあれば、農家さんの夏冬のハウス内の冷気や暖気問題が多少緩和されるはず。 製品は特許を申請し瞬く間に世に広がった。


「ハヤシ空調システム」が農家で話題になっていた。 本人が考える以上に反響を呼び、瞬く間にハヤシ空調システムは農家に広まった。 特に冬場は、ビニールハウス内でストーブを点けっぱなしの、花農家には省エネと、開花の時期を調整できるとあって好評をよんだ。


多少の小銭が貯まったリンは六十歳を迎え引退した。 残りの人生を愛車NOAHをキャンピングカーに改装し、夫婦で全国の行脚の旅に出た。


リンさん六十二歳であった。

END



Hisaeはメールした。


さっそく製本し、この世で一冊の本「大工の棟梁リンさん」を送った。


早速メールが返信された。


「ありがとうございました。最後の仕事終いに間に合います。私の思っていた通りの出来にビックリしてます。主人に喜んでもらえると思います。にが笑いする顔が思い浮かばれます。

ありがとうございます。

林 奈美



間に合ってよかった。Hisaeはほっとした。

晃平のところでも髪切りに行こうかなあ?



END






6「ミルキー」


Hisaeが外出から戻り、PCを開くと着信があった。


Hisae様


最近、十三年間飼った愛犬のミルキーが他界しました。 ミルキーが人間の意識をもったシチュエーションで書いていただけないでしょうか?

犬宮


犬が人間の意識か? うん面白いこれのった。


「お引き受けしたいと思います。希望のストーリーがありましたら教えて下さい。それと犬宮さんの家族構成とミルキーから見た順位を聞かせて下さい」


返信が来た。ありがとうございます。家族は四人家族、長男と二男とその彼女です。


順位は、主人、母親、二男の彼女、ミルキー、最後は同格で息子二人。好きな食べ物人間の食べるものと犬用ジャーキー。

犬宮



Hisaeは思った。犬の目線か……面白い取り組み、早速執筆に取りかかった。



「ミルキー」


私がこの家にきたのは十三年前の秋。ペットショップのペンペンで私は売られてたの。 確か十一万円ほどで安売りセール期間中とかなんとか。この私が安売りされてたのよ。失礼だと思わない?


で、そのペットショップに来たのが、犬宮家のお父さんとお母さん。 おなじケージにもう一匹オスのヨーキーがいたの、  

こいつがまたせわしないの、だから誰でもいいから私をここから解放してほしかったの。


そしたら二人が来たの。 そう私が世話になる家のお父さんとお母さん。連れてってほしいと心で叫んだの、そしたらお父さんがキャッチしてくれたみたい。私をジ~と見てくれた。


店のお姉さんにわたし念を送ったの「私をこのおっさん達に抱っこさせろ」ってね……


そしたら、あの店員ったら、もう一匹のヨーキーの説明しだしたのよ。 でも、さすがお父さん、その犬には興味示さなかったの。 この時とばかりお父さんの顔をじ~っと見つめて念を送ったの、「私を抱っこして! 連れてって」ってね、

そしたらお母さんが「こっちの犬は?」って。


お姉さんがお母さんに言ったのよ「この犬はおとなしくて、無駄吠えもしないですよ。抱っこしませんか」


「抱っこ」これがお姉さん、いや、お店の殺し文句なのよね。


私、店で観察して知ってるの、抱っこした人は皆「可愛いい」とかなんとか言って飼う率が高いの。これって店の作戦よ!


お母さんに抱かれた瞬間、私、思ったの「やりっ!」ってね。

案の定私は飼れたの犬宮家に。私はこの家に来てすぐに馴染んだ振りしたの…こうみえて私って演技派だから。


瞬間この家の主導権はいただきと思った。なんせ、人の良さそうなお馬鹿夫婦なのよ。


初めて来た日の夜だったわ、初日からお母さんは私をケージに閉じこめ、自分たちはさっさとお布団で寝ようとしたのよ。 信じられないでしょ。だから「ふざけるなーって」鳴いてやったわよ。 マンション中に響くように……はは


そしたらお母さんすぐ、ケージに連れに来て、そのまま布団に入れたの。簡単、案外この夫婦単純かもね……


お父さんの方はブツブツなんか言ってたけど、私、無視してやった 。ざ

けんじゃないわよ私を犬扱いして……


お馬鹿な息子は二人とも揃って「○○でちゅ」だって、まったく私は人間の赤ん坊じゃねえし…


長男なんて、私が足のパットを舐めてくつろいでいたら、自分の汚いヘソを出してたの。だから舐めてやったの。そして思い切りヘソに菌を入れてやったわ。そしたらヘソが異常に腫れて病院送り。 笑っちゃった……。


そうだ。そのうち二男に彼女が出来て、家に来るようになったのよね。それがまた体も大きいけど、態度もでかいのよ。


で「ミルキーおいで!」って言われると、どういう訳か「ハイ!」って付いて行っちゃうのよね。彼女は魔法使い?

なんかくっついていっちゃうのよ! あとでそんな自分にむかつくんだけどね。


でも、人間なんて案外単純。 シッポ振って喜んだ振りすると人間もすぐ機嫌が良くなるの。 小さいしっぽでも振ってやると何でもしてくれるのよ。交渉ごとは簡単。


お母さんは台所にいることが多いのよね、だから足下で上目遣いに様子を伺うと「何にか食べたいの?」って向こうから聞いてくるの。こっちはなんにも言ってないのにね。

だから「ワン」って吠えるの、そしたら必ずなんかくれるのよ、単純でしょ。お父さんはなんにもしない人間だから、私が眠い時には最高。 あのだらしない腹が私の枕代か布団代わりなの。 それが暖かくて気持ちがいいの、私一枚毛だから冷え性なの。人肌がちょうどいい……


「天敵いるかって?」


私にも天敵はいるわよ。 たまに遊びに来る蛯子のアクビ。あの犬は無神経女だから苦手なのよ、コナちゃんは無害だけどね。そんな私も十歳過ぎたころから体がしんどくなってきたのよ。 年に2回程発作も経験したわ。そん時は死ぬかと思ったわよ。年のせいか耳も聞こえなくなってきたし、目もかすむようになったの。


でも、この家に来て心の底から良かったと思ってる。 みんな優しいのよね…… 食べ物にも不自由しないし、因みにアクビとコナは味けのないドッグフードだけよ。私だったら絶えられないわね。


あっ、長男が学校から帰ってきた。


「ミルキーただいま。待ってたの?」


「私、待ってネェし。用事もネェし……」


「ど~れ」息子は顔を寄せてきた。


「こっち来るな。来るな。いやだ。噛みつくぞ、こら!」


「うれしいの?どーれ」


「勘違いするなってば、嬉しくないし。ハッキリいって嫌だ」


「ミルキーなんか食べる?」


「食べる、食べる、食べる。なんかちょうだい」


私、自分で自覚してるんだけど「食べる?」という言葉に弱いのよね……恥ずかしいけど。


たまに「ミルキーを甘やかしたら駄目でしょ」母親が息子に言うのよ。


「なにそれ?おばんうるさい……ウザイから黙ってろ!」


母親が息子に「ミルキーがこれ以上、太ったらどうすんの?」


「身体のこというな。母さんあんたもなかなかのものよっ! 

