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九話『西へ』

「そう言えば、自己紹介もまだだったね」


 旅の流れで暫くの無言が続いた後、その時間を何となく気まずく感じるのは涼がコミュ症だとしても、ふと思い出したように彼女が呟いたのはそんな一言。言われてみれば苦難続きの涼には頭からすっぽりとすり抜けていた。目からウロコとはこのこと、何気なく彼女の名前を先読みしてみる。


 ゆるふわ癒やし系女子そのものといった風貌、その容姿にそぐわぬ内面の優しさも彼女という印象を強く刻んでいる。

 涼のようなキモイ見知らぬ人間を助けていく優しさは並々ならない。

 愚民に握り飯を施す義理堅さに漂う偉大な風格。あの握り飯ほど美味い握り飯を涼はかつて口にしたことはないだろう。この世界において右も左も分からない涼を救った恩人を、よもや食べかけのおにぎりまで頂戴した慈悲を、涼如きちんけな下等生物が如何にして義理を果たせるものか。

 一生の忠義を掛けて、涼は彼女を女神と信仰せざるを得ない。


 そんな気心で構えていては、もはや名前なんてものはなんでも良かった。たとえ平凡な名前でも女神という概念に変わりはない。御握りは良い。特に美少女の手作りの食べかけは梅干や鮭の比にならない最高の具である。御握りだけでご飯が十杯はいける。みんなも握り飯教に入信しよう。


「私はノエル。ハーレ村って、知ってるかな? 小さな村だけど、ここからチョット離れた場所からやってきました」


 心無しか佇まいも若干改まって、にこやかに自己紹介を終える。

 異世界ゆえに当然といえば当然なのだが、聞き慣れない村名に耳が滑りつつ、何より涼が慣れ親しんだ日本にはありえない語感が続き違和感が拭えなかった。ノエルと名乗った彼女の名に物言いたいわけでもないが、当然日本ではなかなかお目にかかれない名前に、こうして日本語で会話することに違和感を覚えるのは無粋だろうか。容姿からして日本人離れとも言える端正な顔立ちは、名が体を表すが如くノエルというその物腰柔らかそうな名が相応しい気もする。それもまたご都合主義の設定で流れてしまいそうな雰囲気に、涼は敢えて深く詮索した。

 勢いと流れとコミュ症のままに涼も口にすることはできなかったが、そもそもこの異世界に御握りは不釣合いではなかろうか。ご都合主義ならば尚更のこと、こういう異世界にはパンやそれに準ずるお米以外の主食が相応しいだろう。

 もっと踏み込んだ詮索はそこそこに、何か陰謀が働いていそうな予感も巡らせつつ、自己紹介の受け手が黙りこくっていては気まずい。もっとも、そういう世界観だと言ってしまえばそれまでなのだが。


「お、俺は、えー……リョウッ。リョウで、良いです。え、えと。かなり遠いところから来ました」


 ノエルに習って出身地も言って、日本なんて言って通じるかもわからない。同じくフルネームを名乗ってもこの世界には通じ辛いだろう。涼なんてどの世界に行っても辛うじて通じそうな汎用的な名前で良かった。西山涼という男の全てにおいて平凡かそれ以下なところが、ここに来てこの妖精界に初めて馴染んだ。

 仮に織田信長とかだったらどうしようかと。オダじゃ分かりにくいしノブでもダサいしナガじゃあキモイ。キラキラネームだったら逆に輝けそう。そんな小学生並みの感想を並べつつ、改めて互いの呼称を確認する。


「じゃあ、リョウくんだね。よろしくっ。私のことは好きに呼んでいいからね」

「ん? 今好きにしていいって……あっ、じゃあ、姫で」

「姫っ!? 姫は流石に……呼ばれ慣れてない、かなぁ? 普通にノエルでいいよぉ」


 はにかむような表情を浮かべながら、ノエルは謙遜して困惑気味に拒む。彼女の全てからにじみ出る癒やし系という物腰の柔らかさが、良くも悪くもお姫様らしい高貴さとはかけ離れているだろう。姫というよりは、どちらかというとクラスに一人は居ると安心しちゃうタイプだ。是非幼馴染にしたい。涼は恋人にはなれないが、かと言ってただの友達にして距離の近い関係が好きだった。

 だが、此度涼の中に芽生えた忠義はアンドレのジャイアントプレスでも折れない。受け入れ難い呼称に紅潮する我らが姫のご尊顔をしっかりと見納めながら、愛と敬意を込めて姫と呼ぼう。涼にしては立派な忠誠である。誰がなんと言おうと立派である。忠誠である。


「そ、それはそれとしてっ! 時にリョウくん、今更ながら行き先はこっち方面でいいの? 取り敢えず助けなきゃって思って、荷台に乗ってもらってるんだけど」

「姫の行く先ならば、何処へでも」


 何かもうテンションまでおかしなことになっている気もするが、むしろコミュ症の影響が見られないこのテンションの方が涼には相応しいのかもしれない。

 勿論、ノエルが言いたいことはそういことではないのだろう。

 ある意味、この世界で涼の住所も目的も不定な感じが漏れ出さないだけ誤魔化せているような気がしないでもなかった。


 まだ見ぬ妖精の、パートナーの下へと目指す実質行き先不定の旅路。この目で見た限りですら壮大な異世界に、交通手段もないまま涼が挑むには無謀過ぎる。雑魚キャラ一匹にやられる勇者など聞いたこともない。せめて頼れる人に頼らなくては命がいくつあっても足りないだろう。

 ノエルはちゃんと答えてよと促すが、あいにくと涼の耳には届いていなかった。

 忠義を持って頼るべき、唯一頼れる主君の扱いがぞんざいである。


「じゃあ、西の街の方を目指すんだけど、それで良いんだね」


 不貞腐れというか、諦めというべきか、折れない涼にご立腹のノエルはビシッと道筋に人差し指を突き立て、そのまま馬車を引いた。

 西には街があるのかと細かい情報も確かにインプットしつつ、成り行きに任せるしかない状況に身を投じる。何れにしても、じゃあ東を目指すと言って涼が単独行動を始めても、そのへんの魔物にやられて野垂れ死ぬだけだ。どう頭の中でプランを立ててもノエルとはぐれた瞬間に軽く詰む。

 ともすれば、見捨てられないための誠意を示さなければならない。既に多少の反感を買っている気もするが、誠意は言葉で示そう。


「イエス・ユアハイネス」


 コミュ症故に空気が読めない涼の、最大限の誠意である。

 敬意が間違った方向に捻じ曲がった結果こうなった。

 かつて貴様という本来相手を敬う言葉が何時の間にか侮辱の言葉に変わっていったような、そんな感じの空気。


 かくして、要らぬ確執を持って西を目指す涼だった。




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