7話 僕の平日。
スマホのアラームが鳴っている。目を開けようとした直前にいつもと違う音が耳に入ってきた。
「真君~おはよう“おはよう”“おはよう”~」
ゆかりさんの声色を変化させ繰り返される『おはよう』に合わせてムニムニと顔に密度の高い起毛が触れる。
「おはよう、今日は早起きなんだね。」
右手の感覚のみでアラームを消し目を開け、顔をのぞき込んでいたゆかりさんと『たいら』と『まる』に笑いかける。ムニムニの正体は2匹のクマ達だった。
マーガリンを塗った6枚切りのトースト1枚ずつと、僕は珈琲を、ゆかりさんは紅茶、向かい合わせで朝食を取る。テレビから「今日は絶好の洗濯日和です」っと爽やかな女性キャスターの声が聞こえてきた。
「今日はベッドのシーツと敷マットを洗おうと思って…掛け布団も最近干してなかったからさ」
「天気もちょうど良いみたいだね。」
テレビを横目にトーストを右側から横一文字を書くように食べるゆかりさんを眺めていると天気予報が終わり占いのコーナーが始まっていた。いけない、普段なら家を出る時間だ。後片付けをゆかりさんに頼んで家を飛び出した。焦っているのに「行ってらっしゃい」の一言が嬉しい1日の始まりだ。
運良く信号に捕まらずに済んだので10分前に出勤する事が出来た。奏さんが既にデスクについてパソコン入力をしている。チラリとこちらを見て人差し指を口の前に立てて“し~”っと口の形を変えた。昨日のことは秘密にしたいらしい、僕が頷くと何事も無かったようにパソコンの画面に向き直っている。切り替えが早い。僕もそれに習うように今日のルートの確認をすることにした。
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週明けは皆せわしない為、昼休憩がバラバラになることが多く今日は1人でとる。コンビニで買ったカレーパンを食べる。新商品と言う文字に釣られたがもう少し辛い方が好みだ。
唇に残る油を拭いながらスマホのSNSを覗くと木平が半券とパンプレットを撮影した記事を更新していた、彼奴も昨日展覧会に行っていたらしい。
「彼奴もあれ見たのか~」
独り言を零し、彼宛にメッセージを送ろうとしていた手元が急に暗くなった。誰かが目の前に立ったらしい、顔を上げる前によく通る声が降ってきた。
「永世く~ん、お願いがあるの~!」
奏さんがいた、緊急事態か朝の念押しか聞く前に親指の爪程の半円ボタンを渡された。
「ボタン取れた~縁ちゃんに頼んで!」
カーディガンの上から2つ目のボタンの位置から糸が不自然に伸びていた、机の角に引っかけたらしい。以前Yシャツのボタンが取れて自分で直そうとして豪快に指を指したことがトラウマらしく、時折こういうお願いが来るのだ。
ゆかりさんに連絡を入れると『OK』のスタンプが飛んできた。
「良いって連絡来たよ。」
「ありがとう!仕事終わりに脱いで渡すね」
事務所は業者の出入りも多くエアコンの設定が低いのでカーディガン本体はまだ必要ということのようだ。僕の手にボタンのみ残し、彼女は足早にデスクに戻っていく。入れ違に川村君がやってきた。
「今日の奏さん、なんかテンション高くありません?」
目を合わせて呟いたものの、それ程気には留めていない様子で休憩所の奥の壁際にある共用冷蔵庫へ弁当箱を取り出しに向かう彼に「何か良いことあったのかもね。」それだけ伝え僕も持ち場に戻ることにした。
予定通りなら今日はふかふかの布団で眠れる。もうひと頑張りして早く帰ろう…未だに握ったままのボタンをファスナーがついている胸ポケットに仕舞いながら木平に連絡を入れていないことを思い出した。これはまたの機会にする。