そんなことより太ってもいいから……なんかちょうだい」


「ミルキー駄目!」


「お母さん。あんた、うざいんですけど……ウザッ! 噛みついてやるからね。シッコも廊下で垂れてやるからね、私、知らないから…」


「ミルキーあっち行きなさい。しっ」


お母さん、今にみてなさいね。私、あんたより上にいってやるから。 寝よっと。お父さんは何処……? あっちの部屋? いた。お父さんと寝る。だっこして!」


「ミルキーおいで」


「お父さん、とりあえず舐めてやろう」


ミルキーは犬宮家の人間関係において、親子関係を取り持つ潤滑油のような存在。 子供にとってミルキーは兄弟でありわがままな妹でもあった。


当のミルキーは、息子2人は目下の存在でしかなかった。 家では我が物顔で振る舞い、外では借りてきた猫のように誰かに寄り添っていた。 その辺のプライドやポリシーは欠落していた。


私は外面がいいのよ。おとなしくしてると「まあ、お利口さんね」だって!


ちゃんちゃら可笑しいわよね、人間って案外単純かも……


人間との付き合い方を覚えたらあとは簡単。幾つかのパターンを使い分ければいいの。


トイプードルのアクビはその辺がまだ全然解ってないのよ。だから考えすぎて毛が抜けるの……アタシの目から見ると、まだまだ甘ちゃん。


そこ行くと同じ犬種のコナは、面倒くさいこと全然考えてないから気楽なもん。ある意味、悟ってるよあの娘。


年に数回、お父さんの実家にコナとアクビと私が一緒に泊まるのね。3人でお互いの近況報告するの。


いつも、アクビは愚痴ばかり言うのね。あの娘、ストレス多いみたい。


コナが言ってたの「家に赤ちゃんが来たの。だから私は上ばかり見てるから首が凝って疲れるの」って。


そう云うから「肩もみして上げようか?」って言ってあげたのね。


そしたらコナったら「いいの、私、他人に頼らないから」だって……意味、分かんないでしょ。


腹立つたから「じゃあ話すな」って言ってやったわ。そしたら話題を急に変えて今度はアクビが聞いてくるのよ。


「ミルキーの食べ物って人間と同じ物でしょ、美味しいの?」


今、そんな話題じゃないでしょ、この二匹は何なのよ? アクビの神経も解らない。 でも私はお姉さんだし大人。答えたわよ。


彼女らの事情は知ってるから「人間の食事って美味しくないよ」って答ええたの。


本当は私があんた達に聞きたいわよ「そんなんで飽きない?」ってね。


話変わるけど。この前コナに会った時、彼女が「ミルキー最近どう?」って聞いてきたのよね。


コナってやることも変わってるけど、言うことも変わってるの。


「相変わらずだけど」って言ったの。


そしたらあの娘ったら「ミルキーって毛の艶がなくて苦労してそうだから、大丈夫かなって思って……」あいつ、この私にそんな口聞いたのよ。


いくら温厚な私でもむかついたの。

だから言ってやった「コナこそ腰疲れてないの? 内股でばっかり歩いて……」ってね。


そしたらあいつ「ミルキーこそ、太ってるから足腰痛そうね」


そう言うのよ、私、もういやっ。最近の私は犬付き合いが面倒くさいの。



ある時突然ミルキーは自分の死期が来たことを悟った。


みんなありがとうね。そろそろ私は他界するわ。

その時がせまってきたよう。


本当にありがとうございました。

みんなのこと忘れませんから。


悲しまないでちょうだい。

わたし幸せでした。じゃあね。


ミルキー13歳1月2日の事だった。


END


犬の目線ってこんな感じ?製本して送った。


感動しました。この本はあの子そのものです。ありがとうございました。



Hisaeは久々に朝早く起きた。急に散歩がしたくなり近くの公園に向かった。


公園近くで青年とすれ違い、その後でその青年が「ねえオバサン」と声をかけてきた。


無視して歩いていると「オバサン」とまた声がした。


誰のことかとその声のする方を振り返った。高校生くらいのその若者がHisaeの方を見ている。知らない青年だったけど、一応こっちを見ていたので


「私?」と自分を指さした。


青年は軽く頷いた。次の瞬間、腹が立ったので「なに!」って語気を荒げて言ってやったのよ。


そしたらその青年「チャック、チャック」って言うのよ。そう、ジーパンの前が開いていたのね。


自分が恥ずかしくってその日は立ち直れなかったわ。なんでこんなこと話したかって?


