1 またも始まり
※趣味で書いているお話です。誹謗中傷、シナリオへの介入やアドバイスはご遠慮ください。
※誤字・脱字に関しては、お教えいただけると大変助かります。
※今後、未成年の性交を思わせる描写があります。不快に感じる方、苦手な方はお引き返しください。また、あくまで小説上での出来事であり、未成年の性交を助長・賛同・擁護するものではありませんのでご了承ください。
ゆりかごを揺らしながら、すっかり日が落ちて宵闇に染まりゆく窓の外を眺めていると、地を蹴る馬の蹄の音が聞こえた。
「お戻りのようですね」
ハリアは恭しく一礼し、部屋を後にする。今しがた戻らんとする主人を出迎える為だ。こっそりとついたはずのため息が侍女マリアンナの耳に届いてしまっていた。
「奥様、私から申し上げましょうか?」
「いいえ。私が言うから大丈夫。ありがとう」
まだ若いというのに、いや若いからこそかマリアンナは恐れを知らない。血気盛んにあるじに文句を言おうとする侍女など聞いたことがない。彼女の主人が侍女のお小言程度で腹を立て解雇するような狭量な人ではないと信じているが、万が一を考え彼女を控えさせた。マリアンナはまだ何か言いたげだったが、慌ただしく玄関を抜け、居間へと現れた主人を前に、口をつぐんで頭を下げる。
「今帰った」
「おかえりなさい」
私は立ち上がって夫、ガルヴェインを出迎えた。途端に熱い抱擁を受ける。
「会いたかった」
「何言ってるの。今朝会ったでしょう」
「僅かでも離れていれば辛いものだ」
……これだ。これが現在、私を悩ませている原因だ。
2,3日の留守からの帰宅ならともかく、8時間程度の勤務を終えて帰宅しただけでのこの感激具合に辟易していた。
それだけならば、まあ、愛されているんだなと惚気話で済むが、そうはいかない。
「ねえ、今日キールレインが名前を読んだらこっちを見たの」
キールレインとは、半年前に産まれた息子のことだ。私の黒い髪と、夫の深い碧の瞳を持つ愛しい我が子の成長を追うのが日々の私の楽しみだった。これがまた誰に似たのか恐ろしく手のかからない子で、夜泣きもそれほどひどくなく、大きな病気もなく五体満足。自身も3人の子を育て上げた母親として先輩にあたる侍女のノーラなど「こんな良い子だと世の母親に恨まれますよ」と感嘆するほどだった。だからこそ日常の小さな変化が喜ばしく愛らしい。
留守中の夫にも我が子の成長の過程を逐一報告したいのだが、夫はああ、と気のない返事を返してくるだけだった。
「順調に育っているようだな。お前のおかげだ」
それよりもご執心は他にあるようで、私の首筋に強く吸いついてくる。
「ち、ちょっと……夕飯は?」
「後で」
短くバッサリ言い捨てると私の膝を抱え込み、いわゆるお姫様抱っこで寝室へと連れ去っていく。
「ちょ、ガルヴェイン!」
私の文句はいつも口で塞がれ、易々とベッドに押し倒されて有耶無耶にされる。
……毎度のことだ。ああ、今日も空腹か……
せめて夕飯の後にしてほしい、という微かな願いは降ってくるキスの嵐に押し流された。
私は、旧姓津田麻奈海。現在は夫ガルヴェイン・クラストに嫁ぎ、マナミ・クラストとして生活している。歳を言うのも憚られる34歳だ。
2年ほど前、日本から突然この異世界シルダーク王国へと飛ばされ、一悶着の後ガルヴェインと結婚して今に至る。
黒という色はこちらの国では存在しないもので、唯一黒を持つのは天に住まう黒の竜だけらしい。黒の竜はシルダークの民にとっては守り神のようなもので、その御使いである従者様は黒の竜に等しい聖なる存在、として崇められている。
偶然にも黒髪であった私はこの地で『黒の竜の従者』と呼ばれ、私もそれとして振る舞っている。とはいえ別に神の如き力が使えるわけでもないし、王のように誰彼構わず平伏されるということもない。ただ、「何か奇跡を起こしてくれるのではないか」という薄い期待は無条件で持たれてしまうが。
