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13.5話 王太后は驚く。




「ああ、ここですね」


 あっさりと口にして、ハンチング帽をかぶり、男の子のような恰好をした少女は地下水路から王宮の裏道へと続く〈扉〉を簡単に開いた。

 鍵を使ったのではなく、呪文を口にしたのでもなく、右手を軽く壁に沿わせて歩いていただけ。それが、ある一点で止まったかと思えば、そこに〈扉〉が現れたのだ。

 細くきれいな白い手を中心にして、壁が波打ったように見えた。波は長方形で止まり、切れ目が現れる。ただし、取っ手はない。

 どうやって開けるのかと見守っていれば、右手を軽く右に払っただけで〈扉〉が横にずれて入り口が現れたのだった。


「……!」


 まるで普通の扉を開くがごとく、ごく自然にやってのける。その異常さに、私は驚くことしかできない。


「マリー様、足元にお気を付けになって」


 少女はためらうことなく中へと入っていった。

 地下水路を歩いているときは明るくて気づかなかったけれど、彼女の腰には光の魔石がぶら下げられていて、隠し通路を明るく照らしている。〈扉〉を閉めないのかしら、と背後を見れば、いつの間にか〈扉〉は閉まっていた。と同時に、そこに〈扉〉があったことさえ分からなくなっていた。


「行きましょう」


 手を引かれ、大人の男性が一人通れるほどの道を歩いていくが、その足取りに迷いはない。すべてを把握しているのだろう。

 それでも、私の足を考慮してか、ここでも歩く速さはとても遅い。

 エセル地区の孤児院で踵の高い靴を脱いで、平たい靴を借りたままなのでかなり楽にはなっているけど、水ぶくれで膨らんだ足の裏は、熱を持ったまま、一歩ごとに痛みを訴えていた。

 ただ、今はそんな痛みすら忘れてしまうほどの驚きに唖然とするしかない。


「貴女……」

「最初に言っておきますが、知識として知るだけで、使ったのは初めてですから」

「これがどういうことか、わかっているの」

「ここがどういうところなのか、マリー様は知っておいでなのですか」


 質問に質問で返した少女の言葉に、むしろ、なぜ貴女がここを知っているのか、と問いたいほどだ。

 王宮の設計図というものは存在しない。作られたときに破棄されたからだ。表向きの配置図は存在するが、極秘文書扱いだし、当然、裏道や裏通路、隠れ部屋などは公にもなっていないのだ。

 後宮内部の位置を把握し、そこに通じる道も知っている――そして、実際に利用できる。そんな情報を持つ者を、王宮としては生かすわけにはいかなかった。私以外の者が知れば、彼女は即抹殺対象となるだろう。

 険しい私の表情にも、ティシィ・メアルは静かに微笑むだけ。

 ただ、その瞳の奥に強い意志がある。

 彼女は決して引かない。知っていて、口にしたのだ。

 私は息を吐いた。


「セレスティーナ様に聞いたわ。ナルディア王家の者しか通ることのできない秘密の抜け道があると」


 ならば、なぜ、この少女は通ることが可能なのか。

 結論は一つしかなかった。


「貴女には、王家の血が流れているのね」


 ――私のように。


 確信に近い言葉だったが、少女は前を向いたまま小さく笑った。それは、私の言葉が正解ではないけれど、近い――もしくは惜しい、という言葉が含まれているような笑みだった。

 ティシィ・メアルは、歩きながら静かに語りだした。


「10歳になる前のことです。私は命を落とすような大きな怪我を負いました」

「大きな怪我」

「そのままであれば、普通に命を落とすような……ひどい怪我でした」


 彼女が、左の首筋に手を当てた。

 そっと触れる手つきが、場所はそこだと知らせている。でも、傷跡はない。見えるのはきれいな首筋で、とても命を落とすような怪我をしたようには思えない。


「でも、そこにナミ様とアリスが来たんです」


 少女が立ち止まり、静かに私のほうへと顔を向けた。


「もう無理だ、と言うナミ様の言葉を今でも覚えています。自分でも、もう駄目だろうと思いました。でも、アリスは迷わなかった。私の命を救う道を選んだんです」


 彼女の話が、どう王家の血を継ぐことにつながるのか、私には分からなくて、ただ聞き手に回る。


「〈こんの契約〉というものをご存知ですか。血と魂を重ね、互いの命を分け合う契約です。本来、聖獣や神獣と交わすことで、人は長命となる。通常は、人と人が行うものではないんです」

「まさか」

「あの時、私の寿命が限りなくゼロに近かったため、アリスの寿命は半分となりました」

「――」


 私は息をのみ、小さく首を傾げた。


「寿命を分け合う?」

「はい。互いが生きている限り。ただし、一方が死ねば、寿命を分けることはできません。ゼロにいくら掛けようとゼロであるように、今、私が死ねば、アリスは死にます。逆もそう」


