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スペリオルシリーズ

彩桜学園物語~三日遅れのバレンタイン~

作者: ルーラー

 その日の昼休み。高等部一年一組の教室で。

 瀬野秋波せの あきはは机に突っ伏したまま、頭を抱えて悩んでいた。

 チラリと横に向けた視線の先にある物は、鞄の中にあるラッピング済みのチョコレート。


 次に彼女が目を向けたのは、黒板の隣にかけられているカレンダーだった。それによると今日の日付けは二月の十七日。

 そう、十四日ではなく、十七日。付き合っている人がいる、いないに関わらず、男女間ではそれなりに重要なイベントとされているバレンタインデーからは三日ほどが経っていた。


 秋波には羽崎陸斗はざき りくとという彼氏がいる。よって彼女がバレンタインデーという日を忘れるなんてことはあり得ない。というより、陸斗と一緒にいれば、どれだけ忘れていようとも、『とある現象』によって当日には絶対に思いだすことになるのだ。

 だというのに、秋波が用意したチョコレートは今日という日になっても、まだ自分の鞄の中にあった。その理由は先ほど出てきた『とある現象』に関係しており……。


「はぁ……」


 そのときのことを思いだし、自覚のないため息が口から漏れた。


「あれ? なんか憂鬱気味? 秋波」


「どうしました? 秋波ちゃん」


 横からかけられた声に、ハッとして顔を向ける。意識して笑顔を作った。


「べ、別になんでもないよ!? 本当、どうもしてないから! ほら、いつもの元気なあたしでしょ!?」


 両腕を上げ、『元気、元気!』なんてことまでやってみせる。声をかけてきた二人の少女は、むしろ心配そうに表情を歪めた。だが秋波がそれを望んでないことに気づき、最初に声をかけてきた少女――岡本千夏おかもと ちなつはすぐに話題を変える。


「あ、そうそう。購買で買ってきてあげたよ」


 秋波の向かいに逆向きにイスを置き、肩の少し上くらいで切り揃えてある黒髪を揺らしながら着席する千夏。ビニール製の袋の中に手を入れて。


「はい、秋波の大好きなチョココロネ!」


「…………。とりあえず、お昼ご飯には惣菜パンをチョイスするべきじゃない?」


「つ、ツッコミ弱いわね。ここはもっと力強くさ――」


「いまのあたしにチョコの話はタブーなの……」


「あらら、それはそれは……」


 なんとなく事情を察したのか、それとも、とりあえずこの話題を続けるのはやめようと思ったのか、千夏は袋の中から焼きそばパンを二つ取りだし、そのひとつを秋波に、もうひとつを二人のやりとりに苦笑している少女――森岡紗綾もりおか さあやに手渡して、


「紗綾も紗綾でなんか薄いよね、反応。当事者でなくても、もっとこう、なんていうの?」


「ああ、私の場合、不器用な心遣いをする人には、部活動で慣れていますから」


「……部活動って、『科学研究部』だっけ?」


 イスを持ってこようと、一度自分の席に戻ろうとした紗綾に千夏が問いかけた。紗綾は「はい」とうなずき、左右の三つ編みが合わせるようにふわりと揺れる。

 袋からフィッシュバーガーを取りだす千夏に、イスを持ってきた紗綾が人差し指を立てた。


「またハンバーガーですか? あまり健康によくないですよ?」


「いいの。ジャンクフードはあたしの生きる糧なんだから。それにほら、肉じゃなくて魚なんだからカロリーも低めでしょ?」


「油で揚げていなければ、その通りかもしれませんけど……」


「そんなわけで、いただきまーす!」


 包み紙をずらし、一口かぶりつく千夏。秋波と紗綾はジャンクフード以外の物を食べている彼女の姿を見たことがないのだが、本当に大丈夫なのだろうか。主に、栄養バランス的に。

 それにしても、一口が大きいなぁ、千夏。そんなことを思いながら、元気を出すために自分も出来るだけ大きく焼きそばパンにかぶりついてみる。しかし、意識は結局、バレンタインの日のことから動くことはなかった。





