七話『妖精界は世知辛い』
意識の遠い部分に響く騒音。
地鳴りのようにガタガタと、涼の耳に響いてくる。
涼はまどろみの淵でひどい頭痛にうなさていた。
無意識の中に自問を繰り返し状況を確認していく。自分は何をしていたのだろうと、夢現に記憶を辿っていった。やがて涼は思い出す。
そういえば、夢を見ていた。
突然の輸送物に戸惑いながら封を開けると、中から指人形が現れたのだ。それは空中を自在に浮遊し、言葉をしゃべる、なんとも不気味な存在だった。彼と会話するたび頭が痛くなる要領の悪さと、それに加えて同じくらいの口の悪さで涼を苛立たせるような、なんとも夢見心地の悪い夢である。
徐々に覚醒していく意識の中で、妖精さんと名乗った夢の中の存在にむかっ腹立てながら薄目を開いていく。夢にご立腹というのも馬鹿げた話だが、妙なリアリティに印象深く残っている記憶には涼の気も穏やかではない。あんな経験は夢の中だけで十分だ。
無論、夢であるはずもなかった現実に怒りを示すのも、やぶさかではないのだろう。
「――で、あるからして『デキシージェル』の『デキシー』とはつまり、溺死からきた掛詞なのデース」
聞きなれた訛りはこれで終わりとばかりに声を張った。
涼が意識を取り戻したのも話半ばのことで、妖精が延々と繰り広げる説明の前後こそ知るところではないが、どうやら未だに語り明かしていたらしい。涼を気絶させた宿敵の名前の由来が下らないダジャレだったことにショックを受けつつ、自分の旅のお供は気絶した相手に延々と説明し続けていたのかとも思うと呆れかえる。
誰も聞いていないというツッコミもさることながら、何をそこまで語ることがあったものか。件のデキシージェルに呆気なく気絶させられた苦い経験の直前にもっと詳しくと怒鳴った記憶もあるのだが、これならもっと曖昧で良かった。
魔物に張り付かれたときに器官に残ったような水を咳払いで吐きながら、悠然と上半身をお越していく。この世界に来てからというものの俺っていっつも気絶してんなとか思いつつ、涼は声を搾り出した。
「……ったく、こんなに最悪の寝起きなんてバイトを首になった日以来だぜ」
「あっ、やっとお目覚めデスカ。無職やろうの寝起きとハ、さぞかし心地良いことでしょうネー」
「まあ、起きる時間なんて気にしなくていいからなぁ――って、やかましいわっ!」
劈く痛みも伴いながら、担のように喉の辺で絡みつく水が下っていく。本調子じゃない今の声帯ではノリツッコミも切れが悪い。無職はともあれ、昼までには起きるという涼なりのプライドも尊重したいところだ。昼夜逆転で心身共にニートになり果てる対策として施された掟なのだが、他人の目から見れば目くそ鼻くそか。
さながら目くそ鼻くそ耳くそ如き人生を謳歌する涼も、これにはご立腹である。
「というか、俺が起きるのを待ってたような口ぶりをしてたけど、デキシージェルとやらの解説を続けてたんじゃなかったのか?」
「睡眠学習というやつデース」
「嘘こきやがれっての。どうせ、説明する喜びを感じて一人寂しく語り続けてたんだろ」
説明する喜びがどういう感情なのか口に出した涼にも分かりかねるが、皮肉を叩いて口喧嘩ばかりしている場合でもない。気絶したショックから、思考と余裕を回復するための時間とでも思っておこう。
ここに至ってようやく涼は辺を見ましながら、状況を把握するため記憶を辿る。
窒息、溺死と、弱そうな見た目の割に物騒な魔物に襲われて、涼は気絶したはずである。
ともすれば、ここは捕食活動に勤しむデキシージェルの胃の中か。それにしては随分と広いというか、あの体を思い出すにその可能性は皆無だ。むしろ奴の体を思い出すまでもなく、ここに健在な涼の体が全てを物語っている。
涼はあの窮地から紛れも無く助かった。ここにある意識は間違いなく涼自身のものだ。
