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21話 相談しよう。

 

 

「君は……」


 応接のソファーに座った私とピイシェに対し、セラ侯爵は窓際に寄って外を見ながら口を開く。


「アークロット侯と知り合いなのか」

「はい」


 あっさりと答えると、漆黒の瞳が私を見つめた。

 さっきまで浮かんでいた穏やかな笑みはない。感情をなくしたような冷ややかな視線に、彼のことを知らない人が見たら、それだけで怯んでしまう気がした。

 私は一瞬ドキリとしたものの、彼が優しいことを知っているので、それに怯むことはない。


「私の後見人です」

「後見人?」

「父の親友でした」


 親友、などと言ったら、二人とも渋い顔をするかもしれない。

 父のほうが年齢は上だけど、母を挟んで恋敵だったのだ。


 ――セインおじさまが結婚しないのは、いまだに忘れられない人がいるからだ。


「後見人がいたのか……」


 つぶやくような声に、私はうなずいた。


「両親に何かあれば、アークロット侯爵が後見人になることは以前から決まっていました」

「……セバスから、一人暮らしで後見人もいないようだと聞いたが」


 彼の口調から、私の生活を憂う響きを感じ取って嬉しくなる。

 でも、もれたのは苦笑だった。


「いないようなものなので……」


 説明を求めるような視線に笑みを返し、私はおとなしく話を聞いているピイシェを見つめて、その髪を優しく梳いた。

 私の周りには、赤い髪の人が多いことに改めて気づく。

 セイン・アークロット侯爵も、目を奪うような赤い髪の持ち主だった。若い頃には近衛にもいたというが、人目を惹く容貌は、二歳年下の従兄弟と共に近衛の花として有名だったらしい。多くの女性を魅了する「美貌」を本人は嫌がっていたけど、私にとっては陽気で楽しい「おじちゃま」だった。


「三年前から連絡が取れずにいます。二年前に両親の他界を知らせたときにも……音沙汰がなくて」


 今でも定期的に近況を知らせる手紙を送っているが、それに対して一度も返事がない。


「……」


 侯爵を見上げれば、なにやら深く考え込むような険しい顔をしている。

 私は首をかしげた。


「フォルディス様は、アークロット侯爵とお会いしたことが?」

「直接話したことはないが、とても好感の持てる方だった」


 そうなのです、と私は微笑んだ。

 おじさまが多くの人に好かれていることは、私にとっても嬉しいことだった。

 侯爵は腕を組み、窓枠にもたれた。


「三年前ということは、アークロット侯がファステアの大使になってからか」

「はい」

「連絡がない? 一度もか」

「……はい」


 ティシィとは「亡くなっているのかも」と笑って話すけど、それはおじさまが亡くなっているわけではないことを知っているから言える冗談だ。

 手紙の返答がないことを疑問に思い、アークロット侯爵家に問い合わせたけど、侯爵家にはきちんと連絡と指示が来ているとのことだった。

 大使としての任務もきちんとこなしている。王宮への定期的な連絡は届いているのだ。でなければ、今ごろ大問題になっているだろう。


 ――なぜ、私にだけ連絡がないのだろう。


 ティシィは、セイン・アークロット侯爵が実は亡くなっているという替え玉説を主張したが、ファステアの王宮に実際行った者に話を聞けば、笑って否定される始末。

 早く帰国したい、帰国させろ、とぼやいているらしいが、ファステアの王宮では若い王女や小さな王子に慕われ、宮殿でも貴族の令嬢やその親に囲まれているという。

 ナルディア国において、その地位と才覚、容貌、性格の良さから独身女性の視線と好意を一身に集めていたアークロット侯爵は、自身が結婚するか、カインシード陛下が結婚するまで国には帰してもらえない、という噂すらあった。

