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第一章 「願い札の花火」


                  (0)

 ・・・赤い光、真っ赤な光、・・・赤い、赤い、赤い空。


 ・・・ああ、夕焼けで、もう空が真っ赤だ!


 いそがなきゃ!

 いそがなきゃ!


 早くしないと、日が沈んでしまう。


 ・・・うっ、息が持たない。足が、思うように動かない!

 っくそっ!

 息なんてできなくていい!こんな足、どうなろうと構わない!

 急ぐんだ!走るんだ!

 ・・・早く!早く!早く!!!


 俺は死んでも構わない!このまま、息絶えたって構わない!


 ・・・彼女の願いを叶えなきゃ!


 なんとしても、日が沈む前に、この御札を届けなきゃ・・・




                  (1)

 「・・・・・?」

 ・・・ふと、目が覚めた。ひどく暑かった。

 額を手で拭うと、ひどい汗だった。シャワーを浴びた後みたいにびしょびしょだった。

 虚ろな意識の中、辺りを見回すと、そこは列車の車内だった。常にグラグラと揺れていて、レールから響く騒音もひどくて、とても快適とは言えない乗り心地だった。

 車内の内装もオンボロで、塗装は無駄に厚く塗られていて、所々ひび割れていて、網棚の網は荷物を乗せたら破れそうなほど変色していて、それら以外の部分も全体的に薄汚かった。また、僕がずっと横になっていた七人掛のシートには奇妙な悪臭が染み付いていて、その匂いが鼻に付き、その後もなかなか抜けなかった。

 そして何より、ひどい暑さだ。見れば天井には金属製のごっつい扇風機が付いていたが、ガーガーと音ばかりが大きくて、単に熱風をかき回しているだけにしか思えなかった。


 とりあえず、二日酔いと脱水で未だにフラフラとする体を無理やり引き起こした。頭を上げ、改めて車内を見回すと、この列車には自分以外の乗客など一人もいないことがすぐに分かった。なぜならこの列車は、もはや列車とは言い難いことに、この一車両だけで走っていたからだ。当然車掌もおらず、運転席の後ろには『ワンマン』と書かれた札が貼ってあった。

 また駆動音を聞く限り、どうやら電車ではない。ディーゼルか何かだろう。バスのような排ガスの匂いが鼻についた。普段、都内を中心に電車しか乗ったことのない僕には、ある意味新鮮ではあった。

 これは、どう考えても、ド田舎のローカル鉄道だろうことは想像がついた。しかし僕は、この鉄道が日本の中の何処を何処に向かって走っているのかも、まるで判らなかった。


 思えば、昨晩、親父のウイスキーをガバ飲みして家を出てからの記憶は、はっきりとしない。まともにまっすぐ歩けない状態のまま、とりあえず最寄りの駅までフラフラしながら歩いては行ったものの、真夜中の駅は当然閉まっていて、始発の時間まで駅前の公園のベンチで仮眠を取った。

 改札口のシャッターが開く音に気がついて目を覚まし、朦朧としながらホームに入った。そして、たまたま目の前に止った電車に乗り込んで、多分終点までその電車に乗って、その列車が完全に止まると、そこでまた次の電車に乗り換えたのだと思う。そしてそんなことを、その後も何度か繰り返したはずだ。

 切符は適当に買っていたので、列車内で車掌に精算して貰った気がする。だが、泥酔していて記憶は曖昧だ。とにかく僕の目的は、少しでも遠くに行くこと。それだけだった。だから列車の行き先も見なかったし、自分のいる駅が何処なのかも確かめなかった。

 酒酔いがなかなか抜けなくて、何度も駅や車内のトイレに駆け込み、ゲロを吐いた。サラリーマン風のおっさんに睨まれたり、OLらしき女性に気持ち悪い顔をされたりもしたが、もうどうでもよかった。むしろ、自分が惨めたらしく見えれば見えるほど、こ気味良いとさえ感じていたのだ。

 ・・・そして、ふと目覚めたら、いつの間にやらこのポンコツ車両に乗っていたというわけだ。


                  (2)

 ようやく酒酔いの方は覚めてきていたのだが、今度は酷い二日酔いに襲われていた。頭がガンガンと痛むのはもちろん、未だ吐き気もあって気持ちが悪い。多分、身体は脱水しているのだろうけれど何も飲みたいとは思わない。また、昨日の晩から何一つ口にしていないのに何も食いたい気がしない。だから、このまましばらく、この薄汚いシートに横になっていても良かったのだけれど・・・。

