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終章「彼女の願い」

             (0)

 途中コンビニに寄り、山中での休憩を想定して飲み物や軽食を買っておいた。そして、それから急いでバス停へと向かうと、ちょうど出発寸前のバスがあり、運良くそれに乗ることができた。これで、まず一安心だ。


 バスの車中で、僕は天狗山山頂へのルートを思い出していた。それはまだ一昨日の記憶なだけに、なんとなくではあるが辿っていくべき道の景色や目印などを、ある程度イメージすることができた。

「・・・う~ん、きっと大丈夫だ。今からだって、急いで行けばなんとかなる。確かに、みつきとの待ち合わせの時間には少し遅れそうだけど、意味もなく迷ったりしなければ大して時間をロスすることもないだろう。・・・それに、たとえ一時間くらい遅れちゃったって、みつきなら、きっと許してくれるさ」


                   *

 僕はバスを降りると、もはや何も考えずに無心で天狗山を目指した。そう、なんとしても、今度こそ願い札を手に入れたい。なんとかして、みつきの願いを叶えさせてあげたい。ただ、その一念だった。

 浜見村の中央通りを抜け、天狗山ハイキングコースの入口を見つけた。僕は焦る気持ちを押さえながら、その看板の指し示すルートを駆け足で登って行った。

 正直なところ、山道には全然自信がなかった。僕の方向音痴は筋金入りで、子供の頃から度々道に迷った。小学生の頃には、初めて遊びに行った友達の家から帰れなくなったりして、しょっちゅう道端で独り泣きべそをかいたりしていたものだ。

 それにしても、この山道というものは更に厄介だ。とにかく、どこも景色がほとんど同じで区別がつかない。しかも、よく分からない形で突然道が分岐していたり、道の先が低木や草むらに隠れれいて注意しないと簡単に行き先を見失ったり、etc、etc、・・・とにかく苦手だ。

 だが、今回は絶対に失敗は許されない。慎重に進まなくてはいけない!なにせ、みつきを待たせているのだから。・・・あまりにも遅くなったら、さすがに嫌われてしまうからな。


 天狗山の頂上までは、山登りといってもそれほど距離があるわけでもないのだが、山道だけに、張り出した木の根や石ころなどで非常に足場が悪い。しかも、昨夜の雨で少しぬかるんでいるところもあったりして更に足元がおぼつかなかった。そんなんで、正直この道を早足で登り続けることは、考えていた以上に困難だった。

 気づけば、徐々に歩くペースは落ちてゆき、一休みしたい気分も湧いてきた。だが、そんな甘えたことは言ってはいられない。そう、とにかく根性で前進するのみである。

 ・・・時間がないのだ。急がなければ!

                   *

 そして、それなりに苦労はしたものの、なんとか道を間違えることもなく、比較的ハイペースで登って来られ、どうにかこうにか無事に天狗山の山頂へと到着することが出来た。やはり時間がかかったが、僕としては上出来な方だろう。まあ、とりあえず、ここまでは順調である。

 あとはサッサと御札を見つけて引き返すのみだ。・・・だが、その前に少し休憩を取ることにした。そう、さすがに疲れたのだ。やはり山道が苦手だ。僕には好んで登山などする人間の気がしれない。わざわざ無駄に疲労して、いったい何が楽しいのだろうね?

 とりあえず、前回来たときに、みつきと座ったあの倒木のベンチのところへ行き、そっと腰をかけた。そして手にしていたレジ袋から、街で買っておいたサンドイッチとコカ・コーラを取り出した。


                  (1)

「・・・これで、この景色も見納めか」

 サンドイッチを食べながら、ふと呟いた。

 思えば、本当に奇妙な数日だった。多分、この村でみつきに出会わなければ、今の僕は、全然違った自分だったのではないかという思うほどだ。彼女が、いったいどういう理由でこの僕に声をかけてきたのかは、今持ってよく分からない。

 だが、今の僕にとって、もはやみつきの存在は一生忘れられないものになってしまったような気がする。・・・何故かは分からないけれど、本当にそう思う。

「そうさ、べつに、これで永遠の別れってわけじゃない。縁があれば、またいつか友達として再び会える日も来るさ」

 ・・・そう、今は、いつまでもぼんやりしている場合ではなかった。サッサと気持ちを切り替えて、早いところ御札を探し出し、一刻も早く浜見旅館まで戻らなくちゃいけないのだ。あまり、みつきを待たせるわけにはいかない。

                   *

 とりあえず、山頂の開けた場所を中心に、くまなく見て回った。・・・だが、残念なことに、そこには御札など、影も形も見当たらなかった。

 ・・・けれど、まあ、そんなわかり易いところにあったなら、前に来た時に既に気がついてもいいわけで、そう簡単に見つけられなくて、ある意味当然なのかもしれない。

 そういうことで、今度はもう少し捜査範囲を広げてみた。周囲の茂みの中や、木の影など、怪しそうな場所を見つけるたび、積極的にそれらの中に潜り込み、草を掻き分けるようにして、入念に辺り一帯を探し回った。・・・のだが、

 やはり、何も見当たらない。この周辺に、御札など、その痕跡さえ見当たらない。

 ・・・どうなってるんだ?あの、山崎さんの情報はガセだったのか?・・・それとも、既に誰かに先を越されたのか?


                   *

 この山頂で御札探しを始めてから、多分、既に一時間以上が経っていた。正直、もはや発見など絶望的な気もしていた。・・・だが、何故か、どうしても諦めがつかなかった。

 ・・・そう、なんとも言い難いが、どうしてか僕には不思議な確信のようなものがあったのだ。それは、ある意味『デジャブ(既視感)』のような、『確実な手応え』とでもいうような、何故だかそんな感覚があって、どうしても途中で簡単には投げ出すことなど出来なかった。

 そして何より、この『願い札』は、絶対に彼女にとって必要なものであるとの深い思いがあって、どうしても諦めることができなかったのだ!

 ・・・結果的に、どんなにみつきを待たせてしまったとしても、例えその為に、彼女に完全に嫌われてしまったとしても、例え、そうなろうとも、どうしても諦めちゃいけない!絶対に御札を見つけなくちゃいけない!・・・そんな強い思いが、僕の心の奥底から湧き上がっていて、決して立ち戻ることなど考えられなかったのだ。

                   *

「あっ、そっか!そうだったんだ」

 ふと、ひらめいて上を見た。僕は探すべきところを間違えていたのだと、ようやく気づいた。・・・そうだったんだ!

