03話 それは秘密。
「私はリリアナ。――リリアナ・セラ・セティスよ」
あれは兄のフォルディス、と彼女は言う。
私を招いたその人が、目の前にいた。
逆に、なぜ今まで気づかなかったのか不思議だった。
淡い金の髪に碧の目。噂に違わぬ美しさと優雅さを兼ね備えた少女に、私の胸は高鳴った。
気づかないのも当然だ。
私は「公爵令嬢」の想像はしていたけれど、それは人形のようなもの。目の前の少女は、私たちと同じ感情を持って動いているのだ。
笑うし、怒るし、魅了する。
私はドレスの裾を上げてひざを軽く折った。
「はじめまして、アリスリス・メディと申します」
改めて礼をすると、リリアナ様は小さく吹き出すようにして笑った。
「知っているわ」
「え? ――あ、そうでした……」
私は赤くなる頬を隠すように、顔を下げた。
「ご招待とてもうれしかったです。ありがとうございました」
「こちらこそ、いきなり招待なんてしてごめんなさい。驚かれたでしょう?」
「いえ……」
「私、どうしても貴女に会いたくて。――セバスが無理を言ったのではなくて?」
「いえ――」
私はぷるぷると首を横に振ったが、ふと首をかしげた。
「私のことを知っていらしたのですか?」
「名前だけ。ティシィさんから聞いていたの。後で貴女を紹介してもらう予定だったのよ」
「そうでしたか」
私は微笑んだ。
ティシィの交友関係の広さを思えば驚くべきことじゃない。ティシィと姉妹のように育ちながら、あまり表に出ることがないから気になったのだろう。
私に招待状が届いた理由も納得がいった。
「それなのに……」
リリアナ様がうつむいたまま、こぶしをぎゅっと握っている。
「それなのに……それなのに、この馬鹿兄が……!」
リリアナ様は唇を噛んで、ギロリとお兄さんを睨んだ。今にも絞め殺してやりたい、とその表情が語っている。
私は苦笑した。
リリアナ様の腕にそっと触れる。放っておくと、またお兄さんの胸を殴りかねない。
「怒らないで。こんなの、ぜんぜん平気です」
「だめよ! そんなに優しいことを言って甘やかしたら!」
私は笑い返すのみ。
リリアナ様、落ち着いて。
どうどう。
私がニコニコしていたら、リリアナ様は言葉を飲み込み、急に肩の力を抜いて脱力した。
「アリスさん……とお呼びしてもいい?」
「はい」
私がにっこり笑うと、リリアナ様は照れくさそうに微笑んだ。
「やっぱり、想像通りの人だった」
独り言のようなつぶやきに、私は瞬いた。
「え?」
心なしか、リリアナ様の頬が紅潮している。
「ずっと貴女に会いたいと思っていたの」
「……?」
「私、――いえ、私たち」
リリアナ様は瞳を輝かせて私の手を取った。
「貴女の大ファンなの!」
「……」
え?
――何?
意味がわからずに瞬くばかり。
「私の、だい、ファン?」
「ええ!」
キラキラキラ。
まるで夢見る乙女のような目になっているリリアナ様。
私は困惑して、助けを求めるように彼女のお兄さんに視線を向けた。でも、肩をすくめられてしまう。
「あの、誰かと間違えているのでは……」
「間違えてなんかいないわ。メディ子爵令嬢アリスリス」
「……」
そうですが。
そうなんですが。
絶対に間違えている。
リリアナ様はにっこり笑った。
「貴女のお祖母さまの名前はナミ、でしょう?」
――お祖母さま絡みか。
私は納得がいって、緊張を解いた。
「お祖母さまとは小さい頃に会ったきり、今ではどこにいらっしゃるのかもわかりませんし、血もつながってはいなくて……」
「知っているわ。でも、貴女、ナミ様から伝授されたのよね?」
「伝授……?」
お祖母さまは有名な旅人で強大な魔力を持っていたけど、私とは血のつながりもないし、私には魔力の魔の字もない。当然、呪文なども教わっていない。
呪文と言われて思い浮かぶのは、傷口に手をかざして「痛いの痛いの飛んでいけ~!」とか、頭を撫でて「いい子いい子」とか「よしよし」とか、荒ぶる馬に「どうどう」とか。どれも魔力で術が発動するようなものではなく、子供だましのおまじないレベルだ。
閉じている扉に向かって「開け~ゴマ!」なんて意味不明な言葉を口にしたりもしていたけど、扉は閉まったままだったし。
「伝授……は、されていませんけど……」
たぶん。
彼女が知りたいのは開けゴマではないはずだ。
リリアナ様は私の鈍さがじれったいのか、もぞもぞと身体を揺らした。
「お菓子よ!」
「ああ、それなら……」
お祖母さまがうちに滞在していた1ヶ月の間に料理を教わったのだが、特にお菓子作りは徹底的に叩き込まれていた。
「美味しくなあれ! って思いながら作ると美味しく出来るんですよ」
にっこり笑って伝えれば、なぜかお兄さんが吹き出した。
え、今、笑うとこ?
