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ひねくれもののアリア


     四日目


 次の日、俺はいつもよりだいぶ早く学校へと向かった。一昨日の晩があまり寝られなかったからか、昨晩は酒も飲まずにさっさと布団に入り、今日はまだ空が白んでいるうちにすっきり目が覚めたのだ。

 コンビニでサンドイッチとコーヒーを買い、人のまばらな住宅街を抜け、鳥の鳴き声を聞きながら学校へ向かう。頭上には久しぶりに、絵の具で塗ったような水色の空が浮かんでいた。こんなに気持ちの良い朝は何年ぶりだろう。ふと初出勤の日のような清々しさを感じるも、途端に気恥ずかしくなってきて苦笑いを浮かべる。

 --今日中に、ケリをつける。そして、全部が終わったら、俺は教師を辞める。

 自分の出した結論に、もう迷いはなかった。

 職員室の扉を開けて中に入ると、すでに数人の教師の姿が見えた。残念ながら一番乗りというほど早いわけではなかったらしい。

 挨拶をして、自分の席に向かう。昨日ろくに片付けもせず帰ったから、教材や日誌の積み重なった汚い机の上。乱雑に積み上げられたそのてっぺんに、一通の真っ白な封筒が置いてあるのが目に入った。

 途端に、血の気が引いていくのを感じる。

 宛名も何も書いていない真っさらなその封筒を前に、なぜか気持ちがざわつき出す。封筒の上の方を勢いよく破くと、ピリピリと嫌な感触が指先を走った。

 中には丁寧に三つに折られた便箋が入っていた。バサバサと開いて、すばやく目を通す。

 保月先生、という書き出しと、四宮美海、という結び。

 その二つだけが目に飛び込んできた。意外にも可愛らしい丸みを帯びた字で書かれたその手紙の内容は、早朝の頭にはまったく入ってこない。さっきまで、あんなに清々しい朝だと思っていたのに。

 言葉が手から零れ落ちていくのがじれったくなって、手紙を握りしめて職員室を飛び出した。

 --間に合え。間に合え。間に合え。

 そう、祈ることしかできなかった。

 屋上をめざし、一心不乱に階段を駆け上った。


   ***


 保月先生


 私が死んだ本当の理由を、先生にだけは伝えておきます。

 先生はきっと、それを知りたいと思うでしょうから。

 一言で言ってしまえば、これは私なりの世直しなんです。

 順番に説明するので、最後まで読んでくださいね。


 去年、私のクラスにいじめられている子がいました。

 ひどい言葉を言われたり、物を盗られたり汚されたり、暴力を受けたり。

 まあ、よくある話ですね。私は、特に何も思いませんでした。その子と特に仲が良いというわけではなかったですし、その子は私にとっては「死んでもいい人」に過ぎなかったんです。

 まあ要するに、私は他のクズ人間どもと同じで、目の前で誰かがいじめられていたって、特に何もしなかったということです。ただその光景が視界に入るだけで、私は考えることを放棄していたんです。

 そしてしばらくして、その子は学校に来なくなりました。

 クラスメイトは全員、いじめのことを知っていました。何の言い訳にもなりませんが、いじめの加害者たちはクラスでも立場が強く、誰もがそれを見て見ぬふりをしていましたし、担任教師はいじめに気づかず、その子自身も不登校の理由を誰にも話しませんでした。だから、いじめがあった事実は明らかになりませんでした。すべてはそれぞれの心の奥底にそっとしまい込まれたんです。

 彼女はそのまま高校一年の冬に、学校をやめました。

 そして、クラスメイトたちが何事もなく高校二年生になった四月、彼女は自ら命を絶ちました。

 彼女は遺書などを残さず、誰にも本当のことを話さなかったため、自殺の理由もわからないままだったそうです。お葬式も身内だけでひっそりと行ったらしく、彼女の死を知っている人は学校にはほとんどいないと思います。

