●(31)さよなら
次の日起きたらちゃんと寝ていたので一夜が直してくれたんだなと思うと少し恥ずかしかった。
「あの、昨日は布団ありがとうね」
「ああ…、お前あれくらいの量で酔い過ぎなんだよ。寝る前に俺が何話したかも覚えてねーだろ」
「えっと、何だったっけ」
「てめ~人の話を~」
頭をロックされる。
「わー、待って今思い出すから!えーとね、えーっと…あ、酔っぱらいの話?」
「よろしい」
ロックが外される。
威咲は髪をほどいて櫛を通す。結い直すのだ。
「それからお前さあ、酔った時でも寝るまではちゃんとしろよ?今後は何かあっても知らねーからな」
威咲は目をパチクリさせる。一夜は呆れ顔で言う。
「お前は無防備過ぎるって言ってんの!」
「あ、うんわかった」
とりあえずそう返した。
まったくお前ほんとにわかってんのか、俺以外まあ垂華はどうか知らないがその他の男の前で同じことしてみろ絶対何かされるからな大体男に対して警戒心がなさ過ぎる云々…久しぶりに説教された。
「はーい、すいません気をつけます」
「わかったか」
一夜は、ふん、と腕を組んで見せた。
威咲は笑った。もう泣かない。
それからの数日間、威咲はけして泣かなかった。時々切なかったけれど、我慢した。ずっと笑顔を見せていられた。多摩も名残惜しそうにずっとつきまとっていた。
一夜が出ていく前日の夜、一夜が風呂に行っている間に威咲は手紙を書こうと思った。そして荷物にこっそり入れておくのだ。
だが書きたいことがあり過ぎて、書いたら長くなってしまう。
さんざん悩んで、結局一言だけにした。今までの出来事や一夜への気持ちを全部その一言に込めて。
それを書き、メモ帳を切り取ると、少し迷ったが威咲はそれを一夜の上着の内ポケットに入れた。
そして気づかれないように知らないふりをする。
元気でずっと変わりなく、そして幸せになれますように。そんな願いを込めた。
出ていく日もいつも通り、朝食をとって身だしなみを整えて。
垂華が来て半分冗談めかして言う。
「一夜、餞別いる?」
「いや、いらない。住む所見つけたらすぐ働くから」
「そうか」
多摩が一歩前に出て言う。
「一夜君元気でね?最後に抱きついていい?」
「あ?ああ」
一夜にぶら下がった多摩を見て垂華が頭を抑える。
威咲と目が合った。威咲は微笑む。
「忘れ物はない?」
一夜の荷物は大きなカバンひとつ。
「ああ、ないはず。今朝確かめた」
離れた多摩の頭を撫でてやる。
「そう。一夜、今まで本当にありがとうね」
一夜が少し笑って見せた。
「じゃあ、世話になったな。それじゃあ」
「元気でね」
「あたしたちのこと忘れないでね」
「一夜、俺たちのことは秘密だぞ」
「わかってる。じゃあな」
日常そう言うように言うと手を振って行ってしまった。あまりにいつも通りに普通な調子でいなくなってしまった。
後ろ姿が見えなくなるまで見送って、威咲は肩の力を抜いた。
良かった。最後まで笑顔でいられた。
「あーあ、寂しくなるわ…」
多摩が寂しそうに呟いた。
部屋には本当に一夜の物は何一つ無かった。跡形もなく消え去ってしまった。
威咲は上着の内ポケットに入れたメモを思った。あれには一体いつ気づくだろう。
幸せを願って書いた。たとえその時そばにいるのが自分ではなくても。
幸せ。スズミとタク夫婦のことが思い出された。本当にいい夫婦で、明るい温かい家庭だった。
一夜もきっといつかは誰かと家庭を持つだろう。そう思うと胸が締め付けられた。
だけどそれが一夜の選択だから。私は置いてけぼり――――――――――
一人で過ごす夜、一夜がいないとこんなに時間が長いんだとあらためて思った。
一人なのは二度目だが、前は気が気でなかったため暇だとは感じなかった。
だが今は違う。これからずっとこうなのだ。
二人の時は気にならなかった風の音がした。いつもならこの時間はゲームをしたりしていた。たまに多摩と垂華が入ったりして。勝った負けたで毎回騒いでいた。
しんとした室内は妙に広くて何だか虚しい。
「これに早く慣れなくちゃ」
今日はもう寝ようかな。どうせやることも無い。
なんだよもう寝るのか
不意に一夜の言いそうな声がよみがえった。読んでいる本から顔を上げる仕草も。
じゃあ俺ももう寝ようかな
そう言って自分の布団に寝転ぶのだ。
いつも着ていた染めていない毛糸のくすんだ白の模様の無いセーターや、それと交代で着ていた灰色の服、VネックのロングTシャツや雑草みたいにまっすぐだが猫みたいにしなやかな背中が、浮かんだ。
あの背に一度おぶさったっけ。
思い浮かべているとじわりと涙が浮かんできた。
もう泣いていいんだよ。…もう寝よう。
外は雨が降っている。
おーいこれでいいのかー!
でもこんな状態はまだまだ続く。
今は(ストックは)終盤戦にさしかかり、漸く見通しがついた気がする。あとはあらすじと比べながら慎重に進むのみ⭐頑張ろう⭐




