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10.5話 カエリアの実験。



 今から10年ほど前、アンテスト・カエリアという商人が、新しく雇った使用人に対して行った実験がある。


 当時、カエリアは三十代の半ばだが、髪の量が少ないために実際の年齢よりも上に見られることが多かった。

 歩けば腹が上下に揺れるほど丸い身体だが、髪を整え、紳士を思わせる身なりは崩すことなく貫禄がある。

 肌は焼けて褐色で、吊り上がった太い眉に、二重の大きな目、厚い唇の上には立派な髭があった。


 そんな彼が、新しく雇った使用人たちを前に、だらしがなくて物覚えも悪い男を装い、わざと宝石や金が散らばった部屋に通して、それらを片付けるように命じたのだった。

 それを数日繰り返し、最後までひとつも物を盗らなかったのは、エセル地区出身の者だけだったという。


 以降、カエリアはエセル地区出身の者のみを使用人として雇っている。


 彼らはそれが実験であったことなど知ることなく、皆「いつも散らかしていたら、盗まれたときに分からなくなるじゃないですか!」と主人であるカエリアを叱り、さらに他人への対応や物言いなど、主人の欠点を口々に伝えて来たという。

 決して主人を馬鹿にしているのではなく、あくまでも誠実で謙虚な態度であり、それらに対して、カエリアは怒ることなく受け入れた。

 使用人が主人に口答えをするなどありえないことだったが、彼らが自分のことを思って叱ってくれていること、叱りつつ誠意を込めて自分に仕えてくれることに気付いた彼は、「そうかそうか」と嬉しそうに笑って、言われたことを改めていった。


 カエリアは、エセル地区が以前は最悪区と呼ばれていたことを知っていたし、当時はその記憶が残っている者も多かった。

 エセル地区の住人を率先して雇うなど、とんでもないことだったのだ。

 だが、カエリアは様々な場面で使用人たちによく相談し、その言葉に従うと商売は必ずうまくいくのだと知人に語った。


「雇うのであれば、エセル地区の者にするといい」


 彼らは、勤勉で誠実で、働くことを厭わない。信頼に値する人間だ、と。


 今では大商人と呼ばれるほどの力を持ったアンテスト・カエリアは、今日もエセル地区の孤児院にたくさんの食料や衣類を馬車に詰めて訪れている。

 大きな身体を揺らして降りた、その両手に持つのは短い棒のついた飴だった。


「カエリアさまー」


 男に気付いた子供たちが集まってくる。


「カエリアさま、こんにちはー!」

「こんにちはー! カエリアさまー!」

「やあやあ、みんな元気だね。院長先生の言うことをちゃんと聞いて、いい子にしていたかい」


 してたー! と子供たちが一斉に答える。


「よしよし。じゃあ、これをあげよう」

「わああ、アメだー」

「カエリアさま、いっしょにたべよーー!」


 わらわらと群がる子供たちに、今では誰もが恐れる強面の大商人は、ニコニコと相好を崩して飴を配る。

 子供たちに空いた手を引かれ、直接、芝生の上に腰を下ろすと、一番小さな子供がカエリアの胡坐の上に収まった。

 周りを子供たちに囲まれながら、カエリアはみんなと同じように飴を咥えた。


「甘いな」

「うん、おいしー」

「あまーい」


 嬉しそうな子供たちを見て、男も嬉しそうに笑う。


「なんの味かわかるかね?」


 カエリアの言葉に、子供たちの目が輝いた。


「しんさくなの?」

「そうだ」


 わ、と華やいだ子供たちは一斉にぴょこんと跳ねて、舐めている飴の味を口にしだした。その多くは甘い果物だったが、中には「クルミの味」と言う子もいて、それはさっき食べたパンの味だろ、と突っ込まれている。


「ナッツか、ふむ」


 カエリアの目が輝いた。

 ナッツに飴をコーティングしてみたらどうだろう。

 飴の中に細かく砕いたナッツを入れるのもいいかもしれない。

 子供だけでなく大人にも好まれそうだ。

 カエリアは、飴がなくなった棒だけを咥えたまま、次の新作について思案し始めた。

 そんなカエリアを、子供たちは気にすることなく楽しそうに見守っている。

 子供たちは、いつもポケットに飴を入れている、この優しい商人が大好きだった。


 昔、彼が口に咥えていたのは常に煙草だった。

 だが、カエリアさまタバコくさーい、と子供たちに言われてからは、煙草も止めた。

 おくちくさーい、と言われてからは、歯もよく磨く。


「マイリィ、前の道に轍の跡があったね。今日は誰か来たのかい」


 子供たちの中でも年長の、赤い髪の少女が嬉しそうにうなずいた。


「アリス様が年配の女性を連れていらっしゃいました」

「また誰か拾われたのかな」


 カエリアの言葉に少女が素直にうなずいた。

 そもそも、カエリアもアリスリス・メディに拾われた者の一人だ。

 商売がうまくいかず、使用人に金目のものを持ち逃げされ、人が信じられなくなっていたころ。

 生きていることに疲れ、橋の上から川を眺めていたカエリアの上着の裾を引いたのが、淡い桃色の髪に若葉の緑を思わせる瞳の小さな子供だった。


 ――ねえ、迷子なの? 川に何か落としたの?


 一緒にさがしてあげる! と少女は元気に言った。

 結局、そのとき迷子だったのは少女のほうだったが、カエリアは命を拾ってもらったのだ。

 人生に迷っていた自分を見つけてもらった。

 生きる道を与えてもらった、と今でも思う。


 少女に出会ってから、カエリアの人生は大きく変わったのだから。


 これあげる、と少女がポシェットから出してカエリアにくれたのは、赤く透き通った丸い飴だった。

 飴といえばべっ甲飴のことを指す中、果物の味がする飴に驚いた。


「ど、どこで売っているんだい?」

「売ってないわ。おばあさまが作ってくれたの!」


 ニコニコと、嬉しそうに少女が笑う。その手は、カエリアの大きな指をぎゅっと握ったままだ。

 あの時、彼女がカエリアの死を未然に防ごうとしたのか、偶然に声をかけたのかはわからない。

 でも、彼女はカエリアの手をずっと放すことなく、寄り添ってくれた。


「おいしいでしょう?」

「ああ、とても」


 心からそう思った。


 一生忘れることはないだろう。

 最初に口にした飴の甘さと、少女の優しさを。



 ――今現在、カエリアが商売の要にしている飴の販売は国内だけに留まらず、他国にも広まっている。







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