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15話 赤髪の姉妹。

 

 

「アリス様、うちに用があるんですか?」


 ティシィと手をつないで歩く赤髪の少女が、隣を歩く私を見上げて首をかしげた。

 私は微笑む。


「来るときに、ネイから帰りに寄ってほしいと言われたの」

「姉が?」

「朝、なんか言ってなかった?」


 マイリィは首を横に振った。


「わたしが家を出るときは、まだ寝ていたんです」


 ネイはエセル地区の端で貸し衣装屋を営んでいる。ネイが2年前まで仕事を手伝っていた店の老婆が、ネイが成人すると同時に隠居し、彼女に店を譲ったのだ。


「渡したいものがあるって言っていたんだけど……」


 なにかしら、と私は首をかしげてマイリィを見つめた。


「足の具合はよくなったって聞いたけど、本当に大丈夫なの?」

「はい」

「足の具合……ね」


 ティシィがクククと喉の奥で笑った。


「ちっとも落ち着いてくれないから、治るのが遅れただけなんだよねー」


 こくん、とマイリィがうなずいた。


 今日の昼みたいに、私がネイの家の前を通ったとき、突然、目の前に空から人が落ちてきたのは一ヶ月前のことだ。

 ドサッと落ちてきたのは赤い髪の少女。

 心臓が止まった、なんてもんじゃない。

 自殺ではないのは、落ちる前に「アリス様~!」「とう!」という言葉が聞こえてきたから。

 ネイはただ「落ちた」としか言わなかったけど、それまで二階だったのに、引っ越して三階になったのを忘れていたに違いない、とティシィなどは言う。でも、今度は華麗に着地してみせます、とネイが言っていたから、忘れていたわけではないだろう。

 彼女は三階から飛び降りて、華麗に着地して、たぶんドヤ顔で私を驚かせるつもりだったのだ。

 少なくとも、私を驚かせることには成功しているわけだけど。


「マイリィ」


 ティシィは片目を瞑った。


「お姉ちゃんの料理に自分の爪の垢でも入れて食べさせちゃいなさい。きっと少しは落ち着くわよ」

「ティシィ、変なことを教えないで」


 私が眉を寄せると、ティシィはてへっと笑った。マイリィと二人してクスクスと笑っている。

 ネイとマイリィの年の差は10。

 赤い髪とそばかすが特徴的な姉妹だが、実は血がつながっていない。ネイが10歳のとき、孤児院の前に放置されていた赤子を保護したのだが、それがマイリィだった。

 同じ髪色だったことから、ネイは自分の妹としてマイリィを可愛がった。ついには2年前、16歳で成人すると同時にマイリィを引き取って孤児院を出たのだった。


 ――なぜそんな事情を私が知っているのかといえば、孤児院の前に置かれていた籠を最初に見つけたのが私だから。


 でも、私はそのことを忘れていたのだ。

 それは一年ほど前――。

 孤児院のお使いで私の家まで来たマイリィが、途中で雨に降られてしまったため、風呂を沸かして入れてから、髪を拭いてあげているときだった。

 顔を上げたマイリィに、特徴的なそばかすがひとつもなかったのだ。

 魔法のように消えたそばかすに言葉を失い、目を見張る私に、マイリィは軽く首をかしげて、どうしたのですか、と可愛らしい声で聞いてきた。

 私はそれに答えられず、マイリィを家に残して、あわててネイを呼びに行ったのだった。

 マイリィのそばかすが消えた! と慌てふためく私をネイは笑って言った。


「そりゃあ、風呂に入ったら消えますよ」


 と。


「普通、消えないわよ!」

「消えますよう。だって、マイリィのそばかすは化粧して作っているんですから」

「ええ!? な、なんで」

「姉妹ですから」

「そっか、姉妹だから、……て、え!? だから?」

「だから同じにしているんです」


 ネイはにっこりと笑った。

 意味がわからない。

 いったいいつから、と問いたくなった。私が記憶している限り、物心つくころにはすでにマイリィの鼻周りにはそばかすが散っていたのだ。

 そこで初めて、私は二人の血がつながっていないことを知らされたのだった。

 そうなの!? と驚く私に、何を言っているんですか、と呆れたのはネイだ。


「アリス様が最初に見つけたんじゃないですか」

「え、何を」

「マイリィを、です」

「ええ!?」

「門の外で赤ちゃんが泣いてる、ってアリス様が呼びに来たのを今でも覚えていますもん」

「そ、そうなんだ……」

「同じ髪の色だからネイの妹だね、って言ってくれたんですよ」

「そ、……そう」


 マイリィが保護されたとき、私は7歳だ。

 確かに、そう言われてみれば、そんなことがあったような――?

