18話 将来の夢。
「セラ侯爵に会うって……」
――どこで?
困惑気味の私に、テーブルに広がった魔石を巾着に入れながらティシィが笑う。
「どこでもいいわよ。セラ侯爵家でも、セティス公爵家でも、近衛騎士団の詰め所がある王宮でも」
「王宮でもいいの?」
「いいわよ? アリスから王宮に近づく分には、まったく問題ないわ」
「そんなもの?」
「そんなものよ」
くすりとティシィが笑った。
「アリスは自由に行動していいの。アリスを閉ざす門も扉もこの国にはないわ」
――それは私じゃない。
束縛されず、閉ざす門扉がないのはお祖母さまだ。
でも、私はうなずいて、わかった、と微笑んだ。
「じゃあ、これはちゃんと出しておきますね」
セラ侯爵宛の手紙を預かったネイがにっこりと笑う。そして、妹の頭をぐりぐりと撫でた。
「ちゃんとお世話するんだよ」
「うん」
マイリィがはにかむように笑う。そんなマイリィの手には、さらに小さな手がつながれていた。
私ひとりでは幼児の世話ができないと判断したネイが、マイリィも連れて帰るように言ったのだ。
私としてはありがたいけど、本気で首をかしげた。
「それじゃあ、ネイの世話は誰がするの?」
「あはは!」
楽しそうにネイは笑って、ふ、と真顔になった。
「……アリス様、それ、冗談ですよね?」
ティシィが吹きだした。ネイはがっくりと肩を落としている。
「ティシィ様まで……。まあ、いいですけど」
ネイは息を吐く。マイリィの頭に乗せていた手を横の小さな頭に移動させた。
「また遊びにおいで」
こくん、と子供がうなずいた。そして、まっすぐにネイを見上げて口を開いた。
「ね、い」
「おお! すごい! 言えた!」
初めて名前を呼んでもらったネイが嬉しそうに破顔した。
「それじゃあ、アリス様、お気をつけて」
「ええ、ピイシェのことありがとう。マイリィも借りるわ」
「そのままずっと貸してあげますよ。こき使ってやってください。マイリィは昔からアリス様の侍女になるのが夢なんです」
「あら、違うわよ。マイリィはティシィの侍女になりたいのよねー」
マイリィに微笑むと、マイリィは困ったように眉を下げている。
帽子を被りながらティシィが小さく笑った。
「アリス、そっちが本当なの」
「え?」
「本当はアリスの侍女になりたいのよ。前に、マイリィから聞かれたことがあるでしょう」
「え? え?」
私は瞬いた。聞かれた? 何を。
ティシィが、ほら、と言った。
「アリス様は侍女を雇わないのですかって」
「ああ……!」
私はマイリィを見つめた。
あのときはそう、小さな家だから私ひとりで十分なのよ、と笑って答えたのだ。
私は腰を下げて、両膝を突いた。マイリィの空いた手を取り、下から彼女を見上げた。
「マイリィ、私の侍女になりたいの?」
「……」
こくん、と小さくうなずく少女の目には、うっすらと涙が溜まっていた。
私は微笑んだ。
「やることがたくさんあるわよ。それでもいい?」
こくん、とうなずく。
「勉強もちゃんと続けないとだめよ?」
こくん、とうなずく。
「私、人使いが荒いわよ?」
こくん、とうなずく。
今、覚悟を決めるのはマイリィじゃない。私のほう。
侍女は行儀見習いを兼ねて貴族の令嬢がなることも多く、使用人の中でも特殊な位置にある。メイドは主人に逆らうことを許されないが、侍女は主人に意見することが出来る。従うだけの人ではないのだ。
礼儀作法はもちろん、知識やセンスも必要とされる。そのため、市井の者は幼いうちから侍女見習いとして屋敷に仕える子供が多かった。
私は微笑んで、マイリィ、と囁いた。
「私の侍女になってくれる?」
マイリィは唇を歪ませたまま、しっかりと答えた。
「はい……!」
「――ありがとう」
思わず礼を口にしていた。
ほ、と大きな息を吐いたのは私だけじゃなかった。ティシィもネイも息を吐いている。
「よろしくね、マイリィ」
私がにこっと笑うと、マイリィも「よろしくお願いします」と元気に言った。大きく頭を下げて、そのまま脱力したように膝を折る。その首に、ピイシェが抱きついた。えへへ、と笑って顔を上げたマイリィは、ピイシェと頬を合わせてすりすり。
「あらあら」
――可愛い~。
和む。可愛らしい子供たちの姿に、それを見た年長組3人の顔は緩々だ。
「よかったわね」
ティシィが嬉しそうにマイリィの頭を撫でているが、流し目で私を見た。ちぇ、と舌打ちまでする。
「あーあ、私の侍女にする予定だったのにな~。アリスに奪われちゃった」
ふふ、と私は笑った。
「子供の夢は大切にしないとね」
「はいはい」
ティシィは苦笑してから、何かを思い出したのか、ニヤリと笑った。
「それで、アリスの夢は叶えられそうなの?」
「私の夢?」
きょとんと首を傾げた私に手を差し出して、ティシィは私の身体を起こしてから、とん、と肩をぶつけてきた。
「やだ、忘れちゃった?」
――私の夢?
