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17話 赤龍の幼生。

 

 

 アリス、見つけた――と。


 今まで「りちゅ」としか話せない子供の言葉が脳に直接響いて、私は驚いた。

 それは確かに赤龍としての能力だ。

 でも、子供は私の驚きようが不思議なのか、きょとんとした顔で首をかしげている。意図して聞かせた声ではないのがわかった。

 それとも、声が聞こえてきたのは気のせいだったのだろうか。


 ――いや、確かに聞こえた。


「ティシィ、今、この子の『声』が聞こえた?」

「ん?」


 ティシィが瞬く。


「りちゅ、って?」

「じゃなくて、私を見つけた、みたいな」

「聞こえなかったわ」

「赤龍様みたいに、頭に直接聞こえてきたの」

「へえ」


 面白そうに目を丸くするティシィ。彼女には子供の声が聞こえなかったらしい。直接触れていた私だけに聞こえたのだろうか。

 私は子供の頬をそっと包んだ。


「さっきみたいに、もう一度、話せる?」

「りちゅ!」

「……」


 しばらく待ってみたけど、『声』は聞こえてこなかった。どうも無意識に発動された力らしい、と気づいて私は息を吐いた。

 子供の頭を優しく撫でた。

 髪は艶やかで、触り心地がとてもいい。赤毛には珍しく細い毛はとても柔らかかった。


 ――幼生の姿には、もうならないのかしら。


「私に会いに来てくれたの?」


 おそらく、私は自然と笑っていたのだと思う。

 子供は頬を紅潮させて、こくん、と大きくうなずいた。


「りちゅ! ……ちゅ、ちゅ、ちゅ……」

「ちゅ?」

「ちゅ……、き」

「まあ!」


 一気に愛おしさが溢れてしまう。あまりの可愛さに、思わず声を出して笑ってしまった。萌え殺される、というのはこういうことを言うのかもしれない。


「気が合うわね。私もあなたが大好きよ」


 私は子供の額に優しい口付けを送った。


 ――ああ、そうだ。


 赤龍の幼生と別れるときも、こうして口付けたのだった。

 あれは別れの挨拶だったけど。


「会いに来てくれてありがとう」


 ――今度は、再会の挨拶を。


 額へのそれは、親愛と友愛。

 歓迎と祝福の印だった。






「赤龍に会いに行くの?」


 ティシィの言葉に私はうなずいた。


「ええ」

「あの子を届けに?」


 いちいち確認してくるティシィに、苦笑を返した。


「……そうなるわね」


 ティシィは、無言で問う。

 あの子はわざわざ会いに来たのよ。

 探していたの、求めていたの。

 幼くても、選んだってことよ。


 ――また手を離すの?


 それに対して、私は何も返すことができない。

 チトセ家の家訓は「拾った生き物は責任を持って育てる」だ。何を迷う必要がある。

 でも。


 ――私は何を恐れているのだろう。


 本当はわかっているのに、認めたくない。

 ただ、怖い。

 また失ってしまうのが怖いだけだ。

 玄関先で話し続けるのもどうか、とネイに促されて室内に入り、腰を落ち着けた。

 出されたのはよく冷えた麦茶だった。

 床に敷いてある手織り絨毯の上でマイリィが赤龍の子供と人形で遊び、それにネイが加わった。孤児院で小さな子供たちの面倒をよく見ている二人は、ごく普通にお姉さんとして子供の相手をしている。

 ネイやマイリィと遊んでいると、本当に姉妹のようで微笑ましい。「三姉妹」と紹介しても、疑う者はいないだろう。


 ――そう。子供は女の子だった。


 抜けるように白い肌、赤い髪に金色の瞳は赤龍ははおやが人型になったときと同じだ。

 種族の違う龍と人の成長速度を同じに考えてはいけないけれど、人型の年齢と、幼生としての外見は比例するのだろうか。

 人の言葉は二言か三言しか話せないけど、『声』はしっかりとしていた。赤龍としての精神は高いのだとわかる。

 子供と遊びつつ、私たちの会話をちゃんと聞いているネイが、子供と出会ったときの状況を詳しく話してくれた。

 ボロ雑巾のようではあったけど、外套を着ていたので旅装であったことには間違いないらしい。だが、手紙を含めて所持品は何もなかったという。持っていたのは、右手に萎れた花が一輪だけ。