 同じ髪の色だからネイの妹だ、と思ったような――?

 ネイは苦笑いした。


「忘れているんじゃないかと思いました」

「ご、ごめんなさい……」


 謝ることじゃないですよ、とネイは笑った。


「……あたしは両親の顔を知りません」


 窓の外に目を向けて、ネイは話を続けた。


「孤児院が出来てすぐに保護されたのがあたしです。だからこそ、成長する上で自分が孤児であることを自覚せずにはいられなかった」


 ネイは私を見て小さく笑う。そんな深刻な話じゃないんですよ、と言いたげな笑み。同情してもらいたいわけじゃない。ただ、語るだけ。


「孤児院は家です。セシル様は母で、そこで育つ子はみんな兄弟姉妹きょうだいのようなもの。でも、孤児の中には本当の母親や父親の記憶がある子もいれば、兄弟や姉妹がいる子もいるんです。マイリィのように、生まれてすぐに捨てられていたあたしだけが何もなかった」


 ネイは小さく笑うと、両手で私の手を掴んだ。


「あの日、アリス様があたしに妹を――、家族をくれたんです。それがどんなに嬉しいことだったか、わかりますか」


 ネイに掴まれた手が熱かった。

 そして、私は思い出したのだ。


 ――あの夜のことを。


 あ、あ、と。

 小さな声が聞こえてきたのは、肌寒い春の日だった。

 最初は猫かと思ったのだ。

 建物の外に出た私が、声を拾うように探して歩けば、門の外に人が立っていた。

 頭から外套を被った、黒い人影。


「あなたはだあれ? ここにご用ですか?」


 私が問えば、その人は驚いたように私を見て、すぐにきびすを返した。

 逃げるようだった、と今なら思う。

 私は軽く首をかしげたまま、その人が立っていたところに何かが置かれているのに気づいた。

 あの人が置き忘れていったのだろうか。それとも、置いてあるものに気づいて覗き込んでいただけなのだろうか。

 近づけば、それは小さな籠で、中には白い布に包まれた小さな顔と、小さな手が見えた。

 夜なのに赤い髪とわかったのはどうしてだろう。

 あ、あ、と赤ん坊が泣いていた。

 赤ちゃんって「オギャー!」と元気に泣くものだと思っていたから、なんだか不思議な感じがした。

 弱弱しい声。実際に、弱っているのかもしれないと焦った私は、建物の中に戻って母の袖を引いた。


 ――お母さま、門の外で赤ちゃんが泣いています。


 孤児院で保護された赤ん坊は、マイリィと名づけられた。

 マイリィはネイと血がつながっていないことを知っているのだろうか。

 ネイに聞けば、首をかしげられた。


「さあ……? 知っているのかもしれないし、知らないのかもしれないし」

 関係ないです、とネイは笑う。

「本当の姉妹でも、いちいち血がつながっていることを確認なんてしないですよね? 血がつながっていても、ぜんぜん似ていない姉妹だっています」


 ネイの目は、まっすぐに私を見つめた。


「マイリィはあたしの妹で、あたしはマイリィの姉。それだけでいいんです」


 そう言って笑ったネイの顔は、本当に幸せそうだった。

 私はマイリィの髪に手を伸ばして、くしゅりと撫でた。


「アリス様?」


 不思議そうな顔で見上げてくる少女。マイリィの顔には、今もそばかすが散っている。


「髪が伸びたわね。このまま伸ばすの?」

「はい」

「マイリィは侍女になりたいんだって」


 ティシィが楽しそうに笑う。

 私は目を丸くした。


「あら。そうなの?」


 マイリィは軽く頬を染めてうなずいた。


「髪が短いと結えないから……」

「そうね」


 私は微笑んだ。

 エセル地区で育った子供は、商人や貴族の使用人として引く手数多あまただ。何しろ、学があり、盗まず、働くことを厭わないから。

 ティシィはマイリィとつないでいる手を持ち上げて、「青田あおたい」と笑った。






 エセル地区の建物は多くが四階建ての集合住宅になっている。一階が食堂や店舗、二階と三階が住居で、四階だけがなぜか入居者不明のまま空室であることが多かった。

 四階は資階しかいだ。

 鍵の持ち主はその建物のオーナー――。それはつまり、20年前のエセル地区誕生を影で支えた者たちを意味する。

 でも、それを知っているのは一部の人だけ。

 彼らは普通にエセル地区の住人にまぎれて暮らしているし、住人も、自分たちの住んでいる建物のオーナーが誰かを知ることなく暮らしている。

