12話 秘密の通路。
まずは確認。
私はティシィにセラ侯爵と出会ったことと、マリーベル様に出会ったときの状況を話した。
「侯爵はマリールージュ様……じゃなかった、マリーベル様……」
ティシィは言葉を切って眉を寄せる。ややこしいわね、とつぶやいた。
「マリー様とお呼びしてもよろしいですか」
「ええ」
にっこりと笑うマリーベル様にティシィも笑みを返し、再び真剣な顔になった。
「アリス、侯爵はマリー様ではなく、国王陛下を探していたのね?」
「そうみたい」
「つまり、1・近衛は王太后陛下が王宮から消えたことに気づいてない。――マリー様は息子、……国王陛下の後をついて王宮を抜け出してこられた。そのことを陛下が知っているということは?」
「ないわ」
「つまり、2・陛下も王太后陛下が王宮から消えたことを知らない。――マリー様が抜け出してこられたということは、陛下は後宮からつながる裏道を利用された。そうですね?」
「ええ」
「裏道?」
私が首をかしげると、ティシィは口角を上げた。さっきまでパンを乗せていた紙に、ペンで何かの図を描いている。四角形が連なり、通路らしき線が引かれる。建物の見取り図らしい。
「王宮から外へ抜ける道はいくつかあるのよ。謀反とか他国からの侵略とか、何かがあったときにそこから避難できるように、秘密の通路は必ず作られるものなの」
「そうなの?」
「どこの城にも必ずあるわ。ただし、外から入ることは出来ない一方通行の道」
ティシィは、描いていた図にいくつかの×印を加えた。
私はそれを見ながら首をかしげた。
「でも、それじゃ王様も戻ることが出来ないじゃない」
「王様は別。ただし、王と一緒だと誰でも入ることが出来るから、逆に危険なの。よほどのことがないかぎり、帰路には使わないはずよ。だから、侯爵が探しに来ているんでしょ」
「?」
意味がわからずに首をかしげる私を呆れることなく、ティシィは丁寧に答えてくれる。
「時間差で迎えに来るよう、手紙でも残したんじゃないの?」
「ああ、なるほど」
「秘密の道は呪いがかけられていることが多いわ。道を知る者の前にしか現れないとか、特別な鍵が必要だとか、呪文が必要だとか、身体に刻まれた紋章とか、直系の一子相伝であることが多いわね」
「へえ……」
魔法ということはお祖母さまの得意分野。だから、ティシィも詳しいのかもしれない。
ティシィが描いた図を見て、マリーベル様が目を丸くしている。
「それ……」
「利用したのはどこです?」
「え?」
「私が知っているのはこれだけです。こちらが南、正門はこっちです」
「こ、ここよ……」
マリーベル様が指した場所を見て、ティシィは頷き、そのまますぐに紙を細かく破いた。それをグラスの中に入れ、火の魔石を使ってあっという間に燃やす。
「貴女たち……」
マリーベル様が驚いているというより、困惑した顔で私を見た。
――え、私?
私を見られても困るんですけど。
とりあえず、苦笑を返すしかない。
今のやり取りからすると、ティシィが王宮の裏道を示したと推測はできるけど、本来、ありえない――ことなのだろう。
ティシィが王宮に行ったことは一度もないはずだ。でも、彼女は王宮の内部を描くことが出来る。しかも、裏道の場所も複数把握している。
私はなんだか遠い目をしてしまった。
――お祖母さま……。
ティシィにいったい何を教えてるんですか……。
マリーベル様が、ティシィを魔女の弟子と言った理由もわかる。でも、おそらく彼女がそれを口にしなければ、ティシィだって裏道の存在を黙っていただろう。
ある意味、知られたからにはしょうがないと開き直っているように思える。
ナミお祖母さまは強大な魔力を持った上で行動していたけど、ティシィは持っていない。与えられたのは知識だけのはずだ。
ティシィを巻き込んだのは自分だけど、心配になってくる。
私の不安に気づいているのかいないのか、ティシィは淡々とした表情で、マリーベル様を見つめた。
「その格好を見るかぎり、計画的に行動されたみたいですけど、そのことを誰かに伝えたり、後宮から出られることを知っている人はいるのですか」
マリーベル様は急に背筋を伸ばして、ふるふると首を横に振った。王宮が恐れる「ナミ様」の姿とティシィが重なったのかもしれない。
「いないわ。ここ数日、機嫌の悪いふりをして、人払いをしていたの。様子を見に来たら、わざと怒ったり叱ったり、ね。昨日は夕方まで誰も来なかったわ。今朝も近づかないように命じてきたから、夕方までは私がいないことに気づかれないはずよ」
「今日は……大丈夫、か。でも、それが三日続くと逆に危険なので気をつけてください。手紙は?」
「一応、残してあるわ」
「3・王宮の者も王太后陛下がいないことに気づいてない。――ベストは、誰かひとり味方につけることです」
「ねえ」
私はティシィの袖を引いた。
「そんな簡単に後宮から抜け出せるもの?」
隠し通路がどこにつながっているのかは知らないけれど、後宮は衛兵だっているだろうに。