ならば、如何にして助かったか。何が涼を救ったのか。
気絶する前の記憶を思い出すと、その鍵を握る人物に心当たりがある。
ガタガタと未だ鳴り止まない地響きに加え、薄暗く僅かな光だけが射すこの空間。激しく揺れる地面が寝起きの涼に若干の気持ち悪さを催させ始めた頃。
涼が陥った状況に答えを示せれる人物は、空間に光を灯した。
「――何やら大きな声も聞こえた気もしたが、お目覚めかな? 大丈夫なの、君?」
涼の角度からは逆光になって明順応が全力で働き、どうやら女性らしいその声しか聞き取れない。心配してくれている声色に心震わせつつ、シルエットだけが見える外の景色で、涼は自分が及び立つ空間が何処かおおよその確信を得る。
地鳴り、揺れ、彼女と涼を遮るように挟まれた布はサッと開かれた。差し込む光が映し出したのは、何かしらの獣の毛皮だったり、諸々の雑多な物々。
彼女は首だけを振り向かせて、その小柄な背中の先に居る影は馬のような太めの首筋が見え隠れしている。
その辺の情報を組み合わせるとすれば、涼は今馬車に乗せられていると考えれば妥当だろう。
デキシージェルに食われかけたとき、最後に見た人影、もとい彼女に涼は助けられたのだ。
ようやく逆光にも目が慣れて始め、シルエットに段々素顔が書き加えられていく。
気絶明けの涼への危惧に、陽射しを手で遮りながらぎこちなく応えた。
「あっ……えっと、だいじょぶっす……えっす……」
「んんっ? それ、本当に大丈夫?」
「あっ、はい……えっす……」
どちらかというとヤバ目だが、それは気絶から来る影響では無いだろう。
彼女はグっと体を寄せてきながら、涼の表情を伺い見た。邪気のない彼女の表情に涼は俯き加減に顔を伏せてしまう。
ニートになって以来、まともに他人と話したこともない涼が、よもやこれほどのマドモアゼルに優しく心配されたらそりゃもうこの様である。元々コミュ障体質の涼が気絶明けにする会話としてはハードルが高い。健全な状態でも同じ結果になるだろう。
改めて彼女のご尊顔を上目遣いに見上げる。
涼のような女性慣れしていない男が接触すれば、十人のうち十人が簡単に惚れてしまうであろう男好きする顔。正に癒やし系という、その微笑みには若干目尻が下がるタイプの愛嬌がある。幼さと共に成長したような童顔は、小動物的な愛らしさと、同時に何処か大人びた艶っぽさもあった。
美しいや綺麗という賞賛よりも、純粋に可愛いと思わせる見目麗しさ。
涼の様子がおかしいとでも感じたのか、小首を傾げながら微笑みを浴びせかけてくる。涼の様子は紛れも無くおかしいのだが、そんな微笑みを容赦なく向けられればニート故に致し方なし。
久方振りの婦人との会話に内外共に心舞い上がる涼。無条件に彼女への好意を覚え、涼が一人身悶えする姿を不思議に見ながら、彼女は口を開いた。
「イヤー、それにしても、まさか街道のど真ん中で男の子が行き倒れてるなんて、私驚いちゃったよ」
「あっと……その、助けてもらって、ありがとうございます……えっす……」
相変わらず気絶の後遺症と何ら関係のない部分で口をしどろもどろにしながら、その節はとひとまずの謝礼を言う。
彼女はいいのと繰り返して謙遜するが、涼にとって命の恩人という大義名分は余りにも大き過ぎて一口では到底足りもしない。何か返せるものと考えたところで、薄汚れたジャージと土埃に塗れたスリッパで何を返せるものか。
女性を喜ばせるテクニックなど持ち備えるはずのない涼に、この場で返せる義理は皆無だ。
せめて元の世界に帰る手立てでもあればとあたふた悩む涼の背中を襲いかかったのは、訛りたっぷりの罵倒である。
「人間サン、ドーテー臭いデース」
こんな指人形に見抜かれるほど、この妖精界は理不尽だった。
世知辛いね。