●(158)垂華の真実
…髪も服も、濡れて重たい…
垂華はまだ時折稲光のする妙な明るさの夜空を見上げた。
雨はもう普通に降っているが、自分の分だけはきちんとやらないといけない。
一夜と威咲には隠しているが、最近垂華は身体が弱ってきていた。
頭からすっかり濡れて、体温が奪われる。
もう限界なこの身体は、冷えてしまうと体温調整が鈍くなる。身体はすっかり冷たい。まるで死人の身体…。心臓だけは弱く術を使って動かし続けているが。
息をひとつついて垂華は気合いを入れ直す。
雨はもう大分強く降りつけている。
一夜と威咲はザーザーという雨音に耳を澄ませていた。
「二人ともずぶ濡れになってくるはずだから、大丈夫かな…風邪とかひかないかな?」
心配そうに威咲が言った。
「もう日付が変わるな」
懐中時計を見て一夜が答えた。
その時カタッと音がして、ゆっくり入り口の戸が開いて聞こえる雨音が大きくなった。
垂華だ。やはりずぶ濡れで、髪や服から水が滴っている。
「…」
垂華は固い表情で静かに入ってきた。
「垂華君おかえり。雨、大変だったでしょう?」
「…大丈夫だよ」
ようやく少し微笑んだ。
だがその顔色は紙のように白い。嘘なのは明白だった。
一夜が立って歩み寄った。
「大丈夫じゃねえよ、とりあえず脱げよ、乾かさねーと」
「いいよ絞っとくよ」
伸ばした一夜の手をよけた垂華の手は白く冷たい。
「よくねえって風邪でもひいたら…」
一夜の手が早く、垂華は押さえたが服が一瞬めくれてしまった。
一夜が目を瞠る。見えてしまった。腹部の傷――――――――
嫌な予感がした。
「垂華、お前その腹の傷いつついたんだ…?」
「大丈夫、昔の古傷だよ」
「見せろよ」
「…っ」
はだけた腹部には癒着した部分が変色している2つの傷跡があった。傷跡は腐りかけ始めている。
「大丈夫じゃないだろ…いつこんな」
「…見せたくなかったのにな」
垂華は今まで人前で水に入らなかった。シャワーさえ個室を使った。それはこれを見せない為だったのか。
「それは銃だよな」
一夜は背中側も確かめる。垂華はもう抵抗しなかった。
背中側にも同じように傷跡があり、貫通したのが分かる。こちらの傷は腹側よりも傷んでいる。
「お前…」
「…さすがにね、50年も経つと傷んできちゃって、もう限界になってきてるんだよね…」
口の端に自嘲気味な笑みを浮かべて言った。
「…50年…?」
背中を冷たい感覚が走った。
「お前…今24じゃなかったのかよ…」
「…俺は21歳のままなんだ。この身体がある限り…」
まさか、だけど信じたくない。
息を呑んだ一夜を見据えて、垂華はとどめのように真実を口にした。
「俺は、50年前21で死んだ。でも自分で自分に術をかけて蘇生した…生きているけど死んでるんだ…毎日かけ直す術をやめてしまうとただの死体に戻るのさ」
「何言って…」
信じたくない気持ちからつい口をついた言葉もすぐ止まった。一夜は4月に山で見たシンハと垂華のことを思い出した。そういえばあの日気を与えているシンハの手は垂華の腹に当てられていたのか?
「…解散するまで秘密のままにしておこうと思ってたけど…実は俺は死体なんだ」
静かに笑んだ垂華は落ち着いて穏やかな表情をしていた。ただ少し悲しそうに見えた。
「かっこいい奴として別れて、後で普通に死んだことにして多摩に伝えてもらう予定だったのにな。これじゃあ恥ずかしいな」
「そんなこと無いよ。垂華君はやっぱりかっこいいよ」
それまで黙っていた威咲が言った。
一夜が振り向くと威咲は静かに落ち着いて、受けとめたようにこっちを見ていた。やはり少し悲しそうに。
「…威咲ちゃん…」
動じていない威咲の目を見て、垂華は何か悟ったようだった。
まさか、威咲は気付いていたのか?
「ありがとう」
垂華が少し下を向いて言った所に、また入り口の扉が開いた。
帰った多摩が中を見て、様子を悟って言った。
「バレたわね」
少し泣きそうな声だった。
巻いていた理由が分かった。こいつらは、多摩も威咲の事を知る前から、垂華のために巻いてたんだ…結果的に威咲の事も出てきて、それで正しかったんだ。
「俺のこと、軽蔑する?」
「そんなこと無いよ…きっと、大事なことのためって思う…」
「威咲…」
威咲を見ると、意を決したように垂華を見ていた。
「あのね、垂華君…私…ラナさんの話知ってたんだ」
「!」
「前に垂華君の様子がおかしかった時、多摩ちゃんに聞いて…それに、…私ね?…」
「!威咲ちゃん」
大丈夫、と多摩に小さく首を振る。
「私…ラナさんの夢、見てた。ずっと、垂華君たちに再会する前から繰り返してきた声の夢があるの。それは、ラナさんの声だったの。
夢の中でシンハが言ったよ?ラナさんの欠片だろうって。だから…ラナさんがいる訳じゃないよ?でも私の中には確かにラナさんがいたんだよ…」
垂華の目が見開かれて絶句している。
「でもね、私…垂華君には優しくしてあげるしか出来なくて、ごめんなさい。ただ、ラナさんのことはいつか教えなきゃって思ってたから」
垂華は長いまばたきの後、一度目を伏せてから微笑んだ。
「威咲ちゃん、ありがとう…ずっと待っててももう取り戻せないって、薄々は気付いてたんだよ…でもやっぱりどこかで諦めきれてなかったから…教えてくれてありがとう」
「垂華…俺も、別にお前のこと今更避けたり、蔑んだりとかしねーから。お前が例えどんなでも、もう受け入れてやる」
垂華は一夜に小さく笑んだ。
多摩が泣きそうな声だったのは、多摩は仲間をすごく大事にする奴だから。だからラナの存在は垂華に言うなと言ってたの…
垂華の自白、辛かっただろうけど、もう諦めたんだね…




