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23話 見えし者。

 

 

 ティシィがここにいたら、目をキラキラさせている私に呆れただろう。

 それとも、一緒に目を輝かせてくれたかしら。


「私、幽霊を見るのは初めてです」

「幽霊か……」


 侯爵が苦笑した。


「ずいぶんと嬉しそうだが、幽霊は好きか」

「はい」

「……確か、リズの本に幽霊を主人公にしたものがあったな」

「!」


 驚いて顔を上げると、優しい笑みが返ってくる。


「タイトルは……」


 侯爵は記憶を探すように目を閉じた。


「……『優しい幽霊』だったか」

「はい」


 古今東西、怖い幽霊の話が多いけど、優しい幽霊がいてもいいと思って書いた物語。

 困った人を見つけると放っておけない幽霊の青年が、人や動物、他の幽霊を助け、街に光を、そして人の心を癒していく短編シリーズだ。


「今度読んでみよう。――リズの本は読んでもいいのだろう?」


 どこか楽しそうな声音に、私は微笑んだ。


「王宮や貴族の屋敷、古い家屋には幽霊が付き物だと、父が」


 小さな頃、ティシィと一緒にメアル伯爵家の幽霊を探して夜中に徘徊したのは懐かしい思い出だ。

 怖い話を聞くと眠れなくなるのに、話を聞くのは好きで、お化けや幽霊を見たがる私を両親は呆れていたけど。


「セラ侯爵家の幽霊は騎士なのですね」


 侯爵が苦笑した。


「期待しているところ申し訳ないが、幽霊ではない」

「……違うのですか」


 私は首をかしげ、その視線を黒衣の騎士に向けた。

 確認するように頭部から足の先まで見つめる。生地きじの繊維から髪の毛一本まで鮮明だった。


「足……、ありますね」


 しょぼん。

 肩を落とした私は、ハッとして顔を上げた。


「もしかして、生霊でしょうか!」

「いや。――君は本当に」


 侯爵が小さく吹き出し、声を出して笑った。

 大きな手が私の頭を撫でる。さっき、私が侯爵の頭を「よしよし」したみたいに。

 あまりにも心地いいから、目を瞑ってされるがまま。わんこがご主人様に頭を撫でてもらうとこんな気持ちになるのかもしれない。

 懐かしくて、くすぐったくて、心地いい。

 二年前に失ってしまったもの。

 髪の輪郭をなぞるように下りてきた手が肩に触れた。

 目を開けて侯爵を見上げれば、穏やかな目が私を見下ろしていた。


「霊から離れてくれ。とりあえず、送ろう」


 ありがとうございます、と返して、頭から離れた手を少しだけ寂しく感じてしまう。


 ――もっと撫でてくれたらいいのに。


 黒衣の騎士は、珍しいものでも見るかのような無遠慮な視線を向けてきたけど、始終無言のまま、一足先に踵を返した。

 しかも、玄関の戸を開けるのではなく、激突――しないで通り抜けていく。


「あ――」


 思わず声をもらしてしまった。


 ――やっぱり幽霊……!?