「・・・暑い」

 なんだか、脳みそまでもがすっかり茹だってしまったみたいで、どうしようもなく不快だった。とてもこのまま寝ていられるような状態ではなくなっていたのである。

 とりあえず、座席の脇の窓だけでも全開して、思い切り風を浴びたくなった。

 それにしてもこの車両、真夏で冷房もないのだから、もう少し風通しを良くしていてもいいと思うのだが、何故だか車内の窓はどれも申し訳程度にしか空いていなくて、換気は不十分と言わざる得なかった。

 だが運転席の方をふと見てみれば、運転手は横の窓を全開にして涼しげな顔でいるではないか!腹が立つ。ならば自分も!っと、窓枠の両端にあるステンレス製のつまみを握って、力いっぱい窓を持ち上げてはみたのだが・・・。

「・・・あれ?」

 少し持ち上げたところで、ガリッっと、窓枠がかじりこんだみたいで突然動かなくなってしまった。

「くそっ!・・・あっ!・・・げっ、なんだよ!?」

 うっかり手が滑って、窓が落ちて、そして結局完全に閉まってしまった。最悪だ。嫌気がさす。いつも俺はこうだ!何をやってもうまくいった試しがない!

「・・・生きているのも嫌になってくる。もはやどうでもいい。まあ、このまま、このオンボロ車両の中で熱中症で死に腐るのもいいかもしれない。それが、今の俺にはお似合いかもな?」・・・と、その時だった。

「はっ!」

 突然、目の前の視界が開いた。それまで車窓を塞いでいた生い茂る樹木の緑葉がカーテンを開いたみたいにサーッと無くなって、そこに美しい海が広がった。

 線路は少し高台にあるらしく、海は水平線の彼方まで、雄大に、無限に、大きく広がって見えた。僕は、その景色に吸い込まれるように、窓ガラスの存在も忘れ、車窓に張り付くようにして、その海をじっと見つめた。

 何故だか、涙が溢れ出てきた。涙を抑えきれなかった。広大な海の中に、何かを感じた。海は、真夏の日差しを反射して、美しく、キラキラと輝いていた。久しぶりに目にする自然の情景だった。何故だか、自分が、その輝きの中に包まれている気がした。

 ・・・だが、その直後、再び僕の視界は閉ざされた。生い茂る緑が、再び眼前を覆った。僕の目の前から、海は消えた。・・・無に帰った。

 だが、その直後、僕以外誰もいない車内に、アナウンスが響いた。次の停車駅を知らせるものだった。

「この列車は、間もなく浜見駅に停車します・・・・・」

 僕は何の迷いもなく立ち上がった。あの海を、もっと間近に見たかった。ただ、それだけだった。


                  (3)

 運転席横の料金回収機に運賃を投げ入れ、僕は何の迷いもなく列車を降りた。一人の乗客すらも失った列車は、何の躊躇いもなく、すぐさまその駅を離れた。そして、僕はその駅でたった一人きりになって、そこでようやく自分の置かれた状況に初めて気づいたのだった。

 うかつだった。僕はそれまで、旅なんかほとんどした事がなかったのだ。だから、何も考えてはいなかったのだ。

 驚いたことに、この駅には自販機の一つも無かった。無論、車内で運賃の精算を済ますぐらいだから駅は無人だった。駅員もいなければ、当然売店もない。駅の周囲は、鬱蒼とした森に囲まれていて、全くと言っていいほど人けがなかった。そして、この駅の周辺には人家の気配さえもなかったのだった。

 ・・・まいった。

 とりあえず駅の周囲を歩き回ってみたが、結局何の成果もなかった。観光地にありがちな周辺の案内地図すら見当たらない。駅には、崩壊寸前の小さな木造駅舎はあったものの、空白だらけの時刻表が掲げられているだけで、単に虚しさを煽るだけだった。


                  *

 駅の前には舗装もされていない砂利道が真っ直ぐに通っていた。左に行くべきか?右に行くべきか?迷ったが、なんとなく左へ進んだ。

 確かに今にして思えば、駅にそのまま留まって、次の列車を待つほうがよかったのかもしれない。しかし、あの時の僕は、とにかく海を見たかったのだ。何故だかは知らないが、無性に、再びあの海が見たかった。あの、列車の中で見た、あの海を、もう一度、間近で見つめたかった。そんな衝動に押し流されていたのである。