 ではなぜそのことを私が知っていたかというと、その子と私は家が近所で、小学校も一緒だったからです。噂話というやつですね。

けれど私は特に彼女と仲が良かったというわけでもなくて、一言二言程度しか話したこともありませんでした。

 それなのに、なぜでしょう。

 彼女の死を母から聞いた私は、途端に自分の生きる世界が真っ黒に見えました。

 彼女の苦しみは誰にも理解されなかった。彼女の絶望は誰にも知られなかった。彼女は幸せだったのか。後悔したのか。憎んだのか。恨んだのか。彼女の生にどんな意味があったのか。彼女の死は、この世界に何をもたらしたのか。

 そんな思いが、頭の中を駆け巡りました。

 繰り返す問いに答えを与えるために、私は彼女の家に向かいました。

 そう、自殺した元クラスメイトの家に。


 あとになって思えば、自分はなんて愚かだったのかと気が狂いそうになります。

 自己満足のためだけに、子どもを亡くした親に真実を確かめに行く。

 身勝手極まりない、人の心を考えない、悪魔の所業です。

 幼く、醜い、無邪気な悪魔。それが私の正体だったんです。


 線香をあげたい。

 そんなこと、一度もしたことがないくせに、私はテレビで聞いたことのあるそれを理由に彼女の家へと上がりました。

 そして促されるままに線香をあげ、彼女の写真の飾られたリビングでアールグレイを飲みました。

「私ね、親だからわかるの。何も言わなかったけど、あの子、クラスでいじめられていたんでしょう?」

 彼女のお母さんがふと漏らした言葉に、私は何も答えることができませんでした。

「あなたはあの子の友達? それとも、いじめていた子のほうかしら?」

 何も答えない私に、今度はそう尋ねてきました。

 私はいたたまれなくなって、つい、

「友達じゃ、ありません。……私は、何もしなかったほうです」

 と答えました。

「そう。だと思ったわ。だってあなた、ずる賢そうだもの」

 お母さんはそう言いました。

 もちろん、私の誠意と保身をはき違えた返答に対して、そういう言葉が返ってくるのは至極当然のことですが、大人からこんなふうに裸の感情を投げつけられるのは初めてのことで、私はとても驚いてしまって、分不相応にも涙が止まらなくなってしまいました。

「いいわね、あなた。とっても綺麗な顔をしてる。きっと毎日楽しいんでしょう。友達もいっぱいいて、ボーイフレンドもいるんでしょうね。おまけに友達でもなんでもない子が自殺しただけで、涙を流せるくらい心が綺麗なんだもの。……ねえ、きづいてる? その涙は自分のための涙なのよ。あの子のためでも、私のためでもない。自分の心の美しさを証明するためだけにある、醜い涙なのよ」

 その人は目に涙を溜めて、精一杯の言葉のナイフで私のことを傷つけようとしていました。私はただ、謝ることしかできませんでした。

「どんなつもりでここに来たのか知らないけど、馬鹿にするのもいい加減にして。あなた、自分で言ったわよね。何もしなかったって。だったら今さら何もしてくれなくていいわ。あの子の受けた苦しみも、あの子の死もすべてあの子だけのものよ。安全地帯で偽善にまみれたあなたが弄んでいいものじゃないわ」