 私は止めていた呼吸をゆっくりと吐いた。

 ティシィ・メアルを殺せば、アリスリス・メディも死ぬ。それは、現状において彼女を守る言葉となるだろう。

 だからこそ、彼女はこの秘密を口にした、ともいえる。

 そうなの、と。

 そうだったの、と私は緊張を解いた。


「だから、貴女はこの道を使うことができるのね」


 ティシィ・メアルは目を細めて笑った。

 それはそれは目を奪うほど美しい笑みで。いつまでも見ていたいと思わせるような、澄んだ瞳だった。

 でも、彼女はすぐに視線を前に向けると、歩き始めてしまう。

 

「この道は、地脈を固定化して作られました」

「地脈?」

「地霊師が通ることのできる地中の道……みたいなものです。風霊師ならば風脈、水霊師なら水脈といったように、彼らしか感じ取ることのできない自然の中を流れる道があるようです」

「貴女にはわかる?」

「わかりません。ただ、あることは知っています。この道は、地霊師でもあった五代国王メルディアーナ様が地脈を固定化して血界で覆ったので、他の精霊師でも察することが出来なくなっています」

「……それは、ナミ様から聞いたことなの?」

「ナミ様が作るのに協力した、と聞きました」

「……え?」


 かすかに苦笑する気配が伝わってくる。

 女王メルディアーナは150年近く前に生まれた人だ。

 それから100年後にナミ様がこの地へ〈落とし者〉としてやってきた。メルディアーナの在位は長く、かなり長命だったが、それでも100年は生きていない。

 ただ、ティシィ・メアルの話を「嘘」と一言で断定するには、ナミ様の存在はデタラメすぎた。もはや、魔女に関しては、なんでもあり、なのだろう。


「時も超える、のね」


 もう、溜め息しか出てこなかった。




 そこから迷いなく導かれた先は、確かに私が息子の後をつけて抜け出した鏡の裏で、なぜか、向こう側がぼんやりと透けて見えた。

 そこは、「鏡の間」と呼ばれる部屋だった。

 鏡の間は、手鏡から胸上のサイズ、三面鏡や姿見、さらに壁一面を覆う大型の鏡など、使われなくなった鏡の置き場所になっている。

 まだ幼い息子がこの部屋に入りびたるのを見たときは、中にあるという魔法の鏡を探しているのかしら、と微笑ましく思ったものだった。

 セレスティーナ様の侍女として小さな頃から後宮で暮らしていた私は、お掃除と称して色々な部屋を見て回っていたので、古い道具や家具、魔法具などが置いてある部屋の楽しさは心得ていたのだ。

 鏡の間に入ったはずの息子が、王宮の外に出ていることに気付いたのはいつだっただろう。セレスティーナ様が教えてくれた「裏道」がそこにあるのだ、と私は気づいた。

 秘密の抜け穴。

 裏道につながる扉は、鏡の間の奥にかけられた姿見だった。

 装飾も何も施されていない、むき出しの鏡。

 息子がそこに手を当てれば、手が鏡をすり抜け、身体を飲み込んでいく。それを見たときは、悲鳴を飲み込むのに必死だった。

 息子の姿が完全に消えた後、鏡に近づいてみれば、指紋のひとつもないくらいきれいなままだった。

 ドキドキしながら、同じように鏡へと手を伸ばせば、指先が何かに触れたと感じることもなく鏡に埋まっていく。

 初めての時は、それ以上進めなくて慌てて手を引いた。

 でも――。


「ここに入ってから引き返そうと手を当ててみたけど、戻れなかったの」

「でしょうね」


 それにしても、と少女が溜め息をついた。


「陛下は後を付いてくる者がいると気づかなかったのですか」

「私が入ったときは、こんなに明るくなかったの。息子の周囲だけが光っていたから、逆に追いかけやすかったわ。地下水路に出てからは必死に追いかけたのよ。足音を立てないように靴も脱いだわ。地上に出たときに、誰何すいかされたときは心臓が止まるかと思っちゃった」


 思い出したら、ふふと笑ってしまう。


「でもね、にゃー、って言ってみたの」

「にゃー」

「にゃー」

「……」

「そうしたらね。なんだ、猫か、って」

「……」

「そのままじっとしていたら、はぐれてしまったの」


 はあ、と大きなため息をついて、少女は額を押さえた。


「わかりました。それにしても、黙って抜け出すのは迷惑です。侍女でも女官でも構いませんから、信頼できる者をひとりでもいいから作って、表から来るようにしてください」

「わかったわ」


 にっこりと私は笑う。

 少女は小さく苦笑した。


「そこに背を向けて立ってください」

「ここ?」


 鏡の裏だ。

 素直に従い、どうやって入るだろう、と疑問に思っていると、少女が一歩前に出た。

 伸びてきた手が、とん、と私の胸元を押してきた。軽く押されただけなのに、私の身体はそのまま後方に倒れ、鏡の裏に背中が触れてもたれかかる。――と思った時、瞬間的に一歩、私は足を後ろに出していた。

 身体が、鏡に沈んでいく。


「あ――」


 驚いて、少女を見る。

 お礼を言っていない、と思った時には、もう身体の大半が鏡を通過していた。

 最後に残った手に、かすかに触れる何かを覚えた。


 また会いましょう、マリー様――。


 彼女の言葉は聞こえなかったけど、触れた手に、そんな言葉が重なった気がした。






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