三章 憤怒と結罪
用語紹介
五大ギルド:
四つの領域にそれぞれ一つずつある大ギルドのことを指すが、残りの一つは所在が知られていない。
それぞれがとてつもない勢力を保持していると言われており、世界に多大な影響を与えている。
魔法:
身体に血液とともに流れる魔力と脳で鮮明に作られたイメージを使用して発動させるもの。
魔法はほとんどが人それぞれのイメージによる固有能力だが、魔法を教わる学校の授業では、階梯魔法という基礎魔法しか教えられることはない。
「ガイン、私の能力占いでもうすぐあの子の依頼を受けてくれる者が現れるって出たわ。
もし、この依頼を受けるやつが来たらレベルは関係なく受けさせなさい」
「俺は、失敗しそうなやつに依頼を預けられないぞ」
「これはマスターからの命令よ!」
女性の怒りを含んだ大きな声に一歩だけ後ずさったガインと呼ばれた大男は、大きくため息をついた。
「わかった。あんたを信じるよ」
「依頼受注者が来たらこれを渡してちょうだい。絶対に役に立つから」
女性は大男にワラ人形を一つ預けると椅子から立ち上がり近くの窓に手をつけて空に視線を移した。
「もっと私に力があれば、私がどうにかしたいのに。ここまで自分の無力を痛感させられたのは初めてだ。
子供一人の願いすら叶えられないなんてギルドマスターが聞いて呆れるわ。それと、受注者に伝言をお願い。ミレイナを助けてあげてって」
「わかった」
女性は足元に魔法陣を展開するとその場から一瞬で姿を消した。
「あんまり、気を詰めるんじゃないぞ、リンダス」
大男は一人で、先ほどまで空を眺めていた女性が立っていた場所を眺めて小さな声で呟いた。
もちろんその言葉は彼女には届かず、誰もいない酒場に行き場のない言葉は消えていった。
*****
「少しは落ち着いたかしら?」
「ああ、悪いな」
「別にいいわよ。あんな状態で戦いに挑むのは得策じゃないって思っただけだし」
俺は、夢の中で起こったはずの戦闘で披露を感じており、アセディアにそれを見抜かれ強制的に休まされてしまった。
早く憤怒のところへ行かなければ無駄な被害が出てしまうという心の焦りが俺の疲労を悪化させる。
「そう焦っても仕方ないわよ。イラーが動き出すのは多分、明後日頃だと思うから今はゆっくり休みなさい。それに、あなたに聞きたいこともあるしね」
「聞きたいこと?」
「夢の中で使った…あの炎牙暴食って心象魔法よね?なんであなたが心象魔法を使えるのかしら?」
幾度となく、なぜ夢の中で起こった出来事をアセディアが知っているのかと尋ねたが、見事にはぐらかされたため俺は諦めて彼女の問いに対しての一つため息を零した後に答えを探し始めた。
「信書ノ悪魔に会ったんだよ。
四年前のあのときに…」
"あのとき"という不確かな言い回しでも、四年前に起こった大きな事件と言えば俺が言いたいものしか存在しないため、アセディアは容易に答えを導き出した。
信書ノ悪魔という名を口にした途端、思い出したくもない記憶が溢れ出す。溢れ出してきた記憶を押し留めることすら出来ずに、信書ノ悪魔という存在について自然に口が動き出し、脳は記憶の再生を始める。
*****
これは四年前、金属暴走事件と呼ばれる騒動が起こった日。
「速報です。ただいまアイオス領にあるブルク村の住人が金属化しているという情報が入りました。
金属化の被害を受けた地域は、これで八箇所になります。一体、どこまで増えてしまうのか予想が出来ません」
薄暗くなった街中を歩くフードをしたイクスに、売り物のテレビに映った女性アナウンサーの声が流れ込んだ。続いて、避難勧告や魔法専門家を名乗る人物とアナウンサーによる会話が行われているが、その話が明確な結論に行き着くことはなかった。
「一体、なにが起こってるんだよ」
イクスは無意味な口論を続けるテレビに映るニュースを見ながら小さく呟く。
だがそんなニュースでの出来事がイクスの目の前でも起ころうとしていた。
「くぁっ!」
イクスを襲った不気味な魔力はどんどんと膨れ上がり、あたりを包み込む。
だがそれに反応したのはイクスだけであり、周りにいた人間はいきなり蹲ったイクスを不思議そうに見ていた。
「なんだよ…これ…頭をかき乱してきやがって…。
どこ…から…だ」