前触れが長くなったけど、その事があった日の夕方、これから話す小説の依頼があったの。思い出に残る依頼の一つなの……


END






7「ピュアマインド」


Hisaeのもとに依頼のメールがあった。


Hisae様


初めてメールいたします。今から話す内容の小説をお願いしたくメールいたします。


それは私の兄の話です。 兄は中学校卒業直前に他界しました。


昭和三十二年にこの世に誕生し十五歳で他界するまでの短い生涯でした。


兄は自閉症という障害を持って生まれました。何故この世に生まれる必要があったのかと思う程、純粋な魂の持ち主だと、今でも私は思っています。


我が早乙女一族に兄という人間が存在した証しを、本として残したくメールしてみました。


兄は昭和三十二年、早乙女家の二男として生まれました。長男の兄と妹の私の三人兄弟です。


兄は自閉症でその頃の自閉症児は今と違い閉鎖された環境で育ちました。身体的障害はありませんでした。


兄は自分から主張することをせず、性格はいたって温厚、誰からも好かれたように思います。


そんな兄にはある特技がありました。それは点描画です。兄が点で描く世界は見た人は誰もが圧倒されるほど、類い希な才能がありました。特に宇宙の絵は傑作です。


そんな兄の短い生涯を小説として書いてほしいのです。それを早乙女家に代々伝え残したいなと思いメールいたしました。

早乙女まみ


Hisaeは返信した。


メール拝見しました。私がお役に立てること光栄に思います。是非、私に執筆させて下さい。


執筆にあたって雅之さんの点描画をよろしければ拝見したいと思っております。よりリアルに作品を仕上げたいと考えます。

Hisae


後日、雅之の届いた絵をみてHisaeは驚愕した。 

その絵は予想以上の仕上がりと完成度の高さに驚いた。同時にHisaeは事の重大さを感じた。           



「ピュア・マインド」


 早乙女雅之は、昭和三十二年、東京都三鷹市井の頭に、早乙女家の次男として生まれた。


人は彼をマーくんと親しみを込めて呼んだ。マーくんは小学2年までは普通学級で過ごしたが、自閉症の為小学三年から中学の三年までを養護学級で過ごした。


マーくんは自分から主張することが苦手。 口癖は「いいよ」だった。マーくんの人柄を表わす的確な表現。


子供の頃からノートに鉛筆で絵を描くのが大好きで、暇な時はひたすら絵を描いて過ごした。


絵の題材には決まりが無く、写実的であったり空想画であったりと自由だった。そんな早乙女雅之、通称マーくんの物語。


マーくんは三鷹市立の中学校に入学した。


「私は中の島みゆきといいます。今日から君達のクラスを受け持ちます。 楽しい学校生活にしましょう。よろしくお願いいいたします」


クラスは一年から三年までの合同。


「それでは一年生から順番に自己紹介してみましょう」


マーくんは一番目の挨拶だった。


「早乙女くんどうぞ」


「マーくんです。以上……」


「マーくん早いねぇ!もういいの?」


「いい」


「そっか。はい、早乙女雅之くんです。みんな宜しくね」


クラスの先輩が言った。


「先生にいわしてる面白い一年生……先生ちゃんと自分で、自分で」


「そうね、つい私がいっちゃった。先生、バッテンだね」

みんな笑った。


数日過ぎるとマーくんはみんなと馴染んでいた。同じ小学校から来た顔見知りの先輩が多いので、馴染むのに時間は要しなかった。


「マーくんは小学校の時からずっと絵を書いてるの?」

先輩の国男が聞いてきた。


「うん。書いてます」


「マーくんの絵って写真みたいだね。上手になりましたね。みゆき先生マーくんの絵見て」


「どうれ。マーくんは何を書いてるのかな? 先生にも見せてちょうだい」


みゆき先生は絵を見て呆然とした。マーくんの絵は写真のような写実的な絵でしかも点描画だった。それも緻密に書かれており、点だけで陰などの濃淡やその他細部まで上手に描かれていた。


「マーくん、他にもあるの?このノートもっと見せてくれる?」


マーくんはサバン症候群だった。


「マーくんすごい上手だね。この絵はなにを書いたのかな?」ミケランジェロの絵のようなタッチだった。


「夢。楽しかった。とっても綺麗だった」


「マーくん、綺麗な夢見るのね…いいな、先生もこんな夢見てみたいなぁ」


職員室に戻ったみゆき先生は、美術の美神先生にマーくんの話を聞かせた。


「明日、美術の時間があるから、その時に見せてもらいます。なんかワクワクしちゃいます。サバンはテレビでは見ますが、実際にこの目で見たことありませんから」


当時、障害者へスポットが当たることはなかった。


翌日「一年生の皆さん、初めまして、私は美術の美神淳子です。宜しくお願いします」


「一年生は先生に挨拶して下さい」


「マーくんです。以上」


全員が笑った。


「また、自分のことマーくんっていってる」


美神が「マーくん、後で先生に絵を見せて下さいね」


「今日は、自分の手を好きなように書いてみて下さい」


美神はマーくんの側に寄り「自分の好きな描き方で描いて良いのよ」


側にあったスケッチブックを見て「マーくん、これ見せてもらっていいかしら?」


「は、はい、どうぞ」


そこにあったのは黒い点だけで描かれた世界だった。瞬間すごい!まさしくこの絵は天性の才能ね。これがサバンの世界観か……この夢の世界のような構図、たしかこの子達はアドリブが効かないっていわれてるけど、これは完璧なオリジナル。我々に視えない何かを視ているのかもしれない……


美神は常識に縛られている自分が恥ずかしく思えた。


1年の初夏マーくんは風疹にかかり、三十九度の熱が三日間続いた。 マーくんは自分に何が起こっているのか理解できなかった。四日目の朝、母親が額に手を当てると熱は下がっていた。慌てて体温計で測ってみると三十六.五度と平熱に戻っていた。母親は胸をなで下ろした。


「お母さん、お母さん、ノートと鉛筆下さい」


「ハイ、わかりました。でも今日は寝てなさいよ。学校はお休みです。わかりましたか?」


「ノートと鉛筆、ノートと鉛筆」


「ハイ、ハイ、わかりました。何度もいわないの」


マーくんは何かに取り憑かれたかのようにノートに点を描きはじめた。2時間ほどして母親がマーくんの部屋に入ってきた。マーくんの絵を見て驚いた。


その点描画は宇宙に浮かぶ大日如来の絵。もう一枚の絵は、聖母マリアに抱かれた赤ちゃんのキリスト絵だった。


「マーくん、どうしてこの絵書いたのですか? なにを見て書いたの?」


「夢です」


「マーくん、こんな夢見てたの?」


マーくんは点を描きながら答えた。


「うん。まだ、たくさん見たよ」


「お母さん楽しみ。もっとたくさん書いて下さい。でも、今は体力が無いからゆっくり書いて下さいね」


「体力ってなんですか?」


「体を動かすパワーよ」


「はい」気の無い返事を返しながら点を打ち続けていた。


昼ご飯を運んできた時には、部屋に数枚の絵が散らばっていた。その絵を眺めていた母親の視線が止まった。 マーくんの作風が明らかに今までとは違っていた。


「ねえ、マーくん。どうしてこんな絵書いたの?教えてちょうだい」


「夢です」


「マーくん、面白い夢見たのね」母親が手に持っていた絵は総て抽象画だった。


翌日、学校の廊下を歩いているマーくんの姿があった。正面から廊下を走ってくる生徒がいた。マーくんに接触し二人は倒れた。


「なんだお前、そんな所に突っ立てるんじゃねえよ」完全な言い掛かりであった。


事情のわからないマーくんは「す、すみません」と素直に謝った。


「すみませんじゃねえだろ…コラッ!エッ!」


「す、すみません」マーくんは怖くて謝った。


謝ってるマーくんに攻め寄った。次の瞬間、マーくんの腹に膝蹴りをした。


マーくんはその場にうずくまった。


「う~。う~」


「気をつけろ!バーカ」その生徒は走り去った。


怯えたマーくんは動けなくなっていた。その場を通りかかった同じクラスの利幸が「マーくん、どうしたの?」


「お腹を、足で蹴られました」と震えていた。


「行こう」肩を支えてマーくんをクラスに連れ戻った。


その日からその生徒によるマーくんへのいじめが始まった。生徒の名前はエイジという札付きのワル。 数日後、帰り道の途中で後ろから付けてきたエイジがマーくんの後ろから声を掛けてきた。


