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04話 その名に誓って。

 

 

 リリアナ様とお兄さんのやり取りを見ていると、なんだか可笑しくなってきて笑いたくなってしまう。

 ティシィから聞いた話によると、リリアナ様は生まれてすぐに母親を亡くして、セラ侯爵家ではなく母親方の実家である公爵家で育ったというが。

 年も離れているし、お兄さんとは離れて育ったんだろうに、本当に仲がいい。

 くすくすと笑っていると、喧嘩していた(一方的に妹が兄を叱り飛ばしていた)二人の視線が私に向けられた。


「すみません」


 謝るが、やっぱり私は笑ってしまう。


「可笑しくて」


 笑い続けていると、リリアナ様が急に脱力した。


「もういいわ」


 疲れたように息を吐いた。


「ティシィさんが、貴女といると毒気を抜かれるって言っていたけど、本当ね」

「……?」


 私は意味がわからずに首をかしげた。

 リリアナ様が苦笑する。ひらひらと手首を振って。


「喉が渇いたわ。ついでに様子を見てくるから、座って待っていて」


 軽やかに言うと客間を出て行った。 

 お兄さんを見ると、彼は微苦笑をもらす。妹を止めてくれてありがとう、と言いたげな笑みを口元に浮かべたので、私は小さく笑い返した。


「それで、確認はできましたか?」

「ん?」

「昔、会ったことがある子供と同じ髪の色だったのでしょう?」


 私の髪は淡い赤が混じった金色だ。日に透けるとピンクに見えたりする。自分では紅茶色と主張しているが、確かにあまり見ない色だった。

 メディ家にはよく出る色らしく、母も同じ髪色だ。

 お兄さんは口角を上げると、私に近づいてきた。


「そうだな……」


 長い指が私の髪をひと房捕らえた。いつもならさらりと流れる髪は、ワインを吸って重たくなっている。


「君だと思う……が、どうだろう」

「瞳の色は?」

「緑。――君と同じだ」


 紅茶色の髪に緑の瞳。

 お兄さんの目がまっすぐに私を見つめてくる。

 何かを探すように。

 私は彼の真剣な顔を見上げた。


「何年前のことですか?」

「……9、いや、10年前くらいか」

「それが私なら……5歳か6歳ですけど」

「そうだな。それくらいだった」


 彼は柔らかく笑った。


「覚えていないか?」

「……」


 私は首をかしげた。

 お兄さんは漆黒の髪と瞳。この国ではそんなに多くはないが、少なくもない。


「侯爵はそのとき何歳だったんですか」

「成人はしていたな」

「今は?」

「27」


 私と12歳違うのか。

 ということは、遊んでもらったりしたのだろう。

 17歳の少年が5歳児に振り回されている姿を想像したらなんだか微笑ましい。でも、妹と同じ年頃なのだから、逆に扱いなれていたのかも知れない。


「場所は?」

「セラ侯爵家の屋敷だ。王都ではなく、領地の」

「侯爵家……の領地」


 確か、セラ侯爵領は東の国境沿いだ。小さい頃に両親と一緒に旅をした記憶はあるが、セラ侯爵領まで行ったかどうかは記憶にない。


「わかりません」 


 私が首を横に振ると、そうか、と短い言葉だけが返ってきた。

 彼が自嘲気味なのは、たったこれだけのことでワインを掛けたり妹に殴られたりと大騒ぎになってしまったからだろう。

 思い出せないことが申し訳なかったが、私は元気が出るように笑う。


「きっとその子も侯爵に会いたいと思っていますよ」

「だといいが」


 お兄さんが優しく笑ったのは一瞬。急に険しい表情で扉を見た。

 誰かが近づいてくるのだ。

