五話『行動開始』
「……」
「……」
かれこれ十数分は無言のままだ。
妖精界の土地の事情を涼が分かるはずも無く、当ても無い旅で無駄な体力を消耗したくないと言うニート特有の思考で待機し続ける。無論、草が風にさらされ揺れている以外にその目に映る光景が変わることも無い。地平線の彼方まで広がる草原の中で、何処に何があるかも分からない状況から下手に行動してしまうことが怖かった。あわよくば人が通りかかりでもしないか、果報は寝て待ての精神である。
もっとも、涼すら何も無いと思った場所に、そうそう人が通りかかることも無いのだろうが。涼が時間を無駄にしているだけと気付いたのは、来るはずも無い通行人をまだ暫く待ち続けた後だった。
「なあ。お前、この世界のどこかにパートナーってのが居るって言ってたけどさ、本当に何も知らないのか?」
「分からないデース」
「ああ、使えない……」
深いため息と共にしみじみと、哀愁深く呟く。
その事実を確認するのは何度目か。幾度繰り返そうと揺ぎ無い事実と妖精の答えは覆らない。
「……ヒントくれよ」
「ヒント?」
「どんな場所に居るだとか、どっちの方角かだとか、それも知らんのか?」
「申し訳ございまセン。典型的ダメ人間の人間さんに念のため断っておきマスガ、少なくとも足を動かさないままでたどりつくことはできないデース」
「ぐ、ぐぬぬ……!」
今更ダメ人間だと言われたところで否定するつもりもその事実も揺らぐことはないが、論破される悔しさは人並みに感じている。悔しがるくらいの人権が残されていることも信じたいが、あまりにも的確すぎる妖精のツッコミは痛く染み入ってくる。
「ひとつ教えることがあるとすれバ、この場所にとどまり続けることは危険デース」
「ん……それは、なにゆえか?」
「魔物が出るデース」
「……それマジ?」
低音で捻り出す涼の質問に、妖精は躊躇いも一言の補足もなくコクリと首を縦に降った。
青く澄み渡った空が果てしなく続いて、緑の香りだけが漂う長閑な草原が急激に危なっかしく見えた。実際は風に吹かれているだけなのだろうが、カサカサと揺らめく草の間からその魔物とやらが顔を出さないか、不安になってしまう。
何故そんな重要な事実をひた隠していたのか、そうだとすれば他ならぬ妖精自身とてこの場に居ることが穏やかな心境ではないところ、涼の中で彼への胡散臭さメーターは底を抜けて振り切っていく。
今更そんなことに怒鳴り飛ばしたところで謝罪を聞きたいわけでもなく、呆れよりも先に何が現れたでもなく周りをキョロキョロと見渡すように警戒する辺り、涼の肝玉の小ささが伺えた。勿論それは懸命な判断でもあるのだろうが、異世界にやってきたばかりの青年の意気込みとして如何なものだろう。
涼の中に、物語に良くある異世界に行った主人公的な魔物を退治してやろうという不撓不屈の精神は、断じてない。
「よし、今すぐこの場を離れよう! そうしよう!」
「ワタシは構いまセン。人間サンに着いていくだけデース」
危険からはすぐさま身を避ける、哀れな決断には躊躇のない涼であった。
◆
「――とは言ったものの、何処を目指せばいいんだよ、コレ」
涼が重い腰を上げてから、せいぜい五分程度の時間が経過して、弱音を吐くにはあまりにも早すぎる距離を踏破しつぶやいた。
若い肉体にも関わらず、ニート故に衰えきった体力を持て余している。山登りでもしている位に景色は変わらずに、先も見えない旅路の暗雲が伺えた。気分を変えようと思って景色を見渡してみても、代わり映えのない草原ではつまらない。ふと視線の中に映り込む人形は、涼の顔くらいの高さでフヨフヨと浮いていた。
宛もない漠然と歩くだけの作業の中に、妖精の姿はどうしようもないほどに鬱陶しい。
「お前って、何と言うか……目障りだよな」
「そうデスカ?」
「そうだよ。碌に役立たないくせして、一丁前に態度がでかい。結局、お前は何なんだ?」
「妖精サンデース」
まともに会話が成立しないのは幾度のことか。
旅は道連れとは言ったものだが、よもや話し相手がこれでは涼の精神がガリガリとすり減っていく。
結局のところ、妖精という空想の姿とこの指人形では雲泥の差だ。涼にはそれを妖精と呼ぶことはできなかった。妖精という幻想を、概念を真っ向から否定するような出で立ちに、神やそれこそ妖精に準ずる存在を否定してきた涼でさえ信仰者が可哀想になって来る。
こんなのが妖精でいいのかよと、今は昔のフィクション作家たちがいわゆる妖精という存在の姿として想像してきた、可愛らしい羽が背中についていたり、それらはもはや涼の中で完全に忘れ去られる。
これ以上付き合ってられないと、ため息混じりに適当に吐き出した。
「まあ、いいよ。はいはい、お前は妖精だ。好きにしろ」
「ノンノンノン! 妖精『サン』! りぴーとあふたみー、妖精サン。セイ」
どうやらそこだけには強いこだわりがあるようで、まくし立てられるがままに涼は言い直す。
予想外のご立腹に呆気に取られたまま、プリプリと眉間にしわを寄せる妖精を宥めるように、目茶苦茶ウザかった。
「……よ、妖精さん」
「おーけっ」
どうやら、妖精さんはご満悦のようだ。
綻んだ表情に水を差すようだが、涼にはまだ疑問は残されている。
それはそれとして改めてウザさを再確認した涼である。
「いや、あのさ……それで、結局妖精さんって何なのさ」
妖精でも妖精さんでも涼の知ったことではないが、頭の中が霧掛かったような気持ち悪さは拭えない。
妖精界と謳った時と同じくおあつらえ向きにコホンと咳払いを一つ付いて、用意したような台詞を妙なイントネーションで訛りながら連ねた。
「妖精サンとは、つまりペットのような存在デース。要するに、この世界のどこかで眠っているパートナーを眠りから起こし、その子を育てることが妖精さん育成キットの本質なのデース」
「えっと、ということは……今はまだペットにも出会ってない前段階か? というか、お前みたいな奴を育てろってのか?」
「その通りデスが、チョットだけ違いマース」
「と、言うと?」
相次ぐ涼からの質問に、妖精は鬱陶しそうにヤレヤレとため息を吐いた。
仕方ないなと言わんばかりにチラリと顔を覗き込み、本来彼の役目である説明をようやく果たそうとしている。
「いいデスカ? まず、妖精サンには二つの種類がありマース。補助妖精サンと、幼生妖精サン。前者こそ他ならぬワタシのことであり、後者は人間サンがパートナーとする、幼生妖精サンなのデース。幼生妖精サン……うぷぷ。ダジャレじゃないデース」
分かったような、分からないような、妖精さんは中途半端な説明を終え一人で笑っている。
補助というその名の通り大義名分があるはずの割に補助を授かっていない気がするのは、きっと涼の気のせいではないのだろう。