 だが、その考えは完全に失敗だった。僕はしばらくの間、無心になって足を進めたのだが、全く海になど近づけなかった。むしろ、周囲の景色は次第に山深くなっていっくだけで、いつまで経っても一向に海の方へと向かっているとの感触が得られないままだった。

 考えてみれば、ここまでずっと上り坂ばかりだった気がする。海に行きたければ、山を下るべきである。当たり前のことだ。

 ・・・だが、その当たり前に気づくのに、僕はありえないほど無駄に足を進めすぎていた。何も考えていなかった。まるでゼンマイ仕掛けのブリキの人形のように、僕はただ目前だけを見て、機械的に歩き続けていたのだ。

 そして、ふと我に返った時、僕は深い森林に囲まれた山中で独り、迷子同然となっていた。

 固く巻かれていたゼンマイが緩みきって、僕はとうとう力尽きた。糸の切れたマリオネットのように、そこに座り込んだ。

 疲れきった尻を預けた腐りかけの倒木は、少し湿っていたが、そんなことはどうでもよかった。ふと天を見上げると、木の隙間から真っ青な空と、その大海原を悠々うと泳ぐ真っ白な雲が見えた。

「・・・もう、どうでもいいや」

 無意識に呟いていた。

 ひどく疲れた。動いたおかげか頭痛の方は治まってきたが、逆にその分、身体の激しい疲労感に襲われた。喉の渇きもひどかった。喉がカラカラで、吹き出す汗が疎ましかった。頭がぼんやりして、まともな考えが浮かんでこない。もはやどうしたらいいのか、どうしたいのかも判らなくなってきた。

「もしもこのまま遭難して、ここで俺が死んだとしたら、皆どう思うだろう?親父は泣くかもしれないし、自殺したのかと勘違いするかもしれないな。

 ・・・それも、仕方がないか。

 高校の頃の友達は、何を思うだろう?「やっぱり」って思うかな?アイツらしい惨めな最後だって、思うかな?きっと、酒の席での笑い話の種にでもなるんだろうな。

 ・・・まあ、生きていたって、クソほども役に立たない俺が死んでも、皆すぐに忘れちまうだろうけどね」


 生い茂る木々が日除けになって幾分救われたものの、空気は湿っていて蒸し暑く、怒りを込めた叫びのようなセミの鳴き声だけが、エコーを掛けたみたいに僕の耳の奥で、ただ止むことを知らず鳴り響いていた。


                  (4)

 気を取り直し、僕は再び歩き始めた。そもそも、こんなところまで、僕はいじけるために来たわけではない。何かを見つけに来たのだ。

 人目を避け、自室に引きこもっている自分に嫌気がさして、そんなみっともない自分を振り払いたくて、この旅を始めたのだ。

 今までのダメな自分を捨て去って、生きる意味のある自分にしたかった。確かに、今の自分には夢もないし、必要としてくれる人もいない。・・・でも、それでも、少しでも前へ進まなくちゃ、何も始まらない気がしたのである。

 きっと、前にさえ進めば、きっと、何かがあるって、そう信じたかったんだ!


                  *

 元居た駅を目指して、来た道を戻るつもりだった。だが、どうやら完全に道に迷ってしまったらしい。山を下るどころか、気がつけば目の前に続く道は上り坂ばかりになっていた。

「さすがにヤバイか・・・」と、少し気持ちが怯え始めてきた頃だった。ふと、樹木の鬱蒼と生い茂る山道の先に、少々明るく開けた場所が覗き見えてきた。

 急ぎ足を早め、その場所に到達してみると、そこは山の端から少しばかり地面が張り出した感じで、また周囲に樹木も少なく、いわば天然の見晴台のような構造になっている場所だった。

「これは、ラッキー!」

 ようやく功名が見えた気がした。辺りを見回すと、やはり周囲は小高い山に包まれていた。しかし、自分がいる場所が、それほど山深いところでもないこともすぐに分かった。

 見れば、少し下の方には人家の屋根がいくつも見えていた。少しばかり山を降れば、すぐにでも、その集落へとたどり着けそうな感じだった。また、集落のさらに先には海も見えた。

 本当に馬鹿げたな話だが、きっと駅を出た時、あの一本道を反対方向に進んでさえいれば、あっという間に海に出れられたのでは?という気がした。

 しかしながら、近くに人家があることがわかっただけで凄く安心した。正直、このまま山中で餓え死ぬのではないかと、真剣に心配し始めていたのである。別にいつ死んでもいいのだが、皆に自殺したなんて思われることだけは、絶対に嫌だったのだ。

「はーっ」と、無意識にため息が出ていた。これで一安心という感じで、肩の力が少し抜け、緊張の糸が緩んでいた。

 ・・・だが、まさにそんな瞬間だった!