 アリス様に渡したかったんじゃないですかね、と言われてその視線を追えば、テーブルの中央に水の入ったグラスがあり、そこに小さなピンク色の花が浮かんでいた。花弁は綺麗に開いているが、茎が折れている。

 その花を手に、ずっと私を探していたのだと思うと、胸が締め付けられるように苦しくなった。

 あんなに小さな子供が、たった一人で。

 どれだけ心細かったのだろう。


「困ったわね……」


 ティシィの声にハッとして、私は息を吐いた。


赤龍ははおやと連絡が取れないのなら、直接、連れて行くしかないわ。アリス、どこに行くのかはわかっているの?」


 ティシィの言葉に、私は詰まった。

 赤龍のいる場所がわからない。初歩的な問題だ。


「南……」


 私がつぶやけば、小さなため息が返ってきた。


「確かに、あの時、卵を盗んだのはレドラスだけど」


 ナルディアの国境を挟んで南にあるのがリスターン王国。地図上ではさらにその下にあるのがレドラスだ。

 レドラスの王都は七年前に高熱の炎に焼き払われて焦土と化している。王族は若き王妃と幼い王子を残して絶え、貴族や魔法使いの多くも亡くなったが、王都が一夜にして廃都となったその理由を知る者は少ない。


「そういえば、あの時どうしてレドラスに行ったのか、ティシィは知っているの?」


 七年前、私が赤龍の幼生を拾ったとき、お祖母さまとメディ家とメアル家の両親がそろっていた。

 私の母とティシィのお母さまは親友なので一緒に行動することは多かったけど、父たちやナミお祖母さまが加わって、さらに他国にまで足をのばしていたのは、よく考えれば驚くべきことだった。

 知っているわよ、とティシィは軽くうなずいた。


「レドラスにいる大使がお父さまの親友だったんだけど、父に助けを求める手紙が来たの」

「助け……?」

「たぶん、ユーメルと王妃を亡命させるつもりだったんだと思う」

「……え!?」


 あっさりと口にされた言葉に、私はぎょっとしてしまった。その顔がおかしかったのか、ティシィはくすりと笑って、肩をすくめた。


「まあ、おじさまは普通に書籍収集が目的だったと思うけど?」

「そうね」


 私たちは顔を見合わせて笑った。

 父は国内外の書籍を集め、翻訳するのが趣味しごとだった。世界の果てにある「賢者の塔」からも随時誘いがあるほど、他国やいにしえの文字、文化に精通していたのだ。

 今でも、父の他界を知らない遠くの国からは本が送られてくるし、メディ家の広い地下室には、収集された本が日に日に増えている。

 ネイたちに聞かれて困るわけではないが、私は声を潜めた。


「助けを求める手紙って、卵が盗まれた件じゃなかったの?」

「時期を考えると、私たちがレドラスに向かったのは卵が盗まれる前。ナミ様にも声をかけたのは正解よね」


 ティシィは苦笑する。


「だって、あの時、レドラス中の魔法使いを抑えることが可能だった唯一人ただひとりだもの。国王や高位魔法の使用者すら平伏ひれふすほどの強大な魔力を有しているなんて、すごいにもほどがあるもの」