 御札は多分、樹木の枝に引っかかっているんだ。思えば、僕はこれまで、ずっと地面ばかりに気を取られていた。だが、普通に考えてみれば、生い茂る木の枝葉に落ちて引っかかっていると考えるのが当たり前だったのだ。

 そう気がついて、僕は自分の馬鹿さ加減にあきれ果てた。そして、すぐに視点を上部へと集中させ、再び周囲の森の中を歩いて回った。

 ・・・すると、

「あった!・・・あれだ!間違いない」

 程なくして、木の枝に引っかかった白い紙のパラシュートらしき物体を発見した。そして、それは5m以上ある高さの枝先にあって、また、よく見ると、そのパラシュートの糸の先には、確かに願い札を収めた白い封筒がぶら下がっていて、ゆらゆらと静かに風に揺れていた。


                  (2)

 木登りなんてするのは小学生の頃以来だった。だが、その樹は一直線に真っ直ぐに伸びている杉などとは違い、横方向に太い枝をいくつも伸ばしていて、枝を手繰りながら登っていくには好都合なものだった。

 初め、高いところの枝先に引っかかった御札を目にした時には、正直どうしたものか?と不安だったのだが、いざ挑戦してみると、苦戦しつつもなんとかなりそうだった。

 もしも、こんなところで木から落ちて怪我でもしたら、当然助けなど来る訳もなく、野垂れ死にすることは必定なので、慌てず無理せず、慎重に少しずつ前進していった。

 しかしながら、へっぴり腰で怖々と枝に抱きつきながらイモムシのように木登りをしている今の自分の姿は、外から見たらさぞかし間抜けだろう。・・・みつきがここにいなくて、本当に良かった。

 けれど、ようやく彼女の期待に応えることができる。・・・そう、あともう少し、あと1m、・・・よし、あと30センチ、・・・よし、あと、ちょっと!

 今にも滑り落ちそうな不安定な姿勢の体をどうにか支えつつ、必死で手を伸ばした。そして、ついにそれを掴み取った。

 白い薄紙が破れないよう、落下傘を慎重に指先に巻きつけていった。それから、ゆっくりと手繰り寄せるように糸を引っ張ると、引っかかっていた細い枝から、あの御札の封筒がスルリと抜けた。

「よし、・・・やったぞっ!」

                   *

 その白い封筒には浜見神社の名の他に、いかにも古い神社らしい独特の書体で『鏡片札』と、印が押されていた。

 そうだ。これが例の願い札に間違いなくだろう。要するに、あの鏡月姫の伝説に習って、鏡の破片に模した御札をばらまき、それを村人皆で探し回るというわけだ。そして、つまりは、そこに何かのご褒美が必要になって、見つけ出せば何でも願いが叶うなんて話になったということなのだろう。よくある話だ。

 ・・・まあ、よそ者の僕には少々馬鹿馬鹿しいゲームな気がするが、きっと地元民にとっては楽しい行事なのだろうね。

 でもこれで、みつきへのお礼の気持ちを伝えることができるだろう。なにせ、彼女も一応は地元民だし、それにこいつはそれなりにレア物だし、・・・そういや、あの鏡月姫の伝説も、なんだか好きみたいだったしね。

 あとは急いで下山するのみだ。・・・けど、大分時間オーバーだな。マジ、嫌われるかも?・・・いや、まあ、それも仕方がないか?

 だけど、今に思うと、なんだって俺はあんなにもムキになって、こんな御札を探してたんだろう?・・・我ながら意味不明だ。って、まあ、過ぎたことはどうでもいいか。


                   *

 もはや、急ぎ山を下ることにのみ集中した。もはや大遅刻である。みつきとは午後1時に浜見旅館で待ち合わせとしていたが、この調子だと多分午後3時を過ぎるだろう。

 ・・・ヤバイ!だが、今更どうにもならない。・・・とにかく急ぐしかない!

 足元に気を使いながらも、全速力で坂道を降りていった。確かに殆どが下り坂だったのだが、やはりそこは山道だけに足場が悪くて、うっかりするとすぐに足が滑って転びそうになった。だが、一昨日よりも全然疲れが溜まっていない分足取りは軽かった。また、ルートもすっかり見慣れてきていて、迷うことも全くなかった。

 そして、ふと気がつけば、早々に村の通りまでたどり着いていた。やはり、このハイキングコースは、行きよりも帰りの方が断然楽なようである。

 だが、まだここでのんびりとはしていられない。一刻も早く浜見旅館まで行かなくてはいけないのだ!僕は再び気合を入れ直し、早足で道を急いだ。


                  (3)

 あの獣道のような細道を抜け、浜見旅館の門前までやってきた。・・・だが、そこには何故か、みつきの姿が見当たらなかった。

「ヤバイ!やっぱり、怒って帰っちゃったか?・・・しくった」

 ふと、思わず涙が滲んだ。

 だが、こればかりは自業自得だ。待ちきれなくて帰っちゃっても当然だ。もはや、完全に嫌われてしまっただろう。・・・仕方がない。

 ・・・けれど、せっかく御札を見つけてきたというのに、本人に渡せなければ意味がない。かと言って、みつきの家が何処かなんて全く知らない。・・・困った。

「そっか、女将に頼もう」

 ふと、そう気がついた。女将に事情を話し、みつきに渡してもらうなり、電話を借りて、今日のことを謝るなりしよう。そうすれば、きっと少しは許してくれるだろう。

 ・・・そう、きっとこの御札だって受け取ってくれるさ。

 とにかく、一度旅館に入って、女将に挨拶してこなければならない。そもそも僕は、旅館に自分の荷物を預けっぱなしなのだ。

 そう、気を取り直し、僕は旅館の玄関の引き戸を開いた。

「あっ」

 すると、僕が入ってくるなり、ロビーの休憩スペースのソファーに座っていた浴衣姿の女性が、サッと立ち上がった。

「・・・みつきちゃん?」

 そう、それはみつきだった。水色の流れるような色合いの布地の中に赤い金魚のゆらゆら泳いでいる涼しげな柄の浴衣を着て、そして今日ばかりは、いつものツインテールではなくて、長い髪を大きく一つに纏めて結い、可愛らしいピンクの花のかんざしを刺していた。

 だが、彼女の、そのあまりのイメチェンに、一瞬誰だかわからなかった。そして僕が目を丸くして呆然と突っ立っていると、みつきが少し呆れたような、しかし何処か悲しげな感じの声でポソリと言った。