絵本作家とか、料理人とか?
「おっきなお兄ちゃんのお嫁さんになるんだって言ってたでしょ」
「え?」
――え?
「い、つ……?」
「本当に小さなときよ。5歳とか、6歳くらいじゃなかったかな」
「……」
「アリス、大丈夫? 顔が真っ赤だけど」
「うん……」
耳まで熱が集まって、私は自分の耳を手で押さえた。
「覚えてない……」
あら、とティシィは笑った。
「じゃあ、今から叶えられるようにがんばりなさい。マイリィに負けていられないわよ!」
「……ええ」
ええ、と思わず口にして、頭に浮かんだのはやっぱりおっきなお兄ちゃんで。
夢に見た黒髪の少年ではなく、成長した青年の姿で。
「無理……!」
「は!? いきなり挫折してどうするの!」
「だって」
「だってじゃないわよ」
ティシィは呆れたように言って、両手の拳を握った。
「大丈夫! アリスなら相手のほうから歓迎されるって!」
「歓迎されないわよー」
「なんでいきなり弱気になってるのよ。アリスには必殺の餌付けがあるでしょう!」
「むりー!!」
真っ赤な顔で叫ぶ私に、赤髪の姉妹が楽しげに笑った。
階段を下りるため、ネイがピイシェを抱いた。
「ところで、ティシィ様の夢は?」
「私?」
楽しげにティシィは笑うけど、口にはしない。
ネイの視線が問うように私へ向けられた。
私は微笑む。
「ティシィの夢は、ね」
旅人になること。
昔から言っていた。
お祖母さまみたいに、世界中を回りたいと。
知らなかった世界を、この目で見て回りたいと。
「きっと叶えられるわ」
ね、と顔を見合わせて、私とティシィは笑う。
ネイは肩をすくめた。
「何かわかりませんが」
ネイは口角を上げた。
「お二人の夢は、叶いますよ」
大丈夫、と太鼓判を押してくれた。
マイリィとピイシェを伴って帰宅した私は、二人を客室に案内して、初めての夜だから、と一緒のベッドで寝ることにした。
大きなベッドは、三人が川の字になっても十分に余裕があった。
この部屋は、お祖母さまが滞在するときに泊まっているため、いつでも泊まれる用意がしてある。
お祖母さまとティシィと私と、三人で寝たことも懐かしい思い出だ。
私は天井を見ながら、行方がわからない黒髪の女性を思う。
――お祖母さま、どこにいるの。
今、彼女がいてくれたら、幼生の件もすぐに片がつくだろう。でも、今ここにお祖母さまはいないのだ。自分たちで何とかするしかない。
それに、いたとしても、自分たちでなんとかするように言われる気がした。
身内に甘いお祖母さまは、身内に甘いだけの人じゃない。
お祖母さまの守護結界があるので、殺意ある者はメディ家の敷地内に入ることはできず、ピイシェにとっては、ここが一番安全な場所だ。
――暖かい。
今まで冷たい寝台に一人で入っていたのに、今は二つの体温でとろけそうなくらいに温かい。
これは幸せの温もりだ。
しばらく忘れていた感覚が、ひとつひとつ蘇ってくる。
子供のころはよくティシィと一緒に寝ていたし、両親が他界して、ティシィが私の様子を見に来てからもしばらく一緒に寝ていた。
懐かしい記憶。
二人が寝たのを確認して、私はゆっくりと目を閉じた。
「明日……」
セラ侯爵に会えるだろうか。
――フォルディス様。
侯爵の名を囁くと、なぜか胸の奥が詰まるように苦しくなった。
彼に好意を抱いているのは自分でもわかる。
ただ、それが恋なのか、愛なのかはわからない。
第一、相手が私のことを相手にするとは思えなかった。恋人もいるに違いない。
――ティシィが変なことを言うから。
だから、求めてしまいそうになる。
私は唸りたくなった。
――おっきなお兄ちゃんのお嫁さんになるんだって言ってたでしょ。
そんなことを口にした記憶はない。
でも。
彼の優しい笑みが浮かんで頭から離れない。
――フォルディス様。
彼を思うと鼓動が早くなる。
私は大きく深呼吸をして、高鳴る胸を両手で押さえた。
夢の中で、また会えるだろうか。
会えるといいな――。
「……おやすみなさい」
私は祈るように囁いた。
明日から、やることがたくさんある。
――雨師様、どうか、よい夢を。