11話 魔女の弟子。
「アリス!」
セシル様に連れられて来たティシィは、私を見るなり目を輝かせた。
「今日の髪型かわいい!」
「ありがとう」
私は笑い返す。
左右にゆるい三つ編みをしているだけだけど、いつもは髪の毛を結わずにそのまま流していることが多いので、たまに変化をつけるとティシィは必ずといっていいほど「かわいい」と言ってくれる。
ティシィは長い髪をひとつに結って背中に流し、ズボンにシャツとベスト。いつものように動きやすさに重点を置いた、男の子みたいな格好だ。
「おつかれさま」
「もー、おなかペコペコー! 早くお昼しよー!」
ティシィは子供たちみたいにぴょんぴょん跳ねて私に近づいてきた。
「今日は何?」
「クルミたっぷりのパン」
「やった! 大好き!」
よし、とティシィは両手の拳を握っている。
私は微笑んで、いつも座る場所に紙を2枚敷き、バスケットから出したパンをティシィの前に二つ、私の前に一つ置いた。
「今日は外で食べないの?」
ティシィが一瞬不思議そうな顔をしたけど、それに答えず、グラスに牛乳を注いだ。
「手を洗ってきてね」
「はあい」
ティシィは素直にうなずいてきびすを返したが、食堂を出て行くときに、外が見えるところへ座るひとりの婦人――マリーベル様に気づいてにっこりと笑った。
「こんにちは!」
「こんにちは」
マリーベル様が微笑む。
ティシィは伯爵令嬢としてではなく教師としてここに来ているから、挨拶も言葉を交わすだけ。互いに別の場所で出会っていたなら、伯爵令嬢は王太后陛下を前にドレスの裾を軽く持ち上げ、ひざを曲げて優雅な礼をしていただろう。
ティシィが手を洗っている間に、私は残りのパンを外にいる護衛騎士の人たちにバスケットごと渡した。ついでに、お昼を食べ終わってからでいいので移動用の馬車を一台用意してもらうように頼むと、それはティシィ様の命なのか、と確認された。
「違うわ。個人的なお願い」
護衛騎士はしばらく無言のまま私の顔を見ていたが、静かに了解した旨を伝えてきた。
「人数は?」
「3人だけど、一頭引きで十分よ」
頷いた彼に私は微笑んだ。
「ありがとう、お願いね」
さらに、町馬車ではなく、極力目立たない箱馬車を指定した。
町馬車は個人が所有する馬車で、人も運ぶが御者席以外は座席のない荷馬車が多い。
私が指定した箱馬車は、部屋のような客室になっていて、席はクロスシート。裕福な層が移動用に使うことが多く、セティス家のパーティーに乗っていったのもこのタイプだ。
戻ってきたティシィが席に着くと、いただきます、と二人で祈るように指を組んだ。
セシル様は子供たちの様子を見に外へ行き、食堂には私たち二人とマリーベル様だけが残された。
「帰りにネイのところに寄りたいんだけど」
「いいわよ、付き合う」
私たちは、昼食を取りながら今日の授業に誰が出て誰が出なかったかの確認をした。
私が授業を受け持っているのは国語と歴史で、ティシィと同じく週2回ほど通っている。
ティシィは残った牛乳を飲んで大きく息を吐いた。
「ごちそうさま、美味しかったー!」
「よかった」
私は笑って、紅茶を入れるために立ち上がる。
「飲むでしょ?」
「お願い」
「マリーベル様も、食後の紅茶はいかがですか」
「ありがとう、いただくわ」
「こちらへどうぞ」
マリーベル様が近づいてくると、ティシィは少しだけ場所をずらして、彼女と話しやすい向きに身体を移動させた。
「孤児院の見学ですか」
「ええ」
エセル地区は特区と呼ばれているが、それはエセル地区の水準が他地区に比べて高いからだ。あらゆる試みに対して、国の内外から見学者は絶えない。
「どちらから?」
「ティシィ、あまり聞かないであげて」
私はくすりと笑った。
「その方、迷っていらしたの」
「そうなの?」
ティシィが目を丸くする。
「迷子が迷子を拾うなんて、すごい確率ね」
「ニヤニヤするのやめて」
私が迷子になったのは一度きりなのに、ティシィはそのことを何度も繰り返すのだ。