「どうした?」

「フォルディス様! あの方、扉を通り抜けましたわ」

「ああ――、君には見えるのだったな」


 私はピイシェを片腕で抱くと、玄関の扉に右手を当てて、ぐいと押してみた。

 さっきは溶けるようにすり抜けて行ったのに――。


 ――どうなっているのかしら。


 ぐいぐい、と扉を押していたら、


「もういいか?」


 侯爵が可笑しそうに聞いてくる。


「あ、……はい」


 恥ずかしくて、私はうつむいたまま扉から離れた。

 外に出れば、すでに馬車が用意されていて、御者は黒衣の騎士が務めるらしい。

 身体は透けていないし、影もある。


「お嬢様」


 執事さんに促されて、ピイシェを抱いた私が先に乗り込み、侯爵が向かいに座る。

 侯爵の背後、頭の横にある小窓から御者の後姿が見えた。


「いってらっしゃいませ」


 執事さんが扉を閉めて出発の許可を出すと、馬車が動き出した。

 私は御者台が気になって仕方がない。


「フォルディス様、あの方、他の人には見えないのでは?」


 御者のいない馬車が動いていたら怪談の誕生だ。

 それはそれで楽しいけれど。


「今は見えている」

「今は……」


 私は首をかしげた。


「どういうことですか」

「それはこちらの台詞だな。なぜ君には見える」

「……はあ」


 なぜ、と言われても困る。

 曖昧に笑って、私は腕の中で眠るピイシェの顔を見つめた。

 半開きになった口からは静かな寝息が漏れている。

 大福のように柔らかい頬。頬の辺りがうっすらと白く浮き上がっていた。ミルクかしら、とよく見たら産毛で。

 可愛い、と和んでしまった。

 ふふ、と笑ったそのまま、私は侯爵を見つめた。


「先ほど、あの方のことを〈影〉……とおっしゃっていましたけど、お名前ですか」

「通称みたいなものだ。セティス家に影のように付き従っている一族の者をそう呼んでいる。本来、遁甲した姿は見えない……」


 はずなのだが、と小さな呟きが聞こえる。

 私には見えているので、むしろ見えない状態というのがどういう感じなのか想像しにくい。

 目の前で切り替わりを見せてくれたら違いがわかるのかも知れないけれど。


「フォルディス様は見えていらっしゃるのですよね」

「いや」

「……」


 ――え?


「見えないのですか」


 私は瞬き、驚いてしまった。

 侯爵は穏やかな目のまま口角を上げた。


「気配はわかるが見えないな。見えなくとも、いるのはわかるので不便はない」

「はあ……」


 そんなものなのだろうか。

 やっぱり幽霊みたい。


「今のように、姿を見せることもあるのですか」

「君には隠しても意味がないから言うが、普段は見えている」


 私は首をかしげて、なるほど、了解した。

 仕事中とか、人がいるときや来客中は姿を隠すのだろう。

 東方の大国ケセラドの王女シアンにも、〈しのび〉と呼ばれる者たちが付き従っていた。セティス家にとって、〈影〉というのは隠密行動をする裏方の使用人なのだろう。

 しかも、さっき姿が見えないことを「遁甲」と言っていた。彼が幽霊ではないのだとしたら……。


「〈影〉の方たちは、地の精霊使いなのですね」


 気づけば、不思議なことなど何もない。しかも、遁甲が出来る力の持ち主は、上級の精霊使せいれいしだ。

 遁甲する術にはいくつかの方法があり、精霊使いの場合は精霊に溶けて同化することが多い。

 溶けるというのは、その名の通り、風や水、火や土、光や影に姿が溶ける。 


 ――木の葉を森に隠すのが魔法使いなら、木の葉を木の葉に隠すのが精霊使いだ。


 それはお祖母さまの言葉。

 精霊と精霊使いには相性があり、通常は一種、多くて二種の精霊を使役することができる。でも、お祖母さまの場合はそれに当てはまらない。

 最強の魔法使いにして、最強の精霊使い。そんな彼女も、地の精霊とは相性が悪かった。


 この国は守護神との関係もあるのか、風と水の精霊使いが多い。多いといっても千人にひとりかふたりだけど、ラリーのような配達人がそうであるように、神殿に仕えている神官の多くも精霊使いだ。

 その存在は、稀人まれびとと呼ばれるくらい珍しく貴重な人材だった。


「地の精霊使い?」


 不思議そうに首をかしげたのは侯爵で、逆に私のほうが驚いてしまった。


「え? 違うんですか」

「そうなのか?」


 疑問に疑問で返された。


 ――えええ?


「もしかして、知らなかった……とか」

「気にしたことがない」


 あっさりと口にされて、私は呆けた。きっと、間抜けな顔をしていたと思う。

 気にしたことがない、って。


「……そんなもの、ですか」

「そんなものだ」


 確かに、生まれたときから「姿は見えないけどそこにいる」者たちが、いて当たり前の生活を送っていたら、いちいち気にしたりはしないのかもしれない。

 地の精霊は、緑化や鋼化に優れた有限系統と、影化に優れた無限系統がある。〈影〉は後者だ。おそらく、その呼び名から、最初に契約したセティス家の当主は知っていたに違いない。

