9話 猫とクマ。
さらりとしたシーツの感触と人肌に温まった掛け布団、心地良い世界だが目覚ましが起きる時間を告げてきた。ゆかりさんは『たいら』のお腹に顔を埋めるように眠っている。「真の分まで、寝ててやるよ♪」口の刺繍がゆかりさんの頭に押し上げられて、ニヒルな表情で『たいら』はそう言っていた。
「良いなぁ、留守番任せるよ。」
2人の頭を軽くぽんぽんと撫でてからベッドから起き上がる、めくれた掛け布団からゆかりさんに寄り添っているであろう『まる』の足だけが出ていたので足の裏をくすぐるように撫でてから布団をかけ直してやった。
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出社して1番に奏さんにカーディガンの修理箇所を確認をしてもらう、未確認で終わらせると帰宅してからゆかりさんから叱られてしまうのだ。裾のリブ部分のボタン以外を閉じて着るのが彼女のスタイルで位置のずれも無かった。デスクの引き出しから個別包装のされたマドレーヌを「仲良く食べてね♪」とお礼付きで2個もらった。上段の引き出しの半分は彼女が気に入っているお菓子が収まっている、先週まではチョコレート系が多かったが今度は焼き菓子らしい。
昼休みが終わって川村君と取引先との打ち合わせに向かう、今は在庫管理が主だがいずれ営業にも携われるようにと教育を兼ねて二人で行くようにと上司から指示を受けたのだ。白い社用車の運転席には外回りで慣れている僕が、川村君は表情を硬くして助手席に乗った。
「大丈夫、あそこの担当さん気の良いおっちゃんだから。」
彼が人見知りなのは知っている、少しでも気が紛れればと声をかけるが、呟くように「はい」が1つ帰ってきた。話題を変えよう。
「来月の連休、何処か行ったりする?」
今から行く取引先はスーパーマーケットで、連休に合わせたフェアに向けた打ち合わせだ。
「映画を見に行くだけです」
「妹と」
「え!川村君兄弟いたの!?」
次に振ろうとしていた映画の話が吹き飛んでしまった、そう言えば彼は自分自身の話は殆どしない。4才下の20才の妹さんと両親と飼い猫1匹と実家暮らしで彼の弁当は妹さんが作っている事を一気に知った。自分から話をしないだけで話すことは苦手では無いようだ。
「もうすぐ公開のホラー映画なんですけど、主人公が飼ってる猫が家のコとそっくりなんです。妹も怖がりなんですが、その猫が見たいからって付き合わされるんですよ」
『も』っと川村君が言う事は彼もホラーは苦手なんだろう、積極的な個人情報開示は目的地に着くことで終わった。
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打ち合わせはスムーズに終わり、退社前に川村君から飼い猫の画像を見せてもらった話しをしてから向かいのゆかりさんが少し不貞腐れている。
「真君だけずるい~」
「ホラー映画観に行く?予告編見たけど似てたよ。」
「絶対に行かない♪」
ゆかりさんも怖がりだ。僕『も』同じで、行かないと返事が返ってくると分かって聞いた。
洗い物を終えテレビを付けるとタイミング良く映画のCMが流れ始めた、グレーの短毛種の猫が女性と自宅らしきソファでくつろいいでいると照明が点滅して消える。別のシーンと恐怖を煽るナレーションを挟み、最初ツンと澄ました表情の猫が最後の映像で目をつり上げ毛を逆立てて誰もいない空間に威嚇し、暗転して女性の悲鳴の後公開日が映り終わる。
「…お風呂、一緒に入ろう。」
「…うん」
見るんじゃなかった、僕らには予告編ですらギリギリなのだ。
浴室で恐怖を洗い流した後テレビを付ける気になれず寝室に向かう。廊下の電気は全て着けているが僕は大人だから怖くないはずなのだ。掛け布団がめくれたベッドの真ん中で『たいら』が仰向けで大の字になっていた。ゆかりさんの枕に移動させ掛け布団を整える為に持ち上げると、中から「熟睡できました♪」っと言わんばかりに『まる』が出てきた。『たいら』に寄り添うように置いてから2匹の頭をぐりぐりと撫でる。
「にゃんこも可愛いけど、お前らも可愛いよ。」
ゆかりさんの使っているドライヤーの音が止まった。寝るにはまだ時間がある、2人なら何かテレビを見ても良い。そう考えていたら鞄の中のマドレーヌの事を思い出した。クマたちを見ると手の重みで目尻が下がり「僕たちの分は無いの?」と悲しそうな顔になっていた。
「ごめんね。感想は聞かせるよ。」
そう伝えて階段を降りる。寝室の電気は着けたままだ。