「おう、お前、名前は?」


マーくんは振り向いてビックリした。瞬間この前の悪夢が蘇ってきた。


「す、すみませんです、す、すみませんです」


「おい、俺なんにもやってねえだろが、俺に言い掛かりでもつけてんのか?」


「す、すみません」


「何にもしねえからチョットこっちにこい……」


「す、すみません」


エイジはマーくんの腕を強引に捕まえ、コンビニに入った。陳列してあるチョコと菓子を、廻りを確認してからマーくんのカバンに入れた。 支払いをせずそのまま店を出て、公園のベンチに座らせた。


「おい、よこせ」エイジは盗んだ物を手に取り。


「こんな物、盗んで駄目だろうが……」


「ぼ、ぼ、ぼく」


「お前を警察に連れて行こうか? お母さん泣くぞ! お前の代わりにお前の母さんが警察に逮捕されるぞ」


「だだ駄目です。ゆ、ゆ許して下さい。 ゆ、ゆ許して下さい」


マーくんは完全にパニックになった。


「わかった。言わねえよ。その代わりこれからは俺の言うこと聞けよ。 解わかったか?」


「わかりました」


「今日は帰っていい、絶対、誰にも言うなよ。 誰かに言ったらすぐ警察だぞ! おまえの母さん逮捕だぞわかるな!」


「はい、言いません」


その後、このような行為は数度繰り返された。異変に気付いた母親が問いただした。


「マーくん、あなた最近何か嫌なことありましたか?」


「あ、あ、あ、ありません。言いません」


「何があったの?」


「知りません」両手で耳をふさいだ。


母親はみゆき先生に相談した。 みゆきも仲の良い美術の美神に相談した。マーくんの理解者だった。


淳子は「マーくん、最近怖いことあったでしょ?それを絵に描いてくれない? 先生が退治してあげます」


マーくんは万引きの様子やエイジの顔など数点に渡って描いた。 美神は驚いて直ぐみゆきに報告した。


「みゆき先生、この絵どう思います?」


「あっ、この生徒は三年A組の山田栄二。きっと何かあるわね?」


「しばらく下校途中、私マーくんを尾行してみましょうか」


みゆきが言った「そうね、お願いできる?」



そして、その日がきた。淳子は三十メートルほど離れて歩いた。 突然、マーくんの後ろに人影が現われた。あの絵の人物の山田栄二だった。


「おいマーくん、今日も遊ぼうぜ」


「あっ、はい……」


「今日は何処へ行く? 何か欲しい物あるか?」


「………」


「まぁ、いいか。俺についてこい」


二人は本屋に入った。淳子は柱の陰から二人を見ていた。

店員がいないのをエイジが確認し、そして週刊誌を取り、マーくんのカバンに入れた。 急ぎ足で2人はレジの反対側から店を出た。


「待ちなさい!」淳子は声を掛けた。


エイジは一目散に逃げた。


マーくんはその場に立っていた。


「マーくん、何やってるの?」淳子はカバンから雑誌を取り出し店に詫びを入れた。


「マーくん、チョット来なさい」


マーくんなりに悪いことをしているという自覚はあった。


「警察に言わないで下さい。警察に言わないで下さい。お母さん悪くない、悪いのはマーくんです」


「どういう事か説明して」優しい声で淳子が聞いた。


だがマーくんはパニック状態で混乱していたので、携帯でみゆき先生を呼んだ。


駆けつけたみゆきはすぐ推測できた。

「解りました。みゆき先生と淳子先生がお母さんを警察から護ります。約束します。だから、マーくんも話して下さい。

約束してください。解りましたか?」


少し落ち着いたマー君は「はい、みゆき先生と淳子先生とマーくんの約束ですか?」


「はい、そうです」みゆき先生が言った。


「みゆき先生の言うとおりにすると、お母さん警察に逮捕されなくてすみますか?」


みゆきはマー君の話を少しずつ解析し、大まかな内容が掴めた。 みゆきと淳子は涙ぐみながら、マーくんの話を聞いていた。そして、エイジに苛立ちをおぼえた。


校長に事情を説明し、翌日エイジとその親が校長室に呼ばれた。 入室したエイジの顔面に淳子はいきなり平手打ちをした。校長とみゆきが止めに入った。


エイジの親が反発した「何なんですか! この方は? 教育委員会に行きますよ……」


今度はみゆきが「結構です。どうぞ、教育委員会でも警察でも行って下さい。エイジくんはそれ以上の事をこの自閉症の生徒に強要してたんです」


みゆきの目に涙が溢れていた。


校長が穏やかに「みなさん、冷静に、落ち着いて下さい。 お母さんも事情は聞いておられると思いますが、マーくんは自閉症の生徒です。 通常社会通念の常識はこの子達には通用しません。理解できない部分が多いのがこの子達の現状です。

それを利用した犯罪が今回の騒動の発端。

分かりやすく言うと、お子さんがマーくんを誘導して万引きを重ねた。しかも、マーくんのお母さんが警察に逮捕されるという脅し文句を言葉たくみに使っての犯行です」


校長はエイジに向かって「山田くん、どうですか? 異義はありませんか?」


エイジはうなだれていた。


校長は続けた「マーくんのお母さんからは、何とぞ穏便に処理してやって下さい。 との事ですので今回の件はこの場で済ませようと思っております。ただし、今後、山田くんはマーくんに接触しないでいただきたい。 山田くん約束できますか?」


「はい」下を向いたままだった。


校長が「山田くん、人の目を見て返事して下さい。 私の言葉理解できませんか?」語気が少し荒かった。


今度は顔を上げ「済みませんでした」


「最後にお母さんと山田くんはこれを見て下さい」


マーくんの描いた山田くんの顔。絵は鬼のような形相のエイジの顔だった。


「山田くんの顔はマーくんにこのように見えたんですよ。マー君にとって一生涯この顔が心に焼き付くんです。心の傷です。しっかり覚えておいて下さい。今後、このようなことが無いようにしてください。 この学校を出て以降の人生においても同様です」


話が終わり山田親子は頭をさげて校長室を出た。


「みゆき先生と淳子先生は残って下さい」


校長は二人に「君達の心情は解りますが、体罰とそれを肯定する言動はよくありません。 教壇に立つ者はいついかなる時も感情が理性を上回ってはいけません。 常に冷静であって下さい」


2人は校長に頭を下げた。


「もうひとついいですか?これは校長でなく私個人としての意見です……淳子先生、よく叩いてくれました。胸がスッキリしました。 校長という立場上(声を詰まらせ)僕にはできません。 僕の心はスッキリしました。 マーくんの心のケア頼みますよ」