「大翔くん、どこに行ってたの?・・・わたし、すごく待ったんだよ。・・・もう、帰っちゃったのかと、本気で心配したんだから」

「ごめん。ホントに悪かった。・・・その、俺、御札探しに行ってたんだ」

 僕が思わず、そう答えると、みつきは目を大きく見開いて、驚いたようにじっと僕の顔を見つめた。

「大翔くん。・・・やっぱり、そうだったんだ」

「え?」

 みつきの言葉に僕は少し違和感を覚え、ふと首を傾げた。・・・しかし、彼女はそのまましばらく、潤んだ瞳でじっと黙って僕を見つめていた。


                   *

 女将に一言挨拶を済ませ、預けていたナップザックを受け取って、僕はみつきと浜見神社へと向かった。

 そして、みつきはというと、僕の遅刻をそれほど気にはしていないのか、いつもと同様、ニコニコと楽しげに微笑んでいた。しかしながら、女将からは「私が説得してロビーの中に入れるまで、みつきちゃん、この炎天下の中、外でず~っとあなたを待ってたのよ」と厳しい口調でお小言を頂いてしまった。・・・もはや返す言葉もない。反省!

 けれど、今に思えば、なんだって僕はあんなにもムキになって御札など取りに行ったのだろう?・・・自分でも不思議だ。そもそも、みつきがこんなものを喜ぶ保証など何も無かったのだから。

 しかしながら、僕が「これ、みつきちゃんに渡そうと思って探してきたんだ」と言って、御札を差し出すと、みつきは割と嬉しそうに「ありがとう。やっぱり、大翔くんは優しいね」と言って、微笑んでくれたのであった。

 ・・・だから、まあ、成功だったのだろうけど。・・・いや、本心では、少し怒ってるのかもしれないな。・・・トホホ


                  (4)

 海岸沿いの道路際を、街とは反対側に向かって歩いて行った。だが、その歩みは、とてもゆっくりとしたペースであった。というのも、みつきは馴れない浴衣姿で、しかも下駄を履いていて、そんなに早足では歩けなかったのだ。

 だが、こうして潮騒を聴きながら、のんびりと歩むのも悪くない。そして、浴衣姿のみつきは、何処か少し大人びて見えて、僕にはこのゆったりと流れていく時間がとても愛おしく思えた。

「この御札、どんな願いでも叶えてくれるんだってね。だから、どんなことでもいいから、何か考えといてよ。・・・その、せっかく見つけてきたんだし」

 ふと、そう話しかけると、みつきは遠くを見つめながら静かに答えた。

「うん。・・・でも、わたしは、もう叶っちゃってるから」

「え?」

 その返答に驚いて、僕がみつきの顔を凝視すると、彼女は少し慌てて言い直した。

「だから、その、今は特別に願い事って、あんまり思いつかないかな?・・・って、ごめんね。わたしのために、せっかく苦労して見つけてきて貰ったのに」

「アハハ、・・・いや、そんなことは別にいいけど♪」

 ・・・とは答えたが、正直なところ、がっかりだった。

 散々苦労して苦手な山登りして、あちこち探し回って、更に待ち合わせにも遅刻して、・・・って、・・・いったい俺は何をやっているんだろうか?まあ、何をやってもダメダメなのはいつものことだが。

 ・・・しかし、情けない。我ながら呆れ果てる。

「・・・けど、浴衣。似合ってるよ。それと、髪型も、いつもと全然雰囲気違って、・・・その、初め見たとき、一瞬誰だかわかんなかったよ」

 話題を変えて、そう話しかけた。するとみつきは少し照れくさそうに答えた。

「この浴衣、昨日、お母さんが自分のを縫い直したのを、わたしにくれたの。だから、ちょっと地味でしょ?」

「え、そんなことないよ。すごく可愛いよ」

 何気なくそう返すと、みつきはニッコっと微笑んでから、また静かに話を続けた。

「それに、今日はね、髪も結ってくれたんだ。せっかく浴衣だから、髪型もちゃんと合わせた方がいいって」

 ポソリとそう言って、何げに恥ずかしそうな笑みを浮かべるみつきの横顔を見て、僕は何故だかとても嬉しくなった。そして、少し安心した。

 ・・・そう、みつきには義理だとはいえ、彼女を深く思ってくれる優しい母親が、いつも傍にいるんだ。


                   *

 程なくして浜見神社に到着した。思えば、ここに来たのは今日が初めてであった。そして、その神社は僕の想像していたイメージとは少し違っていたのだ。

 僕は、山中で御札の花火を目撃して以来、ずっと神社は岬の高台の上にあるのだとばかり思っていたのだが、浜見神社と文字の掘られた大きな石碑は、すぐ道路沿いに立っていて、更にその向こうには堂々たる風格の大きな石の鳥居が存在していた。

 そして、当のお祭り会場は、その鳥居をくぐった先の参道沿いの広場で行われていたのである。

 けれど、ふとその参道の一番奥の方を見ると、そこには岬の高台の上へと長く続く石段があって、その頂上付近にも、やはり大きく立派な石の鳥居が立っているのが見えた。

 多分、あの鳥居の向こうには、この神社の本殿があるのだろう。そう、みつきと天狗山の山頂から景色を眺めた時、この岬の高台の頂上に立派な社殿が建っているのが見えたのだ。


「とにかく、この御札を早いところ本殿に届けてきちゃおうよ」

 僕は神社の大鳥居をくぐったところで、そうみつきに言った。すると何故だか、彼女はまるで気乗りしないようで、少し首を傾げるようにして答えた。

「まだ、いいよ。先に色々露店とか見て回らない?どうせ、御札は日没までに納めればいいんだから、納札は後にしよ」

「・・・ああ、まあ、いいけど」

 仕方なく、そう答えた。・・・が、それにしても、この御札のプレゼントは完全に失敗だったらしい。みつきは全く御札に興味を示さない感じだ。

 ・・・いや、もしかしたら、むしろ僕が遅刻したことを、本心では未だに怒っているのかもしれない。みつきは全然顔には出さないが、女心は判らない。姉もそうだが経験上、女に恨みを買うと後々が怖いのだ。・・・汗!