蹲って苦しむイクスを他所に彼を見ていた人々が、なんの前触れもなく虹色の結晶に包まれた。
一瞬でイクスの周りは金属結晶だらけになり、彼の頭痛によって度々零す苦しみの声だけが辺りを彷徨った。
「ほう、僕の魔法を掻い潜るなんてね。
さすが僕の…いや、まあそんなことはいいか。
生きているのなら殺すまでだ。悪いけど死んでもらうよ」
建物の影から現れた仮面の男は右手に持った薙刀をイクスの首元に伸ばす。
だが、薙刀は寸前のところで金属音と共に宙を舞う。
「何者だ!」
「信書ノ悪魔。かつて私をそう呼ぶ者はいたが本当の名などとうの昔に捨てたわ。
無様だな、イクス・ミリアード。
貴様はもう何も失わないと誓ったのではなかったのか?やはり人間は口ばかりだな」
もはや、頭痛に耐えきれなくなったイクスに意識はない。
だが信書ノ悪魔と名乗った女性は、イクスに語りかけながら少しずつ金属化していく彼の手足に視線を寄せた。
「悪魔の娯楽に少し付き合ってもらうぞ、没落王子よ」
「悪魔などとたわ言を…。だが悪魔を名乗る者がなぜその男を助ける?貴様にメリットでもあるのか?」
「言ったろ?娯楽と」
苦笑した神は、仮面の男を不意を突き一瞬で距離を詰め鎌を振るう。
なんとか対応して後ろに飛んだ仮面の男だったが、一瞬のタイムラグとともにとてつもない苦痛に彼の顔が歪む。血が流れ出す、腹部を片手で抑えながら、ゆっくりと降下して地に足をつける。
「悪魔などと名乗る者が、随分こすいことをするんだな」
「こすい?バカ言え。私こそがこの世界のルールだ。こすいもへったくれもあったものではないわ。それよりいいのか?早く治療しなければ貴様が死ぬぞ」
「チッ」
女性に向かって舌打ちした仮面の男は、建物の影と同化するように姿を消した。
あたりから禍々しい魔力が1つ消えると、大きなため息を零してイクスに近寄る女性。
もう両足は完全に金属化し、上半身が飲み込まれるのも時間の問題に見えたイクスの身体に女性が手を翳すとパリンッという大きな音とともに彼を蝕んでいた金属は跡形もなく砕け散る。
「意識は…まだ戻らんか。
まあいい、これを預けて私は去るとしよう」
そう言いって女性は右手をひっくり返すと、そこから零れた白銀の光はイクスの身体に吸い込まれて消えていく。
「この世界を制する為に必要なのは力ではなく万物を知る知恵だ。だが、同じレベルの知恵を持った者が複数いるのならば、結局のところ力がモノを言う。だから貴様は……イクスは、負けるなよ」
*****
「そう、そのときに貰った光に心象魔法の知恵が入っていたわけね」
「火、水、風、地の四属性に分かれる通常魔法でどの属性にも属さないのが心象魔法。
でもこの知恵を貰ったときの記憶はほとんどないんだ。だから使うのはできる限り避けてきた」
「そうなのね。あと追記するなら、心象魔法のほとんどは発現者にしか使用できないものよ。
この特性から別名、固有魔法とも呼ばれてるわ」
それからも心象魔法の詳細をアセディアから教えてもらいながら、風魔法で飛行移動を続けるとランドリア領で最大勢力を誇る迷い猫というギルドにたどり着いた。
「あそこに降りましょ」
アセディアが指を指したのは迷い猫の拠点としてクーラリオ国の中央部に位置する大きな建物の窓だった。ギルドの裏窓から入ると、上位難易度の依頼が受けられる酒場についた。
近くにあったカウンターの椅子に腰を掛けて、軽く右手をあげるとそれに気がついた大男がこちらへ寄ってきた。
「おっさん、筆頭魔法協会についての依頼はありますか?」
「まさか本当に来るとは」
「なんか言ったか?」
「いや、あるよ。良いのか悪いのか複雑なところだが高額報酬のがたくさんな。
これを見てくれ、北にしばらく行ったところに、ガルディス遺跡ってところがあってだな。そこを拠点として筆頭のやつらがいるらしい」
「報酬は?」
アセディアが単刀直入に目的のものを尋ねると、後ろの掲示板に画鋲で貼り付けてあった一枚の紙を俺たちの前に差し出した。
「五百万カイン。危険だから前払いとして別に百万カインだ」
「ご、五百万!?そんなお金、見たことないわよ?それって本当に大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫だが、一気に五百万払えるわけじゃない。依頼者はミレイナという君たちと同い年くらいの女の子なんだが、祖父母も両親も兄弟も血族全員を筆頭の野郎共に目の前で殺されてな。
