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20話 侯爵家に行こう。

 

 

 二階の書斎に入ると、セラ侯爵には午後2時に伺う旨、ティシィには午前中に買い物をして午後にセラ侯爵と会うことを伝える手紙を書いた。ティシィを誘うためではなく、自分の行動を知らせるためだ。

 おそらく、ティシィは赤龍様の血の結晶を探すために動くはずで、結果が早くわかれば合流してくるだろう。


 封をして一階に下りると、ラリーは朝食を終えてくつろいでいる。ピイシェも食べ終え、いつ靴を脱いだのか、裸足でぺたぺたと近づいてきた。

 なんだか、家に帰るとすぐ裸足になっていた父の姿が思い出されて、微笑ましくなってしまう。


「りちゅ!」

「ごちそうさまはした?」

「た!」


 私はピイシェの頭をくしゃりと撫でた。昨日、夕飯を食べ終えたときに「ごちそうさまでした」を教えたのだ。


「ラリー、お待たせ」

「アリス様、ごちそうさまでした。美味かったです」


 ラリーは帽子のツバをくいっとあげる。

 私は微笑んだ。


「よかった。――それと、これ」

「二通ですか」

「出来るだけ早く届けてもらいたいの。ええと、速達で。お願いしてもいい?」

「お安い御用です」

「ありがとう」


 私がにっこり笑うと、ラリーは口角を上げた。

 通常、郵便を出すには一通ごとに切手を貼って出さなくてはいけないが、貴族の場合はそれが免除されていた。

 門まで軽く世間話をしながら一緒に出たけど、いつの間にか身長が抜かされていることに気づいてそのことを指摘すると、彼は照れたように鼻をこすった。

 配達人の多くは風霊ふうれい使いだ。

 精霊使いは、魔法使いのように自身の魔力を使うのではなく、精霊の力を使う。

 配達人は風霊の助けを借りて、人より軽く、人より速く地上を移動するのだ。上級の風霊使ふうれいしともなれば、空を飛ぶことも可能だった。

 ラリーの感情に反応したのか、こげ茶色の髪が嬉しそうに揺れている。おそらく、彼が犬だったら尻尾が左右に振れていただろう。

 ラリーは右手を軽くこめかみに当てて挨拶をした。


「それじゃあ、また」

「ええ、よろしくね」

「はい」


 ラリーの姿がフッ――と消えたような気がしたのは一瞬、風をまとって軽快に走り去っていくラリーの背中を見送って、私はくるりと振り返った。


 ――さてと。


「食べ終わったら歯を磨きましょうね」


 きょとんとしている子供に笑って手を差し出すと、小さな手が握り返してきた。


「昨日、寝る前にやったでしょう?」


 ピイシェはそれが何かわかったのか、元気に返事をした。


「あい!」


 洗面台には、歯ブラシが入ったマグカップが五個、一列に並んでいる。

 ナミお祖母さまと両親、私、ティシィの分で、色も五色。紫、青、白、ピンクに水色。歯ブラシの持ち手の部分と色をそろえてある。その横に、ガラスのグラスが二つ。そこにマイリィとピイシェの歯ブラシが入っていた。

 今日の買い物で、ここに並べる二人のマグカップも買う予定だ。

 私はピイシェ用の歯ブラシと歯磨き粉をテーブルに置いた。

 椅子を二つ横につけて並べると、ピイシェを椅子に上げ、私は深めに座って膝の上をぽんぽんと叩く。ピイシェは嬉しそうに笑うと、私の膝を枕に、ごろんと横になった。私を下から見上げてニコニコと笑う。

