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フェンリル騎士は今日も背中で暇を潰す

作者: 昼熊

 戦場を駆け抜ける、一条の白い閃光。

 神々しい光を放つ白銀の巨大な狼が敵兵を踏み潰し、巨大な爪で薙ぎ払う。

 鋼鉄の鎧も楯も神の眷属と呼ばれる狼――フェンリルの前では紙切れも同然だった。

 白銀の狼フェンリルは神聖王国の神獣であり、国の象徴でもある。

 誰も踏み入れてはならない、王国が代々守りし鉄の森に住み、崇め奉らわれる存在。

 そんなフェンリルを唯一従えさせられる力を持った騎士がいた。

 今もその背に跨り、共に戦場を駆けている。

 国の人々は彼を尊敬と畏怖を込めて、こう呼んだ――フェンリル騎士と。





「今日も圧巻だなぁ」


 フェンリルの背に跨りながら呟く。

 今日は酔い止めの薬が効いているので、激しく揺れる背に乗っていても気分は悪くならない。

 たまに「ぎゃー!」とか「化け物!」という悲鳴や叫び声が聞こえてくるが、それも一瞬だ。あっという間に駆け抜けるから。

 周りからはフェンリル騎士とか呼ばれて崇められているが、実際は禁断の森に迷い込んだ一兵士だっての。

 そこでこいつに会って、飯やったらなんか懐いちまったんだよなぁ。

 情が沸いたから上司に飼っていいか尋ねたら、大事になっていつの間にやらフェンリル騎士なんて呼ばれるようになってしまった。

 自在にフェンリルを操っていると思われているけど、実際はそうじゃない。

 こんなに激しく動く獣の背だぞ。落ちないようにするだけで必死だったっての。


 フェンリルの毛が長いから足とか胴体に巻き付けて今は安定しているけど、当初は振り落とされて死ぬんじゃないかと、気が気じゃなかった。

 どうにか安定してくると今度は乗り物酔いに悩ませられるようになり、酔い止めの薬が手放せなくなっている。

 酔いも緩和して落ちる心配もなくなったから、騎士らしく戦おうかとも思ったけど……フェンリルが強すぎて戦う必要がない。

 むしろ、俺が剣とか槍を振り回したらフェンリルの邪魔になって傷つけかねない。

 そう判断した俺は……手出しをしないことにした。


「今日は何しようかな」


 俺が戦場に出てやることはフェンリルが飽きるまで背中に乗っている、それだけ。

 風景を眺めているのにも飽きてきたので、最近では物を持ち込んで暇潰しをすることにしていた。


「また挑戦してみるか」


 腰にぶら下げていた小袋から一冊の本を取り出す。

 暇潰しといえば読書だろう。前も試してみたことがあるのだが挫折した。フェンリル乗りに慣れた今ならできそうな気がする。

 ページをめくり一行目を読み始める。


『ナインハルトは今、今、今、今、今、今、今、今……』


「縦揺れが激しくて読めねえよ!」


 思わず手にしていた本を地面に投げつけてしまった。

 振り返ると遥か後方の地面に落ちている。結構いい値段がした本だったがあきらめよう。