 ピイシェが赤龍の幼生だと伝えたときにあまり驚いた様子を見せなかったのも、それを信じるか信じないかではなく、端からそれを受け入れる精神的土台があったということなのだろう。

 でも。


「侯爵はあまり人に興味をもたれないのですね」

「……」


 侯爵はよくわからないのか、軽く首をかしげている。

 やっぱり鈍い……のだろうか。

 いや、それが「貴族」なのかもしれない、と納得する自分もいて。

 私の場合は、周りから「少しは落ち着け」と言われるくらい色々なものに興味津々だった。知ることが楽しくて、興味の赴くままに歩き、触れ、本を読んだ。

 貴族でありながら、貴族よりも庶民との係わり合いが多い私は、貴族然とした振る舞いや思考とは縁遠い。


「興味、か。君の事は気になっている」


 侯爵の視線はピイシェの顔に向けられていたけど、「君」が赤龍の幼生ではなく私を指すのはわかる。


「なぜ〈影〉が見えるのか」


 視線が私に向けられた。

 心臓が高鳴って、それをごまかすように小さく笑った。


「不思議ですね」


 幽霊や精霊を見ることが出来たら、もっと素敵なのに。


「……」


 侯爵は何か口にしようとして、薄い唇を閉じた。言おうか、言うまいかを迷い、後者を選んだのがわかった。

 そして、それを口にしないまま、溜め込んでしまうに違いない。


「聞きたいことがあるのでしたら、遠慮なくどうぞ」


 先を促せば、侯爵は溜め込んだ息を吐いた。前かがみになって、膝の上に肘を置く。先ほどよりも近くなった視線がまっすぐに私を捕らえた。


「……君のほかに、〈影〉が見える者を知っている」


 私だけに聞こえるように話す静かな声は耳に心地よくて、心の奥に響いてくる。


「ナミお祖母さまですか」

「いや、ナミ様も〈影〉の気配はわかっていたが、見えてはいなかった」


 10年前に初めて会ったときも、私が気づかなかっただけで〈影〉はいたのだろう。


「姿が見えないと攻撃したくなるから姿を見せろ、と言われて」


 侯爵は苦笑する。


「見せずにいたら、本当に攻撃されて、以降はずっと姿を見せていた」

「まあ」


 私も苦笑してしまった。いかにもお祖母さまがしそうなことだったから。


「セティス公爵は見えるのですか?」

「祖父にも〈影〉は見えない」

「では……」

「見えるひとりは、カインシード陛下」

「……」

「もうひとりは、アレフレット殿下」

「…………」


 笑みをなくした私に、探るような視線を向けてくる。


「そして、君の父上にも〈影〉は見えていた」


 侯爵は迷いのない声で言った。


「君は王家の血を継いでいる」






 私は意識して微笑んだ。


「なぜそう思うのですか」

「君がどこまで知っているのかわからないが、少なくとも、先日、アレフレット殿下とお会いして気づいたはずだ。君の父上と容姿が似ていると」

「……髪と瞳の色は同じですね」

「陛下とはもっと似ている」

「陛下とはお会いしたことがないのでわかりません」

「見ればわかる」


 私は小さく笑った。

 この国に、この世界に、父と同じ色の髪と瞳の人間がどれだけいると思っているのだろう。

 私のときもそうだ。

 10年前に出会った少女と髪と瞳の色が同じだから気になったと言う彼は、もしかすると、人の判別を髪と瞳の色でしているんじゃないかと疑いたくなる。

 私は小さく息を吐いた。


「フォルディス様は、父と会ったことが?」

「5.6年前だが、古代ルエスタールの文献について解読を依頼した折、書庫へ案内したことがある」

「……そうですか」


 王族の容貌は噂で聞くだけで、絵姿でも見たことがない。王族に生まれた子も「御子」とだけ呼ばれて、10歳まで性別すら明らかにされない慣わしだ。


「父は……、先王陛下と似ていました?」

「いや」


 彼はどこまで知っているのだろう。

 セティス公の孫である彼は、どこまで知らされているのだろう。


 ――否。


 知っていれば――。

 知らされていれば、私に問うはずがない。

 知らないから問うのだ。


 40年前の出来事。


 真実を知っている人の多くはすでに亡くなっていて。