『ボン!ボン!ボボボーン!!ボン!ボボーン!!ボボボーン!!!』

 激しい爆音が響いた!爆音は山々に反響し、地響きのようにさえ思えた。僕は何事かと驚愕した!

 慌てて周囲を見回すと、海の方角で煙が上がっていることに気がついた。細い白煙が幾本も、真っ直ぐに天に向かって伸びていた。

 上空には紙切れのような白い何かが、ばら蒔かれるように散っていた。そしてその白煙の根元は、海に張り出した岬の高台あたりにあった。また、その高台には神社のような、少し特殊な形状の建物が建っているように見えた。

「・・・花火?」

「そうじゃよ。あれは、祭りの花火じゃよ。あれで、村中に願い札をばらまくんじゃ」

 僕はびっくりして振り返った!何気ない独り言のつぶやきに、突然返事が返ってきたからだ。

「うわっ~!?」

 僕の背後には、何故だかいつの間にやら、見知らぬ爺さんが立っていて、金歯混じりの歯をむき出しにして、ヘラヘラと笑っていた。

「どうした?若いの。あの程度の花火でビビっちまったのか?全く、ダメな奴じゃのう。図体ばかりでかくて、そんな小心じゃ女の子にモテんぞ。あはっはっはっはっは!」

 あまりにも突然なことで、僕は何も言い返せなかった。


                  (5)

「あの花火には仕掛けがあってな、花火の中に神社の御札が仕込んであるんじゃよ。そいつをああやって神社の境内から、村中、四方八方に飛ばすんじゃ。

 お前さんにも見えたじゃろ?いくつもの小さな白いパラシュートが空高くで開いていたのを。御札はああして、風に乗って、何処へともなく飛んでいく。その何処かへと落ちていったその御札を探して、拾って、そいつを祭りの日の日没までに神社の境内へと納に行くんじゃよ。

 するとな、たとえどんな願いであろうとも、それが、その者の真に求めるものならば、その願い事を神様がきっと叶えてくれると、そういうわけじゃ」

 爺さんは、僕が尋ねもしないのに、道すがら勝手に一人であの奇妙な花火の説明を続けていた。正直、少しウザかったが仕方がない。こちらが頼んで道中を付いて来てもらったのだから。

 そう、僕はその偶然出会った村の住人らしき爺さんに道案内を頼んだのだ。だが、それはやはり正解だった。この山道は僕の想像よりも少々複雑で、思いがけないところで分岐していたりして、こうして誰かに案内してもらわなければ、きっとまた、僕は迷っていたに違いない。

「ああして花火を使って村中に御札をばらまくのも、古い伝説から来ていることなんじゃ。この村に伝わる古い古い言い伝えじゃよ。この願い札の花火は、十二年に一度の大祭の時にだけ行われる、由緒正しき儀式なんじゃ。

 しかし、お前さんはついていたのう。こんな良き日に、この村にやってくるとは。もしも運良く御札を見つけることができれば、きっと願いが叶えられるぞ。そう、それが、どのような願いであろうとな。ほんとうに、お前さんは運がいい。

 ・・・いや?・・・もしかしたら、お前さんは、導かれたのかもな!そもそも、こんな何もないところに、旅人など、めったに来やせんのだから。

 ・・・あるいは、これは、伝説の通りなのかもしれんなあ、 」

「あの、海はもうすぐなんですか?・・・あっ、あと俺、昨晩からほとんど何も食ってなくって、それに喉もカラカラで、近くに店か何かありませんかねえ?・・・ほんと、パン屋でも蕎麦屋でも、なんでもいいので」

