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002

 入り口の枝葉の隙間から朝日が差し込んでくる。頬に熱線を浴びるのを感じ、柳原は眼を醒ました。洞窟の中は薄暗かったが、ところどころから入る光によって、奥まで見通せるほどには明るい。どのくらい眠っていただろうか、光が奥まで入ってきているところを見ると、まだ午前中なのだろう。あまり深く眠れなかったのか、瞼が重く感じる。寝なれていない硬い床は、節々の疲れまでは十分に取り去ってはくれなかったようだ。

 向かいを見ると、南沢はまだ横になって眠っていた。膝を抱えるように小さくなっている姿を、柳原はしばし眺めた。


 今後について考えるため、これまで起きた出来事を頭の中で整理することにした。

 まず、ここは日本ではない可能性が高い。これは、ここに来たときに見た風景が日本のそれではなかったためである。しかし、海外のどこかである可能性もそれほど高くない。昨日、柳原を襲った男たちの服装や、武器からの推測である。仮に海外のどこかであった場合も、相当のへき地である。少なくとも、先進国ではありえず、発展途上国のどこかでもないだろう。柳原の知識で、該当する場所は存在しなかった。


 更に、この場所には人がいることも分かった。良いか悪いかは別として、人が住んでいる以上、日本へのコンタクトの道は残されていると考えてよい。もしかしたら、国際NPO法人なりNGOがきているかもしれない。この場合不法入国、或いは不法出国ということで罪に問われるかもしれないが、殺されるよりはマシである。


 しかし、である。理由は不明だが、二人は殺されかけたのである。この場所、或いは国において、不用意に人に近づくのは危険であることだけは理解できた。もしかしたら紛争地帯なのかもしれない。そうすると、彼らは哨戒に出ていたどこかの国の兵士ということにある。

 そんな彼らが易々と見逃してくれるだろうか、晴れたことを契機に、男たちが再び戻ってくる可能性も否定できない。否定する材料も無い以上、早急にここから離れる必要があった。

 山頂の方に行けば遠くまで見渡せる上、もしかしたら小川で喉を潤せるかもしれない、そう考えた。近くに大きな街があれば、そこを目指すのだ。登山には心許ない格好だが、ここで行動を起こさなければ日本には間違いなく帰れないのだ。


「南沢、起きてるか?」


 静かに呼び掛ける。その声に反応して、南沢の瞼が微かに揺れる。薄眼を開き、柳原の姿を視界に入れると、数回瞬きした後、目を見開いた。

 ぱっと飛び上ると、首を大きく左右に振り、辺りを確認している。やがて得心がいったのか、近くの岩に座りなおすと、深く息を吐いた。


「寝て起きたら元通り、なんていきませんよね。……おはよう御座います、柳原さん」


 口調は暗い。柳原と同様、眠気が十分に取れていないのだろう、横を向き小さく欠伸をしており、言葉も若干ろれつが回っていなかった。


「ああ、おはよう。足は大丈夫か?」


「まだ少し痛みはありますけど、大丈夫です」


 南沢は右手で自分の足首を何度か握った後、そう応えた。柳原は先ほど考えた内容を南沢に伝える。彼女は柳原の言葉に聞き入った。

 しゃべり終わった後、言葉を咀嚼するかのように目を閉じ、十数秒ほど経過する。一つ大きく頷くと、ブラウスの袖に腕を通す。泥は既に乾いていたため、両手で全身を払うと砂上になった土が地面に落ちていく。幾分かはマシになったようだ。


「それじゃあ、行こうか」


 柳原は外に出ようというジェスチャと共に言葉で促した。入り口の枝葉を片手で少しずらし、周りに誰もいないことを確認すると、塞いでいた枝葉を取り除く。一気に日の光が入ってくる。片手で光を遮るようにかざす。昨日からそうであったが、温度はそれほど高くない。湿度は低く、恐らく北海道と同程度の緯度なのだろうと推測できた。風もそよぐ程度であり、避暑地としてならば最高の場所だろうと心の中で呟いた。