お金は全く持ってないんだが、一生かけて返すからってな。
なんか放っておけなくて、普通は報酬が用意されてないと依頼はもらえない決まりなんだが、俺がリンダスさんに相談したら返さなくて良いからその依頼を受けてくれた人に前金として百万カイン渡してくれってさ。どうする、受けるか?」
基本的に一人あたりの生涯賃金は五百万カインと言われており、その全てを差し出すなど死ぬことを宣言しているようなものだ。
だがそれと同時に、彼女の覚悟を意味していたのかもしれない。
同情などするべきではないとわかっているが、十年前に感じたもの、いやそれ以上かもしれない痛みを一人の少女が抱えていると耳にして、見て見ぬふりをするわけにもいかない。
それにこれはもう一石四鳥なのだ。
ミレイナという女の子を助けて、イラーを止めて、筆頭を倒して、金を手に入れる。
これ以上の条件が揃っていて断る理由などどこにもない。だがその前に一つ疑問があった。
「おっさん、この依頼っていつからあるんだ?」
「やっぱりそこが気になるよな。
今日で丁度、一年になるよ」
「なんでこんな美味しい話が一年も放置されてるんだ?」
「ここには生体実験によって作られたとんでもない魔力を持った怪物がいるらしくてな。
レベル八の魔導師も殺されてる。それ以来、受ける奴もいないんだ」
レベル一からレベル九に区分される魔法適正だが、レベル九は約二百億人いる人類の中でも八人という少なさであり、レベル八ですら百人にも満たないのである。
そのレベル八の魔導師が殺されたとなれば、こんなに美味しい話が放って置かれてるのも少し納得できる。
「好都合ね」
「ああ、おっさんこれ受けるよ」
「本気かい?あんたレベルはいくつだ」
「レベル三だよ。
実は最近、定期検査受けてなくてね。
違法とはわかっちゃいるんだけど、諸事情が。
だけど気にしないでくれ」
アセディアが言った通り、レベル八の魔導師を殺せるほどの魔力の持ち主がいるならイラーを釣るには好都合である。
ただ問題は、俺なんかにこのおっさんが依頼を預けてくれるのかだが。
「くっそ……。
やっぱりあいつの言った通りになるのかよ。
だがな、絶対に死ぬんじゃねぇぞ。
もう、俺が預けた依頼で誰かが死ぬなんて許せないんだからよ」
「わかったよ、任せとけおっさん」
「ほら、これ前金だぜ。受け取れ」
「おっさん、ありがとな」
彼が差し出した依頼書にイクスとサインを書き、酒場のカウンターから立ち上がった。
上位難易度の依頼を扱う管理者には、受注者の秘匿義務があるため、本名を名乗ったところで、さほど問題ない。管理者として許されるのは、その酒場を統括するギルドマスターの承諾によって、特殊な呪いにかけられた者だけだ。
守秘義務を破ろうとするだけで、その呪いをかけられた者は死へと追い込まれる。よって、彼を疑う必要などなく、信じない理由も特にはない。
一部の例外はあるが、そこを心配する必要もないだろう。
「君、これを持っていってくれ」
管理者に呼び止められて振り向くと、一つの小さなワラ人形が飛んできた。
「魔法の人形だ。リンダスからの伝言だ。
ミレイナを助けてあげてくれだそうだ」
「確かに伝言を受け取ったよ」
管理者に背を向けて、入って来た窓から身を投げた。
「風よ」
俺の発声と共に足元に風が生成され、落下速度は殺されてゆっくりと地面に足がついた。
アセディアがついて来てることを確認しつつ、前金でひとまず空腹を満たすことにして近くの食堂に立ち寄ることにした。
*****
「ずいぶんあっさりと依頼を預けたよな、あのおっさん」
「そうね。なんかいい様に使われてる気がするわ」
警戒心を強めつつも、俺たちは食堂のテーブルを後にして外への扉を開けた。
「あの、貴方が私の依頼を受けてくれた方ですか?」
食堂を出てすぐ、同い年くらいの少女に声をかけられ、俺とアセディアは足を止めた。
「私、ミレイナ・ローレっていうの。
この名前に聞き覚えは?」
「あ、依頼者の子か」
「アセディアさん、イクスさん、私も連れてってもらっていいですか?
