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28話 朱色の騎士。

 

 

 馬車で帰るセラ侯爵を見送ったあと、私は小さく息を吐いて門に寄りかかった。


 別れ際に、侯爵が触れていった頬が熱い。

 大きな手で包まれて、あまり無茶をするなよ、とまじめな顔で言い残して去った彼に、胸が高鳴って止まらない。

 出会って、それが再会だと気づいて、まだ1週間にもならないというのに、どんどん惹かれてしまうのがわかる。

 気兼ねすることなく頼ることができる存在だと、心のどこかでわかっているのだろう。

 それは恋なのか。

 それとも、親愛なのか。

 リズが描く物語のように、最初から展開が決まっていて、それを知っていたらいいのに――。


 私は静かに息を吐いた。


 自分の気持ちも、相手の気持ちもわからない。

 わからない不安に、ただただ困惑する。


 わかるのは、彼が好きだ、という思いだけで。


 ひんやりと冷たい石門が火照った身体を静めてくれるようで、そのまま目を閉じて耳を澄ませば、遠くに消えていく蹄と車輪の音が規則正しく聞こえてきてホッとした。

 きちんと調教された馬や整備された馬車は、とても綺麗な音がするのだ。

 耳を澄ませながら、私は小さく笑った。

 小さなころは、よく地面に耳を当てて聞いていたものだった。

 それを教えてくれた人を思い出すと、心に優しい思いが満ちてくる。


 脳裏に浮かぶのは、腰に白銀の剣を差した朱色の麗人。


 朱色の騎士服は、女王もしくは王妃だけが召集出来る朱雀すざく騎士団の正装だった。


 ナルディアの全騎士団において、全体の一割にも満たない女性の騎士。彼女たちは総じて「朱雀すざく」と呼ばれているが、それは、彼女たちが本来は朱雀騎士団に所属しているからだ。

 女王の剣、王妃の盾、と言われる朱雀騎士団は、唯一の主である女王か王妃の召集があれば、そこがどこであっても応じるという。

 女王や王妃のいない今現在、騎士団は解散して各地や各部署に配属されてはいるが、能力は男性にも劣らず、隊長格の朱雀も複数存在している。

 そして、先の王妃マリールージュに任命された朱雀騎士団の団長、それが彼女だった。


 ディアナ・アークロット。


 セインおじさまの姉君であり、父の守り人として生まれた女性。


 彼女は父よりも二ヶ月早く生まれ、父がそのまま王家の人間であれば、いずれは王妃か侍女頭にでもなっていただろう。

 でも、父が自身の守り人であるディアナ様と初めて会ったのは、王家と決別を決めた10歳のときだったのだ。


 波打つ淡い金髪に、アークロット侯爵家特有の琥珀の瞳、華奢な身体つきだが、意志の強さが顔に表れた美しい少女は、10歳にして朱色の騎士服に身を包み、左手に長剣を、右手にも長剣を持ち、一方を父に向かって押し付け、言い放ったという。


「忘れ物よ――!」


 と。

 それ以上の詳しいやり取りは教えてくれなかったけれど、そのときのことを話してくれた父はとても楽しそうで。

 行方不明であった父がいつ王家に戻ってきてもいいように、守り人として王宮で学び育った彼女は、父が王家の名を捨てた後も王宮に止まり、若き頃は王妃の近衛騎士として、そして今は北の国に嫁いでいる。


「ディアナは守り人ではなく、親友になったのさ」


 公式的には、ディアナ・アークロットの主である「王女」は亡くなっているので、彼女は守り人ではなくなっているが、たまにメディ家へとやってくる美しい女騎士が私は大好きだった。

 今にして思えば、朱色の騎士服のままメディ家に来ていた彼女の存在が、母を「失われた王女」と勘違いさせる要因ともなっていたのだろう。


 そもそも、父と母が出会うきっかけを作ったのが彼女だった。

 ディアナ様の母上であるノエナ様と、私の祖母であるセアラは親友同士で、セアラお祖母さまが母を生んですぐに亡くなった後、同じくセインおじさまを生んだばかりのノエナ様が母をしばらく預かって育ててくれたのだ。