 さすがに爺さんの話がウザくなってきたので、話を逸らそうと言葉をかけた。

 ・・・だが、

「お前さん、海になど行かんで、早々に御札を捜しなさい。お前はきっと、そのためにここに来たんじゃ。そうに間違いない。その方が良い」

 爺さんは、何を思ったのか知らないが、僕の目の中を覗き込むように見つめながら、真剣な眼差しでそう言った。・・・正直、キモかった。

「いや、俺はそういうの全然興味ないんで。その、遠慮しときます」

「何を言っとる!この願い札は、単なる余興のようなものではないのじゃぞ!本当にありがたいものなんじゃ。悪いことは言わん。わしの言うとおりにしなさい」

 僕はきっぱり断って、このつまらない話を終わりにするつもりだったのだが、何故だか爺さんは一層ムキになって絡んできた。

「いや、その、そもそも思うんだけど、そんなにありがたい御札だったら、僕みたいな道もわからないよそ者があがいたところで、絶対に見つけるのは無理ですよ。だって、そんなに良いものなら、今頃村の人たちが、とっとっとと全部見つけちゃってますよ。そうでしょ?」

 仕方ないので、呆れた調子で、そう言い返してみたのだが・・・、

「やはり、何も判っていないようじゃな。そうではないのじゃよ。お前が、その男なら、御札は必ずお前のもとへやってくる。そういうものなのじゃ。判るか?」

「はあ?」

「良いか、心して聞け。この願い札には、このような言葉がある。

 『願い札は、真にそれを求める者の元へと宿る』

 判るか?お前が、その者ならば、その運命を、きっと、成さねばならぬのじゃよ!」

 そう言うと、爺さんは立ち止まり、僕の目をえぐるようにじっと見つめた。だが僕は、爺さんのそのイカれた振る舞いに、しばし呆然としているしか出来なかった。


                  (6)

 その後の道中でも爺さんのカルト宗教まがいの勧誘活動はしばらくの間続いたが、僕が完全無視を決め込んだことで次第に静かになっていった。そして程なくして僕等は海岸線を走る車道へと出た。

 滅多に車など走って来そうのない静かな道路だが、幅の広い片側一車線のその道は、きちんとアスファルトで舗装されていて、海側には低めの波除堤防とガードレールが整備されていて、正常な文明世界への帰還を実感するには十分なロケーションであった。

「どうも、ありがとうございました。大変助かりました」

 僕は爺さんに、そう行儀よく礼を言い、さっさと別れることにした。もう用は済んだことだし、これ以上頭のおかしなジジイに関わって、カルト教団に引き込まれるのはゴメンだったからである。

「おい、ちょっと待ちなさい!」

 僕が早足にその場を立ち去ろうとしたところ、背後で爺さんが声をあげた。無論、僕は無視してそのまま歩き続けようと思ったのだが・・・、

「お前さん、なんも食ってないって言ってたろう!飯屋はないが、この村には一件だけ小さな旅館がある。あそこなら、きっと何か食わせてくれるはずじゃ。場所を教えてやるから、戻ってきなさい」

 僕は思わず立ち止まり、さっと振り返った。見ると、爺さんは嬉しそうに微笑んで、金歯を口の中で光らせていた。


                  *

 爺さんと別れた後、僕は肩ほどの高さのあるコンクリート製の波除堤防越しに海を眺めながら、ひとり海岸線の道路脇を歩いていた。正直、相変わらず腹ペコで喉もカラカラだったが、ズボンのポケットの中には爺さんが書いてくれた旅館への略地図があり、気持ちには少し余裕があった。

 潮騒と海の香りを感じつつ、のんびりと散歩気分で歩くのは、やはり気持ちの良いものである。岩に打ち付ける波が、細かい霧のようなしぶきを上げて舞い散る様を眺めていると不思議に心が癒さた。

 だが、この海、列車の窓から見た時とは少し趣が違っていた。

 この海岸には思っていた以上に岩が多く、また波も荒かった。岸辺には多少砂浜も見受けられたが、やはりそこら中から黒々とした岩が張り出していて、とても素足なんかでは歩けそうにない。楽しく海水浴なんて、全く期待できない状態だった。

