(59)失敗
血まみれの研究所を金髪の女と若い男が二人で掃除していた。
女が急いで帰ると男は壁際で気絶していた。
それだけで命に別状はなかったので女は胸を撫で下ろした。
床を拭きながら女は言う。
「人の心を不安と緊張、そして絶望に導く音波を流して…無意識のうちにマインドコントロールや洗脳を受けやすい状態にする。果ては戦争を受け入れさせることも可能な…大発明だったのに…」
「アイル、自分を責めるなよ」
「そんな訳じゃない。…こんなしくじったら研究所取り上げられるわ。私の命も危うい…それはあなたもよ、ロイ」
「…分かってる」
「遺体は全て実家に送って。電気が壊れて爆発したってことにして。…まるで落雷だわ」
ため息混じりに女、アイルは言った。
多摩は垂華の気を辿っていく。
ふと微かな巫女の気の変化を捉え、表情を和ませる。
「良かった無事よ。今二人でいるみたい」
垂華は下を向いている。
巫女の気が、心遣いが温かく嬉しい。巫女の気が身体に行き渡ると、命まで瑞々(みずみず)しさが湧くように感じた。
膝立てで垂華の胸に指先で触れていた巫女が指を離し手を引くと、表から消え元の威咲に戻り倒れた。
垂華は抱き抱えて揺り起こす。威咲はすぐに目を開けた。
「…垂華君?なんで…」
確か若い男に腕を掴まれて…
「今まで巫女が表に出ていたんだよ。そしてさらわれた所から戻って来たんだ」
「そう…」
ほっとした顔をしてすぐ威咲は思い出してハッとした。
「私、人を殺した気がする。ぼんやり夢みたく見た。どうしよう垂華君…」
「威咲ちゃん、それは…夢じゃないよ…」
威咲が瞠目する。
「巫女が魔物にとり憑かれた人をやったんだ。手の施しようが無くてそうするしかないんだよ」
威咲の顔が歪んだ。
「私また記憶が無い。このままじゃいつかみんなに迷惑かけてしまうから、私のことはほっといて…」
垂華は抱きしめて落ち着かせようとした。
威咲の目から涙がこぼれる。
「垂華君、離して?私、私…」
垂華はゆっくり離した。
「あのね、…なんでもない」
威咲は言いかけた言葉をやめた。沈鬱な顔をする。
「…威咲ちゃんが入れ替わっている間はいつも巫女が出ているよ。魔物だったらこうしているはず無いじゃん、もしそうだったら威咲ちゃんが身体だとしても殺さないといけないからね」
威咲は頷いた。
「だからもう消えなきゃいけないっていう考えはやめて欲しい。…それに、また今回みたく君を狙う連中にさらわれたら、それこそ悪用されてしまうよ」
「でも…」
「…残念だけど、魔物の魂は転生する…死ねばいいってわけでもないんだよね」
威咲が言葉を無くす。
「記憶が無いから不安だと思うけど、本当にさっき言った通りだからね。威咲ちゃんには俺らと一緒にいて、魔物退治をして貰いたいんだ」
威咲の目を見て話す。威咲は頷いた。
「不安があったら聞いて」
「…私、消えるの?入れ替わったまま二度と戻らないんじゃ…」
「…ごめん、それは分からない」
威咲は目を丸くした。その目に涙が溜まる。
「だけど、俺らは巫女に仕える存在だから、一緒に魔物退治をする仲間だから、君が必要なんだ。
本当に。忘れないで、力を貸して欲しい」
威咲は放心したようだったが、やがてしっかりと頷いた。
「分かった。本当にもうこんなことしない。本当にごめんなさい」
涙を拭く。今まで後ろ向きだった目に再び光が宿った。
「私今までどうかしてた。ちゃんと前を見て受け止めていかないといけないのにね。覚悟がついたよ…もう私、逃げないから…よろしくね?」
威咲が微笑んだ。
私はもしかしたらいつか消えるのかも知れない。けど悪用されるわけにはいかない。
巫女になるならいい。それまで…威咲として精一杯生きよう。
そこへ多摩の声がして振り向いた。
「ようやく見つけたわー!もういなくなるなんてしないでよ~?」
「うん、ごめんなさい」
「でも無事で良かった」
そう言って多摩は威咲に抱きついた。
そこで威咲は一夜と目が合った。
「…」
威咲の目が揺れた。無言の一夜が、ひどく疲れたようで。
金髪の女がアイルで、若い男がロイ。名前やっと出たよ!
今夜は空気が澄んでて半月が冴えてて、コオロギ達の虫時雨、チカチカ光る星ぼし…夏の大三角も、カシオペアも。他の知らない星も。綺麗な夜でござい。