「ほんと、規格外よね」


 思わず笑ってしまう。

 この世界に落とされてきた黒髪の少女は、数々の伝説を作りながら、今も世界のどこかを旅している。

 ナミ・チトセが現れて以降、「魔女は天災である」というのが世界各国共通の見解だ。


「ユーメルは元気かしら」


 私のつぶやきに、ティシィの目が笑う。


「復興は順調らしいわよ」

「そう」


 よかった、と私は微笑んだ。

 レドラスは昔から土地の魔力が高い。

 その理由は明らかになっていないが、創生神が眠りについた場所であるとか、地下に魔石の鉱山があるとか、いにしえの精霊国家であった場所だとか、真偽が定かではない噂は数多くあった。

 土地が魔力を帯びていると、そこで生まれた者も魔力を持って生まれやすい。そのため、レドラスでは魔力のある者が権力を持ち、魔力のない者が虐げられるという問題が深刻化していた。

 そんな中、一切の魔力を持たぬ王子が生まれたのは、今から15年前のこと。

 ユーメル・フォン・ス・レドラス。

 レドラスの第一王子として生まれながら、魔力がなかったために王都ではなく離宮で育てられた少年。

 母親である王妃は、ナルディアから嫁いだ貴族の令嬢で、母たちとは知己だった。

 ところが、魔力がないと思われていた王子は、王都が焼き払われたのを境に、魔力を発現させたのだった。

 王都で亡くなった誰かがユーメルの魔力を封じていたのは明らかで、しかも、開放された魔力は彼の父である国王をも超える力を有していた。

 ユーメルの魔力を封じていたのは誰なのか、赤龍の件について王や王宮、貴族は関与していたのか、魔法使いの誰が計画を実行したのか。詳しいことは何ひとつ明らかにされないまま、赤龍の炎がすべてを包みこんでしまった。