 要は、父に言わせると「陛下の婚姻の邪魔」というわけだ。


「いろいろと……忙しいのかもしれません」


 私が苦笑すると、彼も小さく苦笑した。


「……そうかもしれないな」


 同意はしてくれたけど、何か他に言いたいことがありそうだった。

 忙しいからといって、私からの手紙を無視するような人ではないことを知っているのだろう。


 扉を叩く音がして、侯爵が許可を出すと、執事さん自らが紅茶を運んできた。台車の上に、私が持参してきたパイと紅茶のセットが乗っている。


「おもたせで申し訳ないのですが」


 老執事はにっこりと笑って、台車を応接セットの手前に置いた。


「旦那様、このパイはお嬢様の手作りだそうですよ」


 侯爵の視線が私に向けられ、なぜか頬に熱が集まるのを感じてうつむいた。


「お口に合うといいのですが……」

「君が作ったのなら美味い」


 さらりと口にするので、顔が赤くなってしまった。

 そういえば、彼はお祖母さまの料理を知っているのだ。

 まだまだお祖母さまの腕には届かないことは自覚している。味を比べられたりはしないだろうけど、気恥ずかしかった。


「先日のクッキーも美味しかったが、あれも君の手作りだろう」

「はい」


 ――食べてくれたんだ。


 嬉しくて胸が弾んでしまう。

 胸の奥が暖かくて、ほわほわと浮かれる私を見たら、ティシィは笑うだろうか。

 執事さんは私たちのやり取りをニコニコしながら見守っていたけど、一礼するとそのまま下がってしまった。

 給仕をしないまま下がったので、何か忘れたものでもあったのかと思っていたら、侯爵が近づき、切り分けたパイが乗った皿をテーブルに置き、自ら紅茶を入れ出した。


 ――え!?


「フォルディス様、私が――」


 慌てて立ち上がった私に侯爵は口角を上げた。座っていなさい、と言う。


「でも」

「いいから。君は客だ」

「でも」

「軍人なら出来て当たり前のことだから気にするな」


 気にするなと言われても。


 ――気になります……!


 騎士はいきなり騎士になるのではない。見習いや従士期間中に、礼儀作法を含めて一通りのことを習うことは知っていた。馬の世話や、馬具と鎧の手入れだけでなく、料理や繕い、洗濯、部屋の掃除までするのだ。

 父は騎士ではなかったけれど、家事は母よりも万能だったので、主人格の男性が給仕をすることにも違和感はない。

 でも――。

 そんなときは必ずお母さまがお父さまに「ありがとう」と言って、嬉しそうに口付けしていたのを思い出す。


 ――別に、しなくても、いいのよ、ね……?


