白い花
彼女の肌を、花弁が滑る。鮮やかな色をした花弁はふわりと床に落ちる。
静かに、静かに、彼女は泣き続ける。
彼女の目から涙は出てこない。代わりに、小さな花弁が落ちる。
何かのために、彼女は泣く。
何かを思って、彼女は泣く。
その様がとても美しくて、僕は、じっと見入っていた。
ただ、静かに花弁を落とす彼女。
彼女の足元には、純白の花弁がたくさん散らばっている。それだけの物が、彼女に思われている。
それは確かな幸福で、悲しみだった。
ふと彼女がこちらを見た。
しかし、その瞳は何も映さない。それどころか、瞼が閉じられているために、瞳の色さえわからない。
目の前にいる僕の姿をも映さぬ瞳。彼女は視力を持ってして、僕を認識することができない。
「どこ?」
彼女はただ、それだけを問うた。
僕は彼女にわかるように、その左手を取る。
細くて小さくて、柔らかな彼女の手。それは強く握ると壊れてしまいそうで、しかし弱く掴めばするりと逃げてしまいそうだった。
「ここにいるよ」
はっきりと力強く、しかし小さく、僕は言葉を紡ぐ。
僕の手を、ゆっくりと握って、彼女の唇がほころんだ。こんなにも優しい微笑は、たとえ美の女神の笑みであれども敵わない。
彼女は僕の愛情を知らない。
熱に浮かされたような目を、焦がれそうな眼差しを、切なく歪む眉を、彼女は知らない。
僕は彼女の感情を知らない。
優しく揺れる瞳を、悲しみに震える睫毛を、色気を含んだまばたきを、僕は知らない。
代わりに、音が彼女に伝える。僕の声は彼女に届き、僕の存在を彼女に教える。
代わりに、熱が僕に伝える。彼女の体温は僕に届き、彼女の存在を僕に教える。
風が吹いた。窓から入ってきた微風は、僕と彼女を包み込む。
落ちた花弁は風に誘われ、冷たい床の上で白く舞った。