 エセルシアを実の妹のように可愛がったディアナ様は、その溺愛ぶりを周囲に隠すことなく、父に母を紹介したときも、自分の妹だと言ったという。

 だから、父は母とセインおじさまがずっと双子だと思っていたのだ。


 ディアナ様は結婚をきっかけに騎士を引退し、北の国に嫁いだ。

 それが今から5年前のこと。それからは季節ごとに近況の手紙は来るけど、一度も会ってはいないし、こちらからは連絡も取っていなかった。

 

 ――父と母のことを知ったら、悲しむに違いない。


 いや、と私は思う。

 きっと、彼女は笑うだろう。


「大丈夫ですよ、わたくしがいます」


 笑って、何の心配もいらないと、強く抱きしめてくれるに違いなかった。






 家の中に入ると、ティシィがテーブルの上で筆を走らせていた。

 何を書いているのかと背後から覗き込めば、5日前から今日までの日付と出来事、さらに、これから何をするのかを箇条書きにしている。

 ラーレルの目的、ピイの正体、赤龍の意図、結晶石の奪還――そこまで読んで、私は瞬いた。


「結晶石、奪還するの?」

「したいんだけどね」


 筆の柄を頬に当て、ティシィが答える。私はくすりと笑った。


「ということはしないのね」

「候爵次第かな」


 それは、侯爵を間に挟んだ以上、彼を無視して勝手に動くわけにはいかないから。

 逆に、手段はともかく、侯爵が知らなければ奪還は簡単だったに違いない。

 ティシィはため息をついた。


「結晶石が宝物庫ではなく、王の手元にあれば重畳ってところね。とりあえず、赤龍の伝言だけでも得られる方向で動いてくれるといいんだけど……」


 ぶつぶつとつぶやいているティシィに私は苦笑した。

 そう思うのなら侯爵に伝えればいいのに、それをしなかったのはティシィが彼を試しているから。もしセラ侯爵が使えないと判断すれば、ティシィは彼を無視して行動するだろう。