 稀に現れる四階の住人に出会っても、普通に挨拶を交わし、久しぶりに見たな、と思うだけ。


「おお!」


 今もまた、すれ違った四階の住人が笑顔で声をかけてきた。

 頭部の毛はなく、顔の半分を覆う白い髭が見事な老人だ。


「アリスちゃんじゃないか。元気だったかい」

「はい」


 私が微笑むと、齢80を超えても元気な老人は、はっはっは! と声を出して笑いながら杖を突いて去っていく。

 私が物心つくころからすでにエセル地区の住人である老人は、住人から「白の長老」と呼ばれていた。

 嬉しそうに歩いていく老人の後姿に、私は微笑んだ。


「なんだか今日はずいぶんと楽しそうね。いいことでもあったのかしら」

「孫でも遊びに来たんじゃないの?」


 浮かれた様子の長老を見て、ティシィが呆れたように肩をすくめた。

 しばらく歩くと、姉妹が暮らす集合住宅が見えてきた。

 集合住宅はいずれも中庭を囲むように建てられ、エセル地区に限らず、王都では外観を損なうという理由で洗濯物などは室内か中庭に干すよう定められている。

 ネイとマイリィが住んでいるのは三階の角部屋だ。

 見上げて、ネイ、と声をかけると、すぐに赤い髪がひょっこりと現れた。


「アリス様! お帰りなさい」

「今、大丈夫?」

「もちろんです! ティシィ様もご一緒なんですね。申し訳ないですが、ここまであがってもらってもいいですか」


 いいわよ、と手を上げた。

 私たちは一階にある食堂の横にある階段から三階へと向かう。

 二階の途中で息が切れはじめた私に、後ろから来るティシィが「ちょっとアリス」と呆れたような息を吐いた。


「これくらいの階段で息切らさないでよ」

「だって……、階段が……、急……、なんです……、もの……」


 立ち止まって、ふう、と息を吐いた。

 四階へは風の魔石を使って一瞬で移動することが出来るのに、三階までは階段でしか上がれないのだ。そのため、二階よりも三階のほうが家賃は安いらしいけど。


「アリス様、がんばって」


 よいしょ、よいしょ、とマイリィが私の背中を押してくれた。

 私は涙が出そうになった。


「ありがとう~」


 マイリィってば、本当にいい子!!

 ティシィは苦笑い。


「もっと体力をつけなさい」

「今日は、たくさん、歩いた、わよ」

「それを毎日繰り返してたら立派だけどね」

「無理ー」


 出不精な私に無茶言わないで。

 おそらく私に体力があるなら、お祖母さまだってティシィだけじゃなくて私も一緒に連れまわしただろう。でも、駆けっこではティシィが100メートルを走るタイムで、私は50メートルを走るのが精一杯。

 走る前の格好はいいんだけどねえ……と両親にため息をつかれたのは懐かしい思い出だ。なんでも、すごく早く走りそう! と思うような凛々しいスタートポーズらしい。


「はあ、はあ、はあ……」


 汗をかいてきた。今日は歩き回って疲れていたとはいえ、三階に上るだけでこれでは、さすがに情けなくなってくる。

 もっと散歩をして、体力をつけたほうがいいのかもしれない。


「ほら! アリス! がんばれ!」

「がんばってる!」

「アリス様、がんばって」

「はいはい」


 最後の一段を上って、ふう、と私は息を吐いた。


「到着~」


 やり遂げた感で満ち足りた私に、ティシィがため息をついた。彼女は息のひとつも切れていない。


「まったく、老人でももっとしっかりしてるわよ」


 マイリィは心配そうな顔で私の袖を掴んだ。


「アリス様、大丈夫ですか」

「ええ、ありがとう。助かったわ」


 にこっと笑って、マイリィは廊下を駆けていく。


「お姉ちゃん! ただいまー」

「マイリィ、お帰り」


 玄関の扉を開けて待っていたネイがマイリィを抱きしめ、後に続く私たちに明るい笑顔を向けてくる。


「ご足労をおかけして申し訳ございません」

「気にしないで」

「狭いですけど、中にどうぞ」


 お邪魔します、とネイの前を通ったときだった。


 ドン、と軽い衝撃は足元に。


「りちゅ!」


 目に入ったのは赤い髪。

 突撃してきたのは2歳か3歳くらいの子供だった。







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