みゆきと淳子は笑顔で校長室を退出した。二人の胸のつかえが落ちた。



Hisaeは手を止めた。書いていてマーくんに会いたいと思った。すぐメールを送った。


マーくんの小説を書いていて、私、個人的にマー君の顔を拝見したいです。 差し支えなければ写真を見せてもらえないでしょうか? Hisae


翌日メールが入り写真が添付されていた。それは天才画家の山下清と一緒に写っている写真であった。 彼はボンズ頭で雰囲気がどこか山下清と共通する何かがあった。


コメントがあった。


大好きな山下清展に行った時、一緒に写した写真です。山下画伯もマーくんの絵を見てビックリしてました。今でもその時の光景が心に焼き付いております。


ツーショットかHisaeの頬に涙がつたわってきた。 思いを新たに書き始めた。


中学校2年になったマーくんの絵は母親や淳子先生の範疇を超えたところにあった。 つまり、凡人では理解できない世界観がそこにあった。天才ピカソも最初は写実画やパイプを持つ少年などの画風が多かったが、徐々に形の囚われを超越した世界に入った。それが有名なゲルニカを誕生させた。

この頃からマーくんは何か焦るように点描画を書き貯めた。


ミクロの世界からマクロの世界に移行したように、表現するなら金剛界曼荼羅の世界観がそこにあった。


淳子がある作品について「これってどういう絵なの?」


「空です」


「そら?」


「ハイ!」


「どういう事かなあ・・・説明できる?」


「高い空で星がいっぱいあるんです。そこに色んな人が住んでいます。でも体が無いの。もうすぐマーくんも行きます」


「この星のようなのがみんななの?」


「違う。星は星です」


「そっか、ごめんね。先生、見たこと無いからわからないの。ごめんね」


「大丈夫ですよ」


「何が?」


「大丈夫です」


「……?」この頃になると言動に意味のつたわらない事が多くなってきた。


そして、マーくん中学3年生の卒業間近。 自分の部屋に籠もる事が多くなってきた。


歌手や女優さんの衣装デザインがマー君の目にとまればそれをアレンジして楽しむとか、目に止まるものはジャンルを問わずなんでも描いていた。マーくんはいつも新鮮な目を持っていた。


ある時、淳子先生から親に打診があった。


「マーくんの絵を、知り合いの画商に見せませんか? 作品の展示会を開催してみませんか?」


話は進み卒業後に展示会を開催することが決定した。


淳子先生から「マーくん、今日、展示会場の下見で銀座に行こうか? 帰りにおいしいもの食べて帰ろうよ、お母さんも会場で待ってるのよ」


「ハイ! 行くです」


放課後二人は井の頭線で渋谷に出て、銀座線に乗り換え銀座で降りた。 マーくんは初めての銀座だった。


観たことのない、絵になりそうな風景がそこたくさんあった。

吉祥寺も都会だが銀座の比ではない、マー君は目を凝らして観察していた。


2人は交差点で信号待ちをしていた。


淳子は急に大声を出した「まーくん危ないっ!」


刹那、先生はマーくんを抱え込んだ。次の瞬間ドンという鈍い音。 同時に二人は倒れた。

二人の上にトラックが重なるように止まり、アスファルトは一面血の海と化した。



「卒業生合唱」卒業生の声がした。


「仰げば尊とし、我が師の恩……」


卒業生の席には、マーくんの写真と花が飾られていた。教員の席にも淳子先生の写真と花が供えられていた。 校長先生が最後に事故の経緯と二人へのはなむけの言葉を贈り、式は終わった。


銀座の画廊では「早乙女雅之 作品展」が開催された。個展は新聞、週刊誌にも取り上げられた。


個展は大成功を修めた。特にマーくん晩年の二年間の作品は高い人気と高い評価がえられ、多くの人が絶賛した。


会場受付には淳子先生とマーくんの二人で写った写真が飾られていた。



END



Hisaeのキーボードを叩く手が止まった。何か、むなしい小説だった。 この手の実話は小説のように明るくは終われない。 特にHisaeはマーくんに入れ込んでいただけにショックだった。


製本に取りかかった。 挿絵にはマーくんが描いた家族の想い出の作品の数々をふんだんに入れられていた。


表紙には当然マーくんのお気に入りの作品。 裏表紙は個展で使用した淳子先生とマーくんの二人の楽しそうな写真で飾った。


できあがりましたのでご覧下さい。


早乙女 まみ 様



製本し、早乙女まみに発送した。ひと月後、早乙女まみから荷物が届いた。 一冊の本と手紙が添えられていた。


この度は、まことにありがとうございました。兄の作品まで随所に組み入れていただき大変感謝しています。


勝手ながらこの作品を、淳子先生のご家族にも一冊、下記の住所に送っていただけないかと思います。


当初考えていた以上のすばらしいできに驚いております。

兄マーくんがこの本の中に呼吸して生きております。 特に母は何度も何度も繰り返し読んでおりました。


兄の作品集ができあがりましたので、Hisaeさんに贈呈させていただきます。マーくんの作品見てやって下さい。


ありがとうございました。

早乙女 まみ

 


END






8「1〇〇〇分の一ミリ」



HisaeはヘアーサロンKONAにいた。


「KOHEIくん、元気だった?」


「はい、Hisaeさんこそ久しぶりですね」


「景気悪いから久しぶりの美容室なの」


「今日もいつも通りのカットで良いですか?」


「そうねぇ。今日はボンズ頭で」


「ハイわかりました」


「オイ待て、普通本当ですか? とか、どうかしました?

何かありましたか? とか、聞かない?」


「Hisaeさんには無駄な言葉を吐かないようにと思って」


「……あんた正直ね! 思ったことすぐ言葉に出すタイプでしょ」


「えっ!」


「フフッ、いつも通りでいいわよ」


「はい!」


自宅に戻るとメールが入っていた。


Hisae様


SF小説を書いて下さい。 私は長年入院生活をしております。 たぶん一生涯病院もしくは、何らかの施設で余生を送ると思います。


このメールも通常のキーボードではなく、口に咥えた特殊なペンで操作しています。


私、視神美子を主人公にした小説をお願いいたします。 内容はスーパーマンです。


ただし、映画のスーパーマンの様に自由に空を飛び、人間の役に立つというものではなく、ミクロのスーパーマンになり、人間の体内に入って、人間の体にダメージを与えている様々な菌やガン細胞を撃退するという能力を持った人間。 そんな特殊女子、視神を描いてほしいです。


Hisaeさんならではのタッチで、リアルに描いてくれると信じて申込いたします。


余命少ない私の願いです。 どうでしょうか? 執筆して貰えますか?