                  (5)

 お祭り会場は驚く程大勢の人たちで賑わっていた。すでに駐車場には数十台の車が所狭しと駐車しているし、広場には多くの露店が立ち並び、会場の中央付近には大きな舞台も用意されていて、その前には木製の簡素作りのベンチがズラリと並べられていた。

 そして境内は、多くの人々の話し声や楽しげな歓声が溢れていて、スピーカーからは祭囃子の笛や太鼓の音が軽快に流されていた。

 確かに、東京の有名な神社の祭りなんかと比べれば、全然小規模なものとはいえ、この過疎地としか思えなかった小さな村のお祭りに、よくもまあこれほどの人が集まってきたものだと感心せずにはいられなかった。

 とりあえず、みつきと二人でフラフラと境内を歩いて回った。すると、多くの人が集まってきているだけあって、色々な露店が出ていた。綿飴、りんご飴、焼きそば、たこ焼き、そしてまた、お面や水風船、駒などの玩具、それにお祭りと言ったら定番の金魚すくいやら、的当てや輪投げなどの店もあった。


「せっかくだから、何か遊ぼうよ」

 みつきの顔を覗くようにして、そう言うと、彼女はやんわりとした笑顔で頷いた。

「じゃあ、金魚すくいに挑戦しよう!・・・でも、俺、金魚すくいなんて、今まで一度もやったことないけど」

「・・・ああ、うん。そうだね。やってみよっか」

 ということで、店のおじさんに二人分のお金を払い、薄紙の貼った円形のすくい枠を受け取って、二人で同時にスタートした。

 ・・・が、残念ながら僕は一匹もすくえず早々に撃沈!しかし、みつきは紅白のリュウキン型の綺麗な金魚を一匹すくい上げることに成功した。

「すごいじゃん!」

 僕が驚いてそう言うと、みつきは何んでもない顔で、静かにポソリと答えた。

「たまたまだよ。それに、あんまり大きいの狙ったから、すぐに破れちゃったし」 

                   *

 それからも、空気銃の的当てやら輪投げなどをして遊んだ。そして、少し遊び疲れたところで綿飴を買って、そのふわふわとして甘いだけの砂糖菓子を、二人でフラフラ歩きながらパクついた。

 ・・・だが、なんとなくだが、そんな今日のみつきの姿に、僕は少し違和感を感じ始めていた。ほんの些細なことだが、何処か昨日までの彼女と少し様子が違う気がしたのだ。

 なんとなくだが、彼女の笑顔にぎこちなさを感じた。・・・そして何となく、会話をしていても何処か上の空のよう返答だった。

 だが逆に、今日のみつきは不思議なほど素直でもあった。昨日までは、それが缶ジュース一本であっても頑固にこだわって、絶対に僕にお金を出させなかった彼女が、今日は何も言わずに僕の好意を受け取ってくれたのだ。

 ・・・どういう心境の変化なのだろう?・・・まあ、そんなことはどうでもいいか。どうであれ、この僕に女心など皆目わからない。

 だが、そんなことをぼんやりと考えていたとき、少し離れたところから僕を呼ぶ声が聞こえた。

「ねえ~っ、大翔く~ん!あっちの舞台で面白そうな手品やってるよ。見に行こう♪」

 ふと声のする方に目を向けると、いつの間にか随分遠くにみつきがいて、彼女はこちらに向かって、お得意のいつものおいでおいでをしながらニコニコしていた。

 ・・・いや、やっぱり気のせいだな。みつきは今日もいつものままだ。今朝、女将に変な話をされたせいで、自分の中で妙な思い込みを持ってしまっただけだろう。

『ドスッ!』

「・・・あ、すいません!」

 みつきの方に向かおうと姿勢を変えたとき、いきなり誰かの肩がぶつかって、僕は慌てて声をかけた。・・・のだが、

 そのぶつかってきたオッサンの方は、まるで何もなかったように振り向きもせず、そのまま歩いて行ってしまった。しかし、よく見ると何げにフラフラしている。また残り香が酷く酒臭い。・・・そう、単なる酔っぱらいだ。

 だが、更に驚いたことに、オッサンはその先に停車してあった車のところへ行って、おもむろにドアを開けると、当たり前のような顔をして運転席へと乗り込み、何ら躊躇することなく車を発進させたのだ。・・・呆れる話だ!

 さすがはド田舎。もはや酔っ払い運転なんか、ここでは常識なのだろう。

「・・・えっ!?」

 ・・・が、突然、心臓が一瞬に凍りつくような恐怖が、僕の心の奥底から溢れ出してきた。

 ・・・あれは、・・・あの車は、・・・あの黄色い乗用車だ!

 ・・・・・・・・・・・・・・・!?

「大翔く~ん!何してるの~っ? 早く早く!手品終わっちゃうよ~っ、も~う!」

「あっ、・・・え?・・・ああ、ゴメン!」

 みつきの呼び声を聞き、ふと我に返った。

 ・・・しかし、今俺は何を思っていたのだろう?なんで、あんな車に気を取られたのだろう?・・・自分でも意味がわからない。

 ・・・いや、まあいいか。それより、早いところみつきのところへ行かなくちゃ。


                  (6)

 かき氷を食べながら、僕等は舞台前の椅子に並んで座って、地元住人の有志や他所から招いたらしい芸人たちの歌や芸などを、ぼんやり眺めて過ごした。

 みつきは、そんな演者たちの芸を楽しそうに見つめ、ときたま声を出してケラケラ笑ったり、あるいは目を丸くして驚いたりして、訳もなく喜んでいた。また、度々僕の肩をトントン叩いてきては、あれこれと楽しげに話しかけてきたのだった。

 みつきとは、本当に楽しい女の子だ。彼女が、ただそばにいるだけで、ただそこにいてくれるだけで、僕の心は嘘みたいに癒される。・・・何故だろう?