 扉が開く前に身体を移動させて、彼は私を背中に隠した。


「アリス!」


 飛び込んできたのはティシィだった。


「あ……」


 私の前に立つ男性に怯んだのがわかる。私からティシィが見えないように、ティシィからも私の姿は見えない。

 私はお兄さんの警戒を取るように彼の腕に触れて、背後から顔を出した。


「ティシィ」

「アリス!」


 ほ、としたように微笑んだティシィが駆け寄ってくる。

 その背後でティシィを案内してくれたのかアレフレット殿下が微笑んでいた。


「君を捜していたから連れてきたよ」

「ありがとうございます」

「アリス……! ドレスを汚したから下がったって聞いたけど、何!? それ!!」


 私の姿を見て悲鳴を上げるティシィ。

 私は苦笑した。


「そんなにひどい?」

「ひどいなんてもんじゃないわよ! 誰にやられたの! 言いなさい! 私がひっぱたいてやるから!」

「……」


 私は笑顔のまま、お兄さんのほうを見ないように意識した。妹に殴られ、ティシィにまでひっぱたかれたら大変だ。


「私だ」

「!?」


 正直者が白状した。

 ビクッ! とティシィが飛び上がる。


「あ、貴方が?」


 頭の上から掛けられた声は低く、アレフレット殿下とは違って笑みのひとつもない。容貌は整っているけど、切れ長の目や薄い唇は冷たい印象を受けるし、妙な迫力もある。


「ティシィ、リリアナ様のお兄様よ」

「セラ侯爵!? ――って、え?」

「ワインを掛けられたんじゃなくて、掛かってしまっただけなの。ほら、背が高いから」


 ――お願いだから、余計なことは言わないでね、お兄さん。


 内心で祈りつつ、にこにこと笑顔のままで私は説明する。


「リリアナ様にも会ったわ。二人で私を会場から出してくれたの」

「リリアナ様に」

「ええ」


 あのことも聞いた、と私はティシィにささやいた。


「とんだハプニングじゃない?」


 私が片目をつむって小さく笑うと、ティシィはようやく肩の力を抜いた。


「大丈夫なの?」

「ええ」


 ありがとう、と私が礼を言うと、ティシィは小さく笑い返してきた。


「お手洗いから戻ったらいきなり姿が見えないから驚いちゃった」

「帰ったかと思った?」

「うん」

「そのときはちゃんと伝えるわよ」

「本当かなあ……」


 疑わしい視線を向けられてしまう。


「伝言だけ残して、黙って帰るつもりだったでしょ」

「やだ。帰るって、馬車の中で待っているだけよ」

「それ、同じだから」


 ジト目で見られて、私は苦笑した。


「ティシィ、いま公爵家の方が着替えの用意をしてくれているの。帰りは一緒でいい?」

「もちろん」

「なら、それまでティシィはパーティーを楽しんでいて」

「なに言ってるの! 私もここにいる!」


 当然でしょ、と胸を張るティシィに、私は苦笑した。


「リリアナ様まで同じことを言いそうだから言っているのよ。お願いだから、二人でパーティーに戻って」

「いや!」

「ティシィ。主催や主賓がそろって抜けたら困るわ。でしょう?」


 現在、リリアナ様とお兄さんの侯爵、アレフレット殿下までいない状態なのだ。


「……」

「ティシィ」

「……」

「お願い」

「………………わかっ、た、わ、よ」


 不満げなティシィに微笑んで、私は彼女の頬に口付けた。


「ありがとう」

「……そんなことで機嫌を直したりしないんだからね」

「わかってるわ」


 私は笑う。そして、アレフレット殿下に改めて礼をした。


「先ほどはありがとうございました」


 アレフレット殿下は穏やかな笑みを浮かべた。


「やっぱり気づいたか」