「私は普通に歩いていただけよ。迷子じゃないわ。――第一、迷子になったのだって一度だけじゃない」
「アリス」
ティシィは疲れたような息を吐いた。
「何度も言うけど、アリスが迷子になったのは一度だけじゃないから」
「一度だけだってば」
「だから、その認識がおかしい。自分が迷子だと自覚したのが一回ってだけでしょ。周囲の人間にとって、アリスは誰もが認める天才迷子なんだから」
「天才迷子?」
マリーベル様が首をかしげ、ティシィがにっこり笑った。
「初めての場所で、手をつないでいないと、いつの間にか迷子になっている人のことです」
「それ私じゃない」
「と、天才迷子は言った」
「もう! 迷子じゃないったら」
「ただ歩いていても、私の場合は探検、アリスの場合は迷子。周囲がいなくなったアリスを捜している時点でアリスは迷子なの。その違いを覚えておくように。ここ、試験に出まーす」
「もー!」
「ふふ……」
私とティシィのやり取りに、マリーベル様が吹き出した。
「貴女たち、本当にかわいらしいわ」
ティシィはにっこり笑うと、ス――と立ち上がり、胸に手を当て、騎士のような礼をした。
「ひとつ、アリスには特徴がございます」
いきなり始まった寸劇のような語り口調にマリーベル様は瞬いたけど、それを楽しむように目を細めた。
「まあ、それはなあに?」
「驚くべき確率で、何かを拾うのです」
マリーベル様はきょとんと瞬いた。小さく首をかしげる。
「私のような?」
「はい。しかも、その拾った『もの』は、総じて、ただの『もの』ではない」
「……たとえば?」
「赤龍はご存知でしょうか」
「ええ、騎士団の名にもなっているわ。伝説の龍よ」
「その幼生を見たことは?」
「……ないわ」
「彼女は、それを拾って、しかも餌付けまでしてしまったのです」
「ティシィ!」
「観客は黙って。――次に拾ったのは、東方の大国ケセラドの王女でした」
「……!」
「四年前に我が国へ来訪中の王女が行方不明になったという噂は聞きませんから、偽者だったのかもしれません。ですが、彼女は三日間をこの孤児院で過ごし、無事に帰国されました。ほかにも多々ございますが、彼女が迷子を拾うことの意味、お分かりいただけましたでしょうか」
「……全部、本当のことなの……?」
「それは貴女様が一番ご存知のはず」
「……」
「ティシィ」
私は少しだけ声を低くして、それ以上の発言を止めた。理由はわからないけど、ティシィが笑顔の奥でマリーベル様を警戒しているのがわかる。
ティシィは私を横目で見て、微苦笑をもらした。
「いったい、今度はどんな大物を拾ってきたわけ?」
「別に、普通のご婦人よ」
「一見、商家の婦人に見えるけど、貴族だわ。そういうのを普通とは言わない」
「どうしてわかるの?」
言ったのはマリーベル様で、純粋な疑問として聞いてみた感じだった。
私も彼女が貴族であることは気づいたけど、ティシィの視点は違った。
「発音が違います」
「発音?」
「言葉の話し方……に含まれる柔らかい物言いとか、動作からすでに違います」
「わからないわ」
マリーベル様が困ったように眉を下げた。
私もうんうん、と頷いた。それに、ティシィがマリーベル様と交わした会話はそれほど多くない。
「仕草、歩き方、髪の結い方、髪飾りは上質の玉、そして髪留めの……」
ティシィは眼光鋭く、すくっと立ち上がって私に近づいてくる。私とマリーベル様との間に立って振り返った。
だから、ティシィがどんな表情でマリーベル様を見たのか、私は知らない。
「アリスを連れて行くつもりですか」
「そのつもり、と言ったら?」
マリーベル様の穏やかな声がする。どこかティシィの発言を楽しんでいるような物言いだ。
「貴女はどうするの」
「取り返しますよ。当然でしょう」
「ちょっと、ティシィ?」
「アリスは黙って」
ティシィの声が低い。わかることはただひとつ。ティシィは彼女が王太后マリールージュだとわかった上で喧嘩を売っているのだ。