視神 美子


なんか……なんか重そうな仕事。 風呂入って考えるか。

浴室から大きな声がした。


「アチャァ~~失敗した。髪洗ってもうた! 今、美容室行ったばっかりだぁ~が~っ」


風呂から出たHisaeはキーボードに手を置いた。


初めまして視神様。 仕事のご依頼ありがとうございます。

検討しましたが内容が難しい(重い)ため、少し考えさせて下さいませ。私に書ける内容かどうかじっくり考えさせて下さい。後日、メールで返答させていただきます。 Hisae


翌日、視神から又メールが入った。


「お考えいただきましたでしょうか?」


Hisaeはコイツ、せっかちなやつだな。


「昨日の今日では、まだ結論、出ませんよね。」


あったり前田のクラッカーよ。


早速、返信した。


「視神様、仕事のことはもう少し時間を下さい。 あなたに一度お会いしたいのですが、面会は出来ますか?」


「無理です。私は、とある病院の隔離病棟におります。 下界とはメールでのみ意思の疎通を図っております。ご勘弁下さい」


「では、視神さんの構想にある小説の概略だけでもお知らせ下さい。 Hisae」



視神から「私は普通の高校生。通学途中に交通事故に遭うんです。 それは生死を彷徨う事故で、それを機に私は特殊な能力に目覚めるんです。 その能力とは、私の体が小さくなるというもので、小さくなった私は医師から見放された患者さんや、現代医学では解決できない難病を、体の中に入って癒すというものです」

視神


HisaeはPCの前にいた。


「面白い!いままでには無い発想ね」


よし「お受けしたいと思います。どのような結末にしたいですか?」  Hisae



「ありがとうございます。最後は○○○でお願いいたします。 視神


解りました。努力いたします。

Hisae


「よっしゃ、頑張るべ!」




「1〇〇〇分の一ミリ」


あらすじ

これは普通の女子高校生Yosikoに起きたちょっと奇異な物語。


Yosikoは通学途中交通事故に遭った。それは生死をさまよう事故で、医者から両親に「覚悟して下さい」と宣告されるほどの重体だった。


しかし、事故から二週間後奇跡的に意識を回復した。 その意識不明のあいだに様々な体験をしていた。 退院後、自分の不思議な能力を駆使し、様々な敵と戦う様を描いた物語。



私は視神美子十六歳高校生。普通の女子高校生なの。学校も普通学校の普通科。父親が普通のサラリーマンで、母親はパートでスーパーのレジ係りこれも普通。 どこにでもある普通の三人家族です。 私にとっては普通が一番安心だった。 でも、そんな普通がある時を境に、奇異な生活というか体質になってしまったの、これから話す内容は、そんな私の普通ではない体験の話しです。


それは下校途中に起こったの。 友人のアケミとリエと三人で山中牧場のソフトクリームを食べながら歩いていたのね、

そしたら急に左から子供の三輪車が飛び出してきたの、それを避けようと咄嗟に後ろに飛んだのね、そこからどういうワケか意識がないの……?


話では、後ろに飛んだ時、頭を電柱に強打したらしい。 そして、病院に救急搬送された。 それから2週間点滴だけだったの。 痩せるかと思ったら全然痩せなかった……


えっ! その間、何やってたかって?


そこなの! そこが肝心な話なの!


病院に運ばれた時、私は病室の上にいたの。 で、もうひとりの私はベッド上で体中に管やら、いろんな医療具くっつけて寝ているの。


その横には両親と私の大好きな真智子婆ちゃんがいたの。 


そしたら、その浮いている私に「こっち…においで…」ってどこからか声が聞こえたの。 私が振り向いたら次の瞬間景色が変わってた。


何処だと思う? 途中でわかったけど私の体の中だったのよ。 超不思議でしょ………?


そして、その声の主が「いろいろ、見てこよう」っていうの。次の瞬間心臓の中にいたの信じられる? でも私、見たんだもの。この目でちゃんと。 そして血管を通って上に流されたの、次に出たのが脳だった。 そしたら又、声がしたの。


「この辺に血の固まりがあるから、自分で綺麗に掃除しなさい」って。


私は、いわれるまま、その血栓を手で根こそぎ取ったわよ。

時間は解らないけど最後の血栓を取除いたら急に意識が無くなったの。


そしたら、私ベッドらしき上にいたの。 体中に管が付けられているし「なんだこりゃ?」と思った。


そのうち看護師が来て、次にお医者さんが来たの。 しばらくして、お母さんと真智子婆ちゃんが来て二人は泣いていた。私が二週間意識不明だったって聞いた。


内心「違う! 私は意識あったの……」って思ったけど結局云わなかった。


「どうしてって?」だってその間、自分で自分の頭の血栓取ってたって言えないでしょ……?


で、話しはこれから、そして医者は「もう血栓はないし、意識もしっかりしてるから、退院を許可します」って言ったので退院したの。


母と婆ちゃんは「先生のおかげです」と頭を下げてた。


でも私は「血栓を取ったのは、あ、た、しがこの手で取ったの……」って言ってやりたかった。


しばらく静養してから学校に行く事になったの、これで以前と変わらず普通に戻ったと思った。


そしたら、ある日の放課後。 アケミちゃんがお腹を押さえてその場にうずくまったの……私は、ただ事ではないと思ったの。 そして、アケミちゃんの肩に手を置いたの、次の瞬間、また景色が変わった。 そこの雰囲気はまだ記憶に新しいのよ。そう!入院中に体験した私の体の中と同じ感覚。


「アケミちゃん」って思った瞬間に景色が変わったの、そしたら私がなにかの管のような中にいた。その管には大きい固まりが塞がるというか詰まっていたの。 私が経験した固まりとは違うけどこれが原因! と思った。


私は又、手で取ることにしたの……そしたら案外簡単に取れて血が流れたの。私が気が付いたら、アケミちゃん笑顔でケロッとしてたの。


「アケミちゃん、大丈夫?」ってリエちゃんが聞いたら急に痛みが取れたって言ってたわ。


その時、私はまだ気付いてなかったの、自分の能力に……

自覚したのはそれから数日が過ぎたころだった。


それは、父が風邪を引いて会社を休んだ時のこと、風邪の咳にしては変な咳だなって思ったの……

母も「ちゃんと病院に行ってちょうだい」って言ってたわ。


そん時は私も母も普通に家を出たの、 学校から帰宅すると父がソファーでぐったりしてたの。 私の呼びかけに反応しないし、すごい熱! ビックリしてお母さんに電話したの。