「タイミングがよかったので」

「聡いね。――どちらかといえば、礼は隣の彼からもらいたいな」


 視線がセラ侯爵に向かう。お兄さんは困ったように眉を寄せたが、律儀なのか、無言だけど丁寧に礼をした。

 ふ、とアレフレット殿下が笑った。


「それにしても面白いものを見せてもらった。カインも連れてくるべきだったな」


 ははは、とアレフレット殿下が声を出して笑った。笑い声も穏やかだ。

 お兄さんが眉をひそめた。


「冗談を」

「だって、君が誰かに近づいていくから珍しいなと思って見ていたらアレだろう? 目が飛び出るかと思ったよ」


 アレフレット殿下はお兄さんをからかうのが楽しいみたいだけど、からかわれている方は、放つ雰囲気がどんどん暗くなっていく。


「あら、アレフレット様」


 明るい声がして、リリアナ様が戻ってきた。


「ティシィさんも来ていたのね。――アリスさん、遅くなってごめんなさい。用意が出来たから案内するわ」


 リリアナ様の後ろに、セバスさんの姿が見えた。私と目が合うと、小さく頭を下げる。


「さ、行きましょう」

「リリアナ様」


 私は直接案内してくれそうな彼女の腕に触れた。


「あとはセバスさんに案内してもらいますので、皆さんは戻られてください」

「え?」


 何を言っているの、という目で見られてしまった。やっぱり、自分が主催だということを忘れているっぽい。

 そのことを伝えると、ティシィみたいにすねられてしまった。

 困ったな、と思っていたらアレフレット殿下が助け船を出してくれた。


「リリィ、わがままを言うものじゃないよ」

「そんな、わがままじゃありません」

「どちらが正しいのかはわかっているだろう?」


 穏やかな物言い。


「彼女にはお詫びをかねてまた招けばいい。今度は内輪だけでね」

「……」


 リリアナ様は息を吐いた。


「わかりましたわ。ティシィさん、行きましょう。――セバス、よろしくね」


 丁寧に頭を下げるセバスさん。

 リリアナ様が私の手を取った。


「アリスさん、また後で」

「はい」


 じゃあ後でね、と言うティシィに笑みを返す。

 アレフレット殿下は二人の令嬢をエスコートしながら部屋を出て行った。

 残された私は、お兄さんを見た。


「後は大丈夫ですから、セラ侯爵も行ってください」

「……」

「侯爵?」

「名前でいい」

「え?」

「堅苦しい」

「……ええと、フォルディス様?」

「ん」


 それでいい、と言うようにお兄さんがうなずいた。私のひじを支えて、そっと押し出した。


「さあ、行きなさい」

「はい」


 セバスさんに案内されて廊下を歩きながら、一度だけ振り返ると、客室の扉に寄りかかったお兄さんが穏やかに笑い返してくれた。






 セバスさんからメイド長を紹介されて、お風呂場に案内された。

 お風呂を出ると3人のメイドが待っていて、髪を乾かしたりドレスを着るのを手伝ってくれる。

 ひとりで大丈夫です――とは言えないほど慣れた手つきで、私はされるがまま。

 さすがに、これから舞踏会にいくのかと思うような豪華なドレスが出てきたときにはもっと落ち着いた物に変えてくれるようにお願いしたけど、帰り支度が終わると、控えていた侍女の方がやんわり微笑んで私を客室まで連れて行ってくれた。

 侍女は私より少し年上で話しやすい雰囲気だったので、パーティーがどうなったのかを聞くと、あと少しで終わると言う。

 ワインに染まったドレスはそのまま持って帰るつもりだったけど、ドレスは綺麗にしてからお返しいたしますと先制されてしまった。強情を張るのもどうかと思ったので、素直に甘えさせてもらう。