 耳を澄ますと、木々のざわめきだけが聞こえる。動物の鳴き声は聞こえず、上を見ても鳥は認められなかった。

 昨日の豪雨はどこへ行ったのか、改めて周りに目を配ると、朝露にぬれた草木が光を反射して輝いている。真っ暗で恐ろしげだった茂みは、溢れんばかりの緑色を主張している。登山はほとんど行ったことが無かったが、同僚たちが休日を使って山岳地に向かっていたその理由の一端を今更ながら知った思いだった。空気も澄んでいて、昨日の出来事は嘘だったのではないかと錯覚するほど、心が動かされている。


「綺麗……」


 隣で南沢が小さく呟いた。彼女も自分と同じ思いだったのかと思うと、どこか気恥ずかしさを感じ、同時に嬉しくも感じた。

 しかしいつまでも見とれている訳には行かないのだ。

 どこへ向かえば山頂に行くのだろうか、地図もなく、コンパスも無いこの状況である。道標が立っているとは到底思えない。

 昨日追いかけられた場所には戻る気になれず、であれば逆方向に向かって、そこから上に向かってあるけばよい。迷ったら、そのときはそのときである。命を狙われた経験がどこか頭のネジを緩めてしまったのか、それほど考えることなく進路を決定する。

 踏み出した足の裏から伝わってくるのは、まだ地面からは湿気が抜けきっていないのか、靴が地面を凹ませる感覚である。なるべく足場のよいところを選びつつ、慎重に歩を進める。遅れて付いてくる南沢の歩調はゆっくりだ。


 途中、時折出てくる突き出た枝を潜ったり、倒木を乗り越えるときに姿勢を崩しながらも、その後数時間ほど歩き続けた。


 柳原は違和感を感じていた。


「これまで、獣も人も通った後が見られないな」


 そう、結構な距離を歩いたはずなのに、生き物が歩いた形跡が見られなかったのだ。普通ならば、同じ道を何度も通ることによって草木が生えない場所ができたり、或いは動物の足跡、草が搔き分けられた跡が見られるはずなのだ。加えて、二人の足音以外、鳥の鳴き声、羽音の一つすらも聞こえなかった。


 柳原は登山経験がほとんど無かったが、それでも何らかの形跡があるのではないかと考えたのだが何もない。この山には何かある、もしかしたら昨日の男たちが深追いしなかったのもその何かが原因だったのではないか、とも考えられる。嫌な想像に頭を振る。


「はぁっ、はぁっ……」


 その後ろでは、南沢が体力を大分削られたのか、肩で大きく息をしている。その様子を見て柳原は自分を責めた。体力の少ない女の子には厳しい山道を、それもオフィスで働いているそのままの格好で休まずに進めたのだ。


「少し休憩しよう。丁度、そこの陰になってる場所に座れそうな岩がある」


「はい……すみません」


 腰を下ろすと、それまでの疲れが一気に二人を襲う。しばらくの間、沈黙が支配する。


「日が大分昇ってきたな。昨日のように天気が一気に変わるかもしれない。できれば、今日中にどこか雨風を凌げる場所を確保しておきたい」


 南沢はまだ十分に喋れないのか、柳原の言葉に静かに頷いた。


「ちょっと周りを見てくる。昨日のような場所があればベストだが、ついでにこのカラッからの喉を何とかする水も探してくる」


 そう言って柳原は立ち上がる。ここで一人置いていくのは気が引けたが、柳原は足を踏み出した。


「柳原さん!」


 二〇メートルほど進み、岩場に足を掛けたところで呼び止められる。振り返ると、その場に立ち上がって大きく手を挙げている。


「こっち!」


 戻ってくるよう手を引くようなジェスチャ。柳原はそのまま来た道を引き返す。ほどなくして、南沢のところに辿り着いた。南沢は興奮しているのか、僅かに顔が上気している。柳原の袖を取り、先ほどまで座っていた場所の更に奥を示す。