足は引っ張りませんから」
「私は反対ね。この子を私たちの戦いに巻き込むのは良くないと思う。
それに相手が復讐の標的なら尚更だわ」
上位難易度の依頼を扱う管理人が受注者の情報を話していい人物は二人に限られている。
それが先ほど言った例外なのだが、それは管理人に呪いをかけたギルドマスターとその依頼を申請した依頼者だ。
そのため彼女が俺たちの名前を知っていたところで不思議ではないし、どうやら彼女は俺の名前に対して何か気づいてる様子はなかったため、特に問題ない。
だが、彼女を連れて行くか否かは、別の話だ。
アセディアの言う通り、俺たちは、あくまで最終目標をイラーの無力化としており、筆頭の討伐ではない。
筆頭はともかく、イラーと戦うことになれば全員、無事では済まないだろう。
何より、彼女がイラーと戦う理由などどこにもないのだから。
それに仇を前に平常心を保てる者など、恐らくこの世には存在しない。
「アセディアに同意だな。君を連れてく理由がない」
「筆頭がいるガルディス遺跡の警備は厳重です。
ですが、隙ができる時間も私は知っています。
連れて行って損はないと思います」
「どうするの、この子かなり頑固そうだけど。
最終的にはあんたに任せるわ」
「はー、わかったよ。
その情報は役に立つだろうし、一緒に来てくれ」
「ありがとうございます」
一礼した彼女は、俺たちにガルディス遺跡までの案内を始めた。
やたらと険しい山奥へと足を向けて、ゆっくりと歩き出す。ミレイナが何度かアセディアに話しかけていたが、彼女が素っ気なく返答するため会話はまともに続くことがなく、気がつけば遺跡近くまでたどり着いていた。
*****
「貴方って、優しいのね。
情報なんて必要ないのに、仇のことを考えてわざわざ連れて来てあげるなんて」
「なんのことだよ」
森の中をミレイナに案内されつつ、彼女の少し後ろを歩く俺とアセディアは、彼女に聞こえないように小さな声で会話をしていた。
「まあ、いいわ。
でも連れて来たならそれなりの覚悟を決めることね」
「わかってるさ。ただ問題はレベル八を殺したとかいう怪物だが」
「そうね。
どんな技を使うかわからない以上、警戒は続けるべきでしょうね」
「二人とも、着いたよ。ここで止まって」
ミレイナは小さな声で俺たちを止め、茂みに身を潜めた。
彼女に言われた通り、俺たちも茂みに隠れていると、二人の人影が会話しているのが見えた。
しばらくするとその片方が遺跡の中に入っていった。
「通常、裏口の警備は八人態勢なんだけど、この時間だけ数分間だけ一人になるの」
「あの一人はどうするだ?
