天使のように
それは天使のように落ちて来た。
その人と最初に出会ったのは、僕がまだ小さかった頃。
何が原因だったかは覚えていないけど、その日は親父にこっぴどく怒鳴られた。
親父が怖くて自宅から飛び出した僕は、近所の公園にある大樹の下でうずくまって泣きじゃくっていた。
その木は、枝を広く伸ばしていて、幹は大変太かった。その後ろに座ってしまえば、小さな僕なんか、あたりからすっぽりと隠れてしまうくらいだった。
大きな大きなその木の名前は知らなかったけど、何か怖いことがあるときはいつもここに来て、守ってもらっていた。
『どうして泣いているの?』
邪気の無い、澄んだ声が、僕の鼓膜を震わせた。
大人特有の落ち着きを含んだその声は、上の方から降ってきた。
僕は恐る恐る、声の降ってきたであろう木の上の方を見上げた。
緑の木の葉が柔らかく揺れていて、その隙間から木漏れ日が溢れていた。
人の姿なんてどこにもなくて、もしかするとこの木が話しかけてくれたのだろうかと思った。
木の精霊が話しかけてくる、そんな絵本をつい最近、読んだばかりだった。
『風船は好き?』
再び聞こえてきた優しい声に、目から零れて頰を濡らす涙をぬぐって、うん、と頷いた。
風が少し強くなり、ざあっと木の葉を降らせる中。
ふわりと。焦茶の長い髪が煌めく、白いワンピースの天使が落ちてきた。
それはもう、絵本に描いてあった天使そっくり、綺麗な綺麗な人だった。
『赤いのしか持っていないのだけど。これでも良い?』
少し困ったように微笑みかけてくるその人に、再び僕は頷いた。
そして、あなたはだあれ? てんしさま? と幼稚なことを真剣に訪ねたのだ。
『天使様? ふふふ、うーんと、さしずめわたしは堕天使ってところかな』
やっぱり、てんしさま? と、赤い風船の紐を握りしめた僕は目を大きくさせて、その人をころころと笑わせた。
それから夕暮れまで、僕はその人と公園で遊んだ。
いつもなら、そんな時間帯まで遊べば親父に叱られるのに、迎えに来た親父はにこにことしていた。
きっと、てんしさまのおかげだ。
そう思った。
その人は、たびたび僕を構ってくれた。
公園で遊ぶことの方が多かったけど、一緒に買い物に行ったり、手を繋いで歩いたりもした。
その人が作ってくれる夕飯は、すごく美味しくて、おかわりもしたことを覚えている。
眠れない夜はその人は添い寝もしてくれた。それでも眠れぬ時は、ホットココアを作ってくれて、ファンタジックな物語を聞かせてくれた。
兎に角、とても優しい綺麗な人だった。
──でも、その静かで素敵な平和な日々は、ある日突然、途絶えた。
今でも、僕は鮮明に覚えている。
今にも泣き出してしまいそうな、あの人の笑顔を。
それはまるで、天から舞い降りる神の使い。
美しく哀しいあの人へ。