それさえ我慢すれば、日本と大して変わらない、むしろ日本よりも快適な生活を送っていた。ガルヴェインは近衛騎士団の団長を務めており、自身も実はかなりの由緒ある貴族だったようで生活は安定、稼ぎも充分過ぎる。気の付く優秀な侍女3名が身の回りの世話もしてくれるし、町に出れば従者様、従者様と芸能人並には騒がれるし、ちょっとしたセレブ気分だ。シルダークはあちらの世界で言う中世頃の文化に留まっており、さすがに電気機器はないが慣れれば不自由はない。ランプの明かりだって情緒があるし、ビルが乱立していないぶん自然も豊かで空気も水も食材も美味しい。気候は若干寒いが豪雪地帯ということはない。治安は日本ほど安全ではないが、そもそも日本が世界の中でも群を抜いて平和だっただけだ。夜ひとりで出歩いたり、怪しげな裏通りを選んだりしなければどうということはない。
明らかに恵まれた生活を送っている私の贅沢な悩みが、夫の盲愛だった。いや猛愛か。
世のお貴族様は家柄のみを重視した愛のない結婚生活を送る人も多いそうで、私など恋愛結婚だし旦那様は男児の憧れの的近衛騎士団長だし、何を我が儘を言うか!とお叱りを受ける立場なのだが、如何せん奴は限度を知らない。こちとら運動不足の現代っ子だ。しかも若くない。その私が毎晩毎晩たまに朝まで何度も抱かれてみろ。疲れもするし正直身体のあちこちも痛い。おかげで昼間は睡魔と疲労でぼんやりしてばかりでろくに家事も出来ていない。侍女に任せておけばいい、と夫は言うが、そこまで身を落としたくない。奴は騎士様らしく体力には絶対の自信があり、毎日近衛騎士団長として立派に務めを果たして帰ってきているはずなのに家でもハッスルし放題。そして翌朝日が昇る頃にはスッキリ目覚めている。私が彼より早く起きたためしなど結婚後一度もない。おかしい。化け物か。
何より悲しいのは、私へはそれほどまでに愛を与えてくれるガルヴェインが、息子に関しては驚くほど淡泊だということだった。顔はどちらかというとガルヴェイン似で、私からすればイケメンである彼に似てくれたことが大変喜ばしいのだが、彼にとっては心惹かれるものではないらしい。男の子だし、将来は剣でも教えたいのかと思いきや、武には携わってほしくない、とぬかしやがる。何なの! まさか自分の子じゃないとか疑っているんじゃないだろうか! ……と邪推もしたくなる。
ようやく夕飯にありつけ、湯を浴び、今日こそはぐっすり眠る、という淡い期待を早々に打ち砕かれ、だるく火照った身体をシーツの海に放り投げながら、今宵こそは、とガルヴェインに申し出た。
「あの、ガルヴェイン?」
「なんだ? 足りないか?」
言うより早く私を抱き寄せてくる奴を押しのけきつく睨む。
「もういい加減にして! 私はガルヴェインみたいに体力ないの! 少しはいたわってよ!」
「とは言っても、お前だって喜んでいただろう?」
余裕げに言われてさっと脳裏に先ほどの痴態が甦った。こいつのせいだ。この野郎、Sっ気でもあるらしく、散々焦らしてくる。そのせいで余計に時間もかかるし翻弄されるし、で、体力を消耗してしまうのだ。
「それに、早いうちにもう一人産みたいと言っていたではないか」
その通りだ。シルダークでは私の年頃での出産はあまり前例がなく、医師にもそれとなく二人目は諦めた方がいいようなことを仄めかされた。が、私としてはぜひ女の子が欲しいところで、出来ることならあと一人産みたい気はあるし、協力してくれるガルヴェインには感謝もしている。しかし身籠る前に私が倒れてしまっては元も子もない。
「それはそうだけど……せめて回数を減らして」
ガルヴェインはあからさまに嫌そうな顔をした。
「これでも譲歩しているんだが……」
「アホか! 盛りのついた10代の若者でもあるまいし!」
色々頭に来た。
「もういい! ガルヴェインは私が過労で倒れてもいいって言うんだ!」
「そんなことは言っていないだろう」
突然怒り出した私に事の重大さがようやく伝わったようで、ガルヴェインは妙に落ち着いて幼子をあやすように私の頭を撫でてきた。が、ついカッとなってその手を振り払ってしまう。
「だいたい私の話も全然聞いてくれないし、キールレインのこと可愛いとも思ってくれないし、どうせ自分がヤりたいだけでしょ!」
