獣の王 2
まだ雨が降っている
御者を射殺す事に成功したとはいえ、しこたまムチで打たれた馬車馬がすんなり止まるわけもない
ハザンにとってはむしろ、馬をなだめる事のほうがよほど重労働だった
懸命に馬との対話を試みながら、こいつはもう使えそうもないな、と
その血走った目と足の運びで判断する
ハザン達がこうして馬車を襲うのも、酔狂でやっているわけではない
ここでは、農民が麦を育てて生計を立てる、といった具合の暮らし方は端から不可能で
人の営みを支えられるほどの豊かな実りをこの痩せた土地は与えてくれない
まばらに点在する草原地帯に家畜を放って、乳を絞るぐらいが精々なのだ
そして、そんな彼らの暮らしは自然の気まぐれで簡単に破壊されてしまう
必然、地に依存するのは生活のほんの一部だけになり
大部分を他者から奪う事で賄わねばならない
今回のように向こうからこの地に踏み込んで来なくとも
自分たちから周辺国家にわざわざ出向いて略奪を行うのが当たり前なのだ
そんな無法な振る舞いを周辺国家は黙認している、せざるをえない
戦争というのはなんであれ、暴力によって富を奪うために行うものだ
しかし先に述べた。彼らは生産を行わない、富を産まない集団なのだ
従って、周辺国家は彼らとまともな戦争を行うことができない
戦っても奪うべき土地が見当たらないし、大軍を率いて広大な領域に踏み込み
神出鬼没に「暮らす」彼らを追い回していたら
国家の財政はそれだけで、破綻はせずとも大きく傾き、後におおきな不安要素をこさえてしまう
従って周辺国家では、彼らの比較的大きな部族には金銭や物資を献上して
略奪を控えさせ、ハザン達のような小さな集団の蛮行はある程度見て見ぬふりをする以外に
これといった対応策が無い
気がつけば大分本筋から外れているが、もう少し続けたい
ハザン達を小さな集団と言った
正確には彼らは30人ほどの氏族で、実際は中くらいの規模と言える
だが、中には1000人以上の大所帯もあってそれからすれば吹けば飛ぶようなものだろう
大部族はこの地図上の暗黒領域に4つ、隣接する国の数だけ存在し
それぞれが関わり合いにならぬよう、獲物を奪い合わぬように
国境の近くに寄り添うように、それぞれが一つの国を縄張りにしている
だが、ここに例外がある
今ハザンのいるグランデュール方面は、これといった支配的な部族がいない、なぜか?
これはグランデュールが歴史の浅い、ここ百年ほどの間に急激に成長した国家である点に起因する
奇妙な表現だが大部族を養えるほどの余裕がこの国に無かったともいえる
結果、ハザン達のような少数の氏族が小豆をばらまいたように散らばって存在することになった
大部族は良い、略奪など行わずとも国から献上される定期の収入がある
彼らは周辺の氏族に睨みを利かす用心棒として機能をもっているし
国家間の戦争ともなれば、傭兵としてその騎馬兵力は凄まじい戦果をあげるので
実は重宝されている
だがハザン達のような者は、そんな恩恵とは無縁だ
痩せた土地からの僅かな恵と、国の面子を潰さない程度という制約の中で
略奪を行うしかない、貧しさ極まる暮らしぶりなのである
以上の事柄を踏まえれば
獲物の一つである馬車馬(非常に高価な経済動物である)が使い物にならないという事実が
ハザンにとって如何程の痛恨事か知れるだろう
価値半減といっても良い
そろそろ本筋に戻る