熱を診るのに父の額に手をやったの、瞬間またあの光景だったのよ、また移動したの。 今度は風をきる様な音がうるさいの、台風の様なびゅーびゅーとした音だった。

そしたら、たくさんの菌みたいな連中が集団で、ちがう透明な集団と戦ってるのよ。


私は「これって、なんかマズくない?」って思ったわ。

だから、透明な集団に加勢したの。 片っ端から手で叩いたりキックしたりね。そしたら、その菌がだんだん減ってきて終いにはいなくなったの。


私の意識が戻ってすぐ母が帰宅したの。何だか凄く疲れて、とりあえず部屋で着替え、父の所に戻ったら、顔色が良いの、ほっと一安心。


母は呑気に「熱も微熱だし、大丈夫よ」だって。


「さっきは大変だったのよ!」って言ってやりたかった。


その時、気が付いた。もうひとりの超!小さい私が、病人の体の中に入って、悪いところを癒してるんだって……はっきり自覚した。



Hisaeは手を止めた。


肉体疾患はこれで良しと。精神疾患どうする? 今日はとりあえず寝よっと。


Yosikoは月に一度の検査で病院にいた。待合室の向こうには母親に付き添われた娘さんが見えた。青白い顔をしたその子が患者らしい。 その子は母に付き添われ心療内科に入っていった。


「十八番さん」Yosikoの番だった。


例の医者が「Yosikoさん、その後どうですか? レントゲン結果もなんの異常もありません。来月もう一度検査して異常がなければ、その次は半年後でいいですよ」


看護師が「お大事にどうぞ」


Yosikoが会計を待っていると、隣の席に待合室にいたあの青白い顔の娘が座った。


彼女がハンカチを落としたのでYosikoが取ってやろうと手を伸ばした。同時に彼女も手を伸ばしお互いの手同士が触れた瞬間Yosikoは彼女の中にいた。


「これは?彼女? ここは何処? でも、なんか不安」


次の瞬間薄暗い空間にいた「ここは何処? あれっ?」向こうに女の子が座っていた。


その娘を見つめた瞬間その娘の横に立っていた。


自然に言葉が出てしまった「どうしたの?」


その娘は怪訝な顔をして「あんた、誰?」


「Yosiko」


「で、なに……?」


「私もわからない。気が付いたらここにいたの」


「だったら、あっちに行ってよ!」


「そうよね! じゃっ、そうする」


その娘が「チョット待って。どうやって、ここに来たの?」


「わからない」


「あんた、自分でわからないの? 面白い人ね…フフ」


「私もそう思う」


二人は笑った。何か解らないけど笑った。 そうしてるうちに、まわりの空気感も明るくなってきた。


「あんたといると、楽しいね……」


さっきまでの彼女とは全然違ってみえた。


「私もあなたに会えて良かったわ。でも、ひとついい?」


「なに?」


「この空間、見てごらん。明るいでしょ? ここはあなたの心なの。本当は明るいの。人生楽しんで……ガンバ!」


Yosikoはそう言っている自分に驚いた。 なんで私がこんな事言うの……?


次の瞬間待合室が目に入った。あの娘が、会計している母親の後ろに立っていた。 そして、Yosikoを見ていた。


Yosikoは我が目を疑った。


この娘がさっきの娘? 全然、違うジャン! 青い顔をしたあの娘は何処に行ったの? そのくらい違った。



また、いつもの学校生活が始まった。


リエが声を掛けてきた「Yosikoおはよう」


「リエちゃんおはよう」


「Yosikoその後からだの具合どうなの?」


「病院で検査したけど問題ないって言われたの」


「よかったね」


「うん、心配してくれてありがとう」


「リエちゃんはどう?」


「私は相変らず、でも、お婆ちゃんが最近元気ないの」


Yosikoが子供の頃から自分の孫のように、孫のリエと一緒に可愛がってくれていたリエの婆ちゃんだった。


「どうして元気ないの?」


「母親の話だと、一日中ぼ~っとしてるっていってた」


「ふーん」


「そうだ、今日の学校帰りに寄ってかない? お婆ちゃん、

Yosikoの顔見たら喜ぶかも、そうしようよ…」


「うん、わかった。そうだわたしお婆ちゃんの好きなどらやき買っていくね」


「ありがとう、じゃあ後で」


手みやげを持ってリエの家に行った。


「こんにちは、おじゃましま~す」


リエが「お婆ちゃん、Yosiko連れてきたよ」


お婆ちゃんは「こんにちは、初めまして」


母親とリエはビックリしてお互いの顔を見た。


リエが「なに言いってるの? Yosikoだよ、Yosiko」


「お婆ちゃん、Yosikoです。ご無沙汰してます」


「あっああ、Yosikoちゃんかい…ごめんね。最近、年のせいか忘れっぽいのよ、ごめんなさいね」


「いえ。 これ、お婆ちゃんの好きなどら焼き買ってきました。食べて下さい」


「Yosikoちゃん、ありがとうね」


「いえ」


それから二人はリエの部屋に行った。


「ごめんね、Yosiko…あんな感じなの」


「私は別に、気にしないで」


久しぶりのリエの部屋だった。


下から母親の声がした「みんなでどら焼き食べましょ。 お茶入れたから降りてこない?」


二人はリビングに行った。


母親が「頂いたどら焼き食べましょ」


お婆ちゃんはどら焼きの袋を開けるのに戸惑っていた。


「あっ! 私、開けます」Yosikoが言った。


お婆ちゃんが手渡そうとした瞬間Yosikoに手が触れた。つぎの瞬間ある空間にいた。


先日の病院での空間を思い出した。今度は空気がどんよりと止まった感じがした。 よく視ると、小さい子供が四人遊んでいた。その横でお婆ちゃんがニコニコしながらその子供達を見ていた。 幸せそうな顔をしている。 こんなお婆ちゃん見たことがなかった。


Yosikoは話しかけた「お婆ちゃん、 お婆ちゃん」なんの反応もない。


「お婆ちゃん、Yosikoです。解ります?」


お婆ちゃんの視界にYosikoは入っていなかった。


Yosikoはその場から自分に戻った。 リエのお婆ちゃんはまもなくして他界した。


Yosikoはこの特殊な能力のことを母親に話した。


「そういうこよなの。お母さんはどう思う?」


「本当なの……? それ!」


「だって、お父さんだって回復したじゃない。 リエのお婆ちゃんだけは私が見えなかったみたいなの。どういう事かまだ解らないけど」


「じゃあ、お母さんで試してよ」


「お母さん、どこか具合悪いの?」


「肩こり」


「肩こり? それって病気なの?」


「頼むわよ、痛いの」


「じゃあ、肩に触るね」


Yosikoは母親の右肩に手を置いた。 肩に意識を集中させたが、違うところに移動した。


どこ…ここ……?


Yosikoの意識に「視神経」と浮かんだ。そこがパンパンに張って炎症を起こしていた。 手でさすり始めた。まもなく弾力性を取り戻しピンク色の状態になった。


こんな感じかな?と思ったら勝手に違う部位に移動した。

あれ? 何処?「卵巣」えっ? 心にまた浮かんだ。


なんだろ? 「卵巣のう腫」あの声が聞こえた。


聞いたことのない病名だった。とりあえず腫れてそうな所をさすった。


意識が戻った。


「肩こりは視神経の炎症だって。 視神経の辺りが腫れてたから、私がさすっておいた。 あと、卵巣のう腫っていうのがあって、それもさすっておいた」


「さっきから肩の痛みが取れたよ。目が原因だったの?

