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08話 こんなところで。

 

 

「アリスリス嬢?」


 街を歩いていると、高いところから声がして、私は立ち止まった。

 低い男の人の声。

 二階からかしら、と見上げれば、小さく笑う声がした。


「後ろだ」

「え?」


 振り返れば、すぐ目の前には茶色の大きな顔があり、私は飛び上がった。


「え!?」


 それが馬なのはわかる。


「馬がしゃべった……!」


 えええ!?

 と驚いていたら、別のところから吹き出すような笑い声。


「隊長、お知り合いですか」

「ああ」


 短く返答したのは馬上の騎士で、それがセラ侯爵だとわかって私は目を丸くしてしまった。

 パーティーの時とは違って前髪があるので若く見える。切れ長の目は穏やかに私を見下ろし、黒髪は風に揺れるほどサラサラだ。

 あの夢に見た少年をそのまま大人にしたような青年の姿に、なんだかとても嬉しくなってしまって、顔が自然と緩んでしまう。


「セラ侯爵! 驚きました」

「……」


 侯爵はかすかに眉をひそめた。

 声を大きく上げすぎたからだろう。私は口を押さえて、すみません、と小さく謝った。

 いや、と短く否定されたが、それでも相手が不機嫌そうなのはわかる。

 怒っているわけではないみたいだけど――。

 私は軽く首をかしげて、彼が不機嫌な理由に気づいて破顔してしまった。以前、名前ではなくて爵位を口にしたときと同じ表情だったのだ。


「フォルディス様」


 私はふわりと笑うと、ひざを軽く折るだけの略式の礼をした。


「お会いできて嬉しいです。先日はお手紙をありがとうございました」


 その言葉に、侯爵と一緒にいた騎士たちが驚いた表情を浮かべたことに私は気づかなかった。

 リリアナ様に続いて、侯爵からも謝罪の手紙が届いた。用件のみで短かったけど、とても読みやすい字で、直接謝りに行きたいが時間が取れないことを謝罪する内容で。


「綺麗なお花まで一緒にありがとうございます」


 私も兄妹宛に別々の手紙――パーティーの件は気にしないでいい旨と、ドレスや花のお礼を書いて、焼いたばかりのクッキーを添えて送ったばかりだった。

 リリアナ様はクッキーを喜んでくれたと思うけど、侯爵は困ったかもしれない。でも、いらなければ侍女とか恋人に渡せばいいのだから問題ないはず。

 騎馬隊は、セラ侯爵を中心に3人。全員が同じ装いだ。いずれも目立つ飾りが一切ないので略装なのだとわかる。

 正騎士は必ず縦襟と定められている。貴族が趣味で行う乗馬とは違って、騎士は後ろが大きく裂けた長衣で、腰に剣帯を着けているのが特徴だ。

 いまの彼らは上着が紺色で、黒い手袋に、白いズボン、黒いブーツだ。拍車はないが、腰には剣が下げられている。

 私は侯爵が乗っている馬の鼻筋を撫でた。


「とても綺麗な子ですね」


 毛艶もよく、張りがある。体毛は茶褐色で、長毛や四肢が黒い鹿毛。綺麗な目は知的な光を放っている。体高が男性の身長並みにあるので、大人しいのに迫力があった。

 なんて名前なのだろう。

 撫で撫で。

 馬が話せたら直接聞けるのに、と少し残念に思ってしまう。さっきは侯爵の言葉を馬が話したと勘違いしてしまったけど、それも、昔から動物と話すことが出来たらいいのに……と思っていたからだ。

 おそらく、私の目は「馬がしゃべった」ことを驚くより、キラキラしていたに違いなくて。

 ティシィに話したら笑われてしまうに違いない。

 侯爵が苦笑したので顔を上げれば、それにしても、とつぶやかれた。 


「馬と間違えられるとはな」

「あ……」


 恥ずかしくて、かああ、と顔へと一気に血がのぼった。


「すみません」

「こちらも驚かせてしまったようだ。すまない」

「いえ」


 私は首を横に振った。馬が話したと勘違いするほうがどうかしている。


「――あ」


 そうだ。私はバスケットの中に入れていた花束を出すと、一本抜いて馬の前に出した。

 侯爵からいただいた花束ではなく、家の庭に咲いていたものだ。


「これ、よかったらどうぞ」


 ハミをしたままなので食べにくそうだったけど、侯爵の馬は喜んで食べてくれる。

 侯爵と一緒にいた騎士の馬も「ほしい」と近寄ってきたので、私は笑って花を抜いた。

 三頭の馬に囲まれて少し焦ったけれど、勝手にあげたらいけなかったかな、と気づいたのは、手元の花が全部なくなってからで、問うように侯爵を見上げたら、暖かい笑みが返ってきたので私も笑い返す。


