07話 昨日の話。
朝早くに起きると気持ちがいい。
昨日は前日のパーティーの疲れが出たのか、起きたのは昼近くだったから、余計にそう感じるのかもしれない。
昨日は、リリアナ様にパーティーのお礼状を出して、昼過ぎに遊びに来たティシィとお茶していると、リリアナ様から手紙が届いた。
内容は、昨日のお詫びと、ドレスはそのままもらってほしい旨、そして、今度は身内だけでお茶会をするのでまた来てほしいとのこと。
ドレスの件は戸惑ったけれど、ティシィの勧めもあって、ありがたく頂戴することになった。
お茶会についても、本当に身内――母親代わりの叔母さまが加わるだけだろうとティシィは言う。
わかった、と私は笑った。
「ティシィが行くなら一緒に行くわ」
「そう言うんじゃないかと思った……」
ティシィは苦笑し、紅茶に角砂糖を落としてスプーンを揺らした。
「アリス、本当は何があったの?」
「何が?」
「昨日、セラ侯爵と」
「……? 何もないわよ」
私が首をかしげると、ティシィは探るような目を向けてきた。
「ドレスにワインがかかったことと、アレフレット様がグラスを割られたことと関係あるでしょ」
「どうして?」
「タイミングがよすぎる。アリスもアレフレット様にそう言ってお礼してたよね」
「本当に何もないのよ」
私は苦笑した。
「あの時に説明したとおり、ワインを掛けられてしまっただけ。ちょっと量が多くて驚いたけど、騒ぎにならないように、それを見ていた殿下が視線を集めるためにわざとグラスを落としてくださったの」
「……」
疑う目で見られて、私は苦笑するしかない。
「信じなさい」
「信じてるけど、なんか、納得いかないのよね」
「どのあたりが?」
「だって、アレフレット様が言ってたでしょ。セラ侯爵がアリスに近づいていったって」
「あー」
確かに、そんなことを言っていた。
「そのことね。昔、セラ侯爵が私と同じ髪の子供に出会ったことがあって、それを確かめようと思ったみたいよ」
「それがアリスだったの?」
「わからないわ。覚えてないもの」
「いつの話?」
「10年くらい前」
「どこで?」
「セラ侯爵領のお屋敷だって」
「……ナミ様やおじさまたちと旅していたときかな」
「わからないわ」
私が小さい頃に、お祖母さまや両親に連れられて色々なところに行っていたけど、そのことを、私よりもティシィのほうがよく覚えているらしい。
そっか、とティシィはとりあえず納得したみたいだった。
「ワインを掛けちゃうなんて、結構粗忽なのね」
「酔ってふらついちゃったんじゃない?」
「……そんな感じには見えなかったわよ」
私は苦笑した。
「確かにね。でも、あのフロアって結構綺麗に磨かれていたじゃない? ツルッて滑ってワインごとバッシャー……みたいな?」
「……どんなギャグ体質なの侯爵」
でも、その姿を想像したら、二人して笑ってしまった。
ごめんなさい、侯爵。
ティシィは涙を拭いた。
「セラ侯爵って、王都にはあまりいないみたいよ」
「そうなの?」
「爵位を継いでからは領地にいることが多いって」
「へえ……」
「今回はリリアナ様の成人式が近いから、その手配もあるのかなあ……」
成人式まであと一年。父親のいないリリアナ様の後見人がお兄さんのセラ侯爵だとしたら、やることはたくさんある。
「よく知っているのね」
ティシィの情報を素直に感心していると、まっすぐな視線を向けられた。
「ねえ、アリス」
「なあに?」
「セラ侯爵って……怖くない?」
「え?」
「だって、あの人、笑わないじゃない」
「ええ?」
なんだか、すごく意外なことを言われた気がする。
たくさん笑っていた……よね?