 戻りたくても俺の言葉はフェンリルに通じないので、自分の意志で止めることも引き返すこともできない。されるがままだ。


「読書はまだ難易度が高かったか。手ぶれするもんな……」


 本を固定するような物があれば読めるかもしれないな、考えておこう。

 となると、ほかに暇潰しに持ってきたアイテムは何があったか。

 小袋に手を突っ込んで中を探る。手に触れたものを取り出すと、それは小さな紙とペンだった。


「小説が読めないなら何か書けばいいと。じゃあ、日記でも書こうかな」


 フェンリルの背に紙を置いてペンを滑らせる。

 毛虫がのたうち回ったような何かが書けた。


「まあ、こうなるわな」


 安定しない状況で文字が書けるわけがない。分かっていたが、ついやってしまった。

 こんな文字か絵かも判断つかないような何かしか生み出せないに決まっている。


「いや、待てよ。だったら、いっそのこと絵を描くってのはどうだ」


 もう一度、背中に紙を置く。何を描こうか迷ったが風景画にするか。

 近くでは兵士が血しぶきをあげているが、遠くの風景は美しい。あの美しい山々と森を描くとしよう。



「こんなもんか」


 一時間ほど熱中して描いていた。線は歪みぶれまくっているが、これはこれでありな気がする。


「抽象絵画ってこんな感じだよな。目を細めてみたら風景画に見えないこともない。これは毎日続けたら、それなりに見られる絵になる気がする。続けてみよう!」


 今までで一番まともに暇が潰せたことに気を良くした俺は、しばらく絵描きに熱中することになる。





 数日後。


「フェンリル騎士様。今日は盾を持っていかれるのですね」

「ああ。弓で射抜かれる危険があるのでな。念のためにだ」


 フェンリルの世話係である新米女騎士に話しかけられ、偉そうな口調で返す。

 本当はこんな話し方をしたくないのだが、フェンリルの騎士として威厳を持った態度で接するように、と国王に釘を刺されている。

 なので、兜の下の素朴な顔もイメージがよくないらしく、俺は常にフルフェイスの兜を被らされ、フェンリル騎士として人前で素顔を(さら)したことがない。

 お世話係の見習い騎士は健気でいつも一生懸命なので、優しく労いの言葉一つぐらい掛けてあげたいのだが、俺の様子は監視されているらしいので迂闊なことをすると、あとでネチネチと文句を言われる。

 でも――。


「いつもありがとう。感謝している」


 これぐらいなら構わないだろう。


「そ、そんな。滅相もないことです、はい!」


 ビシッと背筋を伸ばして敬礼している。余計に緊張させてしまったようだ。

 手を挙げて「行ってくる」と言いフェンリルの背に乗る。

 盾は左腕に紐で固定しているので、激しい揺れでも落ちることはない。

 フェンリルの背を軽く撫でると雄々しく立ち上がり、城壁を軽々と飛び越えた。

 あああっ、この浮遊感と落ちる時の感覚がああああっ! 未だに慣れない!