 先ほどまで気がつかなったが、目を凝らすと人が一人通れそうな岩陰の奥に、明らかに人為的な扉が存在した。周りの岩と同系色のため、暗がりでは気がつかなかったのだろう。扉に恐る恐る近づく二人。南沢は柳原の背中に隠れるように、袖を握ったまま歩みを進める。

 扉は近づくと遠めで見ていた以上に大きく感じられた。高さは三メートル弱、幅は二メートルほどだろうか、材質はこれまで見たことのない素材のようだった。扉を押すと、僅かな弾力とともに押し返されるが、決して柔らかいわけではないようだ。取っ手はなく、押してもびくともしない。表面に何か書かれているかと見渡すが、何も書かれてはいなかった。


「なんでしょうね、これ」


「見たこともない素材でできている。だけど、人為的なものであることに間違いはないだろうな」


 扉を叩くが、やはりビクともしない。これだけしっかりした扉である。周りに何かヒントになるものが無いか、しばらく二人は探したが何も見つからなかった。

 その時、静かに扉が開き始めた。音はまったくしない。扉は左右に分かれるかたちで、たっぷり一分は掛けて扉は岩に吸い込まれていった。扉の奥は全くの暗闇で何も見通すことができない。どれだけ続いているかも分からなかった。


「入ってこい、ってことか」


 柳原は意を決して、扉の奥に足を踏み入れる。

 それをきっかけとして、足元の床、壁、天井が光り始める。ゆっくりと、手前から奥に向かって光が伸びてゆく。後ろにいる南沢がびくっとなるのを、掴まれた袖から感じた。壁そのものが発光している。建造物特有の繋ぎ目はまったく無い。


「奥に扉があります」


 南沢が言うとおり、百メートルほど先に、扉が見られる。形状は入り口のものと同じである。

 扉まで後十歩というところで、再び扉は左右に開き始める。その奥は、開けた空間が広がっているように見えた。空間に足を踏み入れる二人。

 柳原は声を失った。ドーム状の部屋である。直径にして三十メートル程度。高さは十メートルほどもある。部屋はこれまでの通路と同様に、全面から発光されているが、決して眩しいほどの光ではない。中心部には、一本の棒状のものが突き出ており、その先端には、ノート大ほどの四角い金属質と思われる板が取り付けられている。それ以外には、何も存在しない空間がそこには広がっていた。

 誘われるように、中心部に向かう二人。棒状のものの前に立つと、板が光りだした。同時に、部屋の照明が僅かに暗くなる。


「嘘だろう?」


 何もない空間に、映像が投影される。数にして百は下らない。その一つ一つが二十インチほどの大きさである。都市部、森林部の映像が、前方百二十度という視界の範囲いっぱいに広がる。ところどころ、数秒単位で映像が切り替わっているところを見ると、カメラの数は更に多いものと想定される。

 間違いない、これは人工的に作成された空間である。それも、極度に高度な技術を用いられていることは疑いようが無い。地球である確率が一気に高まった気がした。どこかの研究機関、或いは会社だろうか、が作り上げた施設に違いない。しかし、これほど高度な技術を集めた施設ならば然るべきセキュリティが組まれているはずだ。当然のことながら、勝手に起動するなどは論外だ。

 昨日出会った蛮族とは間違いなく異なる人種がいるに違いない。彼らに相談して、ここはどこか、日本に帰れるよう手配ができるか確認したいところだ。


『……XXXXXXXXXX……』


 どこからともなく声が広がる。日本語でも英語でもない言語だ。どこか機械的な硬さを感じさせる女性の声である。

 突然のその声にびくっとなり、後ろを振り返る。しかしそこには誰もいなかった。南沢も同じように辺りを見渡すが、誰もいないことを確認すると、二人は見つめあう。お互いに首を振る。