思わず非難めいた視線を向けたら、片手の平をこちらに向けて、失礼、と謝られてしまった。
リリアナ様は両手を胸の前で合わせて楽しそうに笑っている。
「そうなの」
「はい!」
「今では王都で普通に食べられているお菓子、その多くはナミ様が広められたのに、その味を再現できる人は少ないの」
それは初耳だった。
「そうなんですか?」
目を丸くする私に、リリアナ様は軽く瞬いた。
「本当に何も知らないのね……」
「すみません……」
しょぼん。
うなだれた私に、リリアナ様は慌てて手を振った。
「責めているわけじゃないのよ。ただ、本当に何も知らないから驚いて」
無学ではないが、世間知らずであることは自覚している。
「ティシィさんがね、いつも持ってきてくれるのよ、貴女が作ったお菓子。王宮の料理人が作ったものより美味しいってみんなに評判なの」
「……え?」
リリアナ様がにっこりと笑う。
「ティシィさんにお土産、帰るときに持たせているのでしょう?」
「はい……」
「それをね、いつもお茶会に持ってきてくれるの」
うれしそうにリリアナ様は語る。
「とても美味しくいただいているわ。ご馳走さま」
「そんな、こちらこそ、ありがとうございます」
ペコリと私が頭を下げると、ふふふ、とリリアナ様が可笑しそうに笑った。
「みんなでお菓子作りを教わりたいわねって話していたのよ」
「いつでもどうぞ」
私が笑うと、リリアナ様は目を細めて笑った。
「ティシィさんが言っていたとおりだわ」
「ティシィが?」
「ええ。きっと、アリスに会ったら好きになりますよって」
「そんな……」
思わず頬が赤くなる。
ティシィったら、人のいないところで何言ってんの。
「それにね」
リリアナ様は、笑いがこらえきれないように口を押さえた。興奮しているのか、顔が紅潮し、胸も弾んでいる。
「貴女が書いた本も、読ませていただいているの」
「え?」
え?
「書いているでしょう?」
「え?」
はい、書いて、います、が。
「え、え、――え?」
まさか。
「私たち、貴女の小説の大ファンなの!」
――ワタシタチ、アナタノ、『小説』ノ、ダイファン、ナノ……
「――――――――え?」
小説……。
それって。
「東の森で会えたら」
…………………!!!!!!
このとき、悲鳴を上げなかった自分をほめてあげたい。
恥ずかしさのあまり耳まで真っ赤になった私は、ひざから力が抜けて崩れ落ちた。
「きゃ!」
慌ててリリアナ様が手を伸ばしてきたけど、それより先に、私の身体は大きな力で支えられた。
「大丈夫か」
背後から低い声がささやく。両肩をつかまれて、大きな胸にもたれていた。
「うそ……」
私は真っ赤になった顔を両手で隠す。
「うそ……」
何で知っているの……?
――『東の森で会えたら』
それは今、王都で流行の恋愛小説。
その作者は私だった。
※
最初のきっかけは、初めて作った紙芝居。
お祖母さまが滞在していたときに、自分で描いた絵を見せ、自分で考えた話を一生懸命に話して聞かせたのだ。
よく出来ているじゃないか、と褒められた翌日、お祖母さまからその紙芝居が絵本として出版されることを知らされた。出来がよかったから、知り合いの出版社に持ち込んだのだという。
純粋に絵を描くのが好きだったし、話も考えるのが好きだったから、求められるがままにいくつも作った。
新しい話を考えるたびに、両親やティシィが喜んでくれたから、それがまた嬉しかったのだと思う。
次に童話。
自分と同年代の少女を主人公にした話を書いた。これは話がメインで、絵は挿絵程度。いくつかシリーズ化もされて、そして、昨年になって初めて大人向けの恋愛小説『東の森で会えたら』を書いたのだった。
ストーリーは、王宮の侍女が街中で他国の大使と偶然出会い、恋に落ちるが、実は隣国の王子で――という、いかにもな王道小説だ。これは挿絵がなく話だけ。
でも、王道だからこそ人気が出たのだと思う。発売して二ヶ月でもう増刷にかかっていると聞いた。
絵本と童話は「リズ」というペンネームを使っているけど、恋愛小説は「ローナ」という名で書いた。挿絵がないのも、ローナがリズであることを隠すだめだった。
ティシィはそのことを知っているけど、彼女が他人に言うわけない。絵本を出版したときに、お祖母さまがこのことは内緒だと言い含めているからだ。
「なんで……」
「驚かせてごめんなさい。私、小さい頃から『赤い靴のカタリナ』シリーズのファンで、リズの追っかけでもあるの。作者買いというか。絵本も初版からすべてそろえているわ。出版社に、リズの最新作が出たら真っ先に持ってきてもらうようにお願いしていて……」
ペンネームは違うが、リズが書いたものだから、と出版社が気を利かせて恋愛小説も持ってきてくれたのだという。
「リズが貴女だってことは以前から知っていたのよ。その、二年前に突然本が出なくなったことがあったでしょう? 心配して、調べたの。リズが貴女だってことを――私と同じ年の子が書いていると知って驚いたわ。本が出なくなった理由も……わかったし。だからね、私、手紙をたくさん書いたの。貴女の本がこんなに好きなんですって。だから、一年後に本が出たときには本当に嬉しかった」
「……」
二年前はちょうど両親が他界してひとりになったときだった。
突然ひとりになって、何をすればいいのかわからなくて、ただぼんやりしたまま過ごしていたときに、出版社からファンレターがたくさん届いたのだった。
今でも、大切に保存している。
私の宝物だ。
なんだか鼻の奥がツーンと痛くなって、泣きたくなってくる。
招待状を見たときにどこかで見た字だと思ったけれど。
「読みました……」
「本当!?」
「はい。とても嬉しかった」
私が顔から手を下げると、リリアナ様はホッとしたように笑った。
「安心して! 貴女がローナであることは、私とティシィさんしか知らないわ。ほかの子たちは純粋に小説のファンなだけ」
リリアナ様は気遣うように私の腕に触れた。
「最初にティシィさんへ話したときに困ったような顔をしていた理由がわかったわ。リズやローナが貴女だってこと、秘密なのね?」
「……はい」
「わかった。誰にも言わない」
「……」
「セティスの名にかけて誓うわ」
リリアナ様の真剣な声が響く。
私は小さく頭を下げた。
「お願いします……」
「フォルも、今の話は聞いてなかったわよね?」
――!