「そんなことないと思うけど……」
「無表情だし、雰囲気も怖いし」
「そう? 面白いし、優しい人だったわよ」
「……」
ティシィは怪訝な表情をした。
「今の話って、セラ侯爵のことだよね?」
「そうよ?」
何か変なことでも言ったかしら。
私は首をかしげた。
「雰囲気が怖いのは、背が高いし、体格がいいからそう見えるんじゃない? 髪も黒いし、隙がない感じで、ちょっと冷たい印象はあるけど……」
「元近衛の隊長さんだって。確か、今でも予備役。隊長と同等の権限も持っているはずよ」
「へえ……」
騎士の胸章があったから、どこかの騎士団に所属はしているのだろうと思っていたけど、近衛だったのか。
予備役ということは、胸章のどこかにそれを示す印があったのだろう。でも、そこまで詳しいことはわからない。
ティシィは何かに気づいたのか、顔を上げた。
「今回、王都にいるのは予備役の訓練なのかも」
「なあに? それ」
「一年に一度、3週間から1ヶ月くらいかな、訓練のために軍に戻るみたいよ」
「へえ……」
「貴族だから社交界の季節も関係しているんだろうけど」
「きっと女性に人気があるんでしょうね」
私がにこにこ笑って言ったら、ティシィは複雑そうな顔をした。
「氷塊の近衛隊長ってあの人のことじゃないの?」
「ひょうかい?」
「氷の塊みたいに、冷たくて硬いってこと。笑みとは無縁で、近寄る女性も凍りつかせるって噂よ」
「へえ……。滑って転べば笑えるのにね」
「ちょっと、それ、思い出したら笑えるからやめて」
滑って転んだ侯爵を想像したのか、テーブルに顔を伏せて、お腹と頬が痛い、とティシィは肩を震わせた。
しばらく笑いの壷にハマったあと、ティシィは自分の頬をぐりぐりと揉み解す。
「わかったわかった。もういいわ。アリスに聞いた私が馬鹿だった」
「どういうことよー」
ぷう、と頬を膨らませた。
ティシィは微苦笑をもらした。
「アリスは天然の毒消し草だってこと」
「?」
「わからなくていいよ」
ティシィはクッキーを口に運んで、美味しいと笑った。
「それより、アリス。成人式はどうするの?」
「どうしようかしら」
新しい紅茶を入れなおして、私は溜め息をついた。
最初は行くつもりがなかった。
でも、昨日のパーティーがすごく楽しかったから――。だから、別れ際に、成人式にも出ようかしら、とティシィに言ったのだ。
成人式まであと一年。でも、両親もいなければ、後見人もいない。すべてを自分で手配しないといけないのだ。
多少の寸法直しはしないといけないだろうけど、衣装はあるし、ティアラもある。
推薦状はお祖母さまの知り合いに頼めばなんとかなりそうだし、ダンスのレッスンなどもしていたら、きっとあっという間に一年が過ぎてしまうだろう。
「一生の記念だし、せっかくドレスもお父さまとお母さまが作ってくれたから……」
「そうだね」
「問題は……」
「あれか」
「あれね」
行くことに問題はない。
ワインに染まったドレスも、おそらく純白になって戻ってくるはずだ。
問題は、成人式に限って、新成人は必ず異性(しかも独身)の同伴者が必要……ということだった。
今回のパーティーのように、友達同士で行くわけにはいかないのだ。
独身の兄や婚約者がいれば問題はすぐに解決するが、私もティシィも一人っ子だし、婚約者はいない。
「ティシィはどうするの? 同伴者。貧乏貴族の三男坊さんに頼むの?」
「なんで三男坊が出てくるのよ」
「独身でしょ?」
「知らない」
「きっと独身よ!」
「目をキラキラさせて言うのやめて」
ティシィは私を睨んだ。
「独身だとしても、いい年だもの、恋人くらいいるでしょ」
「何歳くらいの人なの?」
「……セラ侯爵と同じくらい……かな」
「あら」
「目をキラキラさせるの禁止!」
「えー?」
ぷうと頬を膨らませたら、ティシィに指でつつかれた。あう。けっこう痛い。
「とにかく、あいつの話はやめ!」
はあい、と肩をすくめて、私は大きく息を吐いた。
「でも、本当に困っちゃうわ……。どうしよう」
「ま、誰かいるでしょ」
「ティシィは、おじさまとおばさまが誰か用意してくれるんじゃないの?」
「ないない。相手は自分で見つけなさいスタンス。見つけたら……話は通してくれるだろうけど……」
「ティシィのご両親、恋愛結婚だものねえ……」
「アリスのとこもでしょ」
二人で顔を見合わせて小さく笑う。だから、両親は娘たちに婚約者を作らなかったのだ。
私は、にっこり微笑んだ。
「伯爵家の護衛騎士さんにでもお願いしようかしら。ひとりくらいは了解してくれそう」
「やめて。ひとりどころか、護衛同士で決闘になる」
「あら大変」
ティシィの冗談に私は笑うが、ティシィは冗談じゃないからね、と真剣に言う。
私は微笑んだ。
「いざとなったら玄武のおじ様に頼むわ」
「玄武騎士団の団長さんだっけ? ナミ様のお友達」
「ええ」
「でも、玄武騎士団って、剣の先生とか大隊長クラスがそろってるところでしょ。独身だっているだろうけど、みんなお爺さんばかりじゃ……」
「お孫さんの一人や二人いるわよ」
「ああ、そっか。でも、おじ様といえば……」
ティシィは紅茶に砂糖を入れた。クッキーが甘いのに、紅茶にも砂糖。かなりの甘党だ。
「アークロット侯爵がいるじゃない」
「セインおじさまかぁ……」
私は遠くを見つめた。
35歳で独身。赤い髪に琥珀色の目が特徴的なアークロット侯爵は、同じ侯爵でもセラ侯爵とはまったく違って表情も豊かで明るい人だった。
「遠い空の彼方にいらっしゃるわ」
「こらこら、遠い目で言わない」
ティシィが苦笑した。
「まるで死んじゃったみたいじゃない。生きてる生きてる。アークロット侯爵がファステアに行って、もう3年か、早いね」
「ええ」
セイン・アークロット侯爵は父の親友で、一応、私の後見人でもある。現在はナルディア王国の大使として隣国ファステアに出張中だが、2年前に両親が他界したときに手紙を出しても返答がない。
3年間、音信不通だ。
「セインおじさま……生きてるのかな」
「やめてよ」
冗談にならないから、とティシィは言った。
「一年後かあ……」
疲れを覚えて、私は椅子の背にもたれて天井を見上げた。
ティシィも同じように背もたれに身体を預け、そのまま腰を前に滑らせる。行儀が悪いけど、別に誰かが見ているわけではないから気にしない。
「アリスが行くって決めてホッとしたけど、けっこう大変だね」
「ほんと……」
私たちは二人して溜め息をついた。