これだけ距離があるから近づく前に叫ばれたりすると面倒だぞ」
「ここは私がやる」
「頼む」
大きく深呼吸をしたアセディアは雰囲気を変え、目でしっかりと見張りを捉えた。
先ほど、心象魔法について話したときに挙げた彼女が持つ心象魔法の一つ。
視界に移る景色を一センチ毎にマス分けして立体に捉えることで、完全なる空間把握を可能とするものだ。
「アセディアさんは、何をやってるんですか?」
「通常では地水火風の四属性しか存在しないけど、実は世間一般では知られていない心象魔法というものがあるんだ。
これは四属性のどこにも属さず、発現者しか使えない特殊な魔法なんだよ。アセディアはそれを使おうとしてる」
俺はアセディアの集中を阻害しないように、気を配りながら小さな声でミレイナに説明を続ける。
っと言っても魔法について口頭で説明するのはかなり無理がある。
「直接触れている物を燃やしたり、凍らせたりする簡単な魔法は、努力次第でいくらでも覚えられるけど、心象魔法は違う。
心象魔法は、辛い記憶や、恐怖心とか疑念とか異常に強い感情から突然生まれるものだからそう簡単に発現するものじゃないんだよ」
世間一般では地水火風の四属性しか知られておらず、心象魔法の存在を知る者は数少ない。
ただ階梯魔法と呼ばれるランク分けされた通常魔法が存在し、これが学校などの教育機関で教わる魔法になる。
これは強力すぎる魔法を生まないために連合政府が考えた決定事項であり、イメージについて知るのは全人類の一割にも満たないだろう。
「まあ実際に見た方が早いよ。ほら見てろよ」
「よし、行けそう。ふぅー……。
天光、眼に届くとき、我の力となり光を別て、空間把握」
イメージをより鮮明にするために行われる詠唱は、後ろに座るアセディアの右目の中に魔法陣を展開した。
目に入って来る、空間を一センチ毎にマス分けした膨大な情報量が脳にどれだけの負担になるのかすら、俺にはわからない。
「じゃあ、私が合図したら来て」
アセディアは、
俺たちに親指を立てた後に手を振った。
「座標移動」
一瞬にして消えたアセディアの魔力を探し、遺跡の方を見ると、既に見張りは地面に倒れ込んでいた。
彼女がこちらに向かって軽く手招きしたのが見え、ミレイナを連れて彼女の方に走った。
見張りは特に外傷はないが、一切魔力は感じられなかった。
魔力の完全欠落は、死を意味する。
この世界では、誰もが生きたまま最後まで魔力を使うことを許されていないのだ。
それからしばらく走り続ける俺たちだったが全員が感じていた異変をアセディアが口にする。
「おかしいわね。誰もいないなんて」
「そうだね。まさか深部で待ち構えているんですかね?」
「それはないと思う。道は一つだったし、これだけ通信妨害の結界が張られているから、さっきアセディアが倒した外の見張りが見つかったところで、俺たちよりはやく深部に行くなんて不可能だから」
「ぎゃああああああああ」
走りながら会話を続けていると、奥の部屋からとてつもない断末魔が聞こえて来た。
お互い顔を見合わせて頷くと走る速度をあげた。
そして暗い通路から一転して明るくて広い部屋には異様な光景が広がっていた。
「おいおい、嘘だろ」
「ちょっとこれは、冗談きついわ」
「ですよね」
目の前に立ちはだかるのは異様に大きなふた首の犬である。その口には下半身を噛まれている筆頭の人間がいた。
「どんな化け物を製造してやがるんだよ!」
「た、助けてくれ」
筆頭の男は助けを求めた瞬間、上半身が地面へと落ち、下半身は犬の胃袋へと消えていった。
「うっ」
あまりの光景に嗚咽を漏らして口を抑えるミレイナだったが、俺は皮肉にも慣れてしまったのか、全く動揺しないし、アセディアに至ってはあくびをする仕末である。
「これだけの魔力があれば、イラーは来るでしょ。まあ彼女がくる前にこのケルベロスみたいなやつ、さっさとどうにかしたいわね」
「そうだな。
イラーと同時に相手するのはキツすぎる。せめて行動パターンだけで…」
あと一言、俺が最後まで言い終える前に謎の飛来物によって、天井に大きな穴があき、その音で俺の言葉は掻き消される。
「遅かったみたいね」
「どういうことですか」
「あれが、私たちがこの依頼を受けた本当の理由。
話せなくてごめんなさいね」
「勘弁してくれ」
もはや、忍び込んで来た意味もなければ、状況は最悪である。砂埃が引いて来ると、両手に剣を携えた短髪の少女が姿を現した。
「イクス!これを握って、頭に浮かんで来る詠唱を口にしなさい」
彼女が首にかけていたネックレスを外し、こちらに放った。ネックレスを受け取ると、彼女の言った通り頭に次々と詠唱文が浮かんできた。
「我、怠惰を使役する者なり。
我が欲するは災禍にも等しい業火の力なり。手にするのは無双の弾刀!」
頭に浮かんで来た詠唱を全て口にすると、身体の中で一気に魔力の性質が変異してくのを感じる。
まるで俺の魔力とアセディアの魔力が混ざり合って噛み合うように、どちらの魔力の性質とも合致しない新しいものが生まれていく。
呼んでもいない白桜が手元に召喚され、眩い光を放ち、あたり一帯を覆った。
「イクス、手元にあるものを握って思いっきり振るいなさい」