それと、なんで卵巣のことわかったの?まだ誰にも言ってないのに」


「目をさすり終わったら、急に何処か解らない場所に移動してたの。 そしたら卵巣って教えてくれた。そして[卵巣のう腫]って声がしたの。そこに腫れがあったからさすっておいたの」


母親は最初、半信半疑だったが信用せざるおえなくなった。


「解った。 私は信用する。但し、この事は家族だけの秘密にしておこうね。 あんたも他言したら駄目よ。 こういう事はくれぐれも慎重にね」


「はい」



Yosikoはやがて高校を卒業し、OLをして結婚。二十五歳で第一子を出産し二児の母親となった。 ごく普通の平和な四人家族。


Yosikoが四十歳の年だった。 十六歳になった長女が下校途中ビルの屋上から落下物があり頭を強打した。

その場から救急搬送された。 奇しくも母親Yosikoが二十四年前交通事故で運ばれたあの病院だった。


訪れた家族は医者から「お嬢さんは、頭部の延髄、つまり生命維持を司る部位が損傷してます。 残念ながら時間の問題と思われます。 我々も全力を尽くしますが最悪の状況も覚悟しておいて下さい」


Yosikoは思い出した。私の時と同じ医師だった。 これも何かの運命なのか?

同時にYosikoに長年、封印していた遠い記憶が甦ってきた。


「先生、私をこの子に付き添わして下さい。お願いします!」


「許可します」母親の気迫に押された医師は許可した。


「まゆみ」Yosikoはそっと娘の手を握った。


同時に二十四年前のあの感覚が蘇ってきた。次の瞬間、意識はまゆみの頭部に移動した。


Yosikoは所かまわず必死に神経組織をさすりまくった。 みるみる間に腫れが引いてきた。 でも、肝心のまゆみの意識が見あたらない。 その時、リエのお婆ちゃんのことが思い出された。 次の瞬間、意識に繋がった。


あの声がした「旅立ち…」


「イヤ! イヤ! イヤ!だ、だ駄目!、まゆみ、逝かないで」


「神様、まゆみと私の命を交換して下さい。どうかお願いします。 まゆみ聞いて。返事してちょうだい。 ママよ!

返事してちょうだい!」


遠くにぼんやりと明かりが視えた。Yosikoは近づいた。


「まゆみ?」


「お母さん?」


「まゆみ!」


「お母さんどうしたの?」


「まゆみ、みんなの所に帰ろう。 あなたにはたくさんやることがあるの。 ここで止まるわけにいかないの」


「やること?」


「そう、やること」


その時、まゆみとは違う意識をYosikoはキャッチした。


「役目終わり」


「待って下さい!この子はまだ十六歳。 まだなにもやってません。これからです。どうか許されるなら私の寿命と取換えて下さい!」


「ちがう」


「えっ・・なにが違うの? どういう事ですか?」


まゆみは蘇生し目を開けた。


「お母さん、お母さん」突然まゆみは声を出した。


まゆみは意識を取り戻した。 その横ではYosikoが倒れていた。


看護師が「お母さん、娘さんの意識がもど……?」


看護師は母親の異変を感じた。


「お母さん、どうしました? お母さん!」


Yosikoは反応しなかった。


娘のまゆみは退院した。


Yosikoは植物人間となり闘病生活に入った。


病名「くも膜下出血による意識障害」


END 



Hisaeは手を止めた。


製本して送ろうと住所を聞いた。数日経ても返信がない。


「どういう事?」


もう一度メールした。


返信が来た。


私、視神まゆみと申します。

PCのメールを見て母宛にメールが届いていたのでびっくりしております。

母は、十数年前より意識がありません。この度、私のPCに母美子宛の着信があり返信しました。


どのようなご用件でしょうか? 悪戯ならおやめ下さい。  視神まゆみ


なに……? Hisaeは理解できなかった。 とりあえず、Yosikoとのやり取りを、そのまま添付してまゆみ宛てに送った。


返信がきた。


文面からして母の可能性があります。 ただし、母は十年前より意識不明です。不思議です。どういうことでしょうか?


あなた様の執筆なさった本にも興味があります。 是非一度お会いしたく思います。 よろしければ母の病室でお会いできませんでしょうか?

視神まゆみ


私がメールしていた視神美子はいったい誰なの? 


わかりました。お母さんの病院にお届けいたします。 住所と面会日を教えて下さい。


面会当日になり、とりあえず本と見舞いの花を持って指定された病院に行った。


待合いロビーに、まゆみらしき女性が座っていた。


「視神さんですか?」声を掛けた。


「はい、Hisaeさんですね」


二人は簡単な挨拶をしYosikoの病室に行った。


「失礼します」


そこにはYosikoと思われる生命維持装置を付けた女性の姿があった。


「母のYosikoです。十年間この状態です」


Hisaeは枕元で「出来上がりましたよ、大切なあなたの一冊です」そっと置いた。


その時、Yosikoの目から涙がひとしずくこぼれ落ちた。

Hisaeはそっと手で拭き取った。瞬間、薄暗い部屋に意識が飛んだ。


戸惑っていると「Hisaeさん、Hisaeさん」どこからか声がした。


「もしかしてYosikoさん?」


「はい、Yosikoです。ありがとうございます」


「本の依頼はあなたですよね?」


「ハイ、これで旅立てます。 まゆみにありがとうって伝えて下さい。Hisaeさん、ありがとうございました」


Hisaeは意識を取り戻した。まゆみに今起きた出来事を伝え病室を後にした。


まゆみは本を読んでるうちに涙が止まらなくなった。 間違いなく母しか知り得ない内容だった。 まゆみが事故にあった時の母の心の描写が今、明かされたからだった。 


まもなくYosikoはこの世を去った。


Hisaeがその死を知ったのは一通のメールだった。

差出人はYosikoだった。


これで旅立てます。本当にありがとうございました。

Yosiko


Hisaeはいつもの生活に戻った。


ふと、ところで1〇〇〇分の一ミリの執筆代金は誰が

払ってくれるの?


神様?閻魔様?どっちでもいいから払ってよね~~!


で、請求書はどっちに送ればいいのよ?


で、住所は?誰が配達するの?


これ、面白い題材ね頂き!


Hisaeは他人の身体の一部に手を触れると自分が

1〇〇〇分の一ミリになり、身体の中に入り込み病気を癒すという能力が備わっていた。


その力に気付くのは、ずっと後のことだった。


THE END

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