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16話 子供の正体。

 

 

「りちゅ!」


 私の両足に抱きついている子供は、スカートにぽすんと身体が埋まって赤い髪しか見えない。

 りちゅ、が「アリス」――私を意味する言葉だということは想像がついた。足に回る腕の強さに、子供がひどく私を求めていたこともわかる。

 でも、なぜ?

 この子は誰なのだろう。

 短いけれど細くてさらさらの髪は、赤い髪には珍しかった。小さな頭をそっと撫でれば、子供が顔を上げた。


「りちゅ」


 子が母を、弟妹が兄姉を、慕うような声。端整な顔が嬉しそうに笑っている。赤い髪に大きな金の瞳が珍しくて、ふ――と何かを思い出させた。

 苦笑する気配に顔をあげれば、ネイが目を細めていた。


「やっぱり、アリス様のことだったのですね」

「どういうこと?」

「この子、りちゅ、としか口にしないんですよ」

「……」


 私は子供を見つめた。


「朝、療養所へ行く途中、エセルの森でうずくまっていたんです。最初は遊んでいるのかと思ったんですけど、帰りも同じ場所でうずくまっていたんで声をかけたんです。具合が悪いか、泣いているのか、迷子にでもなっているのかな、って。まあ、赤い髪なんでよけいに気になったっていうのもあるんですけど」


 うん、と私はうなずいた。

 ネイの家族構成を知らなかったら、ネイとマイリィの妹だと思ったところだ。

 いや、弟だろうか?


「最初はあたしを警戒していたんですけど、同じ髪色だとわかったら安心したみたいで」


 ネイは苦笑して腕を組んだ。


「服はボロボロだし、風呂にも長く入っていなかったみたいで、まるでボロ雑巾」


 子供がネイのほうを見上げた。それに、ネイが笑いかけている。


「アリス様を探していたんだね、よかった」

「ネイ」


 私は首をかしげた。


「この子は、どこの子?」

「え、知り合いの子じゃないんですか」


 ネイが軽く目を見張った。

 知らないわ、と私は無言で首を横に振った。

 ネイは困ったように子供を見つめた。


「とりあえず警団に声をかけて、迷子の問い合わせがないならうちで預かるって連れてきたんです。よほど疲れていたのか、風呂に入れたらさっきまで眠ってたんですけど、寝る前に、アリス様が見舞いでくれたクッキーにすごく反応して。りちゅリちゅ言いながら嬉しそうに食べていたんで、もしかして『りちゅ』ってアリス様のことなのかなって」

「それで帰りに寄ってと言ったの?」

「ああ、いえ、渡したいのは他に」


 帰りに持っていってください、と籠いっぱいに入ったレモンを渡される。

 私は喜んでお礼を言った。飲み物や砂糖漬け、ジャムやお菓子など、使い道はたくさんある。


「でも、困ったな……。アリス様が知らないとなると、どこの子なんでしょう」

「名前は言わないの?」

「ええ」


 私は子供の目線に合わせて腰を下ろした。


「あなた、お名前は?」


 子供は首をかしげて、嬉しそうに言った。


「りちゅ!」


 むぎゅっと私に抱きついてくる。


「……」


 私は困ってティシィを見上げた。


「知ってる? この子」


 ティシィならどこの子か知っているかも――と、漠然と思っただけだけど。


「知っているわよ」


 あっさりと言われて、逆に驚いてしまった。

 ティシィが身をかがめ、水色の瞳がまっすぐに子供を見つめた。


「おちびちゃん、私が誰かわかる?」

「………………」


 じいい、と音が出そうなくらいティシィを見つめた子供は、小さく首をかしげた。そして何かに気づいたように背筋をピンをのばして叫んだ。


「ちー!」

「あはは! やっぱり」

「え、なに?」

「これ、幼生ようせいよ」

「妖精?」

「だから、赤龍せきりゅうの幼生」 

「……」


 え、と瞬いた私は、腕の中の子供を見つめた。


 ――赤龍の幼生?


