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27話 落とし者。

 

 

 王宮にある結晶石のことはセラ侯爵が調べてくれることになった。

 帰るために立ち上がり、何かわかったらすぐに知らせる、と言った侯爵が、立ち止まったまま黙り込んだ。


「フォルディス様?」


 見送りのために立ち上がった私が首をかしげると、彼はゆっくりと視線を私に向けた。


「……」


 物問いたげに見るので、何ですか? と笑うと、ため息混じりにつぶやかれた。


「座ってくれ」

「……はい」


 大人しく従った私は、侯爵の手を見て瞬いた。

 硬く握った拳。

 かなり緊張しているのだとわかる。


「ひとつ確認したいのだが」

「はい」


 何かしら、と視線を上げて侯爵の言葉を待つが、なかなか言い出さない。

 私は思わずティシィを見た。ティシィも侯爵が何を言い出すのか興味津々といった様子で彼を見ている。


「君の――」

「はい」


 慌てて振り返ると、静かな目が私を見下ろしていた。


「君の両親は、本当に亡くなった――。いや、死んだのか?」

「……」


 私は立ち上がって、侯爵を見上げた。侯爵の身長が高いせいもあるけど、座ったままだと首が痛かったのだ。


「なぜそんなことを?」

「……少し、君の事を調べさせてもらった」


 気まずそうな物言いだったので、私は微笑み、気にする必要はありません、と先を促した。

 侯爵は小さく息を吐いたが、口にした言葉はよく通り、はっきりと響いた。


「メディ子爵夫妻が亡くなったという事実がない」


 それに対する反応を期待していたのだろう。でも、私が何も答えずにいると、侯爵は仕方がないと言いたげに話を続けた。


「神殿にも王宮にも届けがない。子爵が亡くなっているのであれば、唯一の血縁者である君は成人と共に爵位を継ぐことになるが、後見人の届けもない。――これは、アークロット侯と連絡が取れないためだとわかったが」