ビクッと身体を揺らした私は、背後のお兄さんの存在に血の気を無くす。
「なんの話だかまったくわからん」
「……」
頭の上で大きな溜め息。
「絵本やカタリナはお前に散々せがまれて読まされたから知っているが、新作の小説とやらは知らん。読むつもりもない」
私は恐る恐る背後を向いた。
切れ長の目が、まっすぐに私を見ている。
「大丈夫か?」
「……はい」
いつまでも寄りかかっているわけにはいかないと、私は自分で立とうと足に力を入れるが軽くふらついてしまう。
お兄さんの腕に支えてもらってなんとか立つ。それでも恥ずかしくて顔を上げることが出来なかった。
「みっともなく動揺しちゃって……すみませんでした……」
「ワインを掛けられたときよりも驚いたみたいだな」
私は正直にうなずいた。
「はい。……公爵家のご兄妹は人を驚かせるのが得意なのですね」
ふ、とお兄さんが笑った。彼は私の腕を支えながら、丁寧に頭を下げた。
「先ほどは本当に失礼した」
「いえ……」
私は笑って首を横に振ったが、
「そうよ!」
リリアナ様が憤慨して叫んだ。
「アレフレット様が機転を利かせてくれたからよかったものの、フォルがいきなりワインを女性に掛けるから目を疑ったわ!」
……ん?
なんだか、今の表現はおかしい。
「頭からワインをぶっ掛けるなんて、いったい、何を考えてるのよ!」
まるで、わざと掛けた……みたいな。
「セラ侯爵ともあろう人が、どんないじめ!? 普通の女性なら悲鳴を上げて、泣き出して、今頃大騒ぎよ!」
「本当はドレスの裾に軽く掛けるだけのつもりだったんだが、勢いがつきすぎたんだ」
「……」
え?
――何。
どういうこと。
裾にちょっと掛けるだけのつもりが、勢いあまって頭から?
豪快ですね。
不器用なんですか?
頭がおかしいんですか?
ていうか、なんでわざと掛けるんですか??
「だから、何でワインを掛けたのよ!」
「カインシードにそう言われたのを思い出したんだ」
「は!? なんで陛下が関係してくるの」
「…………」
お兄さんは無言だ。リリアナ様がものすごい形相で兄を睨んでいる。視線だけで人が殺せるなら即死の勢いだ。
「フォル。言いなさい。彼女は私の招待客よ」
「髪色が……」
「髪の色?」
「昔、会ったことのある子供と同じだったから、その子じゃないかと思って確かめようとしたんだ」
「ワインを頭からぶっかけて?」
「違う! 普通に、近くで顔を見ればわかると思ったんだ」
確かめる前に、私がその場を離れようとしたので慌てたらしい。
そういえば、あの直前に「もう帰ろうかな」とか口にした気がする……、けど。
「以前、女性を引き止めるときにはワインを掛ければいいとカインに言われたことを思い出して……」
でも、勢いあまって頭から行ってしまった、と。
「……」
リリアナ様の身体がふらりとゆれた。頭痛がするのか、顔をゆがめて頭を押さえた。
「本当に……信じられない」
「すまん」
「それって、飲み終えたワイングラスを傾けて、一滴二滴って話でしょ……」
「そうなのか」
「そうなのよ……」
リリアナ様がぷるぷると震えている。
「どこの世界にあんなにたっぷり入った赤ワインをぶっ掛ける馬鹿がいるの!」
ドカーン! とリリアナ様の背後に雷が落ちたような気がしたのは目の錯覚だと思いたい。