「お仕事の邪魔でしたね」

「かまわない」


 侯爵はじっと私を見た後、ふと何かに気づいたように、


「こんなところでどうした」


 と言った。

 こんなところ、と言われても困る。街中を普通に歩いていただけなのに。

 むしろ、侯爵たちのほうが、なぜこんなところに、だ。


「侯爵こそ、――いえ、フォルディス様こそ、どうしてこんなところに?」

「人を捜している」

「人……」


 私は首をかしげた。


「王様ですか」

「なぜそれを!」


 驚いたような声を上げたのは20代前半の若い騎士で、侯爵も少しだけ驚いたような顔はしているが無言のままだ。


「どうしてそう思う」

「ティシィが、侯爵は近衛の隊長さんだと言っていました。近衛が守るのは王族ですよね?」


 だとしたら、探し人は王族か、王族に縁のある人間ということになる。

 現在、王族といえるのは3人。カインシード陛下と母親のマリールージュ王太后、先王弟のアレフレット殿下だ。

 確信を持って王様と言ったわけではなく、ただ口にしただけだったが、どうやら本当に捜しているのはカインシード陛下らしい。

 だとしても、こんなところを捜すのはどういうことだろう?

 王都内とはいえ、外壁が近い地区の一角だ。

 私は彼らを確認するように、一歩下がって3人を見上げた。

 侯爵を中心に、右側にいるのが栗毛の馬に騎乗した若い騎士で、左側にいるのが栃栗毛の馬に騎乗した30歳前後の騎士だ。

 近衛の正装は煌びやかで豪華だというけど、いまの彼らは普通の護衛騎士のようにしか見えない。

 特に、左側にいる、気さくな笑みを浮かべた騎士を見て、私は軽く首をかしげた。


「……?」


 黒茶色の髪と瞳。

 どこかで見たことのある顔のような気がしたのだ。

 しかも、そんなに昔じゃない。


 ――どこだったかしら……。


 かすかな違和感。

 彼の笑みが記憶と重なって。


「あ」


 私は呆けたように口をあけた。

 よく見れば、一ヶ月前に公爵家の馬車を走らせていた御者だ。


 ――なんで……?


 あの時は普通の御者にしか見えなかったのに、今は普通に立派な騎士様だった。

 双子? 兄弟? 

 私は混乱する。でも、それを楽しむかのように、彼は「気づいた?」と言いたげにウインクをした。


「……」


 侯爵が私の視線を追って背後を向くが、御者さんは「なんです?」と言いたげに小首をかしげている。

 飄々としてつかみどころがない感じの笑み。

 侯爵が眉を寄せて睨む理由もわかる気がした。でも、そんな侯爵の険しい顔も、御者さんはヘラヘラと笑って流している。

 侯爵の視線が私に向けられた。


「どこかで会ったことがあるのか?」

「え?」


 ――あります。


 けど、それを言ってもいいのだろうか。


「秘め事か」

「秘め事?」


 私が首をかしげると、いや、と侯爵は短く言って視線をそらした。


「なんでもない」

「別に隠しているわけではないです……けど」


 確認するように御者さんに視線を向けると、彼はニコッと笑って、どうぞと右手を差し出してくれた。

 私は侯爵を見上げた。


一月ひとつきほど前にお会いしました」


 公爵家の馬車がうちに来たときの御者が彼だったことを説明すると、侯爵の顔が険しくなって、御者さんを睨みつけた。

 あわわ。


「あの、すみません!」


 怒らないでください、と侯爵の上着の裾をつかんだ。

 御者さんは笑っている。


「セバスがメディ子爵家に行くっていうんで、なんか面白そうだなって思いまして」

「お前は」


 侯爵は呆れたように息を吐き、眉を寄せている。


「いやー、面白かったですよ。上屋敷には違う人が住んでるし、転居先がなかなか見つからないし、細い道しかないし、迂回したり動けなくなったり」

「面白いか面白くないかで動くな。ジェフはどうした」

「たまたまお屋敷様の用で出かけなくちゃいけないって言うんで、じゃあ、俺が代わってやるよ、みたいな」


 お屋敷様というのはセティス老公爵のことだろう。

 御者さんの見かけは騎士だけど、口調が騎士らしくない。というか、近衛……だよね?