 たぶん、私やティシィが知らないだけで、お祖母さまは真相を知っているに違いないのだけれど。

 私たちがナルディアに帰った後も、お祖母さまは新王となったユーメルに魔力の使い方や制御を教えるため、しばらくレドラスに残ったと記憶している。


「レドラスか……遠いわね……」


 つぶやいて、私は首をかしげた。


「ティシィ。あの子、ここまでひとりで来たんだと思う?」


 私は子供を見つめた。

 人でいえば、オムツも取れていない幼児だ。一人で来たとは考えにくい。でも、母親と一緒なら子供を放置しておくはずがない。

 ティシィも首をかしげた。


「ひとりで家出してきた……とか?」

「それなら余計に、帰さないと」

「まあ、誰かと一緒だったけど、はぐれてしまったと考えるのが普通よね」


 だとしたら、その人が探しているだろう。その場合、連れが赤龍の幼生だと知っているのかどうかも気になるところだ。

 ネイが警団に声をかけたと言っていたから、探し人の届け出があればすぐに連絡があるはず。

 私は麦茶を飲んで、ふう、と椅子の背もたれに身体を預けた。


「はぐれたのが王都とは限らないのが問題ね……」


 くすり、とティシィが笑った。


「張り紙でも出してみる?」

「張り紙?」

「迷子の子供を預かってます。年齢は2~3才、特徴は赤い髪に金色の目。アリスが似顔絵を描けばもう完璧」

「孤児院で預かっていますって?」

「そうそう」

「うーん……」


 思わず眉が寄る。

 いい案のような気もするけど、なんだか気が進まない。

 それがわかったのか、ティシィはあっさりとやめましょう、と言った。


「赤い髪に金の目が赤龍の特徴だと知っている者たちがいたら、餌をまくようなものだしね」

「そうね。とりあえず、レドラスに行く手続きだけは取っておいたほうがいいかも」 


 貴族が国境を越えるときは移動許可証が必要だ。


「それなんだけど」


 ティシィが麦茶を口にした。


「アリスはあの山がどこにあるか知っているの?」

「赤龍様の?」

「ええ」

「レドラスでしょ」


 だって、私が赤龍の幼生を拾ったのはレドラスにいたときなのだから。


「だと思った」


 ティシィは苦笑する。


「たぶん、ちびはレドラスから来たんじゃないと思うわ」  

「どうして?」

「赤龍がいた山にね、レドラスにはない花が咲いていたの。最初は種が運ばれてきただけかな、って思っていたんだけど……」

「違うの? じゃあ、リスターン」

「惜しい」

「もしかして、フェアレス?」


 たぶんね、とティシィが微笑んだ。


 フェアレスは、ナルディアの最南、リスターン王国との国境にもなってもいる険しい山だ。

 七年前、赤龍のところへ行ったときは、お祖母さまの移動魔法を使ったので、私たちは正確な場所を知らなかった。

 ただ、高くそびえる岩山の奥に広い空洞があり、そこに龍の巣があったことだけは鮮明に覚えている。

 ティシィは麦茶の入ったグラスを揺らした。


「レドラスの都から赤龍が飛んで去ったのは北だったし、ナルディアの南方は赤龍騎士団の守護地域でしょ? 赤龍は火を司る南方の守護者だから違和感がないけど、リスターンの北方を縦に走る大きな川も赤龍河せきりゅうがわっていうの。北なのに何で赤龍? ってずっと不思議だったのよ。――でも、フェアレス山が赤龍の棲み処ならそれも納得できるわ」


 そっけない言い方だったけど、なんだか嬉しそうなティシィに私は笑った。グラス同士を軽くぶつける。


「長年の疑問が解けたわけね、おめでとう」

「どうも」


 ティシィが澄ましたまま礼を言った。

 私はくすりと笑ってしまう。


「じゃあ、行き先は決定ね。リスターンとの国境だけど、移動許可書は申請したほうがいいかしら」

「一応、出しておきましょう。それは私が手配するわ。それとも、ついでにレドラスにも行っちゃう?」

「あら、楽しそう」


 私は両手の平を合わせた。


「ティシィが卒業したら行きましょう!」

「……」


 ティシィが嫌そうに顔をゆがめた。

 ティシィは、複数の家庭教師からすべての授業において及第すれば、したいことをしていいと家族と約束しているが、「成人するまでに卒業できればいいのよ」と、適度にサボりながら授業を受けているのでいくつかの課程が修了していないのだ。


「がんばれ!」


 私がにっこり笑えば、ティシィは頬を膨らませた。


「もー、なんで私だけなのー」


 ぶつぶつとティシィは文句と言ってテーブルの上に脱力した。

 ティシィの不満がわからなくもない。ティシィは普通の貴族の令嬢ならば知ることのない知識まで勉強させられているのだ。その内容は多岐にわたり、学長に聞けば王都大学卒業並みのレベルだという。

 ティシィが素直に従っているのは、それを仕向けたのが両親や祖父母ではなく、ナミお祖母さまだからだ。


「卒業したら、どこにでも連れて行ってあげるわ」


 私はティシィの頭を優しく撫でてあげる。


「だから、今のうちに行きたいところを考えておいてね」

「……本当に、一緒に行ってくれるの」

「ええ、約束するわ。リスターンでも、レドラスでも、どこへでも」

「……もっと撫でて」

「はいはい」


 私は笑って、ティシィの髪を梳かすように撫でた。

 がんばれがんばれ。ティシィ、がんばれ。

 応援することしか出来ない自分。

 実際、ティシィはがんばっている。

 私は、今はどこにいるのかもわからない黒髪の魔女を思う。


 ――お祖母さまは、ティシィに何を期待しているのだろう。


 少なくとも「魔女の弟子」にするためではないはずだ。 

 ふう、と息を吐いてティシィが身体を起こした。

 ありがとう、と小さく口にしたティシィに、私はどうしたしまして、と笑った。


「大丈夫?」

「ええ。南は……セティス公爵領ね」


 ティシィが考え込むように拳を顎に当て、斜め下を向いた。

 肌理きめの細かい肌は白く、今はひとつに結っている銀の髪はゆがみのひとつもないほどまっすぐだ。ティシィは雪の女王のように綺麗だった。

 長いまつげだな、と思う。静かに見守っていると、ふ――と水色の瞳が私を見た。


「ねえ、アリス。セラ侯爵に相談しましょう」

「え?」


 突然出てきた言葉に、私は驚いた。


「どうしてセラ侯爵?」

「セティスの後継者だもの。相談してもおかしくはないわ」

「そうじゃなくて」

「ちびは幼すぎるのよ。状況がまったくわからないんだもの。アリスを探していたのは確かだろうけど、自分の意思でここにいるのか、連れがいたのかもわからない。誘拐されて逃げ出した可能性だってあるでしょ」