「誰かいるのか!」


 声を張り上げるが、何も返ってこない。柳原の声が小さくドーム内に反響するのみだ。

 この部屋唯一のオブジェクト、金属板に向かい合う。発光しているのみで、柳原が期待したようなコンソールは何も浮かび上がっていなかった。


「こんなとき、大抵は何かしら出てくると思ったんだが」


「手でも置いてみましょうか。SFなんかだと、そうやって操作したりしますよね?」


 技術の発達の歴史は、SFに追いつけ追い越せ、というレベルで進んでいく。お互いに刺激しあって、現代において、過去に描かれた技術は既に実用化が済んでいるものも数多く存在する。電話やテレビなどの家電一つを取ってみてもそうだ。

 そんなことを思い浮かべている間に、言うが早いか、南沢は金属板に左手を置いてしまった。


「おい!」


 もう少し逡巡すると思っていたため油断してしまった。制止は間に合わなかった。しかし、手を置いた直後、金属板に異変が見られた。その表面から赤いレーザー光が南沢に向かって伸びてきたのだ。瞬きする間も無く南沢の体を突き抜けたレーザー光は、次の瞬間には消えていた。


『認証しました』


 直後に再び広がる声。理由は不明だが、今度は日本語である。その言葉の後、眼前に無数に広がる映像が左右に移動し、中央に空間が広がる。光の粒子がぼんやりとその中心に集まっていき、何かを形作っていく。ヒトだ、と認識するまではそれほど時間は掛からなかった。南沢はすでに金属板から手を離している。


 柳原の前方五メートルの位置、地面から一メートルほどの空中に女が浮かんでいた。髪の色は青、瞳は同系色の深い藍色。西洋人のそれに近い容姿である。細身のワンピースに、装飾物が色々付いている。薄らと透けているところから、ホログラフの類なのであろう。表情は何も浮かべられていないが、無機質な感じは受けなかった。

 二人は何か言ってくるものだと身構えるが、そのまま現れてからたっぷり三十秒が経過する。女は口を閉ざしたまま、身動き一つ見せなかった。こちらから話しかけなければ動かないのか? と柳原は考える。


「どう思う?」


 南沢だけに聞こえるように問い掛ける。


「さあ……私たちが話さなければ何も返してこない、とかでしょうか」


「ま、普通に考えればそうだよな」


 そう言って、空中に浮かぶ女に話しかける。


「貴方は誰ですか?」


 初めて見る存在である。何をされるか分かったものではない。あまり刺激しないように言葉を選んで投げ掛けた。


『当艦の人工管制。艦の名称は、利用者の言語で観測者を示す言葉になります』


 返された言葉に、敵意、或いは利用者に対する攻撃は無いと柳原は判断した。要はシステムである。決められた内容に従って動作する機械の一種であると理解した。そうであるならば、必要な情報をここから取得するのみである。


「ここは何処か?」


『不明です』


「場所が分からない理由は?」


『必要な位置データが取得できません』


「ここにいる理由は?」


『不明です』


「他の利用者はどこにいる?」


『不明です』


 不明のオンパレードである。柳原と南沢は顔を見合わせる。仮にも観測者と名乗るシステムが何も分からないということに疑問を抱く。


「どういうことでしょうか?」


 南沢が呟く。


「当艦って言ってたよな。もしかしてこいつは船か、それに類するものなんじゃないか? 何かの事故に巻き込まれてここにいる、とか」


 推測に過ぎないが、口に出してみて意外と正解なのではないかと柳原は考えた。


「そうかもしれませんね。幾つか確認したいことがあります」


 南沢はそう言って小さく一歩前に踏み出した。


「私たちの前に、最後に貴方にアクセスした日付は?」


『三二〇〇年、一〇月が最終アクセス日です』


「現在の日付を教えて」


『四三〇四年、五月一日です』



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