 基本的に、近衛は貴族の子息だけがなることを許される。例外的に、王族や隊長格の信頼が厚い者もなることが許されるというけれど。

 若い騎士も呆れたように同僚を見ている。


「まあいい」


 侯爵は溜め息をつき、私を見た。


「驚かせたようですまない」

「いえ……」


 私が首を横に振ると、御者さんもすみませんね、と謝ってくれた。


「いえ」


 謝る必要なんてないと思う。気まぐれで御者をしただけなのだろうし。

 それより――。

 私はぺこりと頭を下げた。


「こちらこそ、迷わせてしまったみたいですみません。手紙とかは転送されてくるんですけど……」

 今の住所は、公になっていないのだ。

「あの細い道をよく入って来られましたね。すごい腕です」

「俺の父親がセティス家の御者なんですよ」

「お父さまが……? 貴族なのに御者をされているのですか」

「まさか!」


 御者さんは声を出して笑った。


「騎士ですらありません。使用人ですよ、ただの」

「まあ」


 私は本当に驚いて、目を丸くしてしまった。

 ふふ、と笑ってしまう。


「じゃあ、貴方はフォルディス様にとても信頼されているのですね」

「え?」


 御者さんが驚いたように私を見ている。

 今までへらへらと笑っていたのに、急に空気が変わった。

 まるで人を尋問するかのように真面目な顔で、


「なんでそう思ったんです」


 と射るように聞いてきた。


「なんでって……」


 私は首をかしげた。


「近衛なのですよね?」 

「ええ」

「実家は貴族でも騎士の家系でもないのですよね?」

「そうです」

「それなのに近衛になっているということは、貴方には実力があって、フォルディス様からも信頼されているということですよね?」


 市井の者でも騎士にはなれるが、近衛ともなると話が違ってくる。


「そうでしょう?」


 確認するように侯爵を見上げれば、彼はかすかに微笑んでいた。


「ほら」


 私は御者さんに笑った。


「すぐにわかります」

「……」

「あ! そういえば、捜している方がいらっしゃったんですよね!」


 長話になってしまったが、彼らは仕事中だったのだ。

 しかも、捜しているのは国王陛下だ。大変……!

 ところが、侯爵はいま気づいた、みたいな顔で、


「ああ、そういえばそうだったな」


 と言った。


 ――えええ!?


 そんなあっさり。


「……行方不明というわけでは」

「ない。さぼって抜け出しただけだ」

「さぼ……? た、たまには……そういう時もありますよね」

「たまにじゃないがな」

「……」


 王様がよくさぼっている、と言われても困ってしまう。

 逆に、普段はちゃんと政務しているからこそ、そう言うのだろうけど。

 侯爵は疲れたような溜め息をつくが、どうやら本気で捜しているわけではないらしい。

 慌てていない、のだ。

 だから、私も長話をしてしまったわけで。

 王様もさぼったりするんだ……と、ちょっとだけ親近感を覚えたのは、ティシィが作法や勉強、お稽古事をさぼる姿とダブってしまったからかも。

 私は小さく笑った。


「がんばるには、息抜きも大切ですものね」

「……」

「ティシィがよく抜け出してくるんですよ。愚痴を聞いてあげると楽になるみたいです」

「……そうか」

「はい」


 私がにっこり笑うと、侯爵は身をかがめて、私の頭をくしゃりと撫でた。

 ほめられているのかな。

 なんだか嬉しくなって笑ってしまう。

 ティシィは、侯爵が「氷塊の近衛隊長」じゃないかと言っていたけれど、絶対に違うと思う。

 だって、私の頭を撫でる大きな手や笑みはとても優しいもの。


「君はどこに行く」

「パンを焼いたので、学校に届けに行くところです」

「学校?」

「あ。学校って勝手に言ってるだけで、ただの学び舎なんですけど」


 私はにっこり笑った。


「私、そこの先生もしているんですよ」






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