「まさか」

「赤龍は伝説の生き物よ。聖なる獣として扱われることもあれば、邪悪なる獣として恐れられることもある。自らの力を得るために、人は聖獣を求める。あらゆる意味で血肉を狙われやすいのよ」

「卵が狙われた理由もそれ?」

「たぶんね」


 ティシィは息を吐いた。


「すぐには出立しないけど、幼生の命が狙われる可能性は視野にいれて動くべきよ。だとしたら領主には話しておいたほうがいい。少なくとも、セラ侯爵は信用できる人なんでしょう?」


 私が力強くうなずくと、ティシィは目を細めて笑った。


「じゃあ、アリスが話してね」

「え」

「えじゃないわよ、がんばって!」


 さっきの仕返しなのか、ティシィがにっこり笑って言った。

 ううう。私は唸った。


「なんて相談すればいいの?」

「リスターンに行くつもりとだけ説明すればいいわよ」

「それだけ?」

「それだけよ。簡単でしょ」

「だって、何をしに行くのか聞かれたら?」

「旅行しに行きます」

「あの子のことはどう説明すればいいの。侯爵はともかく、ほかの人には?」

「そうね……」


 むうう、と唸ったティシィは、何か思いついたのか急に明るい表情で、よし、と両手を叩いた。


「アークロット侯爵の隠し子ってことにしましょう!」

「えええー?」

「決まり! 子供のことを問われたら、セインおじさまの子供ですって、ちゃんと言うのよ」

「嘘をつくのはいや」

「嘘じゃないわよ。だって、父親を知らない以上、アークロット侯爵の子供かもしれないでしょ?」

「それはそうだけど……」


 なんなの、その詭弁。

 完全に面白がっているし。

 ふふふ、とティシィは笑った。


「そうね、子供のことを聞かれたら、『この子はセインおじさまの……あ! いえ、何でもないんです……(ここでそっと目をそらす)』といいわ」


 演技指導まで入り、私は呆れた。


「セインおじさまが滞在しているファステアもアークロット領も西方じゃない。第一、隠していなかったら、隠し子にならないわ」

「アリスをほうったままにしている罰! この子はピイ・アークロット!」

「もう! 名前はピイで通すの?」

「でなかったら、ちゃんと名づけてあげなさい」


 ティシィは柔らかく笑った。――笑って、私の額を指で突いた。


「名をつけるのは、拾った者の義務よ」

「……」


 ふと子供を見ると、金色の瞳が私をまっすぐに見ていた。

 その表情は、名がもらえることを期待しているようにキラキラしている。

 思わずもれたのは微苦笑。あまり期待しないで、と言いたくなるほどに輝いていたから。

 私は呼吸を整えるためにゆっくりと息を吐いた。

 そして、そっと目を瞑る。


「ピイ……」


 お祖母さまは赤龍のことを「レディア」と呼んでいたけど、本当はもっと長い名があるはずだ。

 名は降りてくるもの、と聞いたことがある。


「ピイ……、ピイ……、ピイシェ、……ピイシェリー・ルーン」


 つぶやき、見上げた先で、ティシィがにっこりと笑った。


「ピイシェリー・ルーン・アークロット、ね。うん、いいんじゃない?」

「アークロットもつけるの?」

「当然! 普段の呼び名はピイシェ……か、まあ、ピイでもいいわね。――どう?」


 視線の先で、はにかむように笑う子供がいた。

 いずれ、成体となったときには正しい名が与えられるだろう。

 ティシィが笑う。


「気に入ってくれたみたいよ」

「よかった」


 私はホッと息を吐いた。


「ピイシェ」