 背中で身震いしている俺にかまわず、フェンリルは戦場へと駆けていく。

 味方の陣地から離れ、周りに誰の目もないのを確認すると、兜を外して顔を外気に曝す。


「はあー、息苦しかった」


 顔がバレなければいいので、戦場では兜を外している時間のほうが長い。味方の目がある時だけは被るようにしているが。

 敵陣なら俺の顔を見た相手は全員フェンリルが倒してしまうので何の問題もない。

 俺は大きく深呼吸をして、盾を左腕から外した。


「バレなかったようだな」


 この盾は四角く平らな形をしているのだが、実はお手製だったりする。

 自分で木を削り表面を盾のように加工した板。矢を防ぐためだと言ったが、それは真っ赤な嘘だ。矢を気にしたことなんて一度もない。

 フェンリルの素早い動きに矢を当てられる者はいないし、万が一流れ矢が飛んできても、体の周りに流れている加護の風? とかいうのが飛び道具をすべて逸らしてくれる。

 神獣の名は伊達じゃないのだ。

 そういうことなので矢の心配など不要。だったら、なぜこの盾を持ち込んだのか。それにはちゃんとした理由がある。

 腕に固定していた盾の紐を伸ばしてフェンリルの横側に垂らす。先端に重りをつけているので、この揺れの中でもある程度は安定しているようだ。


「ここで練習の成果を発揮するっ!」


 毎夜、宿舎の二階の窓から外に垂らし、この日のために練習に練習を重ねてきた。


「俺ならやれる!」


 紐を大きく揺らし勢いをつけて振る。

 先端の重りがフェンリルの腹の下をくぐって反対側から飛び出してきた。

 それを落とさずに何とかキャッチして安堵の息を吐く。

 フェンリルが何してんだ? と言わんばかりの表情でこっちを見たが、どうでもいいと判断したようで、すぐに前を向いて疾走している。

 こいつは細かいことは全く気にしないので、俺が上で踊ろうが寝ようがお構いなしだ。

 それが分かっているから、こんなことをやっているのだが。


「さて、続き続き」


 掴んだ紐の先端を盾の縁に空けておいた穴に通し、盾をフェンリルの背中に置く。

 そして紐を引っ張ってフェンリルの胴体に巻き付け、盾が落ちないように背中に固定させた。


「よっし、設置完了」


 これで簡易の机が完成した。

 今まで暇潰しを失敗してきた原因の一つが、安定した場所の確保だ。

 机があればよかったのに、と何度悔やんだことか。

 とはいえ、フェンリルの背中に設置する机を持ち込んでいいですか? と国王や将軍に言えるわけもなく、どうにかできないかとずっと思案してきた。

 その結果、たどり着いた答えがこれだ!

 盾にカモフラージュしたものならば戦場に持ち込んでも違和感がない。

 貧乏だったので家具もよく手作りしていたのが、こんな場面で生かされる日が来るとは思いもしなかったけど。


「さーて、暇潰しやりますか!」


 簡易の机を用意した一番の理由は言うまでもない、絵を描くためだ。

 やはり背中に直接では凸凹して安定しないので、固く平らな場所が必要だった。

 紙も楯の机の大きさに合わせたサイズが欲しかったが、そんな大きさの紙を持ち込むのは無理があった。

 そこで俺は考えた。ここまでやったのだから、中途半端はよくない。


「俺は完ぺきを求める!」


 腰に携えた剣の柄を握ると一気に引き抜く。

 すると柄の先には――何もなかった。本来なら鋭い刀身があるのだが、それは外して柄だけを鞘に差しておいた。

 じゃあ、剣の鞘は何を納めていたかというと……。

 鞘に指を突っ込んで中身を引き抜く。

 取り出したのは丸められた画用紙だった。

 俺は剣の鞘を画用紙の収納スペースとして活用したのだ!


「どうせ、剣なんて振るわないからな」


 一度も使われることがないまま、お飾りとして腰にぶら下がっているより利用したほうが鞘も喜ぶだろう。

 取り出した画用紙を盾の机に置き、四隅に予め設けておいた切れ目に差し込む。こうすることで画用紙が飛んでいく心配もない。


「我ながら素晴らしい出来だ。細かい改良の余地はあるけど、それはおいおいやっていこう」


 あとは描く道具だ。

 もちろん、抜かりはない。

 補助武器として携帯している短剣を抜くと、鞘がペンケースになっている。

 そこには何十本もの色鉛筆が詰まっていた。


「これで暇潰しがはかどるな!」


 俺は血生臭い戦場を駆け抜けながら、遠くの美しい風景を写生することにした。





 数週間後。

 今日も今日とて戦場だ。

 魔物の穴から大量の魔物が現れたらしく、それをせん滅している最中らしい。

 まあ、俺にはあんまり関係ないことだ。飛び散る血肉の色と悲鳴がいつもと違うぐらいだろう。

 戦いなんて野暮な世界には興味がない。俺には芸術の世界が待っているのだから。

 手慣れた感じで盾の机を固定して画用紙をセットする。ここでいつもなら色鉛筆を取り出すのだが、今日の短剣の鞘に入っているのは絵筆だ。


「色鉛筆画にも飽きたからな。そろそろ、水彩画にランクアップしてみるとしよう」


 まずは下書きを鉛筆で書く。なかなかの出来だが、ここからが本番だ。

 絵の具の水は水筒から出せばいい。絵の具は短剣の鞘に絵筆と一緒に入れている。

 あとは絵の具を溶かして混ぜ合わせるのに必要なパレットだ。

 揺れと風圧で絵の具が飛ばないように、少し深い器がいい。そう思った俺は既にある物を改良しておいた。

 俺は鎧の肩当に手をやると、それを取り外す。

 そう、この肩当の内側に仕切りをつけ、パレットとして使えるようにしておいたのだ!