 私は生前、一度も訪れることのなかった彼女の家を、逃げ出るように飛び出しました。

 私はこの世界と自分のことが、心の底から大嫌いになりました。


 そして私は一つの決意をしました。

 この歪んだ世界を正しくする、と。

 真実が明らかになり、罪が裁かれる。そんな、真っ当な世界にしよう。

 いじめがあった事実を明らかにしよう。

 彼女の苦しみを明らかにしよう。

 あいつらがしたことを明らかにしよう。

 私たちがしなかったことを明らかにしよう。

 いじめをした奴らを裁こう。

 いじめに気づけなかった教師と学校を裁こう。

 何もしなかった私を裁こう。

 そう決意しました。

 でも、ただ告発をしてもダメです。今さらすべてを話したって、本人がもうこの世にいないのだから、事実を確認することさえままなりません。

 学校も警察も動いてくれないかもしれません。彼女の自殺といじめの因果関係を立証することはもう、不可能かもしれません。

 そこで私が考え付いたのは、自分の命を使って、この世界に一石を投じる方法です。

 ただの高校生の言葉など誰の耳にも届かない。安全地帯からの言葉は誰の心にも響かない。だったら、嫌でも世間の目を集める方法を取ればいいのです。

 筋書はこうです。

 私がクラスでいじめられ、自殺する。そして遺書に、過去のいじめのことを書く。

「私はいじめを見て見ぬふりをしたから、ばちがあたった。助けてあげられなくてごめんなさい。こんなにつらい思いをしていたんだね。許して」

 そう書き綴った遺書を残し、私は学校の屋上から飛び降りる。

 そして、この腐った学校に腐った私の血をぶちまけてやるんです。


 この計画のポイントは、ただ自殺をするのではなく、いじめを受けたあとで自殺をするというところです。

 ただ自殺をするだけじゃ、ニュースにならないかもしれないと私は考えました。

 丁寧に遺書を書いたって、この世界に絶望した中二病な女子高生がファナティックに死んだだけだと思われてしまうだけ。この国で年間どれだけたくさんの人間が自殺をしているかを考えたら、単に「自殺した女子高生」というのじゃインパクトが足りない。そう気が付いたのです。

 大事なのは何を言うかじゃなくて、誰が言うか。そこを思い出した私はもっともっと、私という人間に付加価値をつけるべきだと考えました。

 しかし手っ取り早く私自身の命の価値を上げる方法が思いつきませんでした。私は取るに足らないどこにでもいる女子高生にしかすぎず、私が死んだとしても世界は一ミリも変わらず、ネットニュースにすら取り上げてはもらえないのです。

 そこで考える角度を変えてみることにしました。私に価値をつけられないなら、加害者の側に価値をつければいいのではないか、と。

 いじめをした彼女らと学校を、より悪辣な、報じる価値のあるものと見せるために、私が二人目の被害者としていじめられ、自殺すればいいのだと思いついたのです。

 一つの学校で、二年連続、同じ人間によっていじめが行われ、自殺者が二人出る。

 これで一件目のいじめにおいてずさんな対応をした結果、二件目のいじめが起きたという筋書を誰もが描くことができる。世間は好きなだけ彼女らと学校を叩くことができる。私が哀れな少女Bとなることで、少女Aの存在にもスポットライトがあたる。

 私は自分のずる賢い頭脳に拍手を送りたくなりました。

 私の死と遺書は、メディアで大きく取り上げられ、学校のずさんな対応が糾弾されます。それだけではありません。私が丁寧にしたためた過去のいじめの記録がきっかけとなり、真相が究明され、犯人たちの人生は滅茶苦茶になるのです。

 そして世界は少しだけ、でもたしかに、綺麗になるんです。


 これが私の計画のすべてです。

 唯一の誤算は保月先生でした。

 私の作戦通り、まず友達と距離を置き、続いて彼女らに近づいて、順調にいじめられるようになってきて、そろそろ自殺するかと思ったところで先生に進路相談室に連れていかれてしまったのです。

 もう少しだけいじめられている姿をクラスメイトたちに見せて、印象付けてから死のうと思っていたので今、先生にバレるのは都合が悪いと思いました。私は時間を稼ごうと考え、先生と関係ない話をして面談の時間を潰そうとしたんです。

 で、今日は派手にいじめられて、そろそろ良い感じだから、明日あたりでも死のうかなぁと思って学校を早退して、遺書を書こうと思っていたら、先生から電話がかかってくるもんだから驚きましたよ。

 今日、時間あるか? なんて。笑っちゃいましたよ。

 明日だったらもういいやって思ったんですけど、今日って言われちゃったので、まあ人生最後の思い出づくりにとついて行っちゃいました。

 いや、でも、行ってよかったと思ってますよ。

 海、楽しかったですし。


 最後に、保月先生。

 ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

 先生と話せてよかったです。

 信用してます。誰にも話しちゃダメですよ。


                                 四宮美海


   ***




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