「何を言っているんだ。そんなことはない、決して」
ガルヴェインの声色が一段低く落ちた。冷静な私であればそれが彼のギリギリのラインだったと気付いたのであろうが、とにかく溜め込んだ鬱憤が多すぎて判断力が欠落していた。
「じゃあ、ガルは最近キールレインを抱っこした? いい子だねってあやしてくれた?」
返答に詰まった彼を、息子への愛情がないものと取ってしまった。不意に溢れ出る涙もそのまま、枕を思い切り投げつけて寝室を飛び出してしまった。
「ばか! ガルとはもう口もきかない!」
騒ぎを聞きつけたのか、部屋を後にした私をハリアが優しく包み込んでくれた。何も言わず私の肩を抱いてくれるハリアに甘え、ひたすらに泣き続けた。
結局その晩はハリアの部屋で眠らせてもらった。ハリアは狭い長椅子で夜を明かす羽目になってしまい、大変申し訳ないことをした。しかも真っ裸で部屋を飛び出したものだから、ハリアの部屋着まで借りる始末。バカは私の方だった。
「旦那様は出勤されましたよ」
ハリアは迷惑この上ない私にも嫌な顔ひとつせず、私の分の朝食を盆に乗せて持ってきてくれた。
「ご……ごめんね……」
「お謝りになるのでしたらお相手が違います」
ハリアは優秀だ。優秀ゆえ常に公平だ。私がアークの城から推薦して連れてきた侍女2名は、初対面の時から『黒の竜の従者』に傾倒していた所がある。だから傍目でも分かるくらいに私贔屓で、今回の件も「旦那様が悪い」と協力的だった。
泰然とハリアに言われてしまうと確かに言い過ぎたという反省もある。しかし私も引くわけにはいかない。まさに自分の生命を削るかのような夫婦生活こそ問題がある。
「だってガルヴェインが私のこと全然考慮してくれないから悪いんだよ。ハリアだってあの執着は異常だと思わない?」
つい愚痴をこぼしてしまった。普通ならば聞き流すような些細な愚痴だろうに、ハリアは思いのほか何かを深く考え込む素振りを見せ、意を決したように慎重に口を開いた。
「これはわたくしごときの拙い想像に過ぎませんが……」
ハリアの真摯な様子に、食べかけのパンを盆へ戻し姿勢を正した。
「恐らく、ガルヴェイン様は不安なのです」
「不安って……何が?」
浮気? だとしたら私の方こそ不安だ。ガルヴェインはイケメンで地位もあって家柄も良い。いくら妻帯者といえど愛人を持つ貴族も多いのだから妾の座を狙う婦人も多かろう。彼の勤務先は近衛騎士団ゆえ当然王宮で、王宮には多くの貴族のご令嬢も訪問するし王宮付きの侍女は侍女といえど美人揃いだ。いつ彼がフラリと心を奪われたって不思議はない。
私の想像は顔に出ていたようで、ハリアはそんなことではありません、ときっぱり言い捨てた。
「マナミ様が、よもや“あちら”にお戻りになってしまうのではないか、と毎晩お心を乱しておいでなのです」
私が異世界の住人であることを知る者は、アークとガルヴェイン、そしてこのハリアの3人だけだ。私はもはやこちらに骨を埋めるつもりでいるのだが、言われてみればずっとこちらにいる、という確たる保証はないのだ。
「毎朝、枕元にお眠りになっておられるマナミ様を愛おしそうにご覧になりながら、今日もいる、明日もいるだろうか、と呟かれるのですよ」
御内密に、といたずらっぽく微笑むハリアの告白に、私は言葉を失った。彼のそんな不安なんて、考えたこともなかった。
「じゃあ……キールレインを構ってくれないのは……?」
「……それこそわたくしの想像の域を出ませんが……」
ハリアが優秀だけでなく有能なのは分かっている。きっとその想像は正しい。
「マナミ様はガルヴェイン様の御両親のお話をお聞きになったことは?」
首を横に振る。ガルヴェインにとって両親は鬼門で、話題を振るのも憚られる。かつて彼の父は彼の名誉のために命を落とし、彼の母は彼が不遇に苛まれている頃に彼を見捨てた、ということぐらいしか知らない。
「わたくしがこちらへお勤めが決まった際に、失礼があってはならぬとお家のことを調べました。お家によってはこの家具は購入してはならない、この客人を通してはならない、といった暗黙の了解がございますゆえ」