 ・・・こんなひと時を得るなんて、そう、つい数日前までの自分には、まるで想像もつかなかったことだ。


 ・・・しかし、思えば、この楽しい時間も残ろりわずかだ。僕はもうすぐ、自分の家へと帰らなくてはいけない。せっかく、こんなに素敵な女の子と、みつきと、親しくなれたけど、この先、再び会うことがあるのかは判らない。

 ・・・そう、あるいはこれっきり、永遠にお別れなのかもしれない。


 だが、ふとそう思った途端、隣にいるみつきが、とても遠いい存在に感じた。そして同時に、形のない寂しさと孤独が、激しい大波のように僕の心の中に打ち付けてきた。

 ・・・全身が凍りつきそうなほど苦しくなった。


 ・・・だが、今は、そんなことを考えていたって仕方がない。

 当たり前の話、彼女は全くの赤の他人なんだ。ただ、戯れに、この哀れな男に同情して、この数日ボランティアで相手をしてくれただけの人だ。

 ・・・これ以上、彼女に迷惑はかけられない。

 他人に、己の勝手な願望を求めることほど、馬鹿げたことはない。今はただ、赤の他人でしかないこんな僕に、彼女が与えてくれた好意を、真にありがたく思うべきであって、それ以上を求めることはありえない。

 正直、彼女が、何故このようなつまらぬ男に、何を思って親切心を持ってくれたのか?その理由など僕には全く想像がつかないが、しかしながら思うことは、もしも僕という存在が、少しでも彼女にとって利を与えたとするならば、それを素直に喜び、ありがたく受け止めるのみであって、間違っても、恩をアダで返すような振る舞いは許されない。


 ・・・そう、もしも縁があるのなら、きっと再会することもあるだろう。そして、もしも僕が、その時、少しでも彼女の役に立てることが何かあったなら、きっと、こんな僕でも、そこにある意味を得ることがあるだろう。

 だが、間違っても、自分から他者に願望を押し付けるようなことは、あっちゃいけない。

 ・・・求めてはいけない。・・・欲してはいけない。

 ・・・間違っても、みつきに、迷惑をかけたくない。


                   *

「あっ、そろそろ、御札を納に行かなきゃ、ヤバくないか?」

 ふと、辺りが少し薄暗くなり始めていることに気がつき、僕は慌てて声をあげた。

「え?・・・あっ、そうだね。・・・そっかぁ、もう、行かなきゃいけない時間だね」

 みつきは、僕の声掛けに反応すると、ただ、そっと静かにそう答えた。だが、僕はその時、みつきの様子にふと違和感を覚え、思わず聞いた。

「大丈夫?」

 すると彼女は、「え?」と、少し首を傾げ、それからニッコリと微笑んだ。

 そして僕等は、他の観客の邪魔にならぬよう気を遣いながら、ゆっくりと席を立ち、二人で本殿へと繋がる石段へと向かって行った。


                  (7)

 ゆっくりと、その長く続く石段を一歩一歩登った。どうやら浴衣で階段を上がるのは、なかなか大変なようで、みつきは片手で裾を軽く握り、足元を気にしながら石段を一段ずつ慎重に踏んでいた。

 そして、何故だか彼女は何も話し出さず、ずっと無言で俯き気味に歩いていた。また、その横顔も何処か沈んでいるようで、僕の方を見ようともしない。なんだか、ついさっきまでのみつきとは、まるで別人のようにさえ感じた。

 ・・・なんなのだろう?

「みつきちゃん。何か願い事は浮かんだかなあ?」

 沈黙に耐えられなくなって、ふと聞いてみた。すると、みつきは俯いたまま、静かに「ああ、うん」とだけ答えた。

 ・・・しかし、どうにも空虚な返事である。だが、まあいい。これ以上、また御札のことを言ってもしつこいだけだ。

 ・・・けれどもう、みつきとは、これでお別れなのだ。僕は、この御札を見つけ出すことで、何故だか?きっとみつきとの繋がりを得られるんじゃないかと信じていた。

 だが、現実はこの有様だ。結局、あんな御札、なんにもならなかった。むしろ、彼女の機嫌を損ねただけだ。・・・やっぱり、占い事なんかに頼るんじゃなかった。

 ・・・なにが願札だ!・・・馬鹿馬鹿しい。

 ・・・でも、本当にいいのか、このままで?・・・このまま何も言わず、このまま気持ちも伝えず、それでお別れで、これでお終いで、本当にそれでいいのか?

 ・・・ ・・・ ・・・


                   *

「あのさあ、俺、またいつか、ここへ遊びに来てもいいかなあ?」

 石段の終わりが見えてきて、高台の上にある石の鳥居が目前に迫ってきたところで、ふとそう言葉をかけた。すると、ずっと黙りだったみつきがスっと僕を見た。

「それで、そしたら・・・、その時も、みつきちゃんに案内頼んでもいい?」

 僕が、更にそう続けると、彼女は僕の顔を見つめたまま、そっと立ち止まった。

「・・・いや、変な意味じゃないんだ。・・・その、君に迷惑をかけるつもりは全然ないんだ。だから、迷惑だったら別にいいんだ。

 ・・・ただ、俺、せっかくこんなに仲良くなれたのに、・・・このまま君と、永遠にお別れなんて、どうしても嫌だから、・・・やっぱ、そんなの無理だから、

 ・・・その、・・・また、いつか、また君の顔が見たいから、会いたいから、

 ・・・俺、やっぱり、みつきちゃんのこと、好きだから、・・・だから、」

 思わず、押さえ込んでいた本心が溢れ出してしまった。言わないでおこうと思っていたことを、つい言ってしまった。

 ・・・だが、案の定、みつきは僕の顔を凝視したまま、何も言わずに黙っていた。そして、ふと気づくと、彼女の瞳は今にも涙が溢れそうなほどに潤んでいた。

 ヤバイ!・・・やっぱり、言うべきじゃなかった。彼女を困らせてしまった。馬鹿なことをした。・・・失言だった!

「・・・いや、その、ゴメン!今、俺、変なこと言ったね。・・・いや、そんなの迷惑だよね。・・・その、ほんと、別にいいんんだ。気にしないで。その、今のはただ、思わず言っちゃっただけで、・・・いや、ゴメン!・・・ホント、ゴメン!」

「・・・大翔くん。どうして謝るの?」

 みつきは少し首を傾げるようにして、ポツリとそう言った。とても静かで、少し悲しげな声だった。そして彼女は、また静かに言葉を重ねた。

「わたし、大翔くんにそんなふうに思ってもらえて、すごく嬉しいよ。ありがとう」

「えっ?」

「だけど、ごめんなさい。きっともう、大翔くんに会うことはないと思う。残念だけど、二度と、ガイドは出来ません。・・・ごめんね」

 そのみつきの言葉に、僕の心は凝固した。一瞬だが、自分の想いがみつきに通じたのかと思った。・・・だが、やはり、そんなことなど有り得ないのだと自覚させられた。

 しかし、また、みつきが口を開いた。寂しそうに、苦しそうに、静かに話し始めた。

「・・・だけど、わかってください。・・・わたし、大翔くんに出会えて、たくさん思い出をもらって、本当に嬉しかった。

 ・・・なんだか、嘘みたい。まさか、大翔くんに好きだなんて言ってもらえるなんて、・・・本当に夢が叶うなんて・・・」

「えっ、・・・どういうこと?・・・いったい、何を言ってんだ!?」

 僕は思わず、そう問うた。・・・訳が判らなくて、今にも気が狂いそうだった。

すると、みつきは足早に石段を数歩上がって、鳥居の真下まで行った。それからサッと振り返り、そこから僕を見下ろすようにして、・・・そして、静かに語り始めた。


                  (8)