 それがなにか――は、訊くまでもない。

 私は8歳のときに、南方の魔法大国レドラスで珍しい生き物を拾っていた。

 珍しい、としか言いようがなかった。


 だって、それは伝説の生き物だったから。





 私が8歳のとき、ナミお祖母さまと両親、メアル伯爵家の一家が共に訪れたのは、母親たちの親友が嫁いだ魔法大国レドラスだった。

 レドラスの王妃でありながら、生まれた子供と共に隔離されるように王都から遠い離宮で暮らす女性は、母たちの来訪に驚きながら、泣き笑いのような表情で歓迎してくれた。

 王妃は離宮に泊まるよう言ってくれたが、両親はそれを断り、近くの村で一軒家を借り切って、そこを宿としたのだった。

 だが、大人たちは連日離宮に訪れ、夜遅くまで何かを話し合っている。

 たまに私やティシィも連れて行かれて、王子と遊んだけれど、勉強で忙しい王子の邪魔にならないよう、宿で留守番することのほうが多かった。


 その日、私は近くの大きな森に入り、野いちごを籠いっぱいに摘んでいた。

 ジャムにするのがもったいないくらい甘くて美味しい野いちごは、摘むそばから私の口に消えていく。

 ゴオオ、と空が鳴って顔を上げると、急な突風に身体を持って行かれそうになって、あわててしゃがみこんだ。

 籠を抱えて丸くなっていると、私の髪を鳥の巣のようにした風がおさまり、ホッと息を吐く。

 背後のほうで、グシャ、と何かが落ちる音がして私は立ち上がった。


 果実が木から落ちたのかしら、と私は音のしたほうへと歩いていく。

 白い塊が見えた。

 そして、赤黒い何か。

 それを最初に見つけたとき、私は「死んでいる」と思った。でも、呼吸しているのがわかって近づくと、割れた卵の側に倒れていたそれは、鳥の雛のようだった。

 ただし、体長は20センチほどの大きな雛だ。

 生まれた直後なのか、身体は濡れてぬめっていた。羽はなく、皮膚は薄い肌色だが、筋肉や内臓が透けているため全体が赤黒い。

 目は閉じているが大きく、何かを求めるように開いた口は喉の奥まで見えるほど大きかった。


 それが、卵から孵った赤龍の幼生だったとは想像もしないで。


 純粋に鳥の雛だと思ったのだ。

 そのうち、もふもふの羽が生えてヒヨコみたいになるんだ! とワクワクした。

 でも、鳥の雛は拾ったらいけないとお祖母さまに言われていたから、私は触らないで見守ったのだ。おそらく近くに親鳥がいるはずで、人がいると警戒するから、私は少し離れた位置で身をかがめて、早く親鳥が来ることを祈りながら静かに待った。

 雛の閉じていた目が開くと、琥珀のような金色だった。吸い込まれそうなくらいきれいな瞳で、目が合うと、まっすぐに見つめてくる雛に私は笑った。


「大丈夫よ、ひとりじゃないから! 早く来るといいね、お母さん」


 巣が上のほうにあるのだろうか、と木を見上げてもわからない。

 声をかけて、卵が落ちたことを教えてあげたほうがいいのだろうか、と悩んでいると、


「ぴい!」


 雛が鳴いた。

 すごくすごく可愛い声で。

 とろけそうになるくらい可愛い声で。

 よし、がんばってお母さんを呼んで! 私は一生懸命応援した。

 雛はよろよろと立ち上がって、私に向かって鳴いた。


「ぴい!」


 鳴きながら、懸命に近づいてきた。


 親鳥はなかなか現れず、どれくらいの時間が経ったのかわからないまま、雛は私に寄り添って眠っていた。

 かすかに震えているのがわかったから、羽がないから寒いのかも知れないと抱き上げれば、雛は嬉しそうに鳴いた。甘えるように頭を寄せてくる。

 お腹が空いたのかも、と私は摘んだばかりの野いちごをあげてみた。虫とかのほうがよかったかと思ったけれど、雛は野いちごが気に入ったみたいで、何度も大きな口をあけて催促し、もうないのごめんね、と言うとまた眠ってしまった。

 正直、生まれたばかりの雛は醜い姿だったけど、本当に可愛く思えて、その体温が愛しかった。

 頭をゆっくり撫でていたら、濡れていた羽が乾いたのか、そこだけふわりと立ち上がっていた。

 さらにしばらく親を待っていたら、私を呼ぶティシィの声が聞こえて来たのだった。

 森に入ったまま帰ってこない私を心配して探しに来たのだろう。草を分けて現れたティシィに、ここよ、と手を振った。


「アリス! また迷子になったのかと思って心配したわよ!」


 ホッとした様子で駆け寄ってくるティシィに、私は座ったまま腕の中の雛を見せた。


「ティシィ、見てみて! かわいいの~!」

「どこがっ!」


 もー何拾ってんのよ! とティシィが眉を寄せた。


「また変なの拾って!」

「変なのじゃないよー。そのうち、もふもふだよ! ふかふかだよ!」

「いいから、そんなの置いていくわよ。今、赤龍が現れたって大騒ぎになっているんだから」


 せきりゅう? と首をかしげた私の二の腕をティシィが掴んで立ち上がらせた。


「どっかのバカが赤龍の卵を奪ったのよ。それを奪還しに来たの。ナミ様も手伝ったみたいだけど、近隣の町や村も森から獣が出てきて大騒ぎになってる。王都はもっとすごいことになっているみたいよ」

「あら」


 大変、と瞬く私に、ティシィは頭が痛そうな顔をした。


「あら、じゃないから! かなり前にこの頭上を赤龍が通って行ったでしょ。いったん去ったと思ったのに、さっきまた戻ってきて森の上を旋回してたのよ」

「へえ……」


 私は首をかしげた。


「何か探していたのかしら」


 腕の中の雛を見つめた。

 この子を拾う前に、ものすごい強風が吹き荒れた。そのせいで卵が巣から落ちたのだと思っていたけど……。

 それが赤龍が通過した際に起きた風だとしたら?