 小さい頃、両親がしてくれたみたいに「あーんして」と口を開かせた。


「おとなしくしていてね」

「んぁ!」


 ピイシェ用の歯ブラシを使って、歯を磨いてあげる。

 乳歯の小さな歯が可愛くて和む。子供って、本当に「可愛い」の集合体だと改めて思う。

 決して、可愛いだけの生き物ではないとわかってはいるけれど。

 やっぱり可愛い。

 可愛いは最強、と言ったのは誰だったか。

 孤児院育ちのネイに言わせると、子供というのは「一人ひとり」じゃないらしい。


一匹いっぴきですよ、やつらは。一匹!」


 鼻息荒く主張したネイ。

 子供というのは、一人だとおとなしいが、群れると暴れて収拾がつかなくなる生き物だという。

 ピイシェにも弟妹がいるはずだ。やっぱり、群れたら暴れて大変なんだろうか。


 ――まさか。それでピイシェを私のところによこした……なんてことは、ないわよね。


 嫌な考えを振り切って、私はピイシェを起こすと、うがいさせた。


「ぺってするのよ」


 口元をぬぐってあげると、ピイシェはキリッとした顔で私を見上げた。なあに? その誇らしげな顔。

 お父さまがヒゲを剃ったあとも鏡を見てそんな表情をしていたのを思い出して、小さく笑ってしまう。


 きちんと身支度をして、ピイシェに帽子をかぶせ、私たちは一緒に家を出た。

 私は肩に布かばんと日傘を持ち、片手はピイシェの手を握っている。

 ピイシェの歩調はたどたどしいけど、もともと私がゆっくりと歩く性質なので無理に合わせる必要もない。

 ピイシェの服と下着、靴下を揃え、マイリィの侍女用の服を手配する。既製服だけど、成長中なので問題ないだろう。

 靴屋に寄り、歩けば「プヒッ」と可愛い音が鳴る靴を買って、雑貨屋を回った。食器と洗面台に並ぶ歯磨き用のマグカップもそろえる。

 ピイシェが赤で、マイリィがオレンジ。


「後は、シーツと枕……」


 つぶやいて、私はピイシェを見つめた。


「枕はいらないかしら」


 寝るときにはいつも本体に戻るとしたら不要だ。


「……一応、買っておきましょうか。ピイシェ、好きなのを選んでいいわよ」


 寝具屋に寄ると、リズが書いた絵本のキャラクターが、枕やシーツ、カーテンの柄になっていた。

 ピイシェが興奮して人外っぽい奇声を出している。雑貨屋では危なくて手を離せなかったけど、ここでは他に客もいなかったせいか、女性の店員さんがにこやかにピイシェの相手をしてくれていた。

 私は店主に挨拶をしてから、店内を見て回る。


「うわ」


 ピイシェみたいな声は出せないけど、興奮した私は、それに手を伸ばした。


「緑のタヌキ……!」


 並べてあるぬいぐるみは、どれも見覚えのあるものだった。赤い靴のカタリナシリーズに出ている童話のキャラがぬいぐるみになっていたのだ。

 赤い靴を履いた女の子の人形もそろえられている。見本として置かれた人形の髪はどれも長く、色は赤や黒、茶、金、銀など様々だ。『ご希望の髪と瞳でお届けします』と書いてある。おそらく、親や祖父母が子供や孫のために特注するのだろう。 


「今度、ティシィも連れてこよう……!」


 リリアナ様にも教えたら、買い揃えてしまうんじゃないだろうか。いや、すでに知っている可能性のほうが高い。


「りちゅ!」


 これがほしい、とピイシェが指し示したのは、可愛い枕……というより、正方形の座布団だった。本体の寝床にはちょうどよさそうな大きさだ。

 いいわよ、と笑ってうなずいた。

 買ったものはすべて後で家に届けてもらう。

 久しぶりの買い物に、私も大満足。自分のためでなく、人のために使うお金は惜しまないあたり、母親の血を継いでいるのだろう。


「けっこう歩いたわね」


 疲れてきたので、ピイシェは大丈夫かしらと子供を見れば、疲れた様子を見せずに元気いっぱいに飛び跳ねている。

 子供だから体力があるのか、赤龍だから体力があるのか、判断が付かない。


「私の体力がなさ過ぎるだけかも……」


 どこかで休みましょう、と私は適当に腰を下ろせる場所を見つけて視線を走らせた。





 家でお昼を済ませてから、私は用意したパイをお土産にしてセラ侯爵家に向かう。

 午後2時に伺う旨を伝えたので、それに合わせて家を出た。歩いていくつもりだったけど、子供もいるし、パイが暑さで痛みそうだったので、途中で辻馬車を拾った。

 王宮に近い屋敷街は人通りも少なく、静かで落ち着いていた。

 先日訪れたセティス公爵家くらいの大きさを想像していたのに、セラ侯爵家の上屋敷は意外にも質素だった。侯爵家の紋章がなければ、周りの屋敷と変わらない。普通の生活空間しかないのが見てわかった。