アセディアに言われた通り、
両手を閉じると、右手には手に馴染んだナニカと左手には、今まで握ったことのない感触のナニカがあった。
その二つをしっかりと握り、上にかざしたあと力一杯、振り下ろした。
腕を振り下ろすと同時に光が消えたため、目を開けると驚きの表情を浮かべるミレイナと、少し嬉しそうなアセディアの姿があった。
「これは…」
「結罪よ。説明はあとでしてあげるから、今は好きに使うといいわ。
その武器ならイラーの破壊能力に多少は耐えられる」
右手には今まで使っていた白桜にトリガーがついた新しい刀を、左手には狙撃銃だろうか、妙に長いバレルが装備された大型の銃を携えていた。
「きれい…」
ミレイナが思わずこぼした言葉を聞き、武器以外にも視線を向ける。
白銀を基調とし、薄い青色が使われた衣をまとっていた。先ほどまでとは比べ物にならないほど身体が軽い上、魔力は増している気がする。
「刀は適当に名前をつけるといいけど、銃の方はオーレリカっていう名前よ。
ほら、イクス!イラーたちは待ってくれないわよ。ミレイナも構えて!」
「わかってる!」
「はい!」
自然と武器の使い方は、頭に浮かんで来る。武器は重くもないし軽くもない。全てが俺に合わせたようになっており、これほど自在に動けるのは初めてだ。
イラーが振るう二本の剣から繰り出される剣撃を、片手の剣でトリガーを駆使して受け止め続ける。
トリガーを引けば、詠唱なしで刀の鎬に設置された噴射口から風が生成され振り抜いたあとの切り返しが高速で行えるため、彼女の手数にもついていける。
遠距離攻撃を行える銃にイメージのみで弾を装填し、ケルベロスと戦う二人を援護しながら彼女と戦えている。
ふた首の犬は、アセディアとミレイナが初めての共闘とは思えないほどの連携を見せて互角に渡り合っている。
ミレイナは細剣を使い近距離戦でケルベロスを引けつけ多彩な魔法でダメージを確実にとっていくアセディアが視界の隅に映る。だが、先ほどから謎の異変を拭えずに戦う俺がいた。
今、アセディアが罪力を使ってる様子はない。
いくら彼女であっても罪力を使わなければ、レベル八には勝てないであろう。
罪力を使わないのはミレイナに正体がバレることを避けるためだろうが、本当にあんな犬一匹にレベル八がやられるのか?
そんな疑念を抱いていると次の瞬間、そんな雑念を吹き飛ばし、俺たち三人の誰も予想していなかった刺客に戦況は一気にひっくり返されることになる。
「がぁぁああああああああ」
いきなり聞こえて来た大きな声の方に目を向けると、そこには地獄が広がっていた。
今、アセディアたちが戦っているケルベロスと同じ個体が、俺たちが通ってきた通路から何十匹も流れ込んで来ていた。
「ちょっと、冗談じゃないわよ。
複数匹いるなんて聞いてないわよ」
「イクスさん、ここは一旦撤退しましょう」
「いや、ちょっと待て。未来視ができるのではないかとまで言われたここのギルドマスターが、この状況を予測できなかったのは考えずらいな。それに、どのみちこれは逃げ切れないだろ」
俺が言ったあの人とはリンダスのことであり、彼女の力は才能として存在する戦術管理能力と、それを支えるなんらかの心象によって実現されるほぼ百発百中のタロット占い。
もし、俺たちがこの状況になることがわかっている上で、依頼を俺たちに預けたのなら必ず手はある。
「三人とも伏せなさい!」
突然の響き渡ったアセディアの声に、俺は咄嗟に身体を反転させて地を蹴り、反応できていないミレイナの背中に手をあて、強制的に伏せさせる。
次の瞬間、俺たちを襲ったのはとてつもない熱風と轟音だった。
「一体何が起こったのよ」
アセディアは、若干キレ気味で愚痴をこぼす。
正直言って、アセディアが伏せるように促してくれなければ、異様な反応速度によって自力で避けた彼女以外は丸焦げになっていただろう。
周りを見渡せば、ケルベロスたちの姿は一切なく、俺たちが戦っていてもほとんど傷が入らなかったはずの壁ですら溶け始めていた。
「久しぶり、イクスくん」
「え…」
俺たちを助けたのが、思いも寄らなかった人物で、思わず口から声が漏れる。
「レスティ…なのか?」
「なによ、幼馴染の顔を十年も覚えてられないとでも言いたいわけ?それに助けてあげたんだから、最初はありがとうでしょ」
「イクス!話は後よ、まだ今の攻撃で倒れてないやつが一人いる」
「冗談言わないで、私の最大火力よ!?」
「きゃああああああああああ」
どこからともなく聞こえる奇声を発した何者かは、一瞬の静寂の後、大量の瓦礫の中から姿を現した。
「くっ…レスティ、その子を連れてここを離脱してくれ」
「でも…」
「集合場所は彼女に聞いてくれ!時間がない」
レスティにミレイナの保護を求め、撤退を命じると、彼女は何かを言いたげだったが大人しくミレイナを抱えて、出口へと向かった。
「イクス、二つの意味でナイスよ」
なんのことかわからず俺が首を傾げると、嬉しそうに彼女はイラーに視線を向けたまま説明を始めた。
「一つは、魔力を使いきりそうだったミレイナを撤退させたこと。もう一つは、私が力を振るう状況を作ってくれたことよ。さて借りは返させてもらうわよ!