それは他の侍女ならば勤め先でおいおい知っていくことなのだろうが、根が真面目で勤勉なのだろう。ハリアは一通りクラスト家について調べたのだという。
「ガルヴェイン様の御両親は、不躾ながら絵に描いたような貴族の夫婦でした。血筋のみを継がせるだけの政略結婚で、愛情は見受けられませんでした。御父上は生来お仕事に没頭される方でしたので、滅多に御自宅に戻られなかったそうです。御母上も御身分の尊き方でしたから、乳母に任せ我が子に乳も与えなかったと聞き及んでおります」
ハリアはこういうときに本当に容赦がない。本来目上の人間の悪口など思っていても口にしないのが侍従なのだろうが、彼女は確固たる信念の元真実を伝えているようだった。つまり、「自分の主は自分で決める」という強い意志の元に。
「御両親の愛情をお受けにならなかったゆえ、ガルヴェイン様は戸惑っておいでなのかと思われます」
「戸惑うって……?」
「もしかしたら自分も子を愛せないのではないか、どう愛したらいいのか……と」
「―――!」
昔、まだ日本にいた頃に見た、親の虐待で命を落とした幼子を取り扱ったニュースを思い出した。訳知り顔だったコメンテーターの言葉を借りると、親に虐待された子は同じように自分の子に手を上げてしまうのだという。つまりは愛し方が分からないのだ、と解説は続いていた。その頃はひどいニュースだとしか思わなかったが、今になって痛感した。ガルヴェインも似たような思いに囚われていたのではないか。
そういえば私は彼に息子の世話を頼んだことがあっただろうか? 仕事で疲れているだろうから、育児は妻の務めだから、と遠ざけていたのではないだろうか。ただ抱き締めてあげればいい、と教えたことがあっただろうか。そのくせ落ち着いた頃に構ってくれていないと文句を言うとは身勝手過ぎる。本当に私はバカだ。大馬鹿だ。
「……謝らなくちゃ」
「それがようございます」
ハリアは優しく微笑んだ。自分より8歳も年下の彼女の方がずっと落ち着いているではないか。私も日本で色々と経験をしてきたし、こちらでも辛酸を舐めて少しは成長したつもりだったが、根幹はまったく変わっていなかった。すぐカッとなる悪癖はどうにかしなければならない。
謝って、ふたりでキールレインを抱っこし合おう。一緒に笑いかけてあげよう。今はまだそれだけでいいではないか。
「そうだ……私、料理する」
仲直りの点数稼ぎ、というにはショボいが、新婚の頃日本料理を振る舞ったら随分と好評を得たことがある。日本料理といっても豪勢なものではなく、いわゆる親子丼だ。鶏肉も玉葱に似た食材もこちらではポピュラーだったが、卵でとじる点とだし汁を使う点は新鮮だったらしく、ガルヴェインだけではなく侍女たちにも絶賛された。
「……オヤコドン、ですか?」
ハリアもいたくお気に召してくれたようで、期待に目が輝いている。俄然やる気が出てきた。
「そう! じゃあ私、食材買ってくる!」
キールレインもある程度成長して少しだけなら外出が可能だ。それでなくても子育てベテランのノーラもいるのだし、買い物くらいの自由時間はあるだろう。
「お待ちください、外出されるのであれば護衛を。誰か呼びます」
「大丈夫。ちょっと行くだけだし、町の人は皆顔見知りだし」
それに護衛を呼ぶということはガルヴェインの立場上騎士団の誰かに頼むことになる。となると彼にばれる可能性も高い。出来れば秘密にして、驚かせたかった。
最後まで渋っていたハリアをすぐ戻るから、と説き伏せ、私は簡単な身支度をして外出した。
ついでに何かプレゼントできそうな品物があれば奮発して買っちゃおうと思って多めのお金を持ち、彼への変わらぬ愛の証明の為に彼から最初にもらったプレゼントである深海色のペンダントを身に付けて、町へと繰り出した。
まさか帰宅が随分と遅くなる羽目になるとも思わず。
ハリアの言葉通り護衛をつけておけば良かったと後悔しつつ、偶然にも大金とペンダントを持っていった自分を褒めることになるとは、もちろんこの時思いもしなかった。
続編始めました。
それほど長くならない予定です。予定。
お付き合いくださると幸いです。