「……フォルディスさま」


 私がようやく口を開いたので、侯爵は黙って待ってくれる。私の話す速度はゆっくりめなので、急かされることがないのは嬉しかった。だからだろうか、私は微笑んでいた。


「私が爵位を継ぐことはありません」

「爵位を返上するのか」

「いいえ」

「生まれた子に継がせるのか?」

「いいえ」


 私は両手を胸の前で祈るように合わせた。


「父も母も亡くなってはいないんですもの」


「……」


 何を言い出すのか、と侯爵の目が驚いたように私を見ている。


「やはり生きているのか。どこに――」

「両親は他界しました。だから、今、この世界にはいません」

「…………」


 侯爵の表情が困ったように揺らいでいる。細い目が私を憐れむように見ているのがわかって、ああ、勘違いされている、と私は焦った。

 どう説明すればいいのか。


「ふたりとも、生きています」

「そうか……」


 そうだな、と侯爵はつぶやいて、私の頭をよしよしと撫でた。

 私は首を横に振った。


「本当に生きているんです」

「ああ」


 君の心の中で生きているんだな、と言いたげな目をされている。

 違うんです、と私は主張する。


「他界というのは、ほかの界に渡ることで、ふたりとも違う世界に行ってしまっただけなんです」

「死後の世界ということか」

「違います!」


 私が叫ぶのと、ティシィが吹きだすのが同時だった。


「あはは!」


 ティシィがお腹を抱えて笑っている。


「……ティシィ」


 息を吐いた私が咎めるように口をへの字にしたら、ティシィは浮かんだ涙を拭って言った。


「ごめんごめん。なんだか二人のやり取りが可笑しくて」

「笑い事じゃないわ」

「両親は旅行中って説明したらどう?」

「旅行?」


 侯爵が眉を寄せた。


「やはり生きているのか」

「そうですね、正確には、亡くなってはいません」

「どういうことだ」


 ティシィは肩をすくめた。


「本当に旅行しているわけじゃないんです。わかりやすい例えとして言ったまで」

「ティシィ・メアル」


 はいはい、とティシィは肩をすくめた。侯爵の厳しい物言いにも怯む様子はない。

 ティシィはテーブルの上で腕を組んだ。


「セラ侯爵は、ナミ様が界渡りをすることはご存知ですか? 当然……」


 ご存知ですわよね、と優雅に微笑んだ。


「ナミ様が最初に〈落とし者〉としてこの世界に来たとき、保護したのは貴方のお祖母さま――先々代のセラ侯爵夫人ですもの」


 この世界とは別の世界が存在することを知らない者はいない。

 二重であったり、鏡のようであったり、双子であったり、孤立していたり、似たようで似ていない世界がいくつも存在しているが、通常は互いに行き来することは出来ない。

 ところが、稀に空間の溝や境目、穴や綻びなどから繋がってしまうことがある。

 界を越えて来た「物」を〈落とし物〉といい、「人」を〈落とし者〉という。


 ナミ・チトセがそうだった。


 彼女が普通の〈落とし者〉と違ったのは、この世界で「旅人」と呼ばれる界渡りだったこと。

 ナミ・チトセがこの世界に来たのは事故であり、偶然だったにしろ、彼女には自分の意思と力でいくつもの界を自由に渡ることが出来るだけの力があったのだ。


 いくつもの『界』を守護する世界の住人。――それは、古代から伝わる神話や伝説の中の登場人物が現れたに等しかった。


「この家の地下に、〈門〉があります」

「……!」


 私の言葉に、侯爵が驚いて軽く口をあけた。


「〈門〉が……!?」


 なぜ、そんなものが、と侯爵の表情が驚愕に揺れる。

 私は、侯爵が〈門〉を知っていることにホッとしていた。

 でなければ、一から説明しなければならなかったから。

 門といっても、家や城の門とはわけが違う。

 異世界への扉とも言われる〈門〉――それを通れば、召喚することなく誰でも界を越えることが出来るのだ。

 だがそれは一方通行ではなく、双方に通じる危険な代物だ。

 友好ではなく、悪意や侵略の意思や意図を持って通れば被害は計り知れず、通じた〈門〉の先が人外の世界であることも多い。

 渡った先の空気や重力の違いで命を落とすこともあれば、それこそ人ではない「何か」に身体が変わってしまうこともある。魔物や魔獣、邪気による精神異常者や疫病はそうして現れるとも言われていた。


「固定された〈門〉があるというのか」


 ――ここに。


 この王都に。


「ナミ様が――?」

「お祖母さまが作ったのではありません」


 界を渡ることが出来る「旅人」が、〈門〉を通ることはあっても作ることはない。


「お祖母さまは、この世界を作った神々の世界に通じる〈門〉だと言っていました」

「……!」

「〈門〉を閉じるのは簡単ですが、閉じない方がよいとも」

「な――、なぜ」

「神々が帰れなくなります」


 あっさりと口にする私に、侯爵は言葉もない。

 私は微笑んだ。


「常時開通しているわけではないんです。こちらからは『戻る』ためにいつでも利用できますが、向こうからは『入る』ための決まりごとのようなものがあるみたいで、邪気がもれるといった危険なこともありません」

「……」

「安定している〈門〉なので、こちらから向こうに攻め入るようなことがなければ、この世界が滅ぶようなこともないんですよ」

「……」


 血の気を無くした侯爵が心配で、私は彼に近寄り、その手を取った。


「お祖母さまが結界を張っているので、悪意を持つ者は〈門〉を渡ることが出来ないんです。安心してください」

「……安心?」

「できませんか?」


 血の気が引いた顔とは逆に、大きな手はとても熱かった。それは、私がとても冷えていたことを意味する。それに気づいたのか、侯爵の顔に血の気が戻ってきて、私の手を握り返してきた。


「母が」


 私はつないだ手にもうひとつの手を重ねた。


「母が、落ちてしまったんです」

「落ちた……」


 鸚鵡返しのようにつぶやき、やがて侯爵が驚く気配が伝わってくる。


「エセルシア・メディ子爵夫人が? 〈門〉に――?」


 私は静かにうなずいた。


「父がすぐに後を追いました」


 ――あの時。


 なぜついて行かなかったのだろうと今でも思う。

 一緒に行くぞ、ではなく、一緒に行くか、と言われて、私は首を横に振ったのだ。


 ――私はここに残ります。お父さまは行って……!


 とっさに口にしていた言葉。

 あの短い時間で、父と行くか、それともこの世界に残るかを迷う余裕はなかった。


 私は残る――それが意味することをわかっていたはずなのに。

 それが永遠の別れになることもわかっていたはずなのに。


 私を力強く抱きしめて「愛している」と言った父に「私も」と返した。

 私の額に口付け、頬を両手で包んで「行って来る」と笑った父に、私も「行って来て!」と笑った。


 母を追って、私の目の前で〈門〉に消えた父の姿が今でも目に焼きついている。


 ――なぜ。


 一緒に行かなかったのだろう。

 あの時、迷わずに行くことを決めた父と違って、私はためらってしまった。


 ――なぜ?


 今でもわからない。

 今でも考える。


 でも、選んだのは自分だ。


 侯爵は息を吐いた。


「君のご両親は、界渡りしたのか……」

「はい」

「いつ……戻る」

「……」

「……」

「……」


 侯爵のもうひとつの手が、私の頬に触れた。


「……戻ることは出来ないのか?」


 労わるような声が優しく響いた。

 私は静かに首を振った。


「向こうの世界で〈門〉が開けば、……開くことができれば、すぐに戻ってこられます」

「どれくらいかかる」

「向こうの世界では……、5年」


 たとえ、お祖母さまがいても、その年数だけは変えることが出来ない。

 だから、落ちるんじゃないよ、と言われていたのに。


「……向こうの世界、では?」


 侯爵が静かに確認してくる。

 向こうの世界で5年なら、こちらでは――? 