私の前に跪け、ゲイボルグ!
ひれ伏せ、グングニル!」
アセディアは深い深呼吸をして、大きな声とともに手元に二本の槍を召喚する。
「さあ、第二ラウンドと行くわよ!!」
「きゃあああああああああ」
奇声とともに地を蹴ったイラーは二本の剣で先ほどまでと変わらず、高速連撃をアセディアに向けて息つく暇もなく繰り出し続ける。
俺は銃を一発、打つことでイラーとアセディアに距離を取らせ、狙いやすくなったイラーに直接斬りかかる。
言葉を交わさなくても、後ろからアセディアが魔法を使って援護してくるのが手に取るようにわかる。
魔法はことごとく、イラーの剣に阻まれるが、一瞬の隙を彼女に与えることができた。
均衡状態が続く、この状況でその隙は致命的だ。
「元々、罪力の中で五位のあなたが二位の私に勝てるわけないじゃない。さっさと帰ってきなさいよ!」
アセディアの魔法を体勢が崩れたまま受けたイラーは、衝撃を流しきれずに剣を手放した。
「これで終わりだ!」
*****
私たちが勝ちを確信した途端、胸を突き刺されたような痛みに思わず、顔を歪めた。
あまりの痛さに自分の身体に視線を向けるが、なんの外傷もない。
イクスとイラーの方に視線を向けると、痛みの理由を知ることになる。
それは結罪によるデメリットの一つである痛覚の共有。ガラ空きになったように見えた、イラーの腹部をイクスの刀が貫いた……だが同時に彼女は、自分の腕に魔力を集めることで己の腕を剣へと変貌させ、彼の心臓を貫いていた。
イクスと契約した私は、彼と同じ痛みをその身をもって感じてしまう。けれど、私がどれだけ痛みを負ったところで彼の痛みが軽減されるわけでもない。
「仕方ないわね。全てを切り裂く緑碧よ!断罪」
私の手から放たれた風の刃は、イクスの胸を貫いているイラーの左手を根元から切り落とした。イラーは左腕のあった場所から血を大量に流して、立ったまま動きを止めた。
支えるものがなくなったイクスは、刀を離しその場に倒れ込んだ。
「イクス!」
すぐに駆け寄るが、そこで異変に気付く。
「胸の傷がない?」
確実にイラーの腕が貫いていたイクスの胸には傷がない。
口から異様な勢いで流れ続けていた血はいつの間にか止まっており、彼の胸に刺さったままだったはずのイラーの左腕はもうそこにはない。
「どういうこと?」
私が疑問を口にすると、それに応えるようにイクスの服からお腹が引き裂かれた一体のワラ人形が転げ落ちた。
「これは、あのとき管理者にもらったワラ人形。
これがイクスの身代わりになったの?」
一先ず、イクスには命の心配はなさそうだったので、一安心するが、
安心とともにやってきた疲労によって意識が薄れていき、身体のコントロールを失いイクスに重なるように倒れ込んでしまった。
イクスの上から退こうとするが、そのまま身体がどうしても言うことを聞かなかったため、仕方なく意識を手放した。
次は終章として
短めの出しますので
よろしくお願いします。
それから2話に入ります