 ぴい、と元気に雛が鳴いた。

 私は、もしかして、とつぶやいた。


「赤龍が探しているのって、この子?」


 いやまさか、と私は苦笑した。

 結局、滞在している家に雛を連れて帰ったら、お祖母さまや両親たちは出払っていて、みんなが帰ってくるまで二人で雛の世話をすることになったのだった。

 お祖母さまより一足先に帰って来た両親たちにも、この雛が「何か」はわからず、遅くに戻ってきたお祖母さまだけがすぐに「何か」が気づいて、一緒に赤龍のところまで届けに行くこととなったのだ。


 赤龍を目にしたときの驚きは今でも忘れられない。


 朱金の鱗で全身が輝く巨大な龍。理知的な瞳は、雛と同じ金色で。

 赤龍は伝説の生き物だと思われていたのに、本当に存在したのだ。

 ということは、騎士団の名称にもなっている金獅子きんじし白鳳はくほう蒼虎そうこ玄武げんぶなどもいるのかもしれないと思うと、ワクワクする気持ちが止まらなかった。

 簡単に踏み潰されそうな生き物を前にして目をキラキラさせている私に、お祖母さまが苦笑する。


 ――人のよ、感謝する。


 人の脳裏に直接語りかけるような玲瓏とした声が響いてさらに驚いた。

 卵を奪われた赤龍。報復のため、消し炭と化した王城。そこで働いていた者たちは、すべて焼け死んだという。卵を奪った者だけが悪く、それを知らない者は悪くない――なんて赤龍には関係ない。子供を奪ったのは「人」なのだ。それは、種族として人が敵対したということ。

 本来、こうして、穏やかに話しかけてくることすら驚きだった。


「私の孫だよ、レディア」


 ――ナミ殿の孫か、なるほどな。


 ふ、と楽しげに笑う赤龍に、私は目を見張った。だって、大きな龍が口角を上げて笑ったのだ。

 赤龍の卵が奪われた経緯は詳しく知らされなかったけど、奪われた卵は五つ。すべて奪還したものの、その中のひとつを運んでいる途中で落としてしまったという。

 落として、潰してしまった――と思ったらしい。

 落としたのが森であり、うまいこと生い茂る葉に当たって地面への直接の落下が防げたことが幸いした。

 そして、そこに私がいたことも、幼生にとっては幸いだったのだ。


 すでに全身を赤い羽に覆われてもふもふの生き物になっていた雛は、別れるときに何度も鳴いていた。

 ぴい、ぴい、と切ないほどに強く鳴いて私を求めた。

 鳥の雛のような刷り込みがあったのだろうか。

 普通の鳥とは違って、一番最初に見た人間を親と思うのではなく、赤龍のことを親と認識してはいるというが、それとは別に、私を慕ってくれているのがわかって別れがつらかった。

 チトセ家の家訓は「拾った生き物は責任を持って育てる」だよね、と主張してみたけど、お祖母さまは私の頭をくしゃりと撫でただけだった。


 名前も付けずに、別れた雛。


 ぴい、としか鳴けなかったのに。

 あれから7年――。

 子供の姿は、2歳か3歳くらいでしかないけれど。


「赤龍って、人の姿……になれたの?」

「帰り際に赤龍様だってなっていたじゃない」


 ティシィは子供の両脇を掴んで抱き上げた。

 赤龍の幼生を返しにいく際、ティシィも同行したのだ。


「人の言葉も話していたでしょ」

「……そうだった、わね」


 だから、私はほかの動物も人の言葉がわかり、人の言葉を話すんじゃないかと思ってしまうのだ。


「りちゅ」


 ティシィの腕の中の子供が、私に手を伸ばしてくる。


「本当に、あのときの子なの?」

「りちゅ」


 嬉しそうに笑う子供は、私のことを「りちゅ」と呼び、ティシィのことを「ちー」と呼ぶ。


「間違いないって」


 ティシィは声を出して笑った。


「赤い髪に金色の目なんて、そうない組み合わせでしょ。第一、母親にそっくりじゃない」

「あら、セインおじさまも赤い髪に琥珀色の瞳よ?」

「じゃあ、アークロット侯爵の隠し子なのかもね~」


 ニヤニヤと笑うティシィ。


「隠し子から逃げ回るために音信不通になっているんじゃない?」

「やめてよ」


 私は小さく笑ってしまった。

 そして、力が抜ける。


「おいで」


 私は微笑み、子供に手を伸ばしてティシィから受け取った。

 抱き上げた子供はずっしりと重く、暖かい体温が心地よかった。

 抱き寄せると、子供は私の肩口にすりすりと額を寄せた。


 ――ああ。


 本当だ。

 雛のときと同じ、甘える仕草だった。


「ぴい」


 そう口にしたのは私だった。

 雛に名前は付けなかったけど、ぴい、としか鳴かない雛へ、逆に「ぴい」と呼びかけた私たち。

 顔を上げた子供は、呼ばれたことを喜ぶように、嬉しそうに笑って。


 ――アリス、見つけた。


 脳裏に、幼い言葉が響いた。






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