 私はゆっくりと息を吸って、吐いた。

 そして告げる。

 二人がこの世界に戻るのは――。


 ――120年後。


 私の言葉に、軽い沈黙が走った。


「……120、と言ったか」

「はい。すでに2年経っているので、正しくは118年後です」

「それは――」


 侯爵が唖然とつぶやいた。


「長生きしないといけないな」

「まあ……」


 私は目を丸くしてしまった。侯爵を見上げ、可笑しさがこみ上げてきて小さく笑ってしまう。


「そうですわね」


 胸に暖かい何かが広がっていく。

 くすくすと笑う私に、侯爵も肩の力を抜いたのがわかった。

 私の頬を包む手が暖かい。その優しさが嬉しくて、私は少しだけ甘えるように侯爵の手に頭を寄せた。

 目を閉じて、ふふ、と笑う。


「私は会うことが出来ませんが、きっと私の孫やひ孫が迎えてくれます」

「……そうか」


 侯爵の声が優しく響いた。


「これから先、君の隣には誰が立つのだろうな」

「――さあ」


 私は小さく笑う。

 それがおっきなお兄ちゃんであればいいけれど。

 

「それが私ならどうだろう」

「――」


 驚いて目を開ければ、優しい目が私を見下ろしていた。

 まっすぐな言葉に、自然と頬に熱が集まってしまう。

 その言葉に深い意味はないのだとわかってはいるけれど。


 ――そうだと、いいな。


「君には……、君たちには、私の知らない事実がまだたくさんあるんだろう?」


 はい、と私がうなずくと、侯爵が笑う。


「素直だな」

「知りたいのですか」


 侯爵を見上げれば、彼は目を細めた。


「君が話してくれるのならば喜んで聞こう。だが、無理に聞こうとは思わない」


 頬を包む手が角度を変えて、親指が私の唇をそっとなぞった。そして、私の頬をむにっとつまむ。


「!?」


 ――何。


 その顔が可笑しかったのか、侯爵は小さく声を出して笑った。


「フォルディス様」


 睨む私に侯爵は苦笑して、わざと聞こえるような息を吐いた。


「君と再会して一週間にも満たないというのに、驚かされることばかりだ。――だが、私が驚くような事実も、君たちは当然のように受け入れている」


 侯爵は再び私の頬を包んで、指だけで優しく叩いた。


「今までがそうであり、これからもそうなのだろう。私が知らないだけで、今まで君たちの周りではたくさんのことが起こり、それを淡々と解決していたはずだ」


 そうだろう? と問われて、私はうなずいた。

 今、と口にした侯爵の顔はどこか寂しそうに見える。


「今、私がここにいなくても、手助けしなくても、今回の件に関しても、君たちは簡単に解決してしまうに違いない」


 私は慌てて首を横に振った。


「そんなことは……」

「いや、それでいいんだ」


 それでも、と彼はまっすぐな目で言う。


「私の手や名が必要であるなら、いつでも貸す。君の剣となり、盾となる。それだけは覚えておいてくれ」

「……」

「いいね」

「……はい」


 ありがとうございます、と私は小さく頭を下げた。

 侯爵は私の頭に手を置いた。


「忘れるな、私は君に忠誠を誓った騎士だ」

「あ。――はい!」

「いい返事だ」


 はは、と笑って、侯爵は私の額に口付けを落とした。






「侯爵」


 玄関まで見送る私の背後から、椅子に座ったままのティシィが声をかけた。

 今まで黙っていたのに、と私は驚いて振り返った。


「ひとつ、私から助言を」


 侯爵も立ち止まって、ティシィを見る。

 彼も無表情だけど、ティシィも笑みのひとつもなく彼を見ている。


「貴方は、宰相には向いていません」


「ちょ、ティシィ」


 私は驚いてティシィを止めようとしたけど、彼女は組んでいた腕を解いて言い放つ。


「それを、ご自分でもわかっているのでしょう?」

「……」

「アリスもそう思うわよね」


 ティシィの言葉に、何で私に聞くの、と引きながらも、私は侯爵を見上げた。


「え、っと、その」

「言いたいことを言えばいい」

「……私も向いてないと思います」

「そうか」


 淡々と答える声には感情がなかった。

 そのまま踵を返すので、私は慌てて侯爵の袖をつかんだ。


「適しているかいないかじゃなくて、向き不向きの問題なんです」


 それはおそらく、彼の周囲の人もわかっているはずで。


 侯爵は守り人だ。

 本来、王の側にいるはずの人。

 それが、侯爵家を継いだばかりとはいえ、2年もの間、主の側を離れていたのだ。それは、彼が守り人であることを考えれば、明らかに異常なことだった。


 助言、とティシィは言った。助言が必要だ、と判断したことになる。

 自分でもわかっているとティシィは言った。なら、私が言うことはない。


 ――ないけど。


「王を支える手は、ひとつではありませんよ?」


 そんなのは当たり前のことで。

 でも、私の言葉に侯爵が軽く驚いたのがわかる。

 その顔は、私の頭に乗った手ですぐに見えなくなってしまったけれど、彼の手はやっぱり暖かくて。


「ああ」


 その通りだ、と言った声が穏やかだったから、私はホッとしたのだった。






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