●(35)普通の日々
一夜は本当に何事もなく普通の毎日を過ごしていた。
ただ、何かが足りなかった。何が足りないのかは分かっていた。
彼女なんてさらさら作る気も起きなかった。
ただ、誘われて全て断るわけでもないだけで、奥手だと思われているかもしれなかったがそれはどうでも良かった。
4年前できた顔馴染みは大体結婚してるか決まった恋人がいてみんなそれなりに幸せそうだった。
少しだけ気後れすることもあったがまだ結婚なんか考える気もしなかった。
一夜の心にずっと引っかかっているのは、あの日の威咲。
赤くなってうつむいた顔が今も気になる。
もう何回も他の女とやることをやって、それが普通だと思っているのだが、もうだいぶたつのに心の片隅で弱くても息づいていて、消えることもなく、何もない夜なんかよく答えもなく思い出す。
そのおかげで心が柔らかくいられるのは分かっていた。いなくなってもあいつがずっといて、心を温めてくれていることには気づいていた。
いつも手を引いてるのは俺の方だったけど、威咲が側にいることで心が守られていたんだと思う。いつも柔らかく受けとめてくれて、安心できた。いつも、笑顔を向けてきて…。なんなんだよ。
好きだとか恋だとか、そんなのじゃない、あいつは。
俺が守ってるつもりだったけど、守られていたのは俺の方だったんだ――――――――――
不意に涙が出て、一夜は自分でも驚いたがそのままにする。なぜか一筋涙が頬に伝って、一夜は座ったまま自分の部屋の壁にもたれた。
無言で明かりの無いまま。こんな夜に考えるのはこんなくだらないことばかりだ。
終業の時間になり、今日終える予定の分は無事全部書き終え、中指のペンダコ防止用ゴムを外す。
お疲れさま、などと適当に挨拶を交わし帰途につく。
今日は一夜が夕食を作る日なので、店に寄る。
オムライスに使う卵とトマトやパプリカ、玉ねぎなどとついでにこれはいつ食べてもいいベーコンとチーズも。あとパンにレタスとセロリ。
こんなもんか、と呟いて帰る。
ラジオをつけて調理を開始する。
トマトとパプリカに玉ねぎのみじん切りとご飯を塩胡椒で炒め、ケチャップライスを作り皿に盛り上げる。
フライパンを拭き、油を足して溶き卵の半量を入れる。
割と料理も好きなので、手の込んだことはしないが手際よくこなしていき二人分のオムライスは完成した。
そしていつも通りにオッサンが帰宅する。
二人で夕飯を食べてオッサンが皿を洗う(夕飯は作ってない方が皿を洗う)。
なんだか帰った時から言いたいことでもある感じで一夜は気になった。
皿を洗い終えてオッサンが居間の一夜に話しかけた。
「一夜、ちょっと話がある」
「何だよ」
いつになく真面目な顔だ。一体なんの話だろう。
「実は今日、な…」
いったん言葉を切り、言いにくそうな顔をした。
「早く言えって」
オッサンは小さくため息をついて言った。
「今日、お前の父親を見かけたぞ」
「え…」
一夜は全く想像していなかった言葉にぼう然とした。
家にあった写真でのみ知っている父親。一夜の母親が死んでから蒸発して生死不明になっていた男。
「本当…に?」
「ああ、間違いなくはっきり見た。少し年をとってやつれていたがあれは間違いなくお前の父親だ。2年前手紙がきてからそれきりなんの連絡もなかったが…」
いつも一方的で短い内容だが最後の手紙は特にそうで、俺のことはもう心配いらない、元気でやってくれとしか書いていなかったという。
昼休みに通りの向こうを歩いているのを見たらしい。
小綺麗ではないがそれほど酷い身なりでもなかったらしいが、クタクタの服で髪の毛はボサボサで無精ひげが生えていたらしい。
「とりあえず生きていて良かったな。だがありゃどうやって生きてるのか」
首をひねってオッサンは一夜を見た。
「おい、どうする?」
「どうって…」
「お前父親を探して放浪してきたんだろう?」
一夜は顔面蒼白だった。
「もしかしたらこの街に住んでるかもしれない。もし見つかったら…」
「…ぃいよ、会わなくて」
「だけど一夜、もし向こうから接触してきたらどうする?」
一夜の目が見開かれて揺れた。
手紙をよこすということはここの住所が分かっているということだ。いつも自分の住所は空欄らしいが…。
一夜はかすれる声で言った。
「父親のことはどうでもいいし。今更会ったって何も話すことなんかないし、また知り合ったらこれから先面倒になんの見え透いてる」
「そうか?…なら俺もこれから先もしまた見かけても声はかけんぞ」
「ああ、頼む…」
動揺して力無くうなだれる一夜の肩をオッサンが優しく叩いてやった。
サブタイトルは普通の日々を望むのに…って意味です。威咲のことと父親のことでダブルで凹みますね。一夜にとって威咲って?次回お楽しみに⭐