「ホントはね、あの日、わたし、ただ何となく散歩に出ただけだったんだぁ・・・、

 それで、海岸沿いの道をフラフラしてたら、『バン、バン、バン』って花火の音がして、それで空をぼんやり眺めてたら、一つだけ、御札の落下傘がこっちの方に風に流されてきたの。そしたら、そのうち、その御札は海の岩場の辺りに、スーっと落っこちていったの。

 でも見ると、御札の落ちた岩場は、ちょっと遠くて、とても取りに行けそうもない場所だった。だから、このまま海に流されちゃうのかなあ?って思って、ちょっと心配で、海岸まで降りて行って、ずっと一人で眺めてたの。

 ・・・そしてたらね。その時、大翔くんが突然現れて、『俺が取ってきてあげるよ』って言ってくれた。

 わたし、ビックリしちゃって何も言えなかった。・・・だのに大翔くんたら、あんなに危ない岩場をどんどん渡って、本当に取りに行ってくれて、拾った御札をわたしに見せて、いっぱい手を振ってくれて、・・・あの時は、わたし、すごく嬉しかった。

 でも、大翔くん、最後に足を滑らせて海に落っこっちゃって、御札はダメになっちゃったけど、でも、それで十分だったのに、・・・それなのに大翔くん、『俺が絶対に見つけてあげるって』そう言ってくれて、

 ・・・でもね、ごめんね。あの言葉、すごく嬉しかったけど、どこか、わたし、ちゃんと信じてなかったんだぁ。・・・ホントにごめんね。

 だけど、大翔くんは、あの後、本当に一人で、御札を探しに行ってくれたんだよね。

 そう、翌日にね、近所の人に、『よそから来たらしい若い男の人が、一人で御札を探してる』って話を聞いて、わたし、ビックリしちゃって、それで急いで城跡公園に走っていったの。そしたら、本当にそこに大翔くんがいて、そして一生懸命御札を探しててくれてた。

 ホントに驚いたよ。何で、こんな見ず知らずの私なんかのために?って、正直信じられなかった。本当に感動しちゃったんだよ。

 ・・・だけど、わたし、あの時も、ちゃんとお礼も言えなかったね。ごめんね。

 でも、その後、初めてちゃんとお話が出来て、ベンチで一緒にファンタグレープ飲んで、それから二人で公園中を、暗くなるまで御札を探して回ったんだよね。

 でも実は、あそこに落ちた御札は、もう他の人に拾われちゃった後だったらしいの。

 ・・・けどね、わたしは、もうあの時には、本当に御札のことはどうでもよかったの。だって、もう、・・・ずっと心の奥で想っていた願いは、・・・もう叶っちゃったって気がしてたから。

 だから、『もう、御札はいいから、出来たら一緒に次の日のお祭りに付き合って』って、そうお願いしたの。そしたら大翔くん、渋々だけど『いいよ』って言ってくれて、

 ・・・だから、約束どおり、翌日の午後一番に浜見旅館に迎えに行ったのに、大翔くんは一人でお月見山に御札を探しに行っちゃったって聞いて、あの時もわたし、何時間も待ったんだから。

 うふふ。・・・でも、本当に御札を見つけてきてくれたんだよね。

 ・・・方向音痴で、山道苦手なのに、無理して、散々迷子になって、クタクタに疲れて、ホント馬鹿なんだから。

 ・・・でも、わたしの浴衣姿見て、可愛いって褒めてくれて、初めて試したツインテールの髪型も、すごく似合うって言ってくれて、・・・わたしを見て、本当に嬉しそうに、微笑んでくれて、・・・だから、わたしも、とっても嬉しくて。

 ・・・ ・・・ ・・・ だけど、結局、あの時は、お祭りを一緒に楽しむことは出来なかったから、

 ・・・本当は、自分の気持ちをちゃんと伝えたかったのに、結局わたし、何も伝えることが出来なかったから、

 ・・・話したいことも、したいことも、いっぱいあったけど、何も出来ないまんまだったから、

 ・・・だから、どうしても、気持ちだけでも伝えたくて、わたしの想いだけでもわかって欲しくて、


 ・・・だから、どうしても、大翔くんと出会ってからの、あの三日間をやり直したかったの。


 ・・・大翔くん、わたしのわがままに付き合わせちゃって、ごめんね。


 ・・・ ・・・ ・・・さようなら。 あなたに出会えて、嬉しかった。 」


 僕には、みつきの言葉の意味が全く判らなかった。

 だが、このまま、みつきがいなくなってしまうような気がして、驚いて、慌てて石段を駆け上がり、みつきの腕を掴んだ。そして、自分の胸の中へ抱きしめた。

 ・・・が、その瞬間、

 パット!彼女のぬくもりがそこからなくなった。まるで星屑となって砕け散ってしまったかのように、みつきの存在が消えた。・・・空になった。

 それと同時に、自分を取り巻く世界も、一瞬のうちに消え失せた。何もかもが、瞬間的に消滅した。・・・無になった。

 そして、本当の世界が、本来の記憶が、真の現実が、僕の中に瞬く間に蘇ってきた。


                  (9)

 ・・・おととい、僕は偶然にあのオンボロ列車に乗って、何も思わずこの浜見駅に降りたった。だが、その後山道に迷い込み、山中でたまたま願札の花火が打ち上がるのを見て、その時出会った爺さんに道案内を頼み、ようやく海岸沿いを通る道路へと出ることができた。

 そして、宿へ向かおうと海岸線の道を歩いていて、そこで、岩だらけの海岸で一人で寂しげに、じっと海を見つめている白いワンピース姿の少女を見かけたのだ。

 ・・・そうあの時、初めて僕は、みつきと出会った。

 そうだ、あの少女こそ、みつきだったんだ!