 ・・・というか、こんな波の荒い海に飛び込んだら、すぐにでも硬い岩場に身体を打ち付けられて、あの世行きになるのが関の山だろう。


 けれど、不思議だ。何故だか、この景色、見覚えがある。俺は昔、この海岸に来たことがある。確かに、そんな気がする。

 ・・・いや、そんなわけないか。・・・そんなはず、ないよな。・・・あるわけがない。・・・そもそも海岸の景色なんて、何処も似たようなものさ。


          「えっ!?」


 一瞬、何かが見えた。だが、よくわからない。海岸に、人影があった。

 ・・・誰かがいたような気がした。

 ・・・だが、誰もいない。いるわけがない。

 でも、ふと見えたのだ。

 ・・・少女がいた。白いワンピースを着た、髪の長い女の子が、じっと海を見つめながら独りで立っていた。

 寂しそうに、悲しそうな目で、じっと海を見つめながら、岩に砕けた波のしぶきの向こうに、荒れ狂う波の狭間に・・・


 奇妙な感覚に襲われ、ぐらりと意識を失うかのように、僕はその場にしゃがみこんだ。突然、なんだか訳のわからない幻覚を見たようだ。そのことだけは自覚していた。

 しばらく立ち上がれなかった。脂汗が一気に吹き出してきて、めまいがしていた。心臓が不必要なほど強く脈打っているのを感じた。

 ・・・なんだったのだろう?わけがわからない。・・・どうなってるんだ?


 次第に気分が良くなって、僕は自分を取り戻した。

 どうやら、相当に疲れが溜まっているらしい。考えてみれば当たり前だ。全く飲まず食わずで、真夏の日差しの中をずっと歩きづめじゃ、体調がおかしくなって当然である。

「・・・まずい。早いところ爺さんの教えてくれた旅館へ行って休憩しないと、このままじゃ、マジ死ぬな」


                  (7)

 その海岸沿いの道路を、その後しばらく歩いて行くと、そこには爺さんが描いてくれた略地図にあるバス停が確かにあって、そこから山の方へ、集落へと向かう通りに僕は入っていった。

 道は車がギリギリ交われるぐらいの幅しかなく、また右へ左へとクネクネと曲がっていたが、結果としては一本道で、迷子になりそうな感覚は持たなかった。

 道中、所々に民家や小さな畑のようなものがあったものの、全く人に出会うことはなかった。ここはほとんど住人のいない過疎地なのか?はたまた村人は皆総出で、あの爺さんの言っていた花火の御札を探しに行っているのか!?は、わからない。まあ、俺にはどうでもいいことだ。

 それにしても、やはり予想通りというべきか、ここにはジュースの自販機の一台も存在しないらしい。途中に、せめてコンビニの一つでもあればと思っていたのだが、それも絶望的な雰囲気であった。

 しかし、疲れた。この道に入ってから、ずっと上り坂である。もう随分進んだはずだが、例の旅館を示す看板が見当たらない。道が間違っているのではないか?少し心配になってきた。

 だからといって、何度爺さんの手書きの略地図を見返したところで埒があかない。そこにはミミズの這った跡のような数本の線と、汚い下手くそな字で記された少しばかりの目印があるだけなのだ。

 『浜見旅館、かんばん』と記されたこの目標が、本当にこの先に存在しなければ、そこで一巻の終わりである。そろそろ体力も限界だった。・・・せめて、水の一杯でも飲めればいいのだが。このままじゃ、本当に行き倒れだ。

「あっ、あれかな?」

 道の先の立木の影に、それらしい立て看板を発見し、僕は足を早めた。そこにたどり着くと、やはりその錆び付いたブリキの塗装板には『浜見旅館 そこ入る→』の文字が記されていた。

 少しほっと肩をなで下ろした後、その看板の矢印の先に目を向けると、そこには狭い路地の入口があり、またその道の脇にも『浜見旅館 ココ入る↑』の看板が立っていた。

 ・・・だが、僕が、その狭い路地に入ろうと足を早めた、そのときだった。

 ふと視線を感じ、そちらを向いた。すると、そこには少女がじっと立っていた。そして、その少女は、何故だか僕を真っ直ぐに見つめていた。

「・・・・・・・・・?」

 また幻覚を見ているのかと思った。だが、どうやら違った。その少女は、ちゃんとそこに存在しているようだった。要するに、僕がこの集落に来て初めて出会った住人だった。

 高校生だろうか?学生服を着ていた。細身の可愛らしい少女だった。長い髪を頭の両脇に束ねていた。いわゆるツインテールというやつだ。また、そのツインテールには水色の大きなリボンが結んであった。年齢の割には、ちょっと幼い趣味に思えたが、似合っていると思った。

 ・・・だが、奇妙なのは、そんなことではなかった。

 その女の子は、何故だか、僕の10メートル位離れたところに立っていて、ただそこでじっとして、ただ黙って、この僕を見つめていた。

 僕には訳がわからなかった。なんだか、奇妙な感覚だった。意味不明だった。無論、見ず知らずの少女である。そもそも、この土地に知り合いなどいるわけがない。

 何か、この僕に用があるのだろうか?・・・でも、ならば何故、近づこうとも、話しかけようともしないのだろう?・・・なんなんだ?