ふ、と笑ったのはマリーベル様だった。
「ジン様の番犬はナミ様で、アリスさんの番犬は貴女というわけね」
マリーベル様は楽しそうに笑った。笑って、降参、というかのように両手の平を肩まで上げてみせた。
「アリスさんとは偶然出会っただけよ」
楽しげに語っているけど、マリーベル様の雰囲気が静かに変わった。
貴族の婦人から、王太后に。
「貴女、お名前は?」
「ティシィ・メアル」
「メアル……。メアル伯爵令嬢? なるほど……」
ふふ、とマリーベル様は笑った。
「メアル伯はここ数年ずっと領地にいるようだけど、貴女だけが王都にいるのはなぜ?」
「意味などありません。祖父母と暮らしているだけです」
「アリスさんの側にいるためね?」
「――」
「メアル伯爵令嬢ティシィ」
「……」
「貴女が魔女の弟子、なのね」
マリーベル様の言葉に、ティシィの身体が強張った。
バチバチと火花が散ったような音がしたのは気のせいか。
「ティシィ」
「だめ」
私はティシィに手で押さえられて彼女の背中から出してもらえない。
「ティシィ」
私はマリーベル様と睨み合っているだろうティシィの目を背後から両手で覆った。
「アリス!」
非難の声を上げるティシィに私は笑った。
「大丈夫よ」
はいはい、どうどう。落ち着いて。
初めて会った人にいきなり喧嘩を吹っかけるなんて、ティシィらしくない。
私はティシィの目を覆ったまま、背後からひょっこりと顔を出した。
マリーベル様は驚いたように目を丸くしている。
「マリーベル様」
私はにっこり笑った。
「ティシィは番犬じゃないですよ」
「え?」
「私の幼馴染みで、大切な親友です」
「……」
「魔力もないし、私を元気にするって魔法しか使えません」
ただ、ティシィはナミお祖母さまが大好きで、私を頼むというお祖母さまの言葉を忠実に守っているだけ。
2年前に両親が他界し、何をしていいのか、何をすればいいのか、何もわからなくて呆然とするだけだった私の側にずっといてくれた大切な親友。
送った手紙の返信がなかったというだけで私の異変を察知して、早馬で駆けつけてきた彼女は、領地にいる両親と別れ、王都の祖父母と住むことで私の側にいることを選んでくれた。
ティシィが来てくれるまでの2ヶ月間のことを私はよく覚えていない。
ただ無気力に暮らしていたのだと思う。
初めて泣くことが出来たのもティシィの顔を見てからだった。
「そう……なの」
マリーベル様は微苦笑をもらした。
「貴女の大切な人なのね」
「はい」
「そんな人が私もいたわ……」
マリーベル様は遠い目でつぶやくと、優雅な仕草で立ち上がり、真剣な表情で私を見た。
そして、小さく笑う。
「彼女の顔、真っ赤よ」
「え?」
私はティシィの目から手を離した。
「アリス……」
ティシィが困ったように、頬を赤くして私を見た。
「あんまり恥ずかしいこと言わないで」
「恥ずかしいこと? 言ってないわよ」
私がきょとんと瞬くと、もういい、とティシィは言った。どこか毒気を抜かれたように息を吐いて、私の手を握った。
ふふ、とマリーベル様が笑って、ティシィさん、と言った。
「失礼なことを言ってしまったわ。ごめんなさい」
「……! い、いえ、私こそ、口が過ぎました。申し訳ございません」
王族から謝られてしまったことに驚いたのか、ティシィが動揺する。あたふたする姿に私はくすくすと笑ってしまった。
「アリス……!」
「あんなに喧嘩腰だったのに、うろたえすぎ」
「だって……!」
王族が謝罪を口にするということが、とんでもないことだとわかっているのだけれど。
私は謝れない王族より、謝れる王族の方が尊敬できると思う。
「ティシィ、座って」
私はマリーベル様にも微笑んだ。
「マリーベル様も」
「ええ」
マリーベル様も微笑んで、ティシィの横に座った。ティシィはどこか据わりが悪いのかもぞもぞと腰を動かした。
「それで……?」
ティシィはどこか拗ねたような物言いで私を睨んだ。
「私に何をしてほしいわけ?」