 小道具作りで木工や革製品の加工の腕が上がってきた俺は、それだけでは満足できずに更に上を目指した。

 週に二度、鍛冶師の元で修業をして鉄製品の加工にも手を出している。

 さすがに一から作り出すのは無理だが、ちょっとした加工程度なら何とかなるようにはなった。


「殺伐とした世界には興味がない。俺は芸術に生きる!」


 魔物の意味不明の叫びを無視して、画用紙に向かい合う。さっそく作品に取り掛かるとしよう。

 肩当パレットには指を入れられるようにしているので、それを左手に装着する。

 絵の具を出して、筆先を水で湿らす。

 うんうん。揺れた背中の上での作業だが慣れたもんだ。

 溶かした赤で夕日を塗っていく。


「んー、ちょっと濃いな。もうちょっと水で伸ばそう。いちいちつぎ足すのも面倒だから赤を多めに溶かしておくか」


 絵の具の赤を大量に肩当パレットに出し、水も多めに入れて混ぜていく。

 それを筆にたっぷりつけて描こうとした瞬間、いつもより大きくフェンリルが揺れた。


「うおおおおおっ!? ど、どうした?」


 こんな動きは初めてだ。

 芸術の世界に飛んでいた意識を戻し、戦場へと目を向けると目の前に大きなドラゴンがいた。


「えっ?」


 すっかり忘れていたが、ここは戦場で魔物の群れのど真ん中だった。

 人間の軍と違い桁外れの化け物がいても不思議ではない。


「あ、あああ、あ……」


 口からは情けない声が漏れ出る。

 フェンリルが強いのは重々承知だが、魔物の中でも上位に位置するドラゴン相手に勝てるかどうか。俺には判断ができない。

 そんな俺の心配など届いていないようで、身をかがめて体勢を低くしたフェンリルがドラゴンへと飛び掛かっていった。





「お疲れさまでした、フェンリル騎士様! ああっ、フェンリル様が血まみれに!?」


 戦場から帰ってきた俺たちを見て、お世話係の新米騎士が慌てて駆け寄ってくる。

 フェンリルの体にべっとりとついた赤い液体を見て取り乱したのか。


「いや、大丈夫だ。フェンリルの傷も塞がっている。今日は休んで構わない。こいつの血も汚れも俺が流してやるよ」

「で、ですが……」

「構わないと言っている。これは命令だよ?」

「わ、わかりました!」


 脅すような口調になってしまったが、これは仕方のないことなのだ。

 俺以外にフェンリルを洗わせるわけにはいかない。だって、この赤い液体は絵の具だから。

 あの後、ドラゴン相手に苦戦することなく、あっさり倒したのはいいのだが、揺れで大量にこぼした赤い絵の具がフェンリルの毛を汚してしまった。

 ……矢は加護とやらで防ぐのに絵の具はダメらしい。


「悪かったよ。金輪際、水彩画はやらないから怒らないでくれよ」


 絵の具が気持ち悪いらしいフェンリルはご機嫌斜めで、そっぽを向いている。俺は心を込めて体中を水洗いした後、全身を撫でまわして何とか許してもらえた。





「今日は盾を持って行かないのですか?」

「ああ。しばらくは必要ないからね」


 新米騎士にそう返して、いつものようにフェンリルに跨る。

 前回の反省を生かして、今日は盾の机も持っていかない。

 城から離れると、俺は短剣を引き抜く。

 その音を捉えたフェンリルがこっちを向いた。その目は、また絵を描くつもりじゃないだろうな、と疑いの眼差しだった。


「もう、絵は描かないって。今日はこの短剣型笛で音楽を楽しもうと思ってね!」


 遠くからは短剣にしか見えないお手製の笛を取り出し、フェンリルに見せつける。

 狼なのに呆れた顔をしてため息を吐いたように見えたが、きっと気のせいだ。

 これからまた死が充満する戦場に赴くことになるが、俺がやることは決まっている。


「さあ、今日も有意義に暇を潰すぞ!」


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[良い点] 面白かったです。ちょっと嫌な目に合っても、まだ懐いてくれてるフェンリルが可愛いです。
[良い点] ある意味すごい人だと思いました。いっそ、フェンリルの上で描いて演奏できるパフォーマーになった方がいいんじゃないかと思いました。
[良い点] なぜこのフェンリルは懐いてしまったのかw そしてなぜ背中に乗せるw
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