 紗綾と千夏との三人でバレンタインの話をしたのは、二月十三日――バレンタインデーを間近に控えた日のことだった。


「やっぱり秋波は今年、チョコあげるの?」


「え? それは、もちろん」


 千夏の問いに、しかし答えは決まっているので、秋波は当然というようにそう返す。もっとも、そこにあった『照れ』の感情は隠せなかったけれど。

 秋波が即答したので、彼女が水を向ける先は必然的に紗綾ということになった。


「紗綾はどう? 最近、男子と一緒に歩いているのをよく見るけど」


「え!? あ、ええと、ノーコメントということで……!」


「だーめっ! 黙秘権は認められておりません!」


 チーズバーガーを片手に紗綾を追い詰めにかかる千夏。フォローしてあげようと、秋波は当の千夏本人に同じことをそのまま尋ね返す。


「千夏はどうなの? 二組の広世ひろせくん、だっけ。以前、小学生の頃によく遊んだって言ってたじゃん?」


「へ? あ、あれはただの幼なじみってやつよ。うん。大体あいつ、中学上がるときに引っ越しちゃって、その間、ろくに連絡とってなかったし」


「そういう場合、逆に幻想が守られて、恋愛感情に発展するんじゃありません?」


「や、やだなぁ、紗綾。そりゃまあ、また仲良くはなれたんだから、義理チョコくらいは渡すよ? でもそれだけ。それ以上のことはなにもないって」


「へぇ、本当に?」


「ほ、本当だってば! 秋波までなに言うの!」


 そう、バレンタインデーの前日、確かに秋波たちは笑い合いながらそんな会話をし、なんだかんだでバレンタインデーという日を楽しみにしていた。それだけではなく、秋波はその日の帰りに湯煎ゆせん用の板チョコを買い、自分でハート型のチョコを作り、不慣れながらもラッピングまでやってみたのだ。


 そうして迎えたバレンタインデー当日。自作チョコを渡そうと昼練中の陸上部の部室まで行った秋波は『とある現象』を目撃することになった。

 実を言うと、秋波はその現象を予想できていなかったわけではない。むしろ、ちゃんと心の準備をしておいたのだ。しかし……。


 陸上部の部室前は、たくさんの女子の姿でごった返していた。間違いなく、陸上部の男子にチョコレートを渡しに来たのだろう。陸上部の面々もまた、あるいは嬉しそうなホクホク顔で、あるいは少し照れくさそうな、困った表情で女子たちからのチョコを受け取っていた。

 繰り返すが、秋波もその光景は予想していたのだ。だから困った表情を浮かべながらもチョコを受け取っている陸斗の姿があるであろうこともちゃんと予測していた。だって、陸斗は意外とモテるし、なにより、自分が好きになった相手なのだから。


 なのに、どうしてだろう。

 その光景を現実のものとして見た瞬間、秋波の中でなにかが音を立てて崩れていった。

 崩れたものがなにであったかなんて、秋波にはどうでもよかった。いや、そこまで考える余裕がなかったと言ったほうが正しいのかもしれない。いまになって考えてみれば、きっとそれは恋人としての自信とか、自負とか呼ばれるものだったのだろう。


 何人もの女子が渡しているチョコと自分が手に持っているチョコ。

 それを自分の中で比べた瞬間、自分の作ったそれが本当に受け取ってもらえるのだろうかと、そんな弱気が頭をもたげた。そしてその弱気に負け、秋波はその場から逃げだしてしまったのだ。


 以前、紗綾に『基本、積極的だけれど、最後の一歩がなかなか踏み出せない』と評されたことがあったけれど、まさか決定的な場面を迎えた瞬間、ここまで臆病になるとは思ってもいなかった。


 いや、もしかしたらわかっていたのかもしれない。

 だって、自分は陸斗に告白したとき、『科学研究部』の部長――躑躅森夏音つつじもり かのんから渡された『惚れ薬』を使ったのだから。もちろん、あれは『惚れ薬』でもなんでもなかったけれど、『後押し』があったから告白できた、という事実はちっとも変わらないのだ。


 それに、ちょっと冷静になってみればすぐわかる。自分のチョコが拒否されるなんてこと、あるわけないと。だって、付き合い始めの頃ならまだしも、いまの自分たちはそう確信できるくらいの仲になっているのだから。けれど……。


 結局、その日の放課後、陸斗はチョコをもらえなかった陸上部部長の一存でかなり夜も遅い時間まで走り込みをさせられていたため、チョコを渡すことはできずにバレンタインデーは過ぎてしまった。まあ、陸斗本人はなんの不満も漏らさず、むしろ楽しんで練習に参加していたらしいが。

 翌日は翌日で、会うことができなかったわけではないが、なんだか今更な気もして渡せずじまい。そして十六日――昨日は秋波のほうの部活動が長引き、放課後は会うことすらできなかった。