 こういうときの常識が欠如していることに動揺した。

 どうぞ、とソーサーごと紅茶を渡されて、私は両手で受けとった。


「ありがとうございます」

「この子は砂糖入りのミルクで大丈夫か」

「はい」


 温めのホットミルクを受け取り、ピイシェの前に置くと、今までおとなしくしていたピイシェが元気に叫んだ。


「たっ!」

「……た?」


 首をかしげた侯爵に私は笑う。


「ありがとうございました、と」

「ああ」


 なるほど、と侯爵は笑う。

 ピイシェを見る目が優しく笑んで、侯爵は軽く一礼した。


「どういたしまして」


 それは見惚れるくらい優雅な仕草だった。

 きっと、ティシィがこの場にいたなら、私を見てニヤニヤしていることだろう。


「真っ赤よ」


 なんて言いながら。






「それで、相談したいこととは?」


 侯爵は私の向かいに腰を下ろしている。六等分に切り分けられたパイの一切れは、二口で侯爵の口に消えてしまった。

 もしかして、甘いものが好きなのかしら。

 私はソーサーを膝の上に置いた。


「この子のことです」

「ファステアにいるアークロット侯に連絡が取りたいのか」

「いえ」


 私は首を横に振った。

 もちろん、ピイシェに関係なく、セインおじさまと連絡を取りたいとは思っているけど。


「本当は、関係ないんです」

「ん?」

「この子と、おじさまです」

「隠し子ではないのか」

「たぶん」

「たぶん?」


 謎かけ論は好まないのか、侯爵は片眉を上げている。用があるなら早く話せ、と言いたいのかもしれない。

 私は苦笑した。


「父親が誰かはわかりませんので、可能性としては否定できない、とティシィが。でも、おそらく無関係だと思います」


 私はパイを頬張っているピイシェを見つめて微笑んだ。


「この子は、赤龍の幼生です」

「――」


 私は侯爵を見た。


「アークロット侯爵の隠し子と、赤龍の幼生。どちらの方が信憑性は高いですか?」

「……」


 侯爵の視線は、ピイシェではなく、私をまっすぐに見ていた。


「この子供が赤龍の幼生というのは本当なのか」

「七年前、私が誕生に立ち会いました」

「七年前?」

「人とは成長速度が違いますから」


 私は、彼の反応から、それを信じたと仮定して話し始める。


「昨日、エセル地区で保護されました。警団に届け出ましたが、今は私が預かっています」

「りちゅ!」


 美味しい、と言いたげに、頬を紅潮させたピイシェが元気に笑った。私は微笑んで、口周りについたパイのくずを拭く。


「この子が私を探していたのは間違いないようです。ただ、何者かに大切な石を奪われているみたいで……」

「石?」

「結晶石です」

「結晶石……」


 いまいちピンとこないみたいだ。侯爵の反応は鈍い。


「赤龍の血の結晶です」


 私はそれが赤龍の伝言を言霊にして刻んでいると思われること、さらに強い魔力を秘めた石であることを伝えた。


「ティシィは、魔力のある者が見ればそれが何かはすぐにわかるだろうと」

「悪用される可能性があるのか」

「むしろ、わからずにいるほうが危険です。拳ほどの大きさの魔石だとお考えください。しかも赤龍の血。使い方を誤れば、城のひとつくらいは一瞬で炎に包めます」

「――!」


 息を止め、驚いた侯爵の腰が軽く浮いた。

 でも、それとは逆に冷静なほど落ち着いた私の態度に、侯爵はすぐに表情を改めて腰を落ち着かせた。


「アリスリス・メディ」


 先ほどまでの穏やかな表情はなりを潜め、その顔は怖いほど真剣になっている。

 氷塊の近衛隊長、という言葉が脳裏に浮かんだ。その目に浮かぶ光は、氷の刃。私の首を斬るのも可能なほど鋭い。


「どういうことだ」


 どういうことだと言われても困ってしまう。


「この子が持っていた石を奪われてしまったので、困ったわ取り戻さなくちゃ、というだけの話です」


 侯爵は「それだけの話」とは思わなかったようだ。

 私は微笑んで、わざとゆっくり話した。


「フォルディス様、この王都にある魔石の数をご存知ですか?」

「……いや」

「無数にありすぎて、私にもわかりません」


 侯爵の眉がピクリと揺れた。でも、何が言いたいんだと責めることなく、黙って私の話を聞いてくれる。


「石の状態にもよりますが、基本的に魔石が秘める魔力は、質量に比例します。結晶石も同じ。強い魔力がひとつに集まっていれば、探すのは簡単です」

「……封印されていたらどうする」

「見つけるのは難しくなりますね」


 ピイシェから結晶石を奪った者たちが、どういう立場で、どういう状況で、どういう意図でそれを盗んだのかがわからないため、最悪の事態も想定すべきだとは思うけど――。


「すでにティシィが動いていますので、場所の特定は近いうちにかないます」

「ティシィ・メアルが?」


 怪訝そうな侯爵に、私は微笑んだ。


「エセル地区がかつてどういう場所であったのかはご存知でしょう?」


 王宮ですら手が出せなかった犯罪者の巣。

 その姿はすでにないが、かつて裏家業に手を染めていた者たちは健在なのだ。その彼らが、エセル地区で盗みがあったことを笑って放置できるはずがない。


「エセル地区の者が盗んだのか」

「エセル地区の住人が盗む? まさか」


 可笑しくて、私は小さく笑った。やっぱり、侯爵は面白い。


「エセル地区の住人にとって、盗みは大罪です。するはずがありません」

「なぜ、そう信じられる」

「信じているのはありません」


 私ははっきりと言った。


「知っているのです」

「……」


 ティシィのつてがどこまで広いのかは知らないけれど、彼女の呼びかけで、少なくとも王都中の警団、そしてエセル地区の青年団と少年団が動く。大方はそれで片付くけど、神殿ともつながりがあるなら、神官が動く可能性もあって。