 広いお屋敷の中は、いったいいくつ部屋があるのだろうと不思議に思うほど扉がたくさんあった。

 客室に戻ると椅子にお兄さんが座っていたので驚いてしまった。


「フォルディス様!」


 組んでいた長い足を解き、本を読んでいたのか、閉じた本を隣のテーブルに置いた。

 もしかして、あのままここにいたのだろうか。


「早かったな」

「お手伝いしていただきましたので。――あ」


 私は下がろうとする侍女の方を呼び止めた。


「ありがとうございました」


 侍女さんはやんわりと微笑み、軽く一礼してから下がっていく。

 私がお兄さんに近づくと、彼は椅子から腰を上げて手を差し出してくる。

 大きい手だと思う。

 広い手のひらと長い指には騎士特有の剣ダコが出来ている。そっと手を重ねると、指を軽く握られた。そのまま引かれてソファーに誘導される。


「フォルディス様はずっとここに?」

「もともと、ああいう場所は苦手なのでな」


 ソファーに腰を下ろして、私は笑った。確かに、得意そうには見えない。


「私と同じですね」


 ティシィが来るまでもう少しかかりそうだ。

 私は向かいのソファーに座ったお兄さんを観察。

 10年くらい前に、もしかして出会っていたかも知れない人。

 顔は整っているが、二重で大きな目のリリアナ様とは違って、一重で切れ長の目を見ていると、本当に兄妹なのかと疑問に思えてくる。

 やっぱり血はつながっていないのかもしれない。

 彼の視線と合わさったので、思わず心臓が高鳴った。


「妹が迷惑をかけてすまない」

「え!?」

「招待状だ。こういう場は苦手なのだろう。負担になるようなら妹から誘われても断ってかまわない」

「いえ――」


 私は首を横に振る。


「今日は楽しかったです。こんな経験、めったに出来ませんし」

「……」


 お兄さんが複雑そうな顔をしたので、小さく笑ってしまった。


「お祭りとか、楽しそうな人たちを見ているのは好きなので、気にしないでください」

「そうか」


 お兄さんが穏やかに笑う。


「ドレスは合ったようだな」

「はい」


 リリアナ様のほうが細身だが、身体に密着したドレスではないので問題なく着ることができた。最初に用意されていた豪華なドレスといい、そういうのを選んでくれたのだろう。 


「そういえば、リリアナ様から本を読まされていたって先ほどおっしゃっていましたけど」

「妹が小さい頃に一度だけ絵本を読んでやったことがあるんだが、それ以来、私が屋敷に来ると絵本を持ってきて、読めとせがんでくるようになってしまった。せがむというか、これを読めって、命令だな」


 なんだかその様子が目に浮かんで笑ってしまう。


「かわいいー」


 これを読んで、とせがむリリアナ様もかわいいけど、断ることも出来ずに読んであげるお兄さんにも和んでしまう。


「何歳くらいまで読んであげていたんですか?」

「そうだな、10歳……くらいか?」

「読んでって言われなくなったら、急に寂しくなったりしたんじゃ?」

「……それはない」

「ちょっと間がありましたよ」


 私は笑った。

 お兄さんは小さな溜め息をつく。


「最初に読んだ絵本もリズのものだった。カタリナは1冊しか読んでいないが……あれは本当に君が書いたのか? 絵本はかなり前だぞ」


 私は微笑んだ。

 最初に絵本を出版したのは私が5歳のときだ。それから5年後に童話を書いて、その5年後に小説を書いている。5年後にはいったい何を書いているのだろう。エッセイ……とか?


「内緒ですけど、カタリナはティシィがモデルなんですよ」


 赤い靴のカタリナは、元気で明るくて行動派の少女が巻き起こすドタバタを描いたシリーズ物だ。カタリナの髪や瞳の色はあえて書かずに、読んだ誰もが感情移入しやすいようにしてある。


「ティシィ……。私をひっぱたいてやる、と主張していた娘か? 確かに挿絵の姿と似ているな。あの絵も君が?」

「はい」

「すごいな」


 素直に感動されてしまった。


「君がモデルの話はないのか?」

「私ですか」

「妹が騒いでいる小説の主人公とか」

「まさか!」

「東の森のなんとか」


 私はあわてて首を横に振った。


「あれはぜんぜん違います。――まさか、読んではいないですよね?」

「読んでない」


 確かに、さっきは読んでないとか言っていたけど……。


「本当ですか」

「本当だ」

「本当に?」

「ああ」

「……」


 私が疑いの目を向けると、お兄さんは苦笑した。


「読んでいない」


 右手を上げる。


「セラとセティスの名に誓って」

「わかりました。信じます」

「よかった」

「その名に誓って、これからも読まないでください」

「おい」

「読まないのはローナの本だけでいいです」

「リズの本はいいのか」

「はい」

「違いがわからん」

「ぜんぜん違います」

「リズはよくて、なぜローナはだめなんだ?」

「恥ずかしいからです」

「……わからん」


 本当にわかっていないみたいだ。天井を見上げて脱力。息を吐く。


「こだわりがあるのか?」

「はい」

「いいだろう。セラとセティスの名に誓う。ローナの本は読まない」

「ありがとうございます」


 私はにっこりと笑った。


「じゃあ、とびっきりの情報を教えて差し上げます」

「ん?」


 お兄さんが視線だけ私に向けてきた。


「赤い靴のカタリナシリーズの4冊目に、私をモデルにしたキャラが出てきます」


 お兄さんが身を起こした。


「4冊目?」

「はい」

「題名は?」


 お兄さんの目が興味を覚えて輝いている。


 ――あ、そんなところはちょっとリリアナ様と似ているかも。


 ふふ、と笑って私は言った。






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