 使用人の数も少なそうだ、と緊張していた私はホッと息を吐いて、玄関の扉を叩いた。

 すぐに老執事が姿を現した。セバスさんと同じような服装だが、年季が違う。厳格そうだが優しい目の老人に、私は略式の礼をした。


「アリスリス・メディと申します」


 笑顔で名乗り、侯爵と会う約束があることを伝えると、話を聞いていたのか、執事さんは相好を崩してすんなり通してくれた。


「あの」

「何か?」


 私は、スカートの裾を握っている子供を執事さんの前に出した。


「実は子供を連れているのですが」


 スカートに隠れて見えなかったのだろう。おや、と軽く目を見張る彼に、私は微苦笑をもらした。


「わけあって預かっております。侯爵様にご挨拶できればと思うのですが」

「かまいませんとも。どうぞ、お入りください」

「ありがとうございます」


 お土産を手渡し、案内されたのは居間だった。


「旦那さま、メディ家のご令嬢がお見えになりました」


 入れ、と短い言葉は、確かにセラ侯爵のもので。

 招き入れられた室内には明るい日差しが程よく入り込んでいる。開いた窓から風が通り、とても落ち着く空間だった。


 中央に長身の青年が立っていた。

 騎士服ではなく、普段着だ。黒いズボンに黒い革靴、白いシャツがまぶしかった。

 黒い髪は緩やかに落ちて、切れ長の目が柔らかい笑みを浮かべて私を見ている。


 ――おっきなお兄ちゃんのお嫁さんになるんだって言ってたでしょ。


 ティシィの言葉を思い出した私は、


「大丈夫か?」


 おっきなお兄ちゃんを前に沸騰した。


「顔が赤いぞ」


 近づいてきたセラ侯爵が眉をひそめ、大きな手が私の額を覆った。


「熱があるんじゃないのか」

「ち、ちが……」


 触らないでほしい。

 私が一歩足を引くと、両手で頬を包まれた。もっと下がりたいのに、ピイシェがしがみついているのでそれも出来ない。


「涙目だぞ、具合が悪いのか」

「ちが……」


 うわ、うわ、と私は動揺するばかり。

 心臓が高鳴って、爆発しそうだった。


 ――ティシィが変なこと言うから……!


「話したいことがあるとのことだが、別の日にするか」

「――」


 ぶんぶん、と私は顔を横に振った。

 侯爵が手を離してくれないから、ますます熱が上がりそうだ。

 目のやり場に困る。


「あの、あの……、手を」

「ああ……」


 すぐに手を離してくれたけど、身体はまだ近い。

「すまなかった」

「いえ、あの、大丈夫ですから、気にしないでください」

「……そう言われても、気になるんだが」

「気にしないでください」


 はっきり言うと、そうか、と侯爵が短く言った。どこか苦笑気味に。


「話があるとのことだが」


 こくん、と私はうなずいた。


 ――ああもう、落ち着いて。


 私はゆっくりと呼吸して、ドキドキする胸を押さえた。

 自覚したばかりだとはいえ、会うだけでこれってどうなんだろう。

 ただ話をしにきただけ。

 ただそれだけ。

 告白しに来たわけじゃない。

 侯爵が合図を送ると、執事さんが一礼して下がっていく。


「座りなさい。話を聞こう」

「りちゅ!」

「……」


 ん? と振り返った彼の視線が、私の顔に。


 ――え、今の私だと思われた?


 私は慌てて首を横に振って、顔だけ振り返る。手を伸ばして、赤い髪に触れた。


「ピイシェ、ご挨拶を」


 警戒しているのか、ピイシェは私の背後で足にしがみついている。


「誰かいるのか」


 侯爵が近づいてくる。一瞬、心臓が高鳴ったけど、背後にピイシェがいるから逃げられない。


「あの、わけあって、私が育てることになりました」

「育てる?」

「はい」


 私はうなずいた。


「子供を」

「子供?」


 侯爵は何か言いたげな顔で私を見ている。

 私が首をかしげると、彼はなんでもない、と苦笑し、私の背後を覗き込んだ。

 ぎゅ、と私に抱きつく力が強くなる。

 警戒しているのは侯爵じゃない。午前中に気づいたけど、ピイシェが怯えているのは「男性」に対してだ。

 それも20歳以上の男性に限られている。

 おそらく赤龍様の結晶石を奪った者たちが関係しているのだろう。


「ピイシェ、この方は大丈夫よ。とても優しいの」


 ですよね、と侯爵を見て微笑めば、彼は困った表情で視線をそらした。


「ピイシェと言うのか」

「ピイシェリー・ルーン……アークロット、と」

「アークロット? 侯爵家の?」

「あ、いえ、その……」


 私は困ってしまった。


「直接、血はつながっていない……と、思うのですが」

「隠し子か」

「……あ、いえ、その」


 まさか、ティシィが勝手につけたとは言えない。

 でも、侯爵はピイシェの赤い髪を見て勝手に了解してしまったらしい。


「相談というのはこの子のことか」

「あ、いえ、その」

「……ふ」


 ――ふ?


 私が瞬けば、侯爵がおかしそうに笑っている。


「さっきから、そればかりだ」

「え?」

「あ、いえ、その」

「あ――」


 そういえば。

 恥ずかしくて、かああと頬に血が上った。


「笑わないで」

「すまない」


 くくく、と笑う彼は、笑いが止まらないのか口元を拳で押さえながら、背を向けて室内に戻っていく。


「大丈夫、連れておいで」


 優しい物言い。


「はい」


 広い背中に返答をして、私はピイシェの頭を優しく撫でた。


「優しい方なの。大丈夫よ」

「りちゅ……」

「大丈夫」


 私を見上げる金色の瞳に笑いかける。


「行きましょう、ピイシェ」


 おいで、と右手を出せば、小さな手がそれにつかまる。


 私は微笑んで、ピイシェをつれて侯爵のもとへと向かった。







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