 微笑んで呼ぶと、タタタ……と近寄ってきた子供が私の足にぎゅっと抱きついた。

 私は子供の頭をくしゃりと撫でた。


「ピイちゃん、あなた、どうやってここまで来たの?」

「りちゅ!」

「……本当に、困ったわ」


 ――石。


 ふ、と『声』が聞こえてきて、私は瞬いた。


「石?」


 首をかしげると、ティシィもまた同じ方向に首をかしげた。


「なに?」

「石って、聞こえたの」

「石? ピイが言ったの?」

「そう……なのかな?」

「石って何かしら」


 ティシィは指を唇に当てた。それは彼女が何か考え事をしながら話すときの癖だ。


「魔石とか」


 ティシィはポケットから小さな巾着を取り出して、中の物をテーブルの上に広げた。ジャラ、と音がして大小さまざまな色の石がテーブルに広がった。

 それが魔石であるのはすぐにわかる。石の表面に『言霊ことだま』と呼ばれる短縮された呪文が書かれているのだ。


「いま手元にあるのはこれだけだけど……」


 ティシィは魔石をかき回して、色ごとに分けていく。形は不揃いだけど、小指の爪ほどの大きさの物から親指の爪ほどの大きさの物まで様々だ。中には硬貨ほどの大きな石も二つあった。


 魔石は魔力を秘めた石のことで、「精霊が触れた石」とも「精霊の化石」とも言われている。

 火や水、風など、微量の魔力が凝縮されているため、火の魔石なら火を熾し、水の魔石なら水が溢れ、風の魔石なら物を浮かせ、氷の魔石なら冷やし、光の魔石なら灯すことができる。石に『言霊』が書いてあれば、魔力のない者でも簡単に扱うことが出来た。

 そして、石が持つ魔力を使いきると砂のように砕けてしまうのだ。

 大きな力を持つ石ともなると、精霊石や聖石、聖玉などと呼ばれ、それを使うことが出来る者は限られている。


「けっこう持っているのね」

「アリスが持たなさすぎるだけ。便利なんだから普段から持ってなさいって言ってるのに」

「いいの。重たいんだもの」

「漬物石になるような大きさの物を持てとは言ってないってば」

「い、い、の!」


 頑固な私に、ティシィは初めてじゃないため息をついた。


「まあ、いいわ。――ピイ」


 ティシィは席を立つと、私に近づいてきて、足元の子供を抱き上げる。そのまま自分が座っていた椅子の上に立たせた。


「石を用意したわよ、どうすればいいのか言いなさい」


 子供は魔石に興味を持って触ろうと手を伸ばすが、手を伸ばしても届かない微妙な位置に石がある。小さな手がテーブルを叩く。ぺちぺち。


「ちー!」


 不満げな声を上げる子供をまっすぐに見ていたティシィが大きく目を開いた。


「……なるほどね」


 小さなつぶやきに、私は首をかしげた。


「なに?」

「この子の『声』は、直接触れていないと聞こえないみたい。――母親ほどの力はまだないんだわ」

「今、何か聞こえたのね」

「石を盗まれたって」

「魔石?」

「もっと厄介。赤龍の血で作られた結晶石。たぶん、それに赤龍からアリスへの伝言が入っていたか、直接、会話できるようになっていたのよ」


 ティシィは疲れたようなため息をついた。


「盗まれた石は取り戻さないと……」


 大変なことになるわ、という言葉は口の中で消える。

 どちらにしろ、とティシィは言った。アリス、と呼ばれたので背筋を正すと、まっすぐな目を向けられた。


「セラ侯爵と会えるように連絡をとって、明日にでも会いなさい」






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