 もちろん、本当はわかっている。

 チョコレートを渡したいのなら、放課後にこだわることはない。陸斗は二つ隣の三組にいるのだから、どうしても渡したいのならいまからだって渡しには行けるのだ。

 けれど、やっぱり『今更』という感情が先にきてしまう。当日を逃すというのは、取り返しがつかないくらいの失敗だったらしい――。





 そうして迎えた十七日の放課後。

 吹奏楽部の活動を終えた秋波は、校門のところで待っていた陸斗と一緒に帰路についていた。自分の認識が間違いなければ、今日は確か金曜日。会う約束でもしない限り、二日は陸斗と会えない日が続くことになる。つまりチョコレートを渡すなら、いましかない。

 しかし、そうとわかっていても、やはり『今更』という感は拭えない。せめて陸斗のほうから『欲しい』と言ってくれれば渡しやすくもなるのだろうが、いくら付き合っているからといっても、自分からチョコを催促するような男子なんているわけが――


「なあ、バレンタインのチョコなんだけどさ、今回、俺にしてはかなり頑張って待ったほうだと思うんだが……。その、いつまでも焦らしてないで、そろそろくれないか?」


 ――いた……。


 思わず秋波は絶句する。

 さっきは『言ってくれれば渡しやすくなる』と思いもしたが、とんでもない。一体なんと返していいのやら。


「や、部室前に来ていただろ? 十四日の昼休みに。それで『お、やっともらえるんだな』と思ったら、お前、いきなり走ってどっかに行っちまうし。あれって、チョコ置き忘れてきたのか?」


 とりあえず、陸斗は自分がチョコをもらえない可能性については、まったく考えていなかったらしい。もうバレンタインを過ぎてもいるのに。

 おかしくて、思わず秋波は笑いだしてしまいそうになった。そして安堵の感情によるものなのだろうか、少しイタズラ心が頭を覗かせる。


「でも陸斗、あんなにたくさんの女の子からチョコもらってたじゃん。もうチョコなんて見たくないって感じなんじゃないの?」


 口にした瞬間、勢いに任せすぎたと後悔してしまった。もし肯定されたらどうすればいいのだろう。


「あれはほとんど、部長を始めとした『もらえなかった組』に没収されちまったぜ。それに、没収されるにしろそうでないにしろ、受け取らないっていうのは、なんかこう、くれるっていう相手に悪いだろ。好意を持ってくれる相手を邪険になんて、絶対にできねえし」


 それはわかっている。きっと、自分は陸斗のそういう『なんだかんだで優しいところ』に惹かれたのだろうから。そう思いながら、同時に『なんてムチャクチャなことをする部長だろう。だからチョコをもらえないんじゃ……』とも考える秋波。


「でも、そういうチョコと秋波のくれるチョコはまったくの別物だろ。他のはもらえてももらえなくても問題ないけど、秋波からのはもらえないと、こう、なんつーか……。……あー! とにかく! 俺は秋波からのチョコが早く欲しいんだよ!」


 その逆ギレ気味の宣言に一瞬、驚きからポカンとしてしまう秋波。しかしすぐにそれから回復し、ニヤリと笑みを浮かべてみせた。


「ふーん。つまり、陸斗はなにがなんでもあたしからのチョコが欲しい、と?」


「最初っからそう言ってただろ!」


 大声を出して恥ずかしさを誤魔化そうとはしているが、秋波のセリフを否定はしない陸斗。あるいは、これくらい言ってくれる人じゃないと、自分は『最後の一歩』を踏み出せないのかもしれない。そう考えるなら、自分たちはきっとお似合いのカップルなのだろう。

 さて、いくら自分が安堵できるからといっても、これ以上焦らしたりからかったりするのは酷だろう。だって、こんな自分にここまでまっすぐ本心を伝えてくれたのだから。


「じゃあ、陸斗お待ちかねのチョコレート。はい!」


 鞄から取り出したチョコは包装紙越しにもわかるくらい、やわらかくなっていた。それでも、たっぷり入れた愛情は崩れないはずだ。


「おおっ! サンキュー! ……なあ、食ってもいいか?」


「もう、あげてすぐそれ? まあ、もちろん全然いいけど」


 包装紙を第三者から見ればやや乱暴に、けれど恋人である秋波にはそれとわかる慎重な手つきで解いていく陸斗。チョコがべったりついてしまっている薄紙を剥がし、覗いた茶色の部分にかじりつく。そして一言。


「うん、美味い!」


 それはとてもシンプルで、実に彼らしい喜びの言葉。

 秋波はそれに「ありがとう」と微笑を返し。


「とりあえずハッピーバレンタイン、だね」


 と小さく呟いたのだった。

コンセプトは『両想いの二人が迎えるバレンタイン』。

もどかしい感じを出したかったのに、全然出せなくて、僕のほうが悶々としたのを憶えております……。

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