 マリーベル様には、私が知っていることは多くないと言った。

 でも、本当はもっと詳しく聞いて知っている。おそらく、マリーベル様が知らないことさえも。


「フォルディス様」


 胸が高鳴った。

 先王レオンハルト従妹姫セレスティーナ、セティス家と魔女ナミの複雑な関係を、彼は知っているのだろうか。


 セティス公爵には弟がいて、王女セレスティーナの婚約者であり恋仲であったこと。


 二人を裂いたのが王であったこと。


 生まれた実子の命を奪おうとしたのが王であったこと――。


「君の父上は、ナミ様とレオンハルト様との間に生まれた子供じゃないのか」

「………………」


 ――ん?


 私は軽く首をかしげた。

 ナミ様と、レオンハルト様?


 ええと……それって……。


「お祖母さまと……先王陛下?」


 ――え?


「違うのか」


 ――えええ、ええ!?


 違う違うと、私は頭を横に振った。


「それはないです。絶対にないです。え? ええ? どうして?」


 思わず笑いたくなってしまう。


「そんなこと、お祖母さまに聞かれたら八つ裂きにされてしまいますよ」

「……」


 侯爵は難しそうな顔をしている。


「違うのか」

「違います違います! ――やだ」


 可笑しくて笑っていたら、ピイシェを起こしてしまった。


「りちゅ……?」

「ああ、ごめんなさいピイシェ。うるさかったわね」


 ピイシェの額に口付けた。


「まだ眠いでしょう、寝ていていいのよ」

「ん……」


 こくんと頷くと、そのまま重そうな目が閉じてゆく。

 私は暖かい身体をよいしょと抱きなおして、侯爵を見て微笑んだ。

 さっきの笑みは作ったものだけど、今度は自然と笑ってしまう。


 ――お祖母さまと先王陛下が恋仲……?


 考えただけで笑いたくなる。

 確かに、事情を知らない人が推測したら、そういう結論が出てもおかしくはない。

 ナミ様と王宮との確執。

 メディ家への不干渉。

 ナミ様と先王陛下との間に何があったのかを詳しく知る者は少なく、王と王妃セレスティーナの子が「王女」と公式発表されている以上、それを疑わない限り、父は「王とナミ・チトセとの子」と考える者がいても不思議ではなかった。

 実際、ナミ・チトセの養子であることは隠していないのに、ジンは周囲からナミ・チトセの実子と思われていて、父親は不明なのだから。


「そう思われても仕方がありませんわね」


 くすくすと笑ってしまう。おそらく、ナミ・チトセを知っている者たちが聞けば、吹きだして笑うだろう。ありえない、と。

 ありえないことだから、考えもしなかった。


「ずっと疑っていらっしゃいましたの?」

「違うのか」

「違います。メディの名に誓って」

「違うのか……」


 どこか憮然とした表情で、侯爵はため息をついた。

 手を伸ばして、頭を撫でてあげたい気持ちになってしまう。


「もしかして、そう思っていらっしゃる方は多いのでしょうか」

「多い」

「あらあら」


 それは困った。

 話を聞くだけなら笑い話で済むけど、実際にそう思う人が多いとしたら、笑い話では済まされない。

 父の容貌が王族に似ていることに気づいた者は、なおさらそう思ったに違いない。

 侯爵の場合、王族だけが見える〈影〉の姿が、父や私にも見えたことで確信したのだろう――。


 私はそっと息を吐いた。


 ジン先王レオンハルト従妹姫セレスティーナとの間に生まれた「王子」であることを知っている者がいて。

 エセルシアを「失われた王女」だと勘違いしている者がいる。

 さらに父が先王とナミ・チトセとの間に生まれた「隠し子」だと考えている者がいるとしたら――。


 真実はひとつだけど、彼らは皆、アリスリス・メディは王家の血を継ぐ者である――という認識なのだ。


「陛下は……どう思っていらっしゃるのでしょうか」


 父に似ているという若き王。


 今ならわかる。ティシィが出会った貧乏貴族の三男坊――、それが、誰であるのか。




 ――会ってみたいな。


 ふと、そう思った。

  





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