 ――でも。


 その点についての心配はしていなかった。

 私たちは待っているだけでいい。早ければ、今夜中か明日にでも結果は出るはずだ。


 結晶石のことは二人に任せることにして、私は自分のできることを、と箇条書きの一文を指で叩いた。


「ラーレルには私が会うわね」

「アリス」


 渋い顔をするティシィに私は笑う。


「そのほうが早いもの。心配なの?」

「心配はしてない。ただ、会わせるのが嫌なだけ」


 不本意という表情が顔に出ているティシィに苦笑して、私は身をかがめて彼女の頬に口づけた。


「ラーレルもティシィを敵にしたりはしないわ」


 大丈夫よ、ね? と笑えば、ティシィは目を据えたまま、肩の力を抜いて息を吐いた。


「わかったわよ」


 でも、と睨まれた。


「アリスに何かあれば、私だけじゃなくて、セラ侯爵家とセティス公爵家も敵に回すことを忘れないで」

「ん?」


 私は首をかしげた。


「セラ侯爵家はわかるけど……。なんでセティス家?」

「アリスに何かあってリリアナ様が黙っていると思うの」

「ああ……そうね」


 了解、と私は右手を上げた。


「確かに、怒らせたらリリアナ様のほうが怖そう」


 にっこり微笑んだ美貌の公爵令嬢が、クルセイド商会会長の胸元に拳を繰り出すという普通ではありえない光景は、簡単に想像することができた。

 セラ候爵のように大柄で鍛えられた肉体の持ち主ならともかく、小柄で細身のラーレルでは、うっかり胸部骨折や内臓破裂で死んでもおかしくない。

 想像して、ゾッとした。


「心得るわ」


 私は背筋を伸ばして神妙に答えた。






「アリスリス・メディ様、お届けものでーす!」


 門の外から妙に明るい声で叫ばれたのはティシィが帰ってからだった。

 はあーい、と私も明るく返事をして玄関を出ると、警団にも所属している顔見知りの青年が二人、にこやかに笑って立っていた。


「クエルス商会と雑貨ヒッサからの荷をお届けに上がりました!」

「ありがとう。運んでくれる?」


 昼に立ち寄った店から、時間指定で頼んでいた荷物が届いたのだ。

 荷物を居間に運んでもらっていると、目覚めたピイシェが男たちの登場に驚き、飛び上がった。


「りちゅ!」


 金色の瞳が私を見つけると、ものすごい勢いでスカートに突っ込んできた。


「あらあら」


 両足をぎゅっとつかまれ、スカートに埋もれた身体はすっぽりと隠れてしまう。


「アリス様」


 よろけた私をマイリィが慌てて支えてくれた。


「ありがとう」

「いえ――」


 マイリィが不思議そうな顔でピイシェを見ている。


「どうしたんでしょう」

「大きな男の人が怖いみたい」

「人見知り……でしょうか」

「そうかもしれないわね」


 私はピイシェの頭を優しく撫でた。

 いったい、どんな目にあったのだろう。男たちに怯えてはいるが、震えるほど怖がっているわけではないのが救いだ。

 大丈夫よ、と労わりつつ、もれたのは苦笑。


 ――フォルディス様と一緒に守ってくれるんじゃなかったの?


 まあ、確かに、と思う。

 セラ侯爵が一緒にいたら、どんな怖いことだって克服できそうな気がするけれど。


「大丈夫よ、ピイシェ。このお兄さんたちもフォルディス様と同じ。顔を出して、ちゃんと覚えてもらいましょう? ね?」


 顔を覚えてもらえれば、気さくに声をかけてもらえるし、道で迷っていたらちゃんと送り届けてくれるのだから。


「……りちゅ」


 おずおずと顔を上げたピイシェに、私は微笑んだ。


「大丈夫」

「……」


 ピイシェは、子供の目線に合わせて腰を下ろした男たちを見つめた。ぎゅうう、と私の足をつかむ腕に力が入る。彼らが敵か味方かを真剣に見定めているのだろう。それに対し、男たちは挑戦的に笑った。それは、近所の子供たちを相手にするときと変わらない笑みで。


「よう」


 と気軽に声をかける。

 そこに悪意はまるでない。

 ピイシェの腕から徐々に力が抜けた。それがわかったのか、男たちは口角を上げ、今度は優しい笑顔を向けてきた。

 私はホッとして、二人に説明した。


「一緒に暮らすことになったの。どこかで迷っていたら保護してあげて」

「この子も迷う子ですか」

「え?」

「一緒にいるときも声をかけたほうがいいですか?」

「え?」


 どういう意味だろう、と私が考える前に、二人は了承してくれたのだが、笑いをこらえる様子だったのがなぜか気になった。

 警団の二人が帰った後、ピイシェが選んだ座布団を取り出すと、幼子は人外の奇声を上げて、ちょうだいちょうだいと、ぴょんぴょんと跳ねた。

 私もマイリィと一緒にきゃっきゃと騒ぎながら荷物を開ける。今回は私が勝手に選んでしまったけど、これからはマイリィと一緒に買い物をしたり、彼女一人で買ってもらうことも多くなるだろう。

 これが貴女のね、とマイリィのために用意したカップや皿を渡すと、そばかすの散った頬が嬉しそうに紅潮した。

 あの、あの、と恥ずかしそうに私の袖を掴む。ありがとうございます、と小さく呟いた声に、笑みを返した。


「マイリィ、これからよろしくね」

「わたしこそ! これからよろしくお願いいたします」


 私は微笑んで、マイリィの頬にそっと触れた。


「覚悟してね。私のお世話は大変よ?」

「大丈夫です」


 マイリィは大きく頷いた。

 自由奔放なネイのお世話をしていた優秀な妹だ。それは彼女にとっての自信にもなっているだろう。


「任せてください!」


 胸を張るマイリィの目は爛々と輝いていた。






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