 僕は自分から勝手に岩場に飛び出して、彼女が見つめていた御札を取りに行った。だが、やはりドジって、結局その御札をダメにしてしまった。

 ・・・だが僕は、どうしても、そのままでは諦められなかった。

 僕はその後、あの山中で見た花火の記憶を頼りに、落下傘の落ちていった方角を推測して、独りで村のあちこちを回って御札を探した。そして、たまたま出くわした住人からも更なる情報を集めた。

 だが、その日は結局、御札を見つけることは出来なかった。・・・だが、それでも諦められなかった。・・・どうしても諦めたくなかったのだ。

 次の日も、僕は朝から御札探しに出かけた。昨日耳にした情報を頼りに城跡公園へと向かった。だが、既にそこには数人の村人がいて、僕と同様に御札を探し回っていた。

 ・・・だから、僕も負けじと必死で探した。

 これまでの人生で、こんな気持ちになったのは初めてだった。僕は元来競争が苦手だった。誰かと争って、他人を蹴落として、自分が勝って、それが楽しいとは思わなかった。

 そう、自分はどうでも良かったのだ。自分が得をして、他の人ががっかりした姿なんて見たくなかった。皆が笑っていてくれたら、僕はそれで幸せだった。

 けれど、今回は事情が違った!・・・僕は、どうしても、彼女の笑顔が見たかったのだ!・・・どうしても、どうしても、あの少女に、本心から何も躊躇うことなく、嬉しそうに微笑んで欲しかったんだ!

 ・・・すると、そんな時、みつきが公園にやってきた。そして、僕等はそれから、今度は二人で、日暮れまで御札を探して回ったんだ。

 けれど、結局見つからなくて、それなのに、みつきは『御札はもういいから、明日のお祭りに一緒に行って欲しい』と言ってくれて、・・・だが、僕は、それでも、どうしても、諦めることができなかった。

 すると、その夜、山崎さんから天狗山に御札がまだ残っているらしいという話を聞いて、僕は翌日、朝から急いで天狗山の山頂を目指した。

 ・・・だが、あの時は、天狗山に行くのは全くの初めてで、方向音痴の僕はマヌケにも道に迷ってしまった。

 そして、ようやく目的の頂上に着いた時には、既に午後になっていて、しかも、そこでもまた、なかなか御札を見つけられなくて、結局僕が御札を発見し、浜見旅館に帰り着いた頃には、既にだいぶ日も傾き始めていたのだった。


 驚いたことに、浜見旅館の玄関をくぐると、そこで、みつきが待っていてくれた。僕は、もはや絶対に腹を立てて帰ってしまっただろうと思っていたのに、彼女は何故か?こんな僕を何時間も待っていてくれたのだ。・・・信じられなかった。

 そして、みつきは何ひとつ文句も言わず、むしろ酷く疲れきっている僕のことを心配してくれた。・・・有り得ないことだった。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 そして僕は、天狗山で探し出してきた御札を、そっと彼女に渡した。すると、みつきは目を丸くした。そして、

「ありがとう。・・・まさか、本当に見つけてきてくれるなんて」

 そう言って、じっとその御札を見つめていた。


                    *

 もう日没までには時間があまりないので、僕等はすぐに神社へと向かって歩き出した。だが、その歩みは、ことの他ゆっくりだった。

 そう、みつきは浴衣姿で、しかも馴れない下駄を履いていたのだ。

 ・・・けれど、今までとまるで違う雰囲気で、とても印象が変わった感じがして、それで思わず、僕はつまらないことを口に出した。

「・・・その浴衣、すごく似合ってるよ。・・・それに、その髪も。・・・その、ツインテール?って云うのかなあ、とっても可愛いよ。・・・その、明るく見えるし、いや、元気そうで、すごく君に似合ってるよ」

 するとみつきは、一瞬驚いたような顔をして、けれどすぐに、とても嬉しそうにニッコリと微笑んだ。

 僕は、その笑顔を見て、何故だかすごく嬉しかった。頑張って御札を見つけた甲斐があったと思った。・・・そう、ようやく思いが叶った気がした。

 ・・・今まで何をやってもドジばかりで、何も成せない自分だった。嫌気がさすほどダメすぎる自分だった。生きているのが恥ずかしいだけの人間だった。

 ・・・でも、ようやく、今度こそ、自分は本当に役に立てたんだって気がした。


                   (10)

 しばらくすると、僕等は浜見神社の本殿のある岬の高台の、すぐ目の前にまで来ていた。あとは、すぐ先のカーブを過ぎれば、そこには浜見神社の鳥居があるはずだった。

 だが、ふと空を見れば随分と日は傾いてきていて、雲が次第に赤く染まりつつあった。そう、うかうかしていると、すぐにでも日が沈んでしまいそうな気配だった。

「早く行かないとまずいね」

 空をぼんやりと見つめていた僕に向かって、みつきがそう言った。そして、スっと身体をひるがえすようにしてから足早に歩みだした。そして、前の道路を横断しようと身体をサッと進めた。

 ・・・が、その時だった!

 突然、道路のカーブの向こうから、黄色い車が姿を現した。みつきはすぐに気がついて、足を止めた。

 ・・・だが!

 その乗用車は、ものすごいスピードを出していて、カーブを大きく膨らんで、中央車線を越え、こちらに向かって迫ってきた。

 『キーッ!』と、激しいブレーキ音がこだました。その車はタイヤをロックさせ、真っ直ぐに、こちらへと滑ってきた。

 一瞬のことだった。何なんだかわからなかった。『ドスーン』と、僕の眼前で、車は道路脇の波除土手に衝突した。そして、同時に、みつきの身体が宙を舞った。


 ・・・気がつくと、投げ捨てられたように、道路上に伏しているみつきの姿がそこにあった。

 僕は、ふと我に返り、慌ててみつきに駆け寄った。

 膝まづき、彼女の身体に手を触れた。・・・だが、みつきはピクリとも反応しない。

「・・・だっ、大丈夫かっ?・・・おいっ!、おいっ!・・・ ・・・ 」

 頭が真っ白になって、何が何だか判らなくて、何が起きたのかも意味不明で、僕は自分の身体の震えを抑えることが出来なかった。

 ・・・だが、ハッと気づき、立ち上がると、神社へと向かって走った。

「誰かーっ!!誰か来てくれーっ!誰か、彼女を早く助けてくれーっ!」


                   *

 神社にいた何人かが、急いで駆けつけてくれた。そして、神社の警備に来ていたらしき消防隊員が、みつきの怪我の簡単な応急手当をしながら、「すぐに救急車が来るから安心しろ」と言った。

 ・・・だが、みつきの顔はすっかりと青ざめていて、全く意識がないようで、その息もとても弱々しく、かすかだった。

 そして僕は、ぐったりと地面に伏している、みつきの傍で、ただ黙って、ただじっと、無意味に座っているだけしかできなかった。

 ・・・すると、次第に遠くから救急車のサイレンが近づいて来るのを感じた。そして間もなく、道路の向こうから赤い回転灯を光らせた救急車がやって来るのが見えた。

 けれど、そんな時だった。

 ふと気配を感じ、みつきの顔を見ると、彼女はうっすらとその目を開いた。そして、力ない瞳で、ゆっくりと僕を見た。

「・・・おねがい、・・・わたしの願い、・・・叶えて、・・・御札を、・・・とどけて」

 かすかな声で、みつきが言った。・・・確かに、そう聞こえた。

「わかった!俺が、必ず御札を届ける。君の願いを叶えてみせる!」


 僕は、御札を手に、走った!