 少しの間、僕は彼女を見ていたが、結局何も進展がないので、そのまま無視して旅館へ向かう路地へと入った。けれど、少し気になって、路地を進みながらも度々後ろを振り返ってみたけれど、その女子高生が追いかけてくることなど、当然ありはしなかった。

「単なる気のせいだ。第一、あんな可愛い女の子が、俺なんかに興味を持つはずがない。俺はいったい、何を期待してたんだ。バカじゃないのか?・・・どうかしている。

 とうとう、頭が完全にイカレたか?少し目が合っただけで、何考えてんだ。きっとあの娘は、見ず知らずのキモイ男を眼前にして、ビビって硬直していただけさ!」


                  (8)

 路地を進んだ先には石段があり、そこを登ったところに旅館らしき古めかしい日本建築の建物があった。やはりそれほど大きくない二階建てだったが、重厚な風合いの瓦屋根に黒光りした木板張りの外壁は時代感を醸し出していて、なんとなく深い趣を感じさせていた。

 ふと見ると『浜見旅館』と太い墨字で書かれた自然木を切り出した一枚板の大きな表札の下に、玄関らしき両開きの大きな引き戸があって、僕は迷わずそこに向かった。


 引き戸を開け玄関をくぐると、まずは目の前の大きな柱時計が気になった。それは子供の頃よく聴いた『大きなノッポの古時計』の曲のイメージまんまな感じだった。時計の針を読むと、もう時刻は午後3時を過ぎていた。

 そして、あまり広いとは言えないそのロビーの隅には、休憩場所みたいなスペースがあって、座り心地の良さそうなソファーセットと小さなテーブルが置かれていた。また、そのテーブルには、いかにもな感じの大理石の灰皿があって、タバコの吸殻が一本押し潰されていた。

 だが、正直そんなことはどうでもいい。それより、その休憩スペースには僕の待ち焦がれていたものがあったのだ。そう、ジュースの自販機だ!

 僕は急いで靴を脱ぎ捨て、スリッパも履かずに、そこへ向かって走っていった。

 コインを投入しボタンを押すと、ガチャン!とこ気味良い響きと共にコーラの缶が落ちてきて、急ぎそれを手に取り栓を開け、その冷え切ったソーダ水を喉に流し込むと、ありえないほどの爽快感が僕の身体を魅了した。こんな旨いコーラは初めてだった。

 室内は弱冷ながら冷房が効いていて、湿度が下げられているためか、とても気持ちが良かった。僕は疲れた体を休めようとソファーに腰かけた。

 ロビーには人けもなく物音もせず、とても静かだった。せっかく苦労してここまで来たものの、この旅館が本当に機能しているのか少し不安になってきた。

 けれど、正直そんなことよりも、水分補給を達成でき、またエアコンの快適な涼しさに身を置いたことで、僕の体は自己の疲労を自覚してしまったようで、もはやいうことを聞かなくなってしまった。

 柔らかなソファーに沈んだ肉体は、次第に機能を失って、スーっと意識が遠のいて、僕は自分でも気づかぬうちに、そのまま深い眠りに就いていた。


                  *

 ・・・・・


 少女がいた。


 純白のワンピースのスカートが、長いストレートの黒髪が、潮風にそよぐように揺れていた。


 岩だらけの海岸に、少女は一人、立っていた。


 岩場に打ち付ける激しい波が砕け散り、水しぶきとなって、彼女の頬を濡らしていた。


 少女は、何も言わず、ただじっと海を見つめていた。・・・何かを求めるように見つめていた。


 寂しげな表情だった。・・・悲しげな瞳だった。


 彼女の頬を流れ落ちてゆく海水の雫が、僕には涙のように思えた。


「どうしたの?」


 ふと声をかけたが、少女は黙っていた。


 彼女の視線の先を追いかけると、そこにはそれがあった。波の向こうの、遠い岩場に引っかかって、ヒラヒラと揺れていた。


「あれが欲しいの?」


 少女は僕の目を不思議そうに見た。


「俺が、取ってきてやるよ。大丈夫!この俺に、任せてよ!」


 僕は、彼女の返事も聞かず、荒れ狂う波の絶え間なく打ち付ける岩場へと、気合を入れ、飛びこんでいった。



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