 花街、裏会と長老会が動けば、情報は一気に集まる。


「君たちは……」


 侯爵は眉間に皺を寄せ、なぜか憮然とした顔で私を見た。

 今回、セラ侯爵に伝えたことで、必要であれば近衛騎士団だけでなく、王都守護騎士団まで動かす可能性をも示唆していることに気づいたのだろう。

 侯爵は深い息を吐いた。


「……以前から、騎士団はエセル地区に手を出すなと言われている」

「エセル地区と名がつく以前からそうだったのでは?」

「……笑って言うか」


 なぜか、侯爵の肩から力が抜けたのがわかった。


「何をしてほしいのか言いなさい」

「この子を母親のところに連れて行きます」

「母親? 赤龍のもとに? 結晶石はどうする」

「もちろん、その後です」


 侯爵は鋭い視線で私を見た。


「そもそも、なぜ母親が出てこない。こんなに小さい子供を放っておくか? 母親に何かあったんじゃないのか」


 私は考えてもみなかったことを指摘されて瞬いてしまった。

 赤龍様に何かあった……?


「まあ! それもそうですね」

「おい」

「すみません。呆れるかもしれませんが、それは頭にありませんでした」


 考えてもみなかった。

 だって、母親は赤龍なのだ。

 あの巨体と力を実際に見た者であれば、母親に何かあったとは考えられない。あったとすれば、国を揺るがすほどの大事件だ。


「赤龍様に何かがあった可能性は低いと思いますが、そうですね。そのことも含めて、早めに結晶石は取り戻したほうがいいのかも……」


 私はピイシェを見つめた。


「この子に関しては……、獅子が千尋の谷に我が子を突き落とした状態に近いのような気がするのです」

「君のところに来るのが試練のようなものだというのか」

「結晶石を持っていた以上、少なくとも母親の意図したことに間違いはありません」

「それで、君はどうしたいんだ」

「フェアレス山に向かいます。途中、セティス領を通過するので、話を通しておいたほうがいいかと」

「祖父に伝えればいいのか」

「よろしくお願いいたします。この子が誘拐されて逃げ出した可能性もありますし。もし幼生に何かあった場合、レドラスと同じことになる可能性がありますから」

「な……!?」


 ちょっと待て、と侯爵は手を上げて私の話を止めた。


「ずいぶんと簡単に言ったが、どういうことだ。七年前のレドラスに、赤龍が関係しているのか」

「ご存知では?」

「――知るわけがない」

「あら」


 私は両手で口をふさいだ。


 ――もしかして、秘密だったのかしら。


 別に誰からも秘密と言われていないから、言っても問題ないとは思うけど、彼が知らないということは、国王ですら知らなかった可能性がある。


「じゃあ、内緒で」


 私はにっこり笑って、唇に指を一本立ててみる。


「……君は」


 侯爵はひどく疲れた様子でガクリと頭を落とした。

 なんだろう――この既視感。


 ――ああ。


 この姿、お母さまやお祖母さまに振り回されていたときのお父さまと同じだ――。


「フォルディス様、大丈夫ですか」

「大丈夫じゃない」


 弱音を吐く小さな声。こんなところもお父さまそっくりで。

 私は膝の上のソーサーをテーブルに置くと、手を伸ばして、うつむいた頭の上に乗せた。

 よしよし。


「……」

「大丈夫ですわ。物事は、考えているよりもあっさりと、簡単に進むものです。赤龍様には、ただ報告しに行くだけですもの。何事もなく帰ってまいります」

「報告……?」

「この子を預かると」

「預かる……。帰すんじゃないのか」

「帰しません。だって、私が拾ったんですもの」


 取り戻した結晶石を使えば赤龍様と話すことも可能だろう。だが、それでは礼儀にもとる。

 自分が仮親となることをきちんと話し、責任を持って育てると挨拶しに行くのだ。

 侯爵が顔を上げる気配がしたので私は手を離した。


「まだ幼児だろう。君だって、まだ子供だ」

「関係ありませんわ。拾った生き物は責任を持って育てるのがチトセ家の家訓です」

「火種をナルディアの王都に抱えるつもりか」

「では、私が王都から出ればいいだけです」

「そういうことが言いたいんじゃない」

「お祖母さまのように、私にも戦えと?」

「なぜそうなる」

「では、守ってくださいませ」

「――!」


 侯爵が驚いたように私を見た。


 ――え?


「あ、間違えました。黙っていてください、です」


 かああ、と頬に血が上るのがわかった。






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