 空は真っ赤に色付いていた。太陽は、今まさに、水平線の奥へと沈もうとしていた。


 ・・・もう、時間がなかった。・・・急がなくてはならなかった。


 全てを忘れ、息をするのも忘れ、懸命に神社の石段を駆け上がった。


 いそがなきゃ!

 いそがなきゃ!


 早くしないと、日が沈んでしまう。


 ・・・うっ、息が持たない。足が、思うように動かない!

 っくそっ!

 息なんてできなくていい!こんな足、どうなろうと構わない!

 急ぐんだ!走るんだ!

 ・・・早く!早く!早く!!!


 俺は死んでも構わない!このまま、息絶えたって構わない!


 ・・・彼女の願いを叶えなきゃ!


 なんとしても、日が沈む前に、この御札を届けなきゃ・・・


                   *


                   *


                   *


                   *


                   *


 ・・・突然、視界がパット開けた。目の前に世界が現れた。


 僕の眼前には、本殿の納札受付所があって、白い着物に赤い袴姿の巫女さんが立っていた。そして、その女性の手には、少し汚れてくしゃくしゃになった、あの願札が握られていた。

「良かったですね。ギリギリだけど、ちゃんと日没前に間に合いましたよ。きっと神様が、あなたの願いを叶えてくださいますよ」

 にこやかに巫女さんは、そう言った。・・・だが、その後、僕の顔を不思議そうにじっと見つめ、そして、その表情を急激に変えた。

「どうしたんですか?・・・大丈夫?」


                   *

 僕は無意識のまま、そこを離れた。ただ、何もなく、フラフラと歩いた。


 ・・・もはや、何も出来なかった。・・・自分が息をしているのさえ、不思議だった。生きている自分が、理解できなかった。


 ・・・だが、到頭、僕の足は身体を支えることを止めてしまった。ぐらりと力が抜けて、石畳に膝をついた。

 その時、背後で『ボン、ボン、ボン、ボボーン』と、花火の打ち上がる爆音が鳴り響き、その後『わーっ』と、人々の歓声が湧き上がった。


 すると、眼前の黒い石畳に、ポタポタと水滴が落ち、そこに花火の閃光が反射して、キラキラと輝いていた。


 そして、僕は、言葉にならない呻きの中で、叫んだ。


「・・・なんでだ。・・・なんで、なんだ!」


 ・・・


 ・・


 ・



                  (11)


 白いレースのカーテン越しに通過してくる明るく透明な日差しが、彼女のベットを静かに照らしていた。その柔らかな光線は彼女の白い肌に反射して、美しく輝いて見えた。


 そして僕は、その病室のベットの傍らで、一心にりんごの皮を剥いていた。


 まず、円いりんごを縦に六つ切りにして芯を取り、それから赤い皮に斜めに切れ込みを二本入れ、そっと残りの皮を剃り落とした。よし、これで完成!

 ・・・いや、そのつもりだった。


「・・・あれ?」

 何故か思い描いていた形になってない。出来上がったそれは酷くいびつで、しかも残した皮の形もヘンテコで、まるで美しくない。そう、そもそも全然ウサギの形になってない。

「ダメだこりゃ!」

 僕が独り言のようにそう言って、またも、その出来損ないのりんごを自分の口に入れると、彼女はコメディーでも見るようにクスクスと笑った。

 ・・・そして、それから呆れたように、

「もおっ、今のは十分上手に出来てたよ。いいから、わたしにも早く食べさせてよ!さっきから自分ばかり食べててズルイよ。・・・もう、やっぱり、わたしが自分で剥くよ。大翔くんは、もういいいから、わたしに貸して」

 そう言って、彼女は手を伸ばしてきたが、僕は断固拒否した。男たるもの、一度口にした以上簡単には引き下がれないのだ!

「ダメダメ!すぐに俺がカッコ良くウサギのりんご作るから、病人は大人しく待ってろよ。それとも、みつきは、この俺のことが信じられないのか?」

「も~う、ホントに頑固なんだから、・・・困った人だね」

 彼女は僕の言葉にそう返し、そのあと独りでクスクスと笑っていた。


 そうなのだ。みつきは車にはねられ、ひどい怪我をして、一時は生死をさまようほどの重症だった。だがその後、奇跡的に回復し、順調に体力を取り戻していったのだ。

 そして今では、このとおり、普通に笑って話が出来るまでになった。医者の話では、もうじき退院できるらしい。

 しかしながら、実はこのことは、みつきを担当した医師自身がとても驚いていたらしい。病院に運ばれてきた時点では、出血もひどく、また頭も強く打っていて、ほぼ絶望的だと思われていたらしいのだ。・・・だがそれが、ほとんど何の後遺症も無く、異例なほど早く回復していったのだ。

 ・・・けれど、僕はその話を耳にして、ふと思った。これは、もしかしたら、あの願札のおかげだったのではないかと。

 一度目の御札は、みつきの願いを叶え、そして、そのやり直しの日々で僕が手にした、もう一枚の願札が、今度は僕の願いを叶えてくれたのではないか?と・・・。

 だが、そう考えると、ひとつだけ疑問が湧いてくる。そう、もしそうならば、何故みつきは初めから自分の命の救済を願わないで、あんな奇妙な願いをしたのか?

 ・・・このことは、僕にはまるで判らない。正直、理解不能だ。・・・そう、いつか、機会があったら、みつき本人に聞いてみよう。


 けれど、彼女のことだから、 きっと、何も答えてはくれないだろう。




                 「うさぎの恩返し」 完。

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