ティシィが紅唇に笑みを浮かべた。
「護衛対象が『王太后』ってところがポイントね。後宮の主は本来、王の正室だけど、今の陛下は独身。側室もお子様すらいらっしゃらない。まあ、私が知らないだけで、存在している可能性もあるけど……」
ティシィの視線を受けたマリーベル様が微笑んで首を横に振る。
「いないわ」
「となると、後宮内部に護衛はいない」
「え」
私は瞬いた。
「護衛の人がいないの?」
あっさりと答えたのはティシィだ。
「いないわね」
「女性の騎士とか……」
「后妃様が複数いたり、お子様がいればいるだろうけど、今はいないでしょ」
「王太后陛下がいらっしゃるのに?」
「危害を加える人がいないもの」
マリーベル様を見れば、やんわりと頷いた。
「で、でも、人質になったりしたら困るでしょ?」
焦る私に、ティシィはきょとんとした。
「なっても困らないわよ」
「困るわよ!」
ティシィは肩をすくめる。
マリーベル様が可笑しそうに笑った。
「ティシィさんは知っているのね? 王家とジン様の関係を」
「はい」
「え。そうなの?」
驚く私に、ティシィは半目になった。何を今更、という顔。
「10歳のときに、ナミ様から聞いてる」
「ええー!?」
「何をおどろいてるのよ」
「えええー? だって……」
知らないと思っていたんだもの。
だから、アレフレット殿下と父が似ているとティシィに言われてドキッとしたのに。
――ああ。
でも、そうか。
それなら、先ほどマリーベル様が王太后だと気づいたとたんにティシィが牙を向いた理由もわかる。
秘密の道のことも、お祖母さまから聞いたのだろう。
ティシィが小さく息を吐いた。
「そもそも、どうして王宮を抜け出そうと思ったんですか」
「……前からね」
マリーベル様は微笑んだ。
「前から、息子が城下に抜け出していることは知っていたのよ。私はそれに気づかないふりをしていただけ。……でも、本当は息子が羨ましくて仕方がなかった」
小さく笑う。
「先日、セティス老公が謝りに来たのよ。孫娘の主催したパーティーに、よりにもよってメディ家の姫を招待してしまったと」
「ああ……」
ティシィは何かに気づいたのか、同意した。
「アレフレット様がいましたね」
「ええ」
アレフレット殿下はマリーベル様よりも17・8歳年下だが、先王の異母弟、つまり義理の弟になる。
――アレフレット殿下は、父のことを知っているのだろうか?
自分よりも、年上になる甥の存在を。
その忘れ形見である私を。
あの日の対応を見る限り、知らないように思える。
ティシィも普通に対応していたけど、あれは、私のほうから接触したから大丈夫、ということだったんだろうか。
10歳のときに、成人式は出てもいいのかと聞いた私に、こちらから王宮に接触する分には構わないがその逆はないと教えてくれたのは父だ。
王宮から接触して来たらどうするの? と首をかしげた私に、「そんな命知らずはいない」とお父さまは笑っていたけれど。
――お祖母さま。
いったい、王宮の人たちに何をしちゃったんですか。
マリーベル様は、先ほど私に語ってくれたことをティシィにも伝えた。
「ジン様やナミ様と王宮との確執はもう昔のこと。今の若い人たちには関係のないことだって、やっと気づいたのよ。そんな簡単なことに気づくのに、長い時間がかかってしまったわ。そのことに気づいたら、私も自由に動きたくなってしまったの」
「自由に……って」
ティシィは呆れたように言う。
「何も王宮を抜け出さなくたっていいでしょう。気づかれたら大騒ぎですよ」
咎められていることがわかったのだろう。マリーベル様は唇を尖らせた。
「やっぱりやめようかと思って、一度は引き返したのよ? でも、開かないんですもの」
「……でしょうね」
「なら、進むしかないじゃない」
「ですよね」
はあ、とティシィは溜め息をついた。何で母親が後ろから来ていることに気づかないのよバカ陛下……と小声で文句を言っているけど、私は聞かなかったことにする。
マリーベル様がティシィの手に自分のそれを重ねた。
「ティシィさん、元気を出して」
「いやいや、貴女に慰められましても」
「ティシィ、元気を出して!」
「アリス」
ティシィに睨まれたけど、「てへ」っとしてみた。
マリーベル様も、ふふと笑う。
ティシィはがっくりと項垂れて、疲れた顔。
「王宮――、できれば近衛に知らせるのが一番簡単。でも、私に相談するってことは、何もなかったようにしたいんでしょ」
「うん」
「王宮にこっそり届ければいいのね」
「うん! できる?」
「……できないって言ったらどうするつもりだったの」
「あら、そのときはセラ侯爵に知らせるだけよ?」
「ぜひともそうしてほしいんだけどな」
「……」
じいい、とティシィの顔を見つめたら、小さな溜め息が返ってきた。
「……わかってるわよ、やればいいんでしょ」
「うん!」
私はティシィに抱きついて、頬に口付けた。
顔を離してにっこり笑うと、ティシィはまったくもう、とつぶやいた。
「これ、貸しだからね」