二話『妖精さん育成キット2』
「……はあ?」
先ほどの警戒と比べれば、随分と間抜けた声だった。まさにはとが豆鉄砲を喰らったような、目を丸くし開いた口がふさがらない。
否、拍子抜けというか、この一瞬のあらゆる出来事を含め涼は紛れもなくその全てに驚愕している。
「――人間サン、ありがとうございマース。妖精サンデース」
いろいろとツッコミが追いつかないところではあるのだが、涼には真っ先に言いたいことがある。
つぶらな瞳だとか、大きなお口だとか、可愛らしい洋服だとか、パッケージのキャラクターがそのまま飛び出したような容姿だとか、目に映るものにいちいち突っかかっては話も進まない。飛び出してきたのが指人形ほどのそれとは少々予想外な部分もあるのだが、もとより話を進めるために、その箱を開封したのだ。
ツッコミも前に一つはっきりしている部分を整理するのだとすれば、それは間違いなく、声の主が人間では無かったことなのである。それは目の前で体感する涼ですらそう認めざるを得ない状況だった。
「……浮いてるんですけど?」
彼と呼称するには疑問符を付けざるを得ないのだが、妖精と名乗るそれは完全に浮いている。
絵本の中の登場人物をそのまま現実に切り取ったような、その辺りをひっくるめて完全完璧に浮いているのである。宙に。地に脚を付けていないというか、文字通りそのままの意味で。
「妖精サンですから浮くのは当然デース」
「こ、これは一体、どうなってんだ? おもちゃじゃあないのか?」
「妖精サンは妖精サンデース」
宙に浮く妖精の周りを手探りでなぞってみても糸か何かに引っかかることも無く、種も仕掛けも無いマジックに未だ心根に残る疑心暗鬼と賞賛が絡み合っていた。摘もうとすると器用に身をかわし、スイーと宙を泳ぐように涼から離れていく姿がやたらと憎たらしい。涼にとって妖精と名乗る彼が未知なる者と判断するのは、それとほぼ同時だった。
「逃げるなよ!」
「人間サンなにするか分かりまセン。怖いから逃げるデース」
「怖いのは俺のほうだよ……つーか、何だってんだよこれは一体。誰か説明しろ!」
「説明役はワタシデース」
「ふざけるな!」
いい加減、話が進展しないことに頭も熱くなってくる。
常に怒声が張り付く涼の口調は、ある意味このわけの分からない状況に対する虚勢だ。紛れもなくびびっている内心と脈打つ動悸をひた隠し、この妖精とやらに舐められてたまるかと臨戦態勢を怠らない。
張り詰めた妙な緊張感が生む沈黙の間、互いに見詰め合ったまま動かず早数十秒。妖精とはファンタジー生物そのものと言ったところだが、ぬいぐるみが喋っているようにしか見えなかった。
ぬいぐるみが喋ったり宙に浮いたりすることが既に怖かったりするのだが、あるいは、そんな警戒心が彼を怯えさせているのだろうか。
涼とて怖いのは山々なのだが、話を進めるため敢えて心を開く。
涼から声を掛けるのは癪だったところ、両の瞳をうるうると震わせながら妖精が喋った。
「……人間サン、乱暴しないデース?」
「……しないから、早く説明してくれ」
お手上げといった具合に軽いため息を吐きながら、涼は諸々の説明を求める。
涼が下手に出れば、付け上がられるのは思いのほか早かった。
「それでは説明しマース! 耳の穴かっぽじって良く聞きやがってくだサーイ!」
この掌の返しようである。
涼にすらちょっとは可愛らしいと思わせた涙は嘘だったかのように両の瞳から消えうせていた。
「ちんちくりんな人間サンのことですから、優しく説明しマース」
うざい。その一言に尽きる。涼には怒りすら通り越して呆れを覚えさせていた。
というよりも、涼に言わせれば見た目からしてちんちくりんなのは妖精なのだが、いちいち突っかかる気も失せている。説明するのなら早急にさせてしまえと、どこか仏のように開き直っていた。
「まずは、キットを取り出してくだサーイ。早くするデース」
「……」
もはや何も言うまい。
言われるがままに箱の中を取り出すと、箱の大きさそのままの水槽が出てくる。水槽の中は寂しく、レイアウトは施されていない。当然のことながら、アクアリウムに興じるための物ではないようだ。そもそも涼にアクアリウムの趣味は無く、何れにせよ育成キットと銘打つからには何かを育成するのだろうが、涼に餌代やそれに順ずるもののための資金は無い。
目の前のぬいぐるみもどき含め、妖精さんと、明らかに怪しい字列も懸念材料である。
「それではキットの中にもう一つ箱があるので、今度はそれを取るデース」
「ん。これか?」
水槽のサイズに対する大きさとしては少々寂しい。ぽつんと一つ取り残されたように水槽の中に置かれているのは、掌に収まるくらいの黒い箱である。涼にも見覚えがあるような、というか、テレビドラマでよく目にする、具体的にはプロポーズに欠かせないアレだ。
「指輪?」
「指輪デース」
「いやいや、こんなもの渡されたって、結婚相手どころか彼女すら生まれてこの方出来た事ねーよ」
世知辛い世の中である。
「習うより慣れろ。じゃあ早速実践と行きまショウ」
「ちょ、待て。流石にそれは主導権握りすぎ。いろいろわけ分からないから、先に説明してくれよ」
「何をデース?」
何をと問われれば涼にも分からない。そもそも説明が無さ過ぎて付いて行けなかった。いろいろと端折った説明にもならない説明で、理解しろと言うのも至難の業だ。わけの分からない状況に晒され混乱した頭では順を追うことも困難なほど、最初から最後まで全ての説明を求めたいところである。
「もう、こう……とにかく、全部だよ。上手く言えないけど、分からないことが多すぎて訳が分からん」
「全部とハ?」
「そりゃもう、全部なんだよ。いいから説明してくれ」
「人間サン、何を言いたいのか分からないデース」
「こっちの台詞だっ」
互いに頭の回転が遅いと言うか、切り替えが下手と言うべきか。
じれったい状況を打破するため、涼はもはや開き直っていた。
「じゃあもう、先にお前がしたい説明をしてしまえよ。いい加減話を進めなきゃ、頭が沸騰しちまう」
「ハア? それでは、早く行きましょうカ?」
「何処へ」
会話がいちいち疲れるような、主語が抜け落ちた妖精の喋り方にたびたび質問を重ねるおかげでレスポンスが遅い。会話をしているだけで妙に腹の立つ原因はこれかと思いつつ、あからさまな不服を呈しながら聞きなおした。
やたらと元気の良い返事を反す妖精の言葉に、そして涼は主語と言うものの大切さに苦節十数年の人生で今更気付くのである。
「異世界デース!」
日常生活ではなかなか聞くこともない単語が飛び出し、涼は人生で一番